第三百九話
「第三百九話」
・ガイア視点
「ふぅ~………」
光を飲むほど黒い大鎌を仕舞うことなく、右手に持ったまま歩く。
引きずるだけで床に一本の線が出来上がる。
火花を散らしながら、ゆっくりと歩行していく。
「流石に疲れたなぁ……」
背後には割れた電球が飛び散り、血の匂いが充満する。
伸びきった五十三人の軍人は静かに寝ている。
死者ゼロ。しかし、立ち上がる者は一人としていない。
およそ一時間の攻防だった。
外気よりも過ごしやすいと感じる室温と息がつまりそうな壁に囲まれた廊下は続く。
おおよその場所を把握したいものだ。そして、この基地内にあと何人の戦闘員が居るのか知らなくては。
部屋を一つ一つ見て回る。
外で訓練している最中なのか、所謂筋肉ムキムキで、見るからに屈強そうな男は一人も居ない。
ただ、事務員らしき可憐な女性が書類の山を持って廊下を往復しているだけの光景が広がる。
そこまで大きな基地ではないのか。それとも、前線に人を送り過ぎて内地の人が不足しているのか。どちらかは知らないが、まずい状況なのかもしれない。
ある程度、捌いておかないと後々面倒なことになる。
アイアン、アキ、シヴァ、ルフェルが三家を崩壊さえしてくれればすぐにでも『万能』を討ちに行けるのに……
やきもきした気持ちが焦らせる。
焦った拍子に適当な扉を開けてしまった。
「あ……」
考えなしに開けた部屋は、会議室であろうか。
大きな机が一つ置いてあり、椅子がニ十個ほど並んでいる。
奥の上座には髭の生えた五十代と思われる男性が肘を机に乗せ、手を組んで、顎を乗せている。
退屈そうな顔が、わたしの顔を見た瞬間に、花でも咲いたのではなかろうかと思うほどに、ぱっと咲いた。
「ようこそ……吾輩の医務室へ。」
「医務室……?」
男はここを医務室だと言った。
そうは見えない。髭の生やした男が煙草を銜えて、荘厳そうに二十人も座れば議題はなんであれ、大層な会議に見えるだろう。
第一、医術に必要そうな道具が一つもないし、目の前の男は聴診器すら持っていない。
白衣を着ているわけでもないし、眼鏡も掛けてない。一番重要であろう看護婦すらいないじゃないか。
「ボケたのか?」
「ツッコミ待ちではない。」
「それは良かった。すべっている人を見るのはいたたまれない。」
「余裕だな。侵入者よ。」
「わたしは医者を殺しに来たわけじゃない。つまり、あんたに用はないんだ。立ち去らせてもらう。」
「それは困った。」
男はわざとらしく顎髭を触り、背もたれに体重をかけて仰け反った。
「吾輩の医務室に入ったからには、怪我治るか。怪我で死ぬか。病気を誤魔化すか。病気を受け入れるか。体に鞭を打つか。人生に終止符を打つか。どれかの選択肢しかありえんのだよ。」
「おっかない部屋に入ったみたいだ。しかし、残念極まりない。わたしは健康体でね。お医者様のお力添えが無くてもピンピン生を謳歌できる。もしお仕事の邪魔をしたのなら謝ろう。Uターンして帰らせてもらう。失礼した。」
「分かっておらんようだな。吾輩の部屋に入ったんだ。消毒の一つでも処方しよう。悪いのは頭か?」
「いいや、心かな。」
「なるほど。」
「『結界・食事』」
「マナーの大事さを教えてやる。」
結界師……医務室専門と言う事は、ヒーラーか。
鎌を使う必要は無さそうだ。
「結界師をできれば全員とまでは言わないけれど、と言うか。回復系の結界師はできれば全員に戦闘不能になってもらいたい。」
回復系の結界師の貴重さは知っている。
これまで数々の結界師を見てきたが、ほとんどが攻撃を前提に作られた能力だった。それは恐らく、自身が軍人で敵を討つために訓練されたと心の底から信じているからであろう。
その内面的な信念が『結界』として具現する。
元々、医師志望の人か、それとも訓練中に完全に戦意を失った人物だけが攻撃ではない、違う系統の『結界』を身につけることが出来るのだと思う。
「吾輩の質問に応じるか。」
「応じよう。」
「どうやって、あの食堂から生還できた。」
「実力差。」
「なるほど、マナー不足だ。」
「マナー?」
「次の質問だ。」
「………」
「返事はどうした。」
「応対が無いとお話もできないの?」
「なるほど、マナー不足だ。」
「………診察か。」
「おいおい。物騒なことを言うんじゃない。これはマナーだ。」
「なんなんだ。さっきから。」
「良いか。人の歴史はマナーの歴史。コミュニケーションとはマナーの押し付け合い。人体は炭素でできているとかいう無能が居るよな。そいつは違う……暴論も良いところだ。顕微鏡も使えなさそうな、眼鏡を掛け、白衣を寝間着のように使っているだけの猿共に分かり易く言うとだな……人体を構成しているのは礼儀と作法、そして気づかいだ。」
「お前こそ、人間の何たるかを理解できていなさそうだけどな。」
「例えば、どこかの国のトップ同士が会合をしたとする。一国は女性を立てる文化だったとする。もう一方は男性を立てる文化だったとする。参加者は四人。国の長である旦那と嫁。ひとしきり挨拶と握手、写真を撮り終え、いざ座ろうかと思ったときにだ。さて、誰が一番最初に座るべきなんだろうな。」
「………」
「そうだよなぁ。迷うってもんだぜ。ここで迷うのが人情ってもんだ。だが、後者の国は違った。嫁を先に座らせたのさ。そいつが無知だったかって?そんなわけないだろ。分かっていたのさ。誰かが遠慮し否定されなくてはならないとな。これを聞いてどう思うってお前に聞く。」
「……素晴らしいと思う。協調性こそ人間の素晴らしさだ。」
「マナーの最大の火力の出しどころは自分を否定することだ。相手を立て、自分を下げる。敬語に似てるよなぁ?誰もが平等であるはずなのに、誰かを立てることでいざこざや争いを避けることが出来る。これは素晴らしいことだ。」
「………」
「さて、話を戻そうか。座れ。」
男は椅子を指さした。
「食事とはマナーの集合体だ。貴様はどこまで自分を妥協し、相手にマナーを叩きつけることが出来るのか。見せてもらおうではないか。」
「良いだろう……講座の開始だ。」




