上の巻・山野六四郎
※役職等は創作です。実在の歴史用語も流用しており、不自然な点も多々御座いましょうが、ご指南不要に願います。
上中下、3話完結同時投稿です。
※具足の説明を加筆しました。
※不自然な表現、表記の修正を行いました
総てを切り捨て、夢に向かってひた走った男が居た。そういう世の中だった。親兄弟すら信頼出来ぬ。血で血を洗う戦国絵巻。これは、そんな時代に行き倒れた、一匹の虫けらの物語である。
東の列島国家「赤土」では、時まさに戦国乱世の猛々しい世の中であった。この島国の中程には、平野に望む小山を中心とした小城がある。武坂国瀬川の岩滝城だ。
その戦国の小城で厩番見習いをしていた山野六四郎は、小姓と見紛う美少年であった。小姓は城主の側近ではあるが、見目麗しく年若い前髪姿の少年が選ばれるのが常である。
赤土の男性は、14才前後で前髪を剃り落とす。これは武神にその身を捧げる儀式だ。武士も村人も、総ての男がこれを行う。何故なら、国民皆兵の軍事国家だからである。戦となれば鋤を槍に持ち替えて、農民ですら戦場に立つ。
女はこの義務を持たないが、希望とあらば儀式を受けてよい。隣国深山国崖端の糸姫は、虎姫と呼ばれる烈女で、先日前髪を剃り落とさせたのだと聞く。
この儀式を元服と呼び、大人の仲間入りを果たすのだ。六四郎は先頃元服したばかりで、まだまだ体つきも顔立ちも幼さを残している。
厩番は、下級職ながらも城中の馬を預かる大切な仕事である。気性の激しい「赤土馬」を万全の仕上がりで家臣団に提供するのだ。並大抵の覚悟では勤まらぬ。
馬の体調は、戦況を左右する命綱である。どんな名手が乗ったとしても、体調不良の不機嫌な馬に振り落とされる事はある。病気や空腹から歩みが遅く敵に囲まれれば、一貫の終わり。
中でも城主瀬川源之丞平盛の愛馬「鋼食」は獰猛だった。連銭葦毛の見事な牡馬で、城主以外が近付こうものなら噛みついてくる程だ。敵の振るう槍の穂先や鏃など、噛み砕いてものともしない頼もしい馬である。
この鋼食を野馬から育て上げたのが、誰あろう六四郎の父・山野厳蔵であった。自ら平野に出向き追い立て生け捕りにした逞しい子馬を、城主の目に留まるまでの名馬に仕上げた。だから厳蔵は、鋼食に噛まれない例外的存在である。
体を洗い、飼葉桶を満たし、水を与える。この荒馬の世話が出来るのは厳蔵だけだ。六四郎も、鋼食に履かせる特別の草履を編む許しをやっと得たが、近付けるのはほんの一瞬である。
六四郎には、初恋の娘がいた。名を久米と言う。
「ろくしろちゃん、あれ、なんだべな?」
河原に座って草など無意味にむしりながらイチャイチャしていたら、お久米がふと土手の上に行列を見つけた。
「なんぞ旅のお武家かの」
「はええ、恐ろしかあ」
「なに、ワシが守ってやるぞ」
「ひゃあ、恥ずかしいぃ~」
六四郎はお久米に抱き付きながら、鋭い眼差しを行列に送る。
(何処かで戦が開かれるのか)
初夏の爽やかな風に、陣笠の一団がむさ苦しく日覆をはためかせて進む。徒歩が15名程、騎馬が3名程の小さな集団である。近隣の同盟家門が、城主に呼ばれて登城でもするのだろう。
川沿いの道を緩やかに登れば、天然の濠を持つ山城、岩滝城がある筈だ。六四郎の父はそこで厩を預かる身であり、つい先月元服した六四郎もまた、見習いとして父に付いている。
父は例の鋼食専属だが、六四郎は見習いとして雑用に忙しい。厩掃除に水汲み、馬の草鞋編み、流鏑馬訓練場の整地など、やることは数えきれない。
尚、流鏑馬は、縦長の馬場に設置された幾つかの的を、馬に乗って順に射抜き駆け抜ける馬上弓術である。
お久米は弓師の娘だ。弓師とは、弓を作る職人のことである。
先年の流行り病で母を失くし、父親と跡取り息子である弟の面倒を独り引き受けている。父にはお弟子が2人ほどいるが、彼等は所帯持ちなので世話はいらない。
そうした職人もまた、城内に暮らしていた。戦ともなれば準備に忙しくなる。弓の調子を見てくれと頼みに来る武士達が増えるのだ。
矢を削り、鏃を作る鍛冶師と相談し、具足職人とも頻繁に連絡を取り合う。具足とは、即ち鎧兜一式のことである。戦ともなれば、一式身に付けて弓を引くのだ。
だが、彼等は武士ではない。国民皆兵と謂えども、職人達の多くは例外的に留守番となる。そんなわけで、お久米の暮らしはのんびりとしていた。
六四郎には、その長閑な様子がいつしか気にくわなくなっていった。六四郎は、荒馬と気の合う厳蔵の子である。優しげな美少年の内側は、大層気が強く野心に満ち溢れていたのだ。
「やだよぅ、ろくしろちゃん、怖い顔して」
「そうかあ?」
戦手柄を夢見て残忍な顔を見せる六四郎に、お久米は怯える。怯える小娘を抱きすくめて好き放題しながらも、六四郎は天下の夢を見ていた。
土手の行列を襲う強風に陣笠が煽られ、一瞬日に焼けてなお白さを残す横顔が現れた。鼻はぐっと前方に突き出し、唇は薄く妙に赤い。六四郎は、その野性的美しさに心を奪われた。
漆黒の馬には、深山の国崖端の鷹羽城主黒岩家の紋が入った派手な布が掛けられていた。馬上の人は、かの虎姫・糸であろう。
六四郎は腕にお久米を抱えながら、漆黒の馬に乗る猛虎から眼が離せない。猛獣のごとき眼力で刹那射返す娘武者は、六四郎の狂暴な本性を秘めた美貌にニタリと笑む。
それきり素知らぬ風をして、傘をぐっと目深に傾け岩滝城へと登って行ってしまった。
城に帰ると、厳蔵が慌ただしく駆け寄ってきた。
「六、お前何をしたッ」
「え?」
いきなり怒鳴り付けられて、六四郎は唖然とする。
「糸姫様のご滞在中、お前をお馬番にせよとの姫様直々のご指名じゃ!」
六四郎は厳蔵に連れられて、糸姫一行が馬を預けた厩舎へと急ぐ。
「親父殿、道具は」
「もう置いてあるわ」
流石は厳蔵である。抜かりがない。
「ご到着のお世話は、ワシがし申した」
ご指名は、その後でお達しがあったのだという。
「全く、肝が冷えるわ。何があったのじゃ」
「知らぬ」
「何が知らぬじゃ、とぼけおって。大方道中に行きかかって色目でも使うたのであろ」
「知らぬものは知らぬ」
「呆れた奴め。身の程弁えねば命が無いぞ」
「知らぬわ」
恐らくは、道で見初めた美少年は誰かと城主か迎えの者に訪ねたのであろう。見習いとはいえ厩番と聞き及び、ご指名とあいなったのだと思われる。まさか見習いに任せる訳にもゆかず、城主の愛馬・鋼食の専属でもあり、六四郎の父でも師でもある厳蔵に、実質の世話が任されたに違いない。
六四郎は、厳蔵の指示に従いながら糸姫の愛馬「墨染」の敷き藁等を用意する。一息吐くと、野次馬に来ていた仲の良い下級武士達と雑談を始めた。彼等は戦手柄で馬を賜った出世組の3人だ。
「戦かの」
「いやあ、それがどうも、お輿入れのようじゃ」
「随分急じゃな」
「御仕度も略式のようじゃったよの」
「うむ。桐箱一つで御輿入れじゃ」
「中身は鎧だけかの」
「はは、左様かもしれぬなあ」
「あの虎様じゃ、違いない」
「はは」
「ははは」
「こら、聞かれたら」
「おっと」
確かに、一国の姫君の嫁入り行列にしては貧相であった。荷物も大して運んで来なかったようだ。六四郎は、慎重に口を切る。
「やはり何処かで大戦でもあるかいの」
「さてなあ」
「輿入れと見せた挟み撃ちの算段やも知れぬな」
六四郎の言葉に3人組の下級武士は、すっと笑いを引っ込めて頷き合う。
「ワシらも鍛練せんと」
「六、ヌシも墨染殿のお仕度に励めよ」
「出世の好機じゃ、ぬかるな」
「上がってこい、待っておるぞ」
「六なら、ワシらの上にも立てようぞ」
「何、戯れ言を。槍すら録に持った事が無いと言うに」
「ワシらも元は百姓上がりの足軽じゃ」
「それが今では、見よ」
「お馬を賜る騎馬武者ぞ」
六四郎は、曖昧に笑う。まだ腹の底を見せる時ではない。あと幾度かのお手柄で、この3人組が上級武士の目に留まれば、六四郎の噂も伝わるであろう。そこからが勝負だ。焦ってはならぬ。
今の世の中は、手柄次第で幾らでも上に行けるのだ。噂に名高い美智国は、まさしく百姓上がりの城主が治める夢の国だった。『昇龍』と称されるその城主も城1つでは満足せず、度々戦を仕掛けている。この国の若者達は皆一様に天下を狙っているのだ。
六四郎は、この3人組を押し上げた影の功労者である。馬の世話をするためには、その馬に要求される動きを知る必要があった。その為六四郎は、仕事の合間を縫っては流鏑馬や騎馬仕合の鍛練を見学しに行った。
鍛練場の片隅では、稀に徒歩武者達がお気に入りの足軽に稽古をつけてやる姿も見られた。件の3人組も、その口である。元より素質があったのだ。
3人組が出世を夢見て槍や弓を扱うのを見ながら、徒歩での扱いや馬での捌き方を頭の中に描いていた。
時には馬の見学に来る熱心な3人と、六四郎はいつしか雑談を交わす仲になった。やがて、鍛練を見て気付いた事を話してみるようになった。
六四郎の疑問や提案は的確であった。そして3人組には、それを活かす才能があった。
「六よ、良い眼を持っとるのう」
「我らは運が良い、かような眼を得たのじゃ」
「おうよ、出世間違いなしじゃな」
「気を大きくなされては、お命危うく」
「六、そう畏まるな」
「我らは百姓上がりじゃよ」
「しかし」
「も少し気安くせい」
「六も我らの師だからの」
「滅相もない」
「いいや、師のようなものじゃ」
「うむ、六の眼が無ければこうも上達せなんだ」
めきめきと頭角を現した3人組は、六四郎を師などと本気で持ち上げて、時折手合わせなどもするようになって行った。やがて刀を預かり、終には馬を賜った才能のある3人組相手に、技術だけならあと一歩の所まで迫っている。
(もう1年、いや2年か)
六四郎は、冷静にのし上がる機を伺う。
(天下を1つに成すのは、『美智の昇竜』ではない。この山野六四郎じゃ)
糸姫に見初められ、先ずは一歩天下に近付いたが、それで気を緩める六四郎ではなかった。先を見据えて貪欲に光る眼を、丁度厩に来た虎姫は満足そうに眺める。
「姫様、墨染殿は馬場にお連れ致しますのに」
「よい、厩の様子を見たかったのじゃ」
六四郎は黙って頭を下げる。
(なんと爽やかなお声じゃ)
「ヌシ、名は」
「は、山野六四郎と申します」
「うむ、では六よ、馬を曳け」
「畏まってござります」
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