下の巻・羽虫
上中下同時投稿です
表現を少し修正しました
※R15、流血表現あり。閲覧注意
(門から抜け出るかと思うたが)
意外なことに、姫は天守閣を目指した。
門を開けて雪崩れ込む本隊に紛れ、城外へ出て本陣を目指す。麓の林に隠れるように設えた源之丞の陣屋で、報告を待つ大将を騙し討ちにする。六四郎は、昨夜渡された絵地図をそう読み解いていた。
瀨川源之丞は、自ら先陣切って城門を抉じ開ける男ではなかった。源之丞は、勝ち目を確信してから動く大将である。臣下が大将首を携えて駆け戻るのを、後方の幕屋でドンと構えて待つ。そんな武士だった。
今回も、瀨川の本隊は、半数近くを本陣に温存している。正面突破の猛者達は、糸姫隊が火の手を上げるまでじっと山中に潜んでいる。彼等は、火の手が上がり城門が内側から開けば雪崩れ込む。糸姫隊がしくじれば、速やかに撤退だ。
自陣に損害は皆無である。怪しげな動きを見せていた六四郎は、そのまま切り捨てて構わない。確かに見処はありそうだが、その程度なら腐るほど居る。
岩滝城の厩番は、野馬を育て上げてこそ一人前だ。山野厳蔵が鋼食を子馬で捕らえたのは、なんと厳蔵10才の春だった。初めて馬を捕らえたのは、その半年前である。
たった半年の内に大人でも届かない技術を身につけてしまった。特に気性が荒くなる春を狙って、最も猛々しい馬を選んだのだ。其処からして厳蔵は飛び抜けていた。
そして何より特別なのは、彼にはどんな暴れ馬さえも大人しく従う点だった。だからこそ、力の無い10才の子供でも、槍をも噛み砕く荒馬を手にする事が出来たのだ。
六四郎には、そんな才能はなかった。通常より少しは得意と言う程度だ。六四郎の捕まえた野馬は、まだ自分で育てることすら許されていない。
六四郎自身、厳蔵の跡を継ぐよりも天下を取る事の方に興味を惹かれる。その為、どんな厩番になりたいかなど考えたこともなく、厩番としての技術を磨くのは片手間であった。当然、そのような覚悟の無い者に岩滝城の馬が任せられる筈はなかった。
最後に残る崖端黒岩家の世継ぎ観山隊は、両翼に別れて挟撃の備えを整えている。
片翼が退いて誘き寄せ、むしろ本隊とも言えるほど大量の伏兵が一気に迎え撃つ。慌てて引き返しても、緩く追って来ていたもう片翼に挟まれる。
脇道へ逸れて麓を目指せば、谷間の林には瀬川源之丞が本陣を構えて逃がさない。源之丞の傍らにはかの名馬・鋼食が常に控えている。
一網打尽とはこの事だった。
(大将首を挙げる気か?)
剛将虎姫である。総ての首級を自らを切り離す事もあり得る。先ず手始めに、角牙城主扇谷兼次だ。
(そこへ俺を連れて行くとは)
六四郎の胸が高鳴る。血に飢えた2人は手に手をとって地獄の門を開くのだ。天下取りへ導く最初の首を、2人で共に打ち落とすのだ。嬉しくない筈がなかった。
この2人が特別に狂っているわけではない。今は、そういう時代なのである。
六四郎は高鳴る胸を押さえ、猛虎糸姫に抱きつきたくなる衝動をやり過ごし、平静を装おって姫の後に従う。人気の無い細い通路には、篝火も無く暗い。普段は使われていない緊急用の通路である。
騎馬武者2人は開門組である。徒歩組10名を連れて見張りを削りながら門を目指している頃だ。見張りや倉庫番の下級武士は、火事に気づいて門が手薄になる予定である。
付け火をしたごみ捨て場は、倉庫の裏手にある。倉庫は燃えにくい漆喰壁だ。すぐに燃え広げる事は出来ない。そこで糸姫隊が選んだのは、最も簡易な方法だった。即ち、油を含んだ布に火を付け、倉庫の高窓から射込む事である。
見取図によれば、この辺りには武器庫も食糧庫もあり、火をかけ戦力を削ぐには最適なのだ。
残りの徒歩組4名が糸姫と六四郎に従い、薄暗い通路を行く。少人数で小回りを利かせるのが狙いだ。狭い場所で見つかったとき、見方に邪魔されて逃げ遅れるのは最悪の事態である。
糸姫率いる6名は、薄暗い通路をくねくねと歩く。不気味なほどに人と合わない。
(罠か)
常に周囲を警戒しながらも、糸姫と徒歩組4名が落ち着いて進むので黙って従う。脱出用通路なので、侵入防止の罠は案外無いのかも知れない。だが、今将に緊急事態だ。通路の奥から城主の奥方や子供たちが逃げ出して来るやも知れぬ。
逃げる一団に何人守りの武士が付くだろう。此方はまだ奇襲部隊の少人数しかいない。圧倒的な劣性だ。大集団が奥から来たら、逃げきれる確率は極めて低い。
(音は聞こえぬ)
集団を示す足音や、武装集団を予測させる金属音は聞こえなかった。あとは、通路の先で隠し扉を開いた時が危ない。
通路は行き止まりになり、小さな潜戸が1つ付いていた。
(油断するな)
糸姫は目線だけで一向に念を押す。皆微かに頷き、緊張が走る。
(ゆけ)
ここでもまた、先陣は六四郎だ。
(何処までも非情な女よ)
この小集団の中で、六四郎だけが余所者である。切り捨てるなら彼だ。六四郎自身、それは良く解っていた。
昨日今日情を交わした男女の仲など、幾年も生死を共にした主従の絆とは比べようもないのである。
だが、城に侵入するまでの捨て駒扱いとは違う。それは雰囲気で解った。糸姫はやはり、戦国の将なのだ。だからこそ、六四郎は更なる深みに嵌まってしまう。
(えい、ままよ)
六四郎は、思い切り良く潜戸を手前に跳ね上げる。つっかえ棒が自然に落ちてきて、中に大人が1人ギリギリ立って歩ける廊下が見えた。いよいよ建物の中に入れるようである。
六四郎は、四つん這いで戸を潜り、中に入ると立ち上がって上下左右を見回した。これといって特筆すべき事は無い。
先へと足を踏み出せば、残りの5人も狭い廊下に入ってくる。最期の1人は、見張りとして入ってすぐの場所に残った。
廊下は通路より更に暗く、足元に気を配りつつ進む。突き当たりは階段だ。ぐるぐると廻りかなりの高さがある。
(天守閣だな)
角牙城の奥にある天守閣は、糸姫達が侵入した壁へと続く隠し通路があったのだ。壁にも仕掛けがあるのだが、それは侵入路には向かない。
からくり仕掛けで更なる地下道へ導く跳ね戸が開く。仕掛けは壁に、戸は地面にある。重たい石の扉なので、からくりを解けなければ開くのは不可能だ。
糸姫に軽く肩を突かれて段に足を掛ける。なんと、2番手は姫だった。姫は登る六四郎の後ろから、こっそりと脇差を渡してきた。馬を曳くだけの男が、身を守る武器を持つことは無かったのだ。つまり、今まで丸腰で先陣を切らされていたのである。
父厳蔵はその辺りも特殊で、陣屋に敵襲があれば弓や槍、時には敵の刀を奪い取って応戦したという。六四郎には実感が湧かないが、丸腰で敵地に飛び込むのは狂気の沙汰だ。
「抜いておけ」
耳元で囁く姫の声は、色気を微塵も残さない冷酷なものであった。六四郎は改めて、この姫に並びたいと思う。
後は黙って、ぞろぞろと登る。2段、3段と踏み板がきしむ音だけが響く。5人ぴったり連なって登ってゆく。
「あっ」
突然、階段を支える柱の影から銀色に輝く刃物が生えた。六四郎は、反射的に脇差で弾く。型も作法もあったものではない。完全な反射神経だ。
「ぐうっ」
次々繰り出される白刃を避けながら、糸姫隊は階段を駆け登る。壁板や廻り階段の隙間から、伏兵が次々襲う。物陰から、隠し部屋から、数えきれない武士が飛び出してくる。
「ぎゃー」
糸姫の部下がまっ逆さまに落ちてゆく。その傍らでは、噴水のように血を吹き出させた別の部下が白眼を剥いてひっくり返っている。また別の1人は、腕を斬られながらも、2人纏めて階下へ落とす。
「構うなっ」
息のある1人が、六四郎に叫ぶ。
「ゆけっ!姫の願いをっ」
後の言葉は続かない。1人で幾人もの相手をしながらである。しかも片腕は既に無い。血止めをする暇もなく、物陰から飛びかかる敵に応戦している。敵はその血飛沫を構うこと無く被りながら、槍や刀を突きだしてくる。
狭い空間だ。振り回すことはできない。廻り階段をうまく使って跳ね回る扇谷の剣士達は、誠に厄介な相手であった。
「ふんっ」
「ぐうっ」
「くっ」
階段からは血が流れ落ち、生臭さが狭い天守閣に充満している。折り重なった敵の屍をチラリとも視ず、2人はひたすら上を向く。
姫と六四郎は、我武者羅に最上階を目指す。もう目指すより無いのだ。例え頂上の間で槍や弓に囲まれたとしても。
天井が見えた。真ん中に四角い枠が見える。最上階だ。
六四郎は、一面に赤黒く血のこびりついた脇差しを握ったまま、両腕を頭上に思い切り突きだす。
バアン!
けたたましい音を立てて、扉が跳ね上がる。そのまま縁に手をかけ、六四郎は身軽に部屋へと飛び込んだ。
突然開けて明るくなり一瞬眩惑されるが、立ち止まること無く脇へ避ける。続いて姫大将・深山崖端の黒岩糸が躍り上がる。
間髪をいれず、小綺麗な侍が槍を構えて2人の廻りに綺麗な輪を作る。流石は天守閣の守り。一糸乱れぬ美しい動きに、六四郎は場違いにも感動してしまった。
「愚か者!」
姫の叱咤が飛ぶ。はっと見やれば、怒りで白眼が血走っている。姫の整った顔には赤い斑点がつき、キリリとした戦装束は裂けた上に血と汗でヨレヨレだ。踏ん張った足元も血が染みて色が変わっている。髪はザンバラに解け、所々血で固まっていた。
六四郎は、そんな姿すら麗しいと思った。
四方の壁は大きくくり貫かれて遥か遠国まで見渡せる。眼下の森には、瀬川の軍が居るのだろうか。
真ん中より少し向こう側に、扇谷兼次らしき殿様が座っている。目の前に繰り広げられることになど、まるで興味を示さず、ただ遠くを眺めていた。あたかも、糸姫や六四郎はそこに存在しないかのように。
「兼次ぅぅ!!姉上様の仇っ!!」
猛女が吠える。
六四郎ははっとした。糸姫が前髪を落としたのには理由があったのか。事情はまるでわからないが、扇谷兼次は、姉の仇なのだ。恐らくは仇討の為に瀬川に助けを求めてきたのであろう。
「なんだ」
六四郎の心が急速に冷めていった。
「詰まらぬ女だ」
糸姫は、仇を前に血が登り、額に受けた傷から流れる血で視界がぼやける。
先頭を走ってきた六四郎にも傷はあるが、後ろを守られていたためにそれほどでもない。六四郎の人間離れした反射神経も幸いして、切れたのは身に付けている戦装束ばかり。血も自分のものは殆んど無かった。
六四郎は、熱を失った空虚な瞳で兼次を見る。兼次は、相変わらず此方を見ない。
「虎の首なら何を下さいますか」
六四郎は、淡々と問う。円陣の武士が一瞬身構える。
「貴様」
姫大将は怨念の声を絞り出す。
その時、城中に呼子や鉦がやかましく響き渡った。死骸を乗り越えて来た家臣が慌てふためいた様子で入口の穴から顔を出す。
「殿っ!ご退陣を!」
六四郎は目を三日月に歪めて、酷薄に笑む。
「では姫、扇谷殿の首なら何を下さいますか」
六四郎の欲しいものは天下国家である。
つい先ほどまでは糸姫も欲しかったが、もう違う。
天下を夢見て戦に散る刹那の夢は、所詮血の池を素足で渡る修羅の夢だ。愛など幻に過ぎぬ。六四郎は、そう自嘲した。
姫は艶然と微笑んで、愛刀の切っ先を六四郎に向ける。円陣は動かない。
階段からゴウという音がする。熱が上がってきた。
「妾も貴様も捨て駒じゃ」
「だから何だ」
「何でもないわ」
姫は六四郎に斬りかかる。六四郎は反射的に脇差しを突きだす。喉が切れた六四郎は崩れ落ち、腹を刺された糸姫は唸る。槍の輪が一気に狭まり、2人は串刺しにされた。
天守閣の階段を炎が渦巻き駆け上がる。兼次は相変わらず遠くを観ながら呟いた。
「今日は羽虫がうるさいのう」
お読み下さりありがとうございます