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第九十話

「第九十話」


 最大限の温もり。

 それはどんなところよりも落ち着くことができた。

 これがあの世ということだろか。


 ゆっくりと目を開ける。その際には覚悟を要した。


「おはよう。ノア。」


 否、目の前に居たのは悪魔でも天使でもなかった。

 エレナだった。

あの世でなかったことではなく、目を開けて一番最初に視界に入ってきたのがエレナだったことに嬉しさがあった。


「なんで俺がここに居る?」


 想像していた場所とは異なり、混乱してしまう。

 だから、第一声が情けないものになってしまった。


「運んできたんだよ。妙に外が騒がしくてね。出てみれば主任君が死にかけているし、ノアは誰かにとどめを刺した瞬間だった。ギリギリだったね。あのまま地面に激突していれば生きてはいなかった。」

「……そうか。助かった。」

「いやいや。お礼を言うのは私の方だよ。」

「……?」

「彼らはオクト。昔因縁があった二人組でね。撃破してくれたのは大変にありがたいことさ。」


 しみじみと、思い出すようにエレナは言った。


「それは良かったな。」

「良かった。良かったんだけどね。でも、ノアがここまでズタボロになっているのに、素直に喜べないよ。」


 重たい体を持ち上げる。

 それには違和感があった。


「……?」


 下を見ると、両手があった。

 握ると感覚がしっかりとあり、千切れていたのが嘘のようだった。

 エレナが治してくれたんだろうか。

 エレナの方を少し、ちらりと見た。


「なっ!?」


 エレナの右腕が無かった。

 それは斬られたような跡が残り、まるで戦闘を彷彿とさせた。


「どうした!?その腕!」

「ん?ああ、少々ノアを治すのに苦戦してね。結局自分の腕と交換みたいな形になってしまったのだよ。」

「はぁ!?」

「そんな大声を上げなくても大丈夫だよ。痛みはないし、私は左手だけでも十分に生活ができる。それに、戦闘スタイル的にノアには両腕があった方が良い。逆に私には両腕がないくても問題ない。」

「だからって……。」

「心配し過ぎだよ。少し前の君なら狼狽えることなく聞き流していた程度の話だよ。」

「………」

「私は大丈夫さ。だから、そんなに心配しないの。」


 エレナは残った左腕で優しく頭を撫でた。

 確かにエレナの言っていることが正しいのかもしれない。頭の悪い俺では判断できなかったが、合理的に判断したならば誰もが納得したのかもしれない。

 でも、なぜだろうか。モヤモヤした。

 嫉妬や、怒りのような感情ではない。何かに大きな違和感のようなモヤモヤが自分の中を駆け巡っていた。


「さぁ、ご飯にでもしようか。多分だけど、主任君も起きているよ。」

「………分かった。」


 ベッドから離れる。

 部屋はシンプルな内装に、使い勝手の良さそうな家具が数個並んでいるだけ。

 利便性のみを考慮したような感じがある。

 客間だろうか。特質した趣味のようなものが感じられない。


 廊下に出ても感想は変わらなかった。

 簡素であり、質素であり、地味である。異様に綺麗にされているのだけは分る。

 生活感がないと言い換えても良いだろう。

 本当に誰かが住んでいるのか疑問に思ってしまう。


 待っているのだろうか。

 ここから誰かが連れだしてくれることを。

 だから、いつ出て行っても良いように綺麗に、整頓され、無駄なものを置かないようにしているのだろうか。


 変な憶測は良くないな。

 妄想を膨らます前に腹を膨らまそう。


 一階の食堂らしき場所まで到着する。


「………よぉ。」


 初めに出迎えてくれたのは包帯で誰か分からなくなっている主任だった。

 声でかろうじて誰か判別をすることができるくらいだ。

 レイヴァンが申し訳なさそうに主任を見つめている。


「やぁ。主任君。元気そうだね。」

「元気……?元気とか言ったか?言ったよな?これを見て、元気とかほざいたよな???」


 包帯の隙間から睨むように覗いている。


「うん。もしかして元気じゃないの?」


 なるほど元気か。

 これまた否定しづらい表現である。

 無事かどうかは見た目で判断できるが、元気かどうか。中身の話になると第三者では分からない難問である。


「………すまない。主任君。俺の手当てが下手で。」


 レイヴァンが申し訳なさそうにしている理由が判明した。

 この無茶苦茶な処置はレイヴァンの行いでったらしい。

 一見すると体中の止血をしているようにも見えるが、ただ単に包帯が絡まっているだけのようにも見える。

 不思議なものだな。


「いや、店長。あんたのせいじゃない。店長ってのは俺よりも偉い。ずっと偉い。そんなことは誰にだってわかることだ。だが一つだけ言わせてほしい。なぜ、あんたの娘は血だらけで瀕死の俺を適当に放置してノアの方へ走っていったんだ?頼む。教えてくれ。」

「父さんに聞かなくても良いよ。私が答える。答えは単純明快、ノアが血だらけだったから。」


 エレナが俺に抱き着いてくる。


「おい、これが教育の賜物か?」

「……いろいろとすまない。」

「助かった主任。あの時は。」


 主任が発砲してくれなかったら俺は間違いなく死んでいた。

 希望の光を照らしてくれたのは主任だった。だから、感謝を述べた。


「ああ。良いんだ。もし、感謝の心を持っているなら、お前の治療班を俺にも分けてくれ。」

「エレナに言え。」

「もちろん善処するよ。でも、優先順位があったからさ。それに父さんで十分かなと思って。」

「料理人にとって厨房は戦場だと聞いたことがあるが、なんだ?これは皮肉か?それとも、戦場の天使様は気まぐれすぎて使命を忘れたのか?」

「いやいや、天使の仕事は救済だからね。全員を助けることこそが生きがいなのさ。」

「良く言えたな。倒れてる俺を助けてくれるのかと思えば、近づいて脈をとって、頑張れの一言で済ませたお前の生きがいは薄っぺらすぎて笑えないぞ。」

「別にギャグを言ったつもりはないのだけどね。」

「ああ。本気で笑えないからな。」


 エレナを本気で睨んだ主任を片目に、料理の豊潤な匂いが鼻孔を刺激していた。


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