第三百四話
「第三百四話」
・ノア視点
よく眠れた気がする。初めての快眠と言えるだろう。
体が馴染んだのか、それとも気の持ちようか。どちらともいえるのだろうが、レスポンスとも言えるものが良くなった。
薄い布団は外気を通し、ごみ溜めの壁は外と隔てりが無いように、野宿とほぼ相違ないように思えた。寒空の下でねむっているのと何が違うんだろうかと文句の一つでも零したい。
まだ朝になっていないのか、暗い天井が視界に入る。恐怖こそ感じないが、孤独感を埋めてくれる。
起き上がろうとすると、やけに腕が重いと感じた。
「……?」
目は乾燥して、頬はカピカピになっていた。
目線を横にやると、誰かの胸元がドーンと入ってくる。それはマリエッタのものだった。
昨晩会ったんだったと記憶を思い出し、起こさないように再度布団の中に入った。
服の乱れがないことや、足元にガイアが座って眠っていることを鑑みると行為には及んでいないことが分かる。
いやに準備が良く、あのデブとガイアに上手いことやらされたんだと実感した。
もう一度眠ろうかと思い、目を閉じた。
どこか遠い夢でも見るように、しかし、目の前の現実ってやつを忘れないように。
「ん……」
二度目の起床。天井が明るくなり、もう寝ていられないと感じるほどに睡眠も取れた朝だった。
誰かが料理をしているのか、芳醇な香りが鼻を抜けた。
「ノアさ……ノア。おはよう。」
俺が目覚めたことに気が付いたマリエッタが視線を落として話しかけた。
昨晩は忙しく、それに加え急いで来たのか汗の乾燥した匂いが鼻に入ってきた。それに髪も乱れている。
「ああ、おはよう。」
「どう?気分は。」
「………」
「もしかして悪い?」
「いや、ありがとう。」
「それは良かった。」
「起きたかな、ノアさん。」
声の主はガイアだった。そちらの方を見ると、安眠できたのか、肩の荷が下りたようにすっきりした顔で座っている。
俺の視界が曇っていていたせいもあるんだろうが、それでもやはりガイアの顔は晴れている。
「迷惑かけたな。」
「そんなことないさ。誰だって、傷ついたときには迷惑をかける必要があるものだ。そんな当たり前のことにいちいち謝罪や感謝を述べていたのなら口がいくつあっても足りやしない。しかし、素直に受け取っておこうかな。」
「ああ。」
ガイアなりの照れ隠しだろうか。それとも、本性故にそれを口にしたのだろうか。どちらか分からないが、あのデブの命令か、彼の人柄か。俺のために奮闘してくれた事実に変わりはない。
ゆっくりと体を起こそうとすると、マリエッタにすがるように繋がれた手がそこにはあった。
俺が握力のすべてを投じて握っている。
まるで再開した親子がもう二度と離れないようにと強い意志を灯したハグをするように、俺もまた手を握ったらしい。
気恥ずかしさを感じ、急いで手を離す。
まだ温もりの残る布団から脱して、上半身だけを起こした。
ガイアと対面すると、マリエッタは熟睡できなかったのか、再度睡眠に入った。
「ここまでは計画通りと言うか、ほぼタイムロスが無い状態でね。順調と言える。それでも、時間が無いのは事実なのさ。」
「マリエッタが乗ってきた車を使うんだろ。」
「そうだね。そうせざるを得ない。車で目的地まで行こうと思ったのなら車でさえも二日ほどかかるだろう。しかし、彼らは……わたしの予想でしかないんだけど、明日には着くんじゃないだろうかと思うくらいなのさ。」
「じゃあ、すぐに出発か。」
「そこでだよ。」
ガイアが俺を指さした。
「君さ。ノアさんが『白紙』を使って飛んでいけばもっと早く着くんじゃないだろうかと言いたいのさ。地形や街とかの障害物を無視して一直線に飛んでいけば明日の昼前には着けるんじゃないだろうかとね。」
「何とかなりそうだな。」
「そうでしょう?」
しかし、航路は大丈夫だろうか。
逆に言えば指標が何もない空を飛んでいくんだ。一度でも間違えれば到着は大幅に遅れるだろう。
「道筋なら大丈夫さ。わたしは方向に強くてね。」
「じゃあ、良いか。」
ガイアの自信に気おされて、心配事はなくなった。
「俺がおぶれるのは一人だけだ。速度も出すんだろ?じゃあ、二人は無理だ。」
「問題ない。マリエッタさんは今回に必要だったのはこれだけだから。」
「酷い言い草だな。」
「確かに、道具のような言い方は正しくなかったかもしれないけれど、事実だからね。しかも、彼女には車がある。あの体で長距離運転をしたんだ。疲労もたまっていることだろう。ここで休んで、回復していけば、観光でもしてゆっくりと帰っていけば問題ないさ。」
「え?一人で来たのか?」
「私が来たんです。」
台所であろうかと思われるところから、暖簾をくぐって顔を出したのはネリアだった。
そうか、彼女が連れてきてくれたのか。
「じゃあ、行こうか。ノアさん。」
「ああ。」
マリエッタを起こさないように慎重に立ち上がる。
「良いのかい?最後に挨拶の一つでも交わさなくて。」
「どうせ、すぐ会える。」
「執着はやめたのか。それとも、その冷酷さが本来の君なのかな。」
「………行くぞ。」
「仰せのままに。」
外まで行くと、靴紐を結ぶようにわざとらしくしゃがんだ。
次にガイアの足首を掴む。
「はは……冗談でしょう?」
『白紙・隼』
「さぁ。どうだかな。」
「非礼を詫びよう。何か甘い物でも御馳走するよ。」
「おいおい。もっと機嫌を取るのが上手だったじゃねぇか。頑張れよ。」
「追い詰められて饒舌を発揮するのは殺人犯くらいなものでね。実はわたしは殺人を犯したことが無い。つまりは、わたしには饒舌になりえる根拠がないんだよ。」
「それは残念だ。散々迷惑を掛けたからな。お礼の言い方を、殺し屋の作法のように教えてやりたかったが、時間が無いらしい。」
「握手でお互いの健闘を祈らないかい?そうすれば、わたしも空の旅を満喫できると思うんだけれど。」
「生憎な話だったな。俺は多汗症と握手するのに抵抗がある質で。」
「可哀そうな中年にっ!!!!」
足が地面から離れる。
「マジか!?マジに!?」
「舌噛むぞ。」
騒ぎ立てるガイアを無視して空を飛んだ。
冷たく、沈みそうな雲に紛れて空気を蹴った。
何も無いのに重く、何かを望んだのに軽い。そんな旅行だった。




