第七十三話
「第七十三話」
・ノア視点
暖かい。いや、懐かしい?でも、初めての感覚だ。
剣を恐怖しそうな感覚。
誰かを傷つけるなんて非道だと思える感覚。
他者を尊ぶ感覚。
どれも初めてのことだった。
しかし、そのどれもに興奮していた。
目を開ける。
そこは宿だった。
安心できる匂いと、温もりに酔っていた。
目の前には当然のようにエレナが眠っていた。
いつもだったら腹立たしいと思うだろう。でも、今回に限っては違った。
エレナの胸に頭を擦り付け、腕を首に回して、精一杯自分の方へと引き寄せた。
ずっとこうしていたい。こうすることで、空いた穴が塞がるような感じがする。
「おはよう。」
「………」
エレナが起きたみたいだ。
眠たそうな顔をこちらに向ける。
木にしがみ付くような俺を、背中に腕を回して、そっと抱きしめてくれる。
「今日は、少し忙しくなりそうだね。」
「……今日もだろ。」
「うん。そうだねぇ。」
飄々と話すその声に、何かが踊りだす。
愉快に浸っている。
どうしたんだろうか。何が、ここまで俺を奮い立たせるのだろうか。
「起きる?」
「………」
「分かった。少し、こうしてようか。」
なぜしゃべってないのに、理解ができるのか。
でも、その通りだった。
決して声に出すことはできなかったが、こうして相手の熱を感じていたかった。
「おーい、ガキども。朝食だ。」
ドアをノックもせずに入ってきた不届き者が居た。
主任である。
「朝から何してんだ?」
「これは、毎朝の恒例行事だよ。」
「違う。」
反射で声を上げるが、行動が伴っていなかった。
「違わないさ。これが、私たちの恒例でしょ?」
「………」
「ほら、ガキども起きろ。」
「はいはい。分かったよ。」
エレナが離れて行ってしまう。
どこか、虚しさが残った。
「さぁ。起きよ、ノア。」
「ああ。」
体を起こして、ベッドから離れようとした。
ふとお腹を触った。
「……?」
傷がない。
腹部に空いていた穴がない。
回復してる?ああ、そうか。エレナが何かしてくれたのか。
椅子に座り、朝食を食べる。
「今日はセレニス家に行った後、ソリアンと話してくるよ。主任君には馬車を動かしてほしいんだ。」
「……分かった。」
「助かるよ。」
「何もないんだよな?」
「うん。そのはずだけどね。」
「分かった。運転くらいはしてやる。その前に、ノアをやめさせろ。」
「ああ。なるほどね。」
いきなり、自分の名前がでて驚いた。
俺は、主任をにらみつけていたのだ。無意識の内に。なぜかは分からない。
でも、それが正しいと心の底から思っていた。
「ノア。」
「……なんだ。」
エレナに手を持たれる。
そのまま引っ張られ、膝の上に乗せられた。
「ノアは寂しんぼだなぁ。」
「……うるせぇ。」
「あれぇ?いつもより覇気がないなぁ?」
「……うるせぇ。」
「はいはい。」
力が入らない。
エレナの行為を受け入れるしかなかった。いや、実は喜んでいるのかもしれない。
どこか満足している自分が居るらしかった。
「いつ出る。」
「そうだねぇ、昼前にはついておきたいからね。そろそろ出ても良いかもしれない。」
「分かった。準備してくる。ノアを何とかしとけよ。一日中睨まれてたら質が悪い。」
「分かっているよ。何とかしておくから。」
主任は部屋を出て行った。
そんなことよりも人を害虫のように言わないでほしい。
確かに、少し至らない点はあったかもしれないが、寝起きで機嫌が悪かっただけだ。頭が冴えれば問題ない。
そう思っている。
「もう~ノアったら。」
「なんだ。」
「なんだじゃないよ。まるで主任君が邪魔者みたいな視線だったよ。」
「……」
「なぁに?その顔は。」
「……ただ、寝起きだっただけだ。」
「そう?そうは見えなかったけどね。」
「……どう見えたんだ。」
「そうだねぇ……例えるなら、母親を取られた子供のような、獲物を奪われた肉食獣のような、恋人の浮気現場でも見たような顔だったよ。私がこうしていなければ、主任君を殺す勢いだった。」
「………そんなことない。」
「そんなことあったんだよ。」
「………」
納得がいかない。
まるで主任を擁護しているようじゃないか。
俺の方が付き合い長いのに。
「あら。嫉妬?」
「馬鹿なこと言うな。」
「そうなんだ。じゃあ、主任君と二人で今日は行こうかな。」
「………」
「ほら、怒った。」
「……別に怒ってない。」
「いやいや、無理があるよ。今のは、剣を探しているような視線の動きだった。」
「勝手な解釈をするな。思い込みが激しいぞ。」
「そうなんだ。でも、昨日は剣を探すよりも私を探すことに必死だったように思えたけどね。」
「……いつ?」
「寝る直前だよ。ノアが途中で力尽きてしまったからね。宿まで運んだんだ。ベッドへ寝かせた後に、手を放そうとしなかった。それは、必死なんてものじゃなかったよ。最期に見せる本能のような体に染みついた理性だった。」
「……エレナも寝ぼけるんだな。」
「えぇ~今日は弁解に随分と労力を使うんだね。いつもは、無視か適当にあしらうだけなのに。」
「……」
「もう~怒らないの。主任君が帰ってくるまでこうしててあげるから。」
エレナは俺の前で手を組み、抱きしめてくる。
それを拒むことなく、甘んじて受け入れる。
なんだか分からないが、これがとてもうれしく思えた。
「ソリアンはどうした。」
「彼は、一足先に自宅へと送ったよ。主任君がね。」
「……?どうしてだ?」
ソリアンも一緒にセレニス家へ行けばいいのに。
「大人の事情ってやつだよ。馬車なんて風情がないでしょ?」
「分からん。」
「分かるさ。遠くないうちに。」




