第八十七話
「第八十七話」
「ここだよ。」
エレナに連れてこられた場所は何もないところだった。
なんの特別性や意外性のないただの森の中。そこがエレナの故郷とでも言うのだろうか。
しかし、エレナは懐かしいような、悲しいような、心配しているような表情を浮かべていた。
それは、エレナが故郷に帰ったことを示唆しているのだろう。
「何もないじゃないか。」
主任も同意見らしい。
違う点は、その疑問を口に出さないことくらいか。
こういう場面では黙っていることが常識である。
「いいや。ここだよ。ここからすべては始まったんだ。」
「大丈夫か?ヘレナ。」
「うん。覚悟……なんてかっこいいセリフを吐くわけじゃないけど、そうだね。ある程度の気持ちは作ってきたよ。」
「そうか。じゃあ」
「うん。父さん。」
エレナは一歩前へ出た。
「ねぇ。」
「『結界』を開けて。」
「うん。ありがと。」
「?」
独り言か?
いや、確実に誰かと話しているように感じた。
しかし、この場の誰とも話していない。なぜだろうか、妄想とは考え難かった。
この状況について誰も突っ込まなかった。突っ込めなかった。
「開くよ。」
空間が割れ、そこから暖かく、神秘的な風が吹きつける。
なるほどこれが『結界』か。
他を寄せ付けず、自己のみで完結することが出来る。外敵から身を守り、存在すら感知させない。
「………」
エレナはどこか遠くを見つめていた。
うれしいはずだ。なぜなら、久々の家族三人。これは喜ばしいこと以外の何ものでもないはずなのだ。
しかし、顔は曇ったままだった。
「………父さん。」
「どうした?」
「先に行ってくれない?」
「分かった。」
マクスが先に行った。
空間へと足を踏み入れると、姿が見えなくなった。
まるでそこには本来存在しなかったと言わんばかりに。
「ノア。主任君。行こうか。」
「え?」
「俺たちも行くのか?」
外で待っているだけかと思ってた。
当然だ。家族の団欒を邪魔するわけにもいかないし。
「……当たり前だよ。」
「流石に気まずいんだが。」
俺も主任と同意見であった。
しかし、興味がないと言ったら嘘になる。
だって、こんなに怯えているエレナを見れば、なんだって母親に会うだけでそんなに緊張しなければいけないのか不思議に思ったからだ。
それに、俺も過去の出来事を最近になって心のどこかでやり直したいと考えるようになってきた。だから、家族の、肉親の暖かみってやつを再認識したかった。
「良いからさ。」
「ノアはどうする?」
「俺も行くつもりはなかった。」
「なかった?」
「ああ。だけど、興味が出た。だから、来てほしいなら行くし、来なくても良いなら行かない。エレナが決めろ。」
「私は………そうだね。分かった。来てほしい。」
「そうか。じゃあ行く。」
「主任君は?」
「………俺も行く。」
主任も渋々ではあったが、行くことを決意したらしい。
遠慮する気持ちも分かるが、露骨過ぎである。もっと、自然体にふるまえんのか。
エレナと主任と横に並ぶ。
死に飛び込むような思い。それは、どの戦場に行っても感じることが出来ない代物だった。
一歩前に出る。
変な憶測とは裏腹に空間は簡単に侵入者を受け入れた。
どこでもない空間は、誰にでも優しかった。
豊かである。それが初めに思った感想だ。
草木が祝福でもしているかのように横に揺れ、太陽が優しく傾いている。
大きな庭と表現する他ない。
庭の中心には一軒の家が建っている。
それは古びた家屋で、年季を思わせる造りだった。
一人の女性が庭の手入れをしている。そのすぐ後ろにマクスが立ち、談笑しているように見える。
それを三人で眺める。
エレナはすぐには動こうとしなかった。動けなかったのかもしれない。
泣きそうで、悲しそうで、満足そうな。
普段通りの何を考えているのか理解できない顔。でも、それは初めて見る、毛色の違った表情だった。
「ノア。」
「なんだ。」
「一緒に行かない?」
「……分かった。」
主任を置いて、歩いた。
二人で。これほど平和な道は今までなかったように思える。
女性の前まで到着する。
女性はこちらに気づき、にこやかな笑顔を向けてきた。
「あら!あなたは前にも会った!ごめんなさい。ええっと……」
「エレナです。」
「そうそう。エレナちゃん。久しぶりね。」
「はい。」
なんだ?
この人がエレナの母親じゃないのか?
違う住人も居るのか。では、母親はどこに居るんだ?
周囲を見渡しても誰も居ない。
気配もしない。
家の中かと思い、少し覗くが誰も居ないように思える。
「ごめんなさいね。こんな汚れた格好で。」
「いえ、急な来客でしたから。」
「そう言ってくれると助かるわ。レイヴァン。」
レイヴァン?
マクスは偽名だったのか。
そういえば、マクスはエレナのことをヘレナと呼んだ。こちらも偽名であったか。
「どうした。」
「お茶の準備をしてくるから、エレナちゃんたちを案内してあげて。」
「分かった。」
そう言うと、女性は立ち上がり、膝に付いた土を払い落とし家の方へと歩いて行った。
その背中を見送る際に誰も何も言えなかった。
「エレナ。」
「……ごめん。後にして。」
「悪い。」
「……良いんだよ。」
エレナの声は嫌に震えていた。
顔が見れなかった。
「ヘレナ。ノア君。主任君を呼んでくる。」
「ああ。」
「………」
エレナはまだ、女性のことを目で追っていた。
それは希望的な目で。何かを望んでいるように。
マクス……いや、レイヴァンは主任を連れてくると、家の裏側。俺たちが訪れた場所の反対側へと案内した。
そこには円卓と椅子が並んでいた。
ありがたいことに人数分の椅子が配置してあった。
それぞれが座り、女性の到着を待つ。
長く感じる時間だった。
誰も口を開こうとしない。それどころか、緊張が伝染している。
こちらまで手に汗を掻いてきた。
「お待たせ~悪いわね。こんな物しかなくて。」
「いえ、」
「あら?どうしたの?エレナちゃんは体調が悪いの?」
「どうしてですか?」
「だって顔色が悪いわよ?」
「大丈夫です。何ともありませんから。」
「そう?休みたかったら、言ってね。」
「はい。ありがとうございます。」
なんとなく分かった。
これが『結界』の副作用であるということが。
「あなたたちは?」
「俺はノア。エレナの相棒だ。」
「俺はリバッチ。まく……じゃなかった。レイヴァンさんのところでお世話になっています。」
「そうなの?レイヴァンのお店で?」
「はい。」
「へぇ~、レイヴァンはうまくやってるの?」
「はい。店長は優しいですから。」
「それは良かったわ。レイヴァンは人と関わりたがらないから。」
「アリセナ。部下の前で何を言ってるんだ。」
「あら。流石にメンツがあるのね。」
「当たり前だろ。ほら、へ……エレナはどうなんだ?」
エレナは俯いたままだった。
大きく深呼吸をすると、いきなり立ち上がり
「ごめんなさい、アリセナさん。やっぱり、体調が……」
「あら。そうなの……ベッドがあるから休む?」
「いえ、私は、お暇させて」
「悪い。俺と主任が急用だ。」
エレナを邪魔するように立った。
主任に視線を送ると、察したように立ち上がった。
「レイヴァン。帰り道はどこだ。」
「え、あ、ああ。こっちだ。」
レイヴァンも案内するために立ち上がる。
「待ってよ!ノア!」
「レイヴァン。やっぱり、ヘレナに案内してもらう。悪いな。」
「いや、すまない。」
レイヴァンが座りなおし、エレナが立ち上がって、歩き出した。




