【イカと彼女と金魚】
流れる雲を見ていた。
その中の大きな雲がイカの形に見える。
イカは悠然と青空を流れて、ほろほろと形を崩して行く。
二つに割れ、三つに割れ、その中の小さな雲の一つに、三日月の様に長く細い尾ひれが出来て、それが身体をくゆらせて優雅に泳ぐ金魚になった。
丸い水槽の中の、血の様に朱い、金魚。
眩しい、彼女の笑顔。
俺の身体は、アスファルトの路上に倒れ、動くことも出来なかった。
刺された腹からは、どくどくと血が流れ出ている。
ベージュ色のコートが、赤黒く染みを作っていく。
死ぬ。
もう、彼女には会えそうにない。
俺は、このまま、ここで・・・――――
「カットぉ!」
監督の声が掛かって、俺はむくりと起き上がった。寝ていたアスファルトの道路が痛い。血のりが冷たい。冬のロケは辛い。
連続殺人犯に刺されて死ぬ役だった。主演の俳優さんとの絡みはない。でも誰もが知ってる人気シリーズだから死ぬ役でも嬉しい。カットされなきゃいいけど・・。
空を眺めている間に、その気になってしまった。
本当に死ななくて良かった。
付き合って五年。
俳優として、うだつの上がらない俺をずっと励ましてくれている彼女。
今すぐ結婚したいけど。ごめんな。
現場を離れ、俺は彼女に電話を掛ける。
きっと仕事中で、出れないだろうと思いつつ。
本当に、急に死んだら伝えられないから。
留守電に吹き込んだ。
「いつもありがとう。愛してる」
金魚の形をした雲が二つ。仲良く一緒に流れていた。
おわり