飲みの席、同じ曲が好きとわかって話が盛り上がったところで、「人と関わりたくなくて」と打ち明けられた時、こんなことを話してみればよかったと思ったこと
武田信玄は、宇宙からの侵略を予見していたのかも。
死没したとされる南信州にある阿智村の、駒場地区・浪合地区辺りは、星空観測に適した地域とされている所。
それに智里地区にある大平神社、伍和地区にある法力社には、武田信豊死没にまつわる伝承が残っていたり、武田勝頼の首検分が行われたのも浪合地区。
これらのことから、戦国武田氏と阿智村には何らかの接点があって、それを結びつけると思われるのが宇宙。
もしかしたら、武田信玄は西上を目指していたわけではなく、最初から阿智を目指していたのかもしれない。そして、宇宙との何らかの折衝があって、武田氏の死にまつわる伝承が残ることになって……。
阿智村には、南信州の中でも、ちょっと変わったところがあって。
南信州は、諏訪大社の勢力下あって、「諏訪」を冠する神社ないしタケミナカタを祭神として勧請している神社が多い地域。
その中にあって、阿智村には「諏訪」を冠する神社がなく、また祭神としている神社も少ない。東山道の難所・神坂峠を擁するのも含めて、特異な所として捉えられていたのかもしれない。
武田信玄は、戦国武将の中でも一二を争う情報通。関連文書も多く残っていて、戦国時代当時の政治体制について、武田氏を事例として扱う研究も多い。もしかしたら、情報の中には宇宙に関することもあったのかもしれない。
武田信玄の頃に、信州の大半の地域が武田氏の支配下に入るのだけども、北部に関しては上杉謙信との川中島の戦いが有名なのもあって、その様相について詳述されやすい。
南部においては、比較的、抵抗勢力が少なく、長期にわたるような争いもなく降伏に至ったケースがほとんどであるためか、戦国武田氏の主要年表に表記されることすらなかったりもする。
そんな信州南部のおいて、唯一ともいえる徹底抗戦の姿勢を見せていたのが、知久頼元。当時、今の松川町生田地区以南の天竜川東部の地域および、三州街道もかかる今の飯田市座光寺地区辺りを治めていて、信州諸氏でも比較的大きな勢力圏を抱えていた。
知久氏は諏訪氏の系譜に連なるとされていて、鎌倉御家人時代より信州南部に入り、戦国時代に至るまでその土地を代々、治めていたとされる。そこに余所者が入ってくることが気に食わなかったのが、主な理由と伝えられているとか。
宇宙からの情報を得ていた信玄にとって、これは由々しき事態。一刻も早く信州南部を支配下に入れて、宇宙対策を練らねばというときに、そんな古いこだわりなんかにつきあってなんかいられない。
信玄は、山本勘助、山県昌景、秋山信友らを派遣して、知久氏ゆかりの寺院を焼き討ちするなどの強行策に打って出て、力ずくでもぎとるように知久領を支配下に入れる。
準備は調った。上杉、北条、今川・徳川ら諸勢力らを上手くいなしながら、西上の名目の下、阿智村への行軍と相成る。
徳川氏を圧倒的な采配で撃破し、その西の織田氏への牽制も完璧。病を理由に、中途、引き返すと見せかけ、阿智村へと入る。
その結果は……。
「いや、そんなことないでしょ」
とでも、つっこんでもらって、リラックスでもしてもらえたら、よかったのかもしれないなぁ……。




