ぐしゃぐしゃの恋酒 if〜 塙先輩と菊池
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塙先輩って時々新種の生命体のような奇抜な生き物の話や、新種のお酒の話を突然する。好奇心の強い僕、菊池はついその誘いに乗って、話を聞きたくなって飲みに行ってしまう。婚活に焦る先輩の罠だとわかっていても、誘蛾灯に釣られる虫のように、誘われてしまう。今月は出費が重なって生活が厳しいせいもあった。
冬眠から覚めて鮭を貪り食うクマかってくらい興奮している塙先輩に、自分から捕まった。今日も妙に張り切って、目が爛々と輝いている塙先輩が僕の罠にかかったようなものだ。
僕にも選ぶ権利はある。肉食系ではないが、クマさんよりウサギさんの方が好きだ。誰か捕まえてやりなよ、野生のクマさん先輩を。
クマ⋯⋯塙先輩のテンションが爆上がりの中、酒が進む。箸が進む。話は進まない。浴びるように酒を呷る姿は、ハチミツの国のクマさんそっくりで微笑ましい。
塙先輩の話が彼女の中だけで盛り上がるにつれて、僕の席と先輩との席の距離が近くなる。縄張りを侵してはならないと、僕は塙先輩が近づく度に席をズラす。
杯を重ねる度に、椅子取りゲームが始まる。いや、陣取りか。ラッパ飲みする酒瓶が法螺貝に見えて来た。
身体を張った塙先輩の猛烈なアピール⋯⋯いつの間にか四人が座れるお座敷のテーブルを、一周していたよ。
塙先輩から巣穴で飲み直そうと提案された。僕は揺れる速球を送りバントする気にはなれず、全力でお断りする。同じ球を転がすのなら、サッカーの方が好きだからね。ストライクゾーンの広さも断然上だ。
車懸かりの陣を得意とする上杉謙信のような攻撃を、ひたすら耐え抜いた僕。気分は信玄か。推しは立花だがどうでもいいか。そして塙先輩の怒りがついに頂点に達した。
────バンッ!!
テーブルに旧千円札が叩きつけられる。新札じゃないんだ⋯⋯なんて余計な事は言わない。塙先輩は、プリプリとお尻を怒りに震わせながら帰ってしまった。
鮭を加えて喜ぶ飢えたクマのようだ⋯⋯その一言が火に油を注ぐ。パイソンかマムシと言い直した所、癇癪玉が大爆発し、新種のパイソンカマ虫に変化する。盛大にリバースの噴水だけはテーブルを拭いて醤油染みのついたおしぼりの信玄堤で、必死に防いだよ。
────酔っ払いめ。あやうく酒の洪水に溺れる所だったよ。
飲んで荒れても帰巣本能を失わない塙先輩の後ろ姿を眺めながら、僕は今後の人生と転職と、パイソンカマムシってなんだろう、と考えた。
何より⋯⋯お代全然足りてねぇですよ、先輩。
酒と感情に支配された先輩のことだから、散々飲み食いして眠くなったようだ。野生過ぎるよ。冬眠に入るクマのように、巣穴に入りたくなっただけ⋯⋯眠りから覚めればいつもの塙先輩に戻る。自由過ぎて酒が進む。激しい攻防が続いていて、落ち着いて飲めなかったからね。
追加で明日のお弁当用のおかずをお土産にして頼み、包んでもらう。請求先は当然ながら塙先輩にしておく。酔いが醒めた先輩は、失態の埋め合わせに飲み直しを要求してくるはずだからだ。
つまり⋯⋯この失態も彼女の計算。ここは大人として、請求するものはしっかり請求し、迷惑料の補填も済ませ貸し借りなしにするのが正解だ。こちらとしては、明後日の給料日まで凌げば逃げ切れる。
明日──悔しがるであろう塙先輩のために、ボトルキープもしておいてあげる。金欠なのは僕だけではないからね。次の獲物は吉田かジャックか。いい加減本命⋯⋯塙先輩と同期のイケメンな山田先輩に凸って告って玉砕すればいいのに。バグベアかバックベアードか、そんな渾名を僕にされている豪胆な塙先輩の乙女心は、毎日新鮮にドキドキを繰り返しているようだ。
お店の人を呼んでテーブルを片付け、食べ残したつまみを一皿に集めた。僕はそれを持ってカウンター席へと移る。嵐は去った。酒の肴《塙先輩》が帰ってしまったので、暇つぶしに先ほど気になったものをなんとなく調べる。
パイソンカマムシ⋯⋯手持ちのスマホで調べてヒットするのは蛇や何故かカメムシの絵。パイソンというかマムシだよ。虫が混ざるのは、僕の端末のAIは古いせいだろうな。こいつはムシとマムシの区別がつかないようだ。
先輩がポンコツなのではなくて、情報源がデタラメなせいで間違った認識を持ったままなのかもしれない。
それにしても⋯⋯カメムシの身体に蛇の尻尾とか奇抜過ぎるキメラまでいた。普通に気持ち悪いよ、この絵面。カマムシとか、そこだけ切り取ると、オカマを無視するようで、ハラスメント要項にも引っかかりそうだ。罰として釜茹でではなく釜蒸しにされるよ。
⋯⋯それならクマはどうだろうか。パイソンクマムシなら名前的にもかっこいいから、気持ち悪いのは浮かばないはずだ。
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
もっとグロくて気持ち悪いのが誕生したよ。ファンタジーの魔物のワームが近い。ヤスデムカデのような口に芋虫のまるっとした身体に何故か足が四本生えていた。目も鼻もない。花粉症対策された新たな生命体なのだろうか。
これ⋯⋯クマ要素どこ行った? あっ、怒って帰ってしまたっけ。同じ食われるなら塙先輩の方がマシだ。僕を襲おうとしている、花粉症でウルウルの真っ赤な瞳が、今更ながら可愛く見えたよ。ホロ酔い程度に顔を赤らめ、花粉症でウルウルの瞳で迫られたのなら、僕もどうにかなっていたかもしれないな。
でももう遅い⋯⋯。赤目のウルウル吸血鬼は自宅で爆睡している。何だよ、結局僕の心は、塙先輩に心臓ごとわしづかみにされたのか?
何となく負けた気がするのが悔しくて、素直になれない。追い払っておいて、他人と仲良くやっていると思うと辛い気がした。
これは酔いか。恋か。まだわからない。パイソンカマムシへの恐怖が枯れた僕の生存本能に警鐘を鳴らしたとしか思えない。
僕は頼んだボトルを見る。まだ未開封。おそらく明日の獲物は吉田の可能性が高いから、ヤツの好きなウイスキーの銘柄にしたが、芋焼酎に変更した。
いったん会計を済ませた僕はお土産の包みを店に預け、近くのドンキーに走る。あの店ならば何でも手に入るはず。
僕は玩具売り場で玩具を握りしめた。怪しく毒々しい色合い。ウネウネする大人の玩具だ。そしてもう一度お酒を飲んだ店に戻り、ボトルを持って来てもらい蓋を開けた。
しっかり洗い、消毒しまくって乾かした玩具を瓶の中へと押し込む。芋虫入りの芋焼酎の完成だ。
本物はテキーラに入っているらしいが、これは偽物。酒と式場スイッチが入らなければ、塙先輩は虫の苦手なただの乙女。これを見ればスイッチが壊れるに違いない。
翌日──いつも通りの塙先輩に酒場の請求書を渡す。理由は問わないまま請求書を一瞥し、先輩は支払いに応じてくれた。お詫びに‥‥と言いかけ、予定より高い金額に彼女は眉を寄せた。
迷惑料はすでにいただきましたから──そう告げて、持って来たお弁当をポンポンと叩いてみせると、可哀想なくらい項垂れた。
今は鳶に餌を攫われたアライグマのようにしおらしい。でも午後には持ち直し、新たなアタックを開始するはず。
塙先輩の攻勢は実際は無差別ではなく、給料日前に狙いが絞られていた。若く出世しただけあって効率良く自分を活かす術を身に付けている。今夜、彼女の婚活飲み会を妨害すれば、来月まで大人しくなるはず。
僕の読み通り、塙先輩は新たな獲物へ声をかけた。先輩と一瞬目が合う。僕の気持ちが変化したせいか、当てつけのような挑発を感じてムカつく。外回りから戻ったばかりで、目がギラついているせいもある。
まあ、いい。僕の作戦に支障はない。強かな先輩は、男と見れば何でも貪り食うクマのように見えて乙女だから、草食系のロバしっかり選んで誘っている。
なし崩し的な関係に発展しないのはそのせいだ。積極的に守りあって、互いにシュートを一本も打たないサッカーみたいなものだ。十代の若さ溢れるピチピチな男女のように、イチャコラ青春している時間はないと言うのに。
塙先輩がそうして恋愛に臆病で不器用なおかげで、僕にもシュートを決めるチャンスがやって来た。パイソンカマムシのおかげで、塙先輩の今月の婚活飲み会は失敗に終わる。
予想通り先輩は吉田を誘って昨日の店に行った。僕が頼んでおいた酒は店員さんにより包装紙に包まれて保管されていた。気持ち悪いから包ませて下さいね、そう言われたのだ。
そのボトルキープされた芋虫入り芋焼酎を、意気揚々と勢いよく開いたようだ。瓶が透明だったので絵面は最高だ。虫の苦手な吉田は、ブチ切れて逃げ帰ったらしい。
翌日──酒を玩具にしたことで、塙先輩から叱られた。僕の目論見通りに飲み会をぶち壊した悪戯で、塙先輩の婚期はひと月先に延長したせいだ。
酒が入らなければ大人しく笹を食ってるだけのパンダな先輩。そんな温厚で理知的でもある塙先輩が、真顔でキレてる。これは熊猫じゃない、虎だ。酔虎だ。
来月‥‥位の数字が変わり、大台に乗る先輩としては、僕か吉田でゴールを決めたかったようだ。そんな選び方をされるのが、僕は嫌で今までは逃げて来た。僕にも選ぶ権利はあり、決める権利だってある。選ばれるなんて真っ平御免だが、惚れた女性が奪われるのはもっと御免だ。
だから⋯⋯お詫びする。僕は初めて自分から塙先輩に、奢るから飲みに行こうと誘った。お給料が入って、懐はあったかい。手つかずの塙先輩の芋焼酎もあるので酒はタダに近い。
先輩の驚きに目を見開いた。赤い目がウルウルしだし、涙と鼻水にぐしゃぐしゃになった。きっと僕と塙先輩の初めての口吻は塩っぱいだろう。でも僕はこの時の塙先輩の笑顔は一生忘れない。それに⋯⋯少しくらい塩っぱいくらいが、酒を飲むにはちょうどいい塩梅というものさ。
お読みくださいいただきありがとうございました。作中のキャラクターの人物名は、酒祭りの主催者コロンさまより拝借しております。