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朝日乃 勇子の約束  作者: オーシャンズ・イン・ザー・スカイ
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第1章:約束が交わされた日

第1章:約束が交わされた日


「お父さん?」

「ん? どうした? 勇子。」

「なんでその犬は怖がってるの?」

彼には何故かわからなかった。少年は6歳になるまで、何度も犬を見たことはあるが、目の前にいるような犬を見るのは初めてだった。土埃にまみれ、父親が餌を与えようと近づく度に、唸り声をあげている。何故それほど嫌うのだろう?

「うーん、勇子……….たぶん怖がってるんじゃないよ。」

「だって、噛みつくとこだったよ!」

犬は勇子の大きな声に攻撃的に吠えた始め、勇子の父親は驚いて、今晩の夕食にと日中買っておいたステーキを落としてしまった。父親は犬を見て、落ちたステーキを餌として犬に与えようと試みた。

「なんでそんな狂暴なんだよ。」少年は叫んだ。「食べたがってもないくせに!」

ウー、ワン!!

勇子はすぐに、父親の脚の後ろに隠れた。目には涙が浮かんでいる。

「勇子、大きな声を出さないで。怖がるよ。」父親は静かな声で少年をたしなめた。

「でもお父さんを咬むところだったし、何も欲しがってないし!」

少年の言う通りだった。


暑くも、寒くもない、心地の良い初春のある日、母親は勇子と父親に買い物を頼んだ。夕飯の買い出しと、来月の小学校入学に向けての練習も兼ねていた。勇子は両親が登下校に付き添えない時の為、通学路を覚えなければいけなかった。母親は、勇子一人での徒歩通学には反対だったのだが、家まで10分という事と共働きの為、一人での徒歩通学を避けることはできなかった。それは一家が小さな町に越してきた、理由の一つでもあった。


しかし、勇子にはこれからの事が楽しみでもあり、不安でもあった。クラスメート全員に会う事に不安を覚えたが、同時に新しい友達を作るのも楽しみだった。それ以上に、父親のようになれるチャンスが巡ってきたのだ。誰もが尊敬し、いつも誠実である父親のように。



午後の眩しい日差しがの中で、父親は数日間の予定を勇子に話しておいた。買い物からの帰り道、二人は動物の弱々しい声を聞いた。小さかったが、はっきりと聞こえた。勇子は、何故父親がそう思ったのかはわからなかったが、父親は怪我をしているのだろう、と口にした。二人は数分間、どこからその声が聞こえてくるのかを見極めようとした。その弱々しい声に、父親は、その動物が痛みに耐えていると確信したようだった。  


驚いたことに、その声の出どころを勇子が見つけた―建物の間に隠されたようにある路地だった。横向きに倒れている箱を見つけ、父親がその箱を開けた。丸い尻尾の、埃にまみれた、茶色い小さな犬が入っていた。野良犬には見えなかったが、明らかに怪我をしていた。怪我をみて、父親は犬をなだめようとしたのだが、二人が近づいたとたん、敵意を露わにしたのだった。

父親はもう一枚の肉を取り出し、犬に与えようと、肉を振りながら話した―

「さぁ、子犬ちゃん、このステーキはジューシーで美味いよ。―ほら―ジューシーなのは好きだろ?」

ガルルルルル

「おや?肉は嫌いなのか?でも、せっかく買ったんだから、食べるのが礼儀だぞ。」

ガルルルルルル

「…………..まだ機嫌が悪い様だね。お腹減ってるだろ……..」

ワン! ガルルルル ウー、ウー、ウー、ワン!

犬はさっきよりもうるさく吠えたが、父親はひるまなかった。肉を地面に置いてゆっくりと後ろへさがった。

「わかった、わかった。 普通に‘結構です’って言ってもらえればいいんだけどな。」


もちろん、動物はそんな話を聞くわけはない。言い聞かせるだけ無駄だった。勇子の父親が何度も肉を与えようとしたにもかかわらず、その小さな動物は食べるのを拒否した。ただ二人に向かって何度も吠えていた。父親は後頭部をポリポリと搔いた。

「お父さん?」

「うん?」

「たぶん、お父さんを怖がってるんだよ…..」

「あははははは、たぶんそうかもね。怖そうな父さんでごめんよ、勇子。」

そう言った瞬間、父親は息子がまだ自分の脚にしがみついているのに気が付いた。息子の小さな体が小刻みに震えている。その時、父親の目に一筋の光が宿った。

「勇子、」父親は聞いた。「やってみるか?」

「えっ?!  やだよ、咬まれる! 家に帰ろう?」

勇子は涙をこらえているのだが、震える声は隠すことが出来なかった。父親は、息子を箱から少し離れたところへ移動させ、しゃがんで息子と目線を合わせた。

「勇子、怖いか?」父親は優しい声で聞いた。


この質問に不意を突かれた。勇子は、父親、犬、そしてまた父親の元へと駆け戻り、迷った挙句にコンクリートに座った。

「うん。」 

「勇子、何でそんなに犬が怖いんだい?」

勇子は質問の意図がわからないような、難しい顔で父親の顔を見上げた。

「怖い。僕を咬むよ。」

父親の目が少し輝いたようだった。

「勇子、怖いと思うことは悪いことじゃないんだよ。」

勇子には父親の言葉は理解できなかった。怖いことは悪くない?父親は嘘をつく人ではなかった、でもそれは、勇子の理解の範囲を超える、何かがあった。さらには、勇子はなれないかもしれない………

「悪いことじゃない?」

「そうだよ、男になる最初の一歩だ!いつか父さんみたいになりたいんだろう?」

「う、うん!お父さんみたいになりたい!」

「父さんは生まれた時から勇気があったと思うか? 父さんは男に生まれたから、何でも出来るとでも思ってるか?」

「う、うーん….わかんない。」

「男は生まれつき勇気があると思う?」

「わ…….わかんない。」

再び、小粒の涙が勇子の目に浮かんだ。もちろん、彼は父親のようになりたかった。でもこの状況は違った。狂暴な犬に餌をやろうとしている、父親の傍に立っていることしか出来なかった。彼は父親のようにはなれなかった。いくらそうしようとしても、近づくほど体がこわばってしまったのだ。

「男は勇敢なんだ。いい男にならなきゃいけないぞ。」  

勇子は静かに立ち尽くしていた。父親が彼の肩を抱いたとたん、勇子の目から透明な涙が頬に流れ落ちた。

「まぁいいさ、また今度な。」と言って、父親は立ち上がった。「勇子、家へ―」

「お父さん!ぼ、僕もやりたい!」

この言葉に、父親の一瞬困惑した表情が、明るい笑顔に変わった。

父親は笑顔で勇子の肩に手をのせ、涙にぬれた頬を拭った。勇子の震えは収まってきたが、彼の表情は不安でいっぱいだった。

「お父さん?」

「なんだ?」

「やってみてもいい?」

父親は小さなステーキを渡しながら微笑んだ。

勇子は小さな手でステーキを受け取り、犬に近づいて行った。




* * * * *




二人が家に着くまでには、夕日は地平線の下までのんびりと沈み、世界を綺麗な色合いの赤に染めていた。

「ただいま!」父親が叫んだ。「勇子。これ、キッチンに持って―」

突然、父親は黙り込んだ。勇子はその理由が何故だかわかった。重く、嫌な空気が漂ってくるのを、二人は感じた。危機が差し迫っていた。 

終わりは近かった。


「あらあら、」母親がおたまを手にリビングから出てきた。

「二人とも、お帰り。遅かったのね。何時だか分ってる? ほんと、遅かったわね。」

母親が二人に近づいてくると、怒りに満ちた空気は、はっきりと父親に向けられているのが感じられた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、光、訳があるんだ-ちょっと待て!」

「ふーん….でも、ずーっと待ってたのよ。」母親は静かに言った。「電話もかけたんだけど。でなかったじゃない。」

「えっ?」父親は慌てて携帯を取り出した。確かに、彼の携帯には8回の着信と10通のショートメールが届いていた。父親は素早くメッセージを確認をしたのだが、メールの長さとその内容にびっくりした。

「勇子、」父親は携帯をポケットに入れながら言った。「父さんはお前をちゃんと育てたよな。」

「な、何でこれが最後みたいに話すの?」と勇子は不安そうに聞き返した。

「さぁ、妻に訳を話して頂戴。」母親は笑顔で尋ねた。

「えっと-また店に買い物に戻らなくちゃいけなかったんだよ。そしたら、見つけたんだ―」

「あら、何を見つけたのよ?」母親は自身から発している雰囲気とは、そぐわない笑顔で夫に聞いた。


「えっと―汚れてるみたいだったんだ。俺- 」

「汚れてる? あーあ、私、今日掃除したのに。どうするの!あー、もうっ、どうしたらいいの……..」

その暗く、重い空気はすでに家の前方までのみこもうとしていた。父親はうつむいて、*助けて*と息子に顔を向けた。

「ねぇ、お母さん、お父さんのせいじゃないよ。」勇子はあやふやに言った。「僕のせいだよ。僕のせいで帰るのが遅くなったんだ。」

暫くの沈黙のあと、機嫌が悪そうな母親は、慎重な口調で尋ねた。

「どういうことなの? 勇子。」

「僕……..勇気を出せなかったんだ。」勇子はか細い声で答えた。

母親から発せられていた、重く、暗い空気は徐々に消えていき、再び家の明かりが見えるようだった。母親は、何が起きたのか理解したかのように、*ふーっ*と息をついてしゃがみこんだ。

「夕飯の時にちゃんと話してね。遅かったからお腹が空いてるでしょう?」母親は、優しく勇子の顎を持ち上げた。「手を洗っておいでね、勇子。」

勇子はうん、と小さく、しっかりと頷いた。「うん、ごめんね、お母さん。」


「大丈夫よ。」と笑顔で立っている母親は答えた。

「でも、あなたはね、」と、母親は父親を指さした。父親は、怒られると思い後ずさりしたが、母親は予想もしなかった逆の態度を示した。

母親は口を尖らせた。

「すごく心配したんだからね。一日中心配した気持ちがわかる?」母親は腕を組んで、自分の主張を通すかのように、ぷぅ、と頬を膨らませた。

「あはは、そうだね。」父親はそう言いながら頭を搔いた。「本当にごめん。」

「ほんとうよ、せめて電話くらい…..」

悠人が手を横におろし、妻の光が体の向きを変えた瞬間―

「何? 悠人、何やって….」

悠人は光の腕をつかみ、見つめ会うように、彼女を自分のほうへ向かせた。悠人は光を見つめている間、無言だった。

「な、なんでそんなに見つめてるの….」光は聞いたが、悠人は返事をしなかった。

ゆっくりと、悠人は買い物の袋を床に置き、二人の距離を縮めた。彼の空いた手は光の肩へと伸びた。

二人の距離は数センチ程まで近づいた。

「なっ!? 悠人、急になにやってるの?!」

「このギャップがなんとも……………..光、もっと苛めてくれ!」

夫の想像していなかった言葉に、光の顔と耳までも赤くなった。光は恥ずかしい時には、耳から先に赤くなるのだった。

「苛めてほしいんだ、光。光の態度が急に変わった時なんか、すごく可愛い。」

「あ、あらあら。」と冷静さを保ちながら言った。「あ、あら、へ、変態な夫だったとは、し、知らなかったわ。

「ふぅん、でもそうなんだよ。これではっきりわかるだろ?」

悠人は唇を光の耳に近づけこう囁いた。

「2週間前のあの夜、覚えてる? 俺の言った通りにするよね?」

「ええぇっ!」





今にも泣きそうな、弱々しい声が光の唇から漏れた。光は悠人がわざとやっているのが分かっていた―これは駆け引き?そうなのなら、光は負ける訳にはいかなかった。でも、赤く染まった彼女の顔と、口からもれた声で彼女の負けは明確だった。

「女が隙を見せた時に誘惑するなんて―ほんと、あなたってイヤラシイ!変態だわ!」

悠人はどや顔で、自分の顔を光の顔のすぐ傍まで近づけた。

「でも、光も、そういう俺に誘われて楽しんでるんだろ?」

「えぇっ!? そんなことないわよ! わ、わたし、わたしは違うわよ!けがわらしい!スケベ!変態!」

「そうだね、光!そういう言葉は俺にふさわしいね。ふしだらなんだ― ねぇ、もっと叱ってよ!」

「だまって!汚らわしい!スケベ!変態、変態、変態!」

「お母さん? へ…..ん.........変…..変態って何?」

「勇子!?」母親は息子が1メートル程しか離れていないところにいたのに気付き、甲高い声をだした。その時、父親の目がキラリと光った。

「覚えとけ、勇子!」父親は自信ありげに言った。「こうすれば、女の子の気を引けるぞ!」

「そ、そんなこと子供に教えないでよっ!」母親は口ごもりそうになるのを、何とかおさえた。「さぁ、行って。ご飯にしましょう!」


* * * * *


勇子の父親のせいで、三人が夕飯を食べ始めるまでに暫く時間がかかった。勇子は何故母親の顔が赤かったのか、わからなかった。

夕日で赤く染まった空が、深い藍色へと変わってきていた。一日も終わりに近づき、落ち着きを取り戻しているかのように感じられた。光は、先程までの険悪な雰囲気を料理で和ませようとした。彼女は残り物の材料等も使って、夕飯の支度を手際よくこなした。皿がテーブルに並べられ、3人は食卓についた。


「いただきます!」

夕飯はシンプルで、勇子の大好きなカレーライスだった。


勇子の母親は料理が得意なのだが、カレーはいつもとは何故か美味しさが違った。恐らく静かな食卓と落ち着いてはいるが、何故かぎこちない雰囲気のせいなのかもしれなかった。

少したって、光は小さなため息をついた。

「勇子」光は優しく話しかけた。「ごはん、食べてないじゃない。今日はカレーの気分じゃない?」

「うん?あ、うん、美味しいよ……….ごめん….」勇子は床を見つめた。今日は何回も床を見つめている。父親は再び後頭部に手をやり、頭を搔き始めた。

「今日はチャンスがあったんだけど-」

「チャンス?」母親が遮った。

「犬を見つけたんだ。」

「へぇー、そうだったの!」母親は手を組んだと思いきや、またすぐに離して、

「咬まれなかった? 怪我はない?」と聞いた。

勇子は首を振った。「僕、餌をあげようとしたんだ。」

「……………………….」

暫く無言の時間がながれた。母親が難しい顔をしている間、父親はただ腕を組み、じっと下の方を見つめていた。両親がどう感じているか、勇子にはわからなかった。

永遠のような長い沈黙が続いたあと、母親はもう一度ため息をついた。

「何でそんなことをしようとしたの?」

母親の言葉には威圧感が感じられたが、口調は……..穏やかだった…..優しかった。怒り始めることはなく、逆にその態度は勇子の心を落ち込ませた。

「お父さんは、犬が狂暴で、食い掛ってきても餌をあげようとしてたんだ!」勇子は真剣に言葉にした。 「お母さんもそこにいれば良かったのに!お父さんは怖がってなかったよ!吠えられても、あげようとしてたんだ!」勇子は尊敬を言葉にしたが、その言葉は、喉に引っかかるように重かった。「僕、僕だっ….僕だって……勇気をだしてやってみたかったんだ。でも、出来なかった。」再び涙が溢れ出てきたが、勇子は母親が彼を見ていないことすら気付いていなかった。

父親は勇子に手をそっとのせ、「その犬が餌を拒んでも、勇子にやらせてみたんだよ。」と口をはさんだ。父親は勇子を見て、小さく頷き、話すよう促した。

「餌をあげようとしたんだ。でも、怖くて出来なかった。近づけなかったんだ。お父さんは、男は怖くてもやらなきゃいけないって言ったんだけど…..お父さんはちゃんとやったんだけど….僕は……..」

「勇子、」母親は椅子から立ち上がり、勇子の前にかがみ込んだ。「あなたはまだ子供なのよ。まだ大人じゃない。」

「でも、お父さんみたいになれると思ったんだ。出来ないんだったら、お父さんみたいになれないよ!」

涙はますます頬を流れ落ちた。

「僕……..僕も男になりたい!」

母親は勇子の頬に優しく手をそえて、目線が合うようにそっと勇子の顔を持ち上げた。そして、勇子に問いかけた。

「勇子、あなたの、男になれるチャンスはたった1回だけ?」

「……う、ううん……」

「そうよね?その1回だけじゃあないわよね?まだチャンスがあるということよ。」

「わ….わかんない」

「あら?もうチャンスはないのかな?きっと、すぐにその時がくると思うわよ。」

「う、うん。き、きっとそうだね……」

母親の目がキラッと輝いた。その一瞬の輝きは、勇子を何となく、……いや、母親は正しいのだ。その目の輝きはまだチャンスがある、と物語っていた。

「大丈夫だから、ね?」母親は彼の涙を拭きながら言った。

涙は乾いても、彼の表情は暗かった。

「いつか?」

父親は両手を勇子の肩にかけた。「勇子、乗り越えらるチャンスはいくらでもあるんだよ。2回目がなくたって、いつでも立ち上がれる。いつでもトライできるさ。」

両親を見上げて、勇子は涙を拭った。涙を拭ったその顔には、うっすらと、繊細な表情が浮かんでいた。どんなに小さな笑顔でも、笑顔は笑顔だった。

「僕、頑張るよ、お母さん……..お父さん!」

「期待してるぞ。」父親は勇子にウィンクした。

「それじゃあ、」母親はほっとした様子で、手を組みながら二人に話しかけた。「私の一日を聞いてくれる?」

夕飯が終わり、勇子は寝支度をするのに、二階へ上がった。普通、勇子は夕食後すぐには寝ないのだが、今日は帰りが遅かったので、毎日の学習の時間だけで、遊ぶ時間などはなかった。勉強は好きではなかったが、両親から毎日勉強するように言われていた。特に今は、入学が迫ってきている。時々、両親は何を勉強したのかも聞いてくる。勇子が答えられないと……..

勇子は震えた。

寝支度を終える頃、両親が勇子の部屋に入ってきた。毎晩、寝る前に二人は勇子におやすみのキスをしてくれた。時々、父親は寝る前に本を読んでくれたのだったが、父親が読んでくれる本は、いつも世界を救うヒーローの話だった。父親はヒーローの物語が好きで、時々彼自身を話の中に出てくる強い、人々を救うヒーローと重ね合わせることもあるようだった。

「ごめんな、勇子。今日は本を読んであげられないんだ。また今度な。」

「えっ?何で?」

「ちょっと、やらなきゃいけない事があるんだ。次はちゃんと読むから。今まで聞いたことがない、今までのよりも凄い話をするから!」

勇子はふくれた。悠人は息子のふくれっ面が、妻のふくれっ面に似ているのに気付いた。

「お父さん、この間も同じこと言ってたよ。ずるいよ!」勇子は毛布を頭からかぶった。彼の皺のない張りのある顔とは対照に、肘には皺がよっていた。

父親は小さく笑った。

「パパ!」

父親は笑いながら、話し始めた。

「ごめん、勇子。ただ-ふくれた顔が母さんそっくり。」そして深く息をついた―落ち着きをはらい、言った。「で、パパって誰のことだ?」

「あ、違う!…..お父さん…」勇子は言い直した。

父親は頭を搔いた。「まぁ、そう呼ばれるのはそんなに気にならないよ。でも、お母さんの前では気をつけろよ。時々、そう呼んじゃうだろ? でも-」父親は黙り込んだ。

「でもまぁ、次にな?」

「うん、約束?」

「そうだな。約束だ。分かった?また次な。」

父親はおやすみのキスを勇子のおでこにしてから、ドアを静かに閉め、出て行った。

勇子の一日は良いことと、悪いことが入り混じった日だった。両親に話したものの、あの犬のことが心に引っかかっていた。勇子が勇気を出せなかったことも。勇子は心のしこりを振り払えずにいた。なんでこんなに気持ちが重くなるのだろうか?

もし、あの犬が狂暴だったら、僕もきつく当たらなくてはいけないのだろうか? それとも、もっと優しくするべきだったのだろうか? でも、父親を見ていて、優しく接するのは無理だとわかった。

父親。

勇子は大きくなったら、父のようになりたかった。父親が自転車を直したり、重い荷物を運んだりするのを見てきた。「男は強くなくちゃ!」父親はいつもそう言っていた。それだけではない。時々、母親の料理の手伝いや、彼女の肩に触れたりと、女性が好むだろうことをやっていた。

父親のその行動は、勇子を早く大人にさせたくなった…..マイナス面としては、勇子は父親の容姿そのものではなかった。ただ、時として父親は怖そうだと人から言われることがあった。母親さえも一度、そう言った事があった。勇子と父親の髪は漆黒で、ボサボサの髪は無造作に上へと跳ねていた。勇子の髪は長かったが、切りたくはなかった。悲しいことに、二人の共通点はそれぐらいで、残りは母親から受け継いだのだった。

勇子の顔は母親ゆずりだった。どこがどうなのか、はっきりとはわからなかったのだが、父親もそう言った。これが初めてではなかった。母親と同じ色の勇子の目は、白目の大部分を占めていて、目が大きく見えた。目の色の部分…….ひみ?…..瞳?何でもいいが、父親のそれは何かが違った。

「さん…ぱく?でしょ?」白目の部分が、勇子の目つきが悪そうに見せていた。勇子の瞳は夜の闇のように黒かった。

ただ勇子には、左の鎖骨の下に小さな黒子が二つあった。まるで、噛み跡みたいで勇子は好きだった。

いや、待て!今は黒子の事を考える時間じゃない。もう遅い。寝る時間だ!

どれぐらい時間が経ったのだろう?


勇子は自分に問いかけた。ただ、時間が過ぎて行っても、眠くならなかった。お気に入りのアニメのポスターをみようと、横向きに寝返りを打った。そのアニメのヒーローは、流星から驚異的な力を手に入れ、地球のすべてのエネルギーを奪おうとする精霊と戦い、地球を守話だった。

勇子はそのヒーローのセリフを忘れていない。精霊が襲ってきたときには、「私の後ろへ!」と友人たちへ叫ぶのだった。

「ほんと、かっこいい!」勇子は叫ぶように囁いた。映画も公開されるのだが、いつかは忘れた。1年後?2年後?でも、すぐにではない。

勇子は気を紛らわすために、逆方向に寝返りを打ってから目を閉じた。1分が2分、2分が3分、5分となり、時間だけが過ぎていった。とても長く感じた。

どのくらい時間が経ったのか分からなかったが、ついに-

*はぁー*勇子はため息をついた。「トイレに行こう。」

そんな言い訳を考えながら、ベッドから出て、階下にあるトイレへと向かった。階段を降りていくと、声が聞こえてきた。

「…………..話でしょ。………まだ子供なのよ。」

お母さん?

「…………………….いつかは…………………勇子が始めるのは大切だな。」

お父さん?

キッチンで何をしているんだろう? 寝たんじゃなかったの?二人は眠そうではないな……. 

勇子はキッチンへと近づいた。

「悠人….何回言ったら分かってくれるの。勇子は子供なのよ。子供には理想のような、漠然とした事は、難しいわよ。」

「言葉の意味は分らないと思うが、何をするべきは分ってるはずだよ。光、最近問題を抱えた子供たちがたくさんいるだろ。勇子には信じる何かと、目標が必要なんだ!」

「で、あなたは無意味な事をやらせて、勇子を傷つけているじゃない? なんてこと。悠人、自分が何言ってるかわかってるの? 理想のかわりに、犬恐怖症を植え付けたんじゃないの。」

「勇子が恐怖を乗り越えれば、大丈夫だよ。」

勇子はリビングにこっそりと忍び込み、ソファーの後ろへ隠れた。ここからだと、両親に見つからずに二人を見ることが出来る。二人はもう、パジャマに着替えていた。父親はダイニングチェアに座っていて、母親は立っていたが、テーブルに寄りかかっていた。彼女は髪を後ろへ束ねていた。

「恐怖?どんな子供がそんな深刻な問題を乗り越えられるの? もし咬まれていたら、トラウマになるのは、あなたは分っているでしょ。」

「だから、傍にいて咬まれないように見てたよ、それに-」

「…….それに?」

「だから……みんな誰だってトラウマはあるだろ? 多分、その方が試練に立ち向かえる様になると思うし、勇子が経験した事に比べれば―」

「悠人。」

悠人は口を滑らせてしまった。

「あ……..そうじゃなくて。ごめん、深く考えてなくて。すまない、俺がこうなのは分ってるだろ?」

光は暫く黙り込んでいた。

「あなたが、そういう意味で言ったんじゃないのは分ってる。もし、そうだとしても、勇子は勇子の夢や希望があるのよ。彼自身の。あなたの夢や希望を押し付けないで。」

「でも、理想が俺のかどうかは別として、それが本当の勇子の夢だったら?」

「そうだったとしても、勇子が選ぶ道でしょ。でもあの子はまだ子供なの。お願いだから。何が理解できないのかしら。」

母親は怒ってはいなかったが、冷静ではなかった。お父さんは何かしたのだろうか?それとも、今日起きたことで、父さんが何か仕出かしたのだろうか?

複雑な気持ちで、そんな考えが浮かんだが、静けさに勇子は我に返った。

母親は父親の隣へ椅子を引き、座った後、彼の手を取った。

「また出てきたの?」母親はためらいがちに尋ねた。

「わからない。」

「もしそうだったら、ちゃんと言ってよね。お願いだから。」

父親は長いため息をついた。

「そうだね。もちろんだよ。ちゃんと言うから。」

父親は小さな笑顔を浮かべ、「心配させてごめん。」と言った。

母親は父親の手を握りしめ。「う~ん、どうしたらいいのかしら?」

母親は壁に掛かっている時計に目をむけ、「あら、こんな時間。もう寝た方がいいわね。あなたが支度している間に、勇子の様子を見てきた方がいい?」言った。

「いや……もう少しここにいるよ。もう光は寝た方がいい。勇子の様子は俺が見てくるよ。」


母親は父親の手を放しながら、笑顔を見せた。

「光?」

「なぁに?あなた?」

「ありがとう。何をすべきか、今分かった気がする。」

母親のその笑顔の中よりも、目の奥には、彼女が感じた喜びが映し出されていた。笑顔が彼女の目の色を明るく見せていた。朝焼けの色のような、はちみつ色の目だ。母親は無言で二階へ上がっていった。

壁掛け時計がまるでメトロノームのように、カチカチと時を刻んでいた。勇子と父親は静かにその場にいたのだった。。

カチ……..カチ………..カチ



カチ………..カチ……….カチ……….カチ



カチ………..カチ……….カチ……….カチ……….カチ



カチ……….カチ……….カチ……….カチ……….カチ……….カチ



カチ……….カチ……….カチ……….カチ……….カチ……….カチ……….カチ



カチ………カチ………カチ………カチ………カチ………カチ………カチ………カチ



カチ........カチ……..カチ……..カチ……..カチ........カチ........カチ........カチ……..カチ



カチ........カチ........カチ........カチ........カチ........カチ........カチ........カチ……..カチ……..カチ



どのくらい時間が経ったのだろう。混乱するぐらいの長さだった。恐らく、一生のうちのほんの数秒なのだろう。いや、一分か、もしくは一時間か。

ようやく、悠人は*はぁぁ*と大きなため息をつきながら、立ち上がった。放心したように、廊下を通り、裏庭のドアを開けた。

勇子は立ち上がり、跡をつけた。

小さな町のいいところは、公害が少なく、空がよく見えることだった。今日一日、空は様々な表情をみせ、その後には最高の夜空となる。光沢のある藍色と白が混ざり合う。今夜は心地よいくらい、涼しかった。遠くからの蝉の鳴き声が、平穏をもたらした。当然ながら、空には満天の星が輝いていた。

勇子は、父親が星の光の下で座っているのを見つけた。父親は勇子が隣に座ったのを感じ取ったのだろう。父親は目をつぶったまま、息子に話しかけた。

「眠れないのか?」

「僕………トイレに行こうとして、お父さんが出ていくのを見たんだ……..ごめんなさい。」

「いいんだよ。たまには気分転換もいいさ。」

「気分転換..?」

父親は優しく笑いながら、目を開けた。

「まだ引きずってるのか?今日の事。」

「う~ん…..うん…少し….」

勇子は何を言おうか、迷うように頷いた。

「勇子、お願いがある。」

「何?」

「今日の事は忘れなさい。」

「えっ? でも、お父さん、僕は-」

「しーっ、勇子、人が話している時、遮っちゃいけないよ。」

「あ、はい……ごめんなさい。」

父親はただ微笑んだ。そして、もっと近くに座るよう地面を軽く叩いた。

「今日あった事は全て忘れて、空をみなさい。した事もしなかった事も忘れて、自分がしたいと思うことに集中して欲しいんだ。」

「自分がしたい事?」

「そうだよ。心を空っぽにしてごらん、勇子。」


勇子は目をつぶり、父親が言ったようにやろうとしたが、彼にとっては難しかった。今日の出来事が全て、記憶に戻ってきた。通学路を歩いた朝、新しい学校の見学、買い物、家まで歩いて帰った事、犬を見つけた事-そして、彼の躊躇と恐怖。男は怖くてもやり遂げなくてはいけない。犬を見つけた後、二人は近くの小さな店で買い物をした。その店は人柄の良い、お婆さんが営んでいた。帰宅、機嫌の悪い母親、夕食、母親との会話など-涙と恐怖を思い出した。僕はちゃんとした男になれるの?いい男?怖くても逃げ出さない男に? 両親は気にするなといっていたが、勇子の気分は落ち込んだ。夕食後、短い勉強時間と、寝る支度……..僕はまだ寝ていない。勇子は二階へ上がり、両親が何か話している。何か起こった?何かした?そして、今……..

勇子は目を開けた。

「空を見てごらん。勇子、何が見える?」

勇子は空を見上げた。この星の光の中に-答えを見つけるのかもしれない。もしかしたら、父親も答えを見つけるのかもしれない。でも勇子は父親自身ではない。自分で答えを見つけなければ。

自分の願い。

何になりたいのか…

「ヒーローだ!お父さん、ヒーローが見える!」

「ヒーロー?」

父親は驚いて息子の視線を追い、上を見上げた。流れ星が次から次へと流れ落ちた。一つ、また一つと流れ星が流れていった。

その瞬間、空は静かな星の小さな光でいっぱいになった。

父親と息子は自然の凄さを感じ、ただ見つめることしか出来なかった。勇子が沈黙を破った。

「お父さん、なんかアニメみたいだね。」

父親は勇子が大好きなアニメの事を話しているのは分った。父親は息子彼の奇妙な関連に奇妙なため息をついた。息子は間違ってはいないのだが。

「そうだな。なんかアニメみたいだな。」

「うん!」

「じゃあ、勇子はそれを目指すんだな。父さんの理想じゃなくて、自分の道を進むんだ。ヒーローになれるよ!」

悠人は星が映し出されている、朝焼けに似ている勇子の目を今まで見たことはなかった。

「…………….でも、ここはアニメの世界じゃないぞ。」父親は囁いた。「人生は大変だぞ。」

「お父さん、何か言った?」

「勇子、ヒーローはどうやって生まれるか知ってるか?」

「どうやって?」

優しい風が吹き始め、夜が世界に平穏をもたらした。夜も二人の気持ちを察してるかのようだった。

「男、いや……ヒーローは…….最初から強いヒーローはいないんだよ。」

勇子は何か感覚を覚えたのだが、黙り込んでいた。星空と清々しい風の匂い、そして父親からの教訓を受け入れた。ふと気付いた時には、勇子の瞼は重くなっていた。

His eyes reflected the luminous lights, and he proceeded to rest against his father’s side.

彼の目にはまだ、沢山の光が映っていた。そして、父親にもたれかかった。

「寝る前に話を聞かせてあげよう。」と悠人は言った。

悠人は、どこから思いつたか自分でも分からない話を、即興で息子に語り始めた。勇子の瞼が徐々に重くなってきいて、父親の声で催眠術にかかったかのように、深い眠りについたようだった。勇子は頭を父親の胸へ預け、規則的な寝息をたてていた。悠人は息子の頭を自分の膝へ優しく乗せ、息子の紙を優しくなでながら、夜空を眺めていた。

「勇子、」悠人は囁いた。「俺も何回も失敗したんだ。俺はお前にはふさわしくない父親だよ。でも、一生懸命やるしかなかった。誰も父親になる事を教えてはくれない。」

彼の声が震え始め、息を整え、もう一度言い直した。

「お前なら出来るさ。俺が出来なかったこともな。何かは分らないが、お前は俺が持ってないものを持ってる。いつか俺はいなくなる、だから勝手だが、俺の話を聞いて欲しいんだ。」

悠人は深く息をすった―

「世界はお前のような人間が必要なんだ。みんなが知るべきだ。」


…………………….


「もし、-お前はヒーローみたいにいい男になるよ。みなを鼓舞させろよ。自分の力で、自分と周りの人間を動かすんだ。ヒーローの存在を示すんだ。お前なら出来る。約束する。」

最後の星の光が、未来へと走り出すとき、悠人は息子がいつか-と祈るしか出来なかった。

そう。

息子はその約束を守ることになるのだ。

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