第八十二話
(昔話―永久の平和を望む者達)
・ヘレナ視点
「母さん!」
「どうしたの?ヘレナ。」
「父さんは?」
「レイヴァンなら、買い物にでも出かけたんじゃないの?」
「そっか……」
二人の親子。
母親は、黒い髪を動きやすそうに短く整え、耳が髪の毛を貫通し自慢するかのように飛び出している。つまるところ、エルフの生き残りでった。
娘は、母とそっくりな黒い髪を腰まで下ろしている。娘にはエルフらしい特徴が無かった。娘は、父である人間に由来しているらしかった。
母は走ってきた娘を宥める様にそう言った。
その一言で娘は落胆したようだった。
名もなき森に囲まれた一軒の家。
そこには三人の家族が住んでいた。
数百年外界との交流を絶ち、平和を謳歌していた。
「なんで父さんはすぐにどこかへ行くの!?」
「そんなこと言ってもねぇ……今年はレイヴァンが買い出し担当だから……」
「そうだけど!一緒に行けばいいのに!」
「まぁまぁ。そんなこと言わずに。ヘレナが好きなお菓子を作ったわよ。」
「もう!母さんはいつまでも私を子供扱いして!」
「食べるの?食べないの?」
「食べるけど!」
ヘレナは怒りながらも母のお菓子にがっついた。
それは、甘く、くどい味付けではあったが、これを食べられない日を想像したくないと思わせてくれる一品である。
夜になると、父が帰ってきた。
いくつもの袋を抱えて。
「父さん!」
「おぉ。どうした?」
「どうした?じゃないよ!なんで呼んでくれなかったの!?」
「それは……」
「はいはい。二人ともご飯にしましょうよ。」
「ああ。ただいま。アリセナ。」
「おかえり。レイヴァン。」
両親の仲はよかった。
それは、恋人のように。それが当たり前だと思っていた。だって、私はここしか知らないのだから。
両親と育った場所。ここが私のすべてだった。
外界と隔絶した空間。と言うより、かなり精巧な地図が無ければここまでたどり着けない。
森がすべての侵入者を拒む。それが、私の故郷だった。
寂しくはない。両親は数百歳の自分を可愛がってくれたからいつまでも子供のままで居られた。
好奇心はない。ここが私のすべてが故に、特段他に興味はなかった。
暇ではない。母の手伝いは楽しいし、たまに遊んでくれる父は飽きさせることを知らなかった。
これが普通。これこそが生活。
生を受けて数百年。それは、誕生日を迎えるたびに増えていく蝋燭を乗せるのをやめたとき辺りから、正確な自分の年齢を数えるのを諦めた。
これ以上の幸せはないとすら思っていた。
食卓の時間は好きだった。
こうして三人で顔を見合わせて食事を食べると満腹以上の幸福感を得られるからだった。
食事を終えると自室へと戻る。
読みかけの本を開き、読書に勤しむ。
本は好きだった。数多く読んでいるわけではなかったが、父が街で定期的に買ってきてくれるので、毎月のように楽しみにしていた。
一階からは両親が話している声が聞こえる。
それは決して大きい声ではなく、内緒話をするような声量ではあったが、狭い家ではどんな会話でも筒抜けであった。
「今日はどうだった?」
「あまり良くないなぁ。」
「そう。」
「足跡が増えてきてる。去年よりも前進してきているところを見ると、もう長くないかもな。」
「どうする?」
「引っ越し……真面目に考えるしかないな。でも、」
「分かってる。ごめんね。私が足を引っ張るようで……」
「そんなことない。家族三人いつまでも一緒だ。」
「うん。」
会話は聞こえるが、内容までは分からなかった。
いや、考えないようにしていただけかもしれない。自分でもよくわからなかった。
こうして三人で仲良く暮らすだけで自分にとっては十分だったからだ。
これ以上は望まない。
ただ慎ましく、静寂に時を過ごす。こうして居れば、誰にも迷惑なんて掛からないし、誰も不幸になんてならないと思うから。
本を閉じ、布団へと入る。
夜の寒さを布団は簡単に受け入れた。拒絶する術を知らないらしい。
自分の体温で布団を温め、丁度良い温度の時に目を閉じた。
「ヘレナ!!ヘレナ!!!」
父の大声で飛び起きた。
ドダドダと家の中を走り回る音が聞こえる。
それは今までにない緊急事態を表していた。
「……ん?何……?」
眠たい目を擦り、父が居るであろう廊下に目をやった。
そこには寒いはずなのに全身から汗を吹き出した父が立っていた。
「どうし」
「早く外へ出るぞ!!」
「え?う、うん。」
困惑した。
何が起こっているのか、前兆もなかったために自分の想像力では補えなかった。
父に連れられ、外へと出る。
「なっ!?」
目にしたのは、焼き払われた森だった。
目の前がありえないくらいに明るい。ひょっとすると昼間なんかよりもずっと明るいんじゃないだろうか。
産まれて初めて見る異様な光景。それは、悪意すら感じるほどに。
「良いか?アリセナを連れてできるだけ遠くへ行くんだ。」
「父さんは?」
「俺もすぐに追いつく。絶対に迎えに行くからな。」
「う、うん。」
妙に用意周到だった両親に疑問を投げかける暇もなく、母に手を引かれる。
まだ燃え広がっていない森の中は冷たかった。




