苛められっ子VS苛めっ子
左膝を出してやや前傾姿勢で両拳をこめかみの高さに上げ、左拳を前に構える。
麗衣に教わった俺の構えを見て、棟田は笑い出した。
「は? なんだよソレ!」
嘲る棟田を尻目に、俺は学校でワンツーを教わった後の麗衣と話した会話の内容を思い出していた。
(「良いか? 喧嘩の時、相手のパンチをかわすにはどうしたら良いか解るか?」)
(「いや、解らないけど?」)
(「相手の肩を見ていればいい。肩が動いたら大体素人はパンチを肩の上に振り被ってくる」)
(「ああ。確かにそうなのかもしれないね」)
(「だから、相手の肩が動いたら、ジャブを先にお見舞いするかタックルで転ばせるといい。使わない奴ならば大体何とかなるはずだぜ」)
俺は麗衣の言葉に従い、棟田の目ではなく肩に視線を向けた。
笑われても動じない俺の姿を見てイラついたのか?
棟田は威嚇するように怒鳴りつけ、襲い掛かって来た。
「サンドバッグの分際でよぉ……生意気なんだよコラァ!」
棟田の左肩は上がり、大きく右拳を振り上げ、俺に殴りかかろうとする。
顔は隙だらけ。チャンスだ。
俺は棟田から逃げずに、素早くステップインし、棟田の懐に飛び込む。
ガードを下げず、左拳を固め、素早く棟田の顔を突いた。
「なっ!」
棟田は鼻を打たれ、動きが止まる。
俺は初めて棟田を殴った。
今まで俺の事を一方的に殴るだけの棟田を初めて殴った。
そんな事を出来た自分に対して、自分自身で驚いていた。
そして、棟田の方も初めての俺から殴られた事に動揺を隠せない様子だった。
「て……てめぇ……死んだぞ……」
再び、拳を振り上げ、棟田が殴りかかってくる。
でも、肩の動きさえ見ていれば棟田の動きは丸わかりだ。
俺は棟田がパンチをする前に続けざまに左ジャブを打ち付け、数回連打した。
「て……めぇ! ちょーしこいてんじゃねーぞぉ!」
棟田は殴られながらも強引に距離を詰めようとした。
今だ。
左拳を素早く引き、腰を入れながら壁に棒を突くイメージで右のストレート!
右拳は強く棟田の鼻を打ち付け、鼻腔より鼻血が噴出した。
「なっ!」
棟田が前に出ようとした勢いと、右拳の突く勢いが相乗効果で、右ストレートの威力が増していた。
更に俺は『キレのあるパンチ』の要領で右拳を素早く引き、左ジャブで棟田を突き放し、重心を元に戻した。
「くそっ!」
棟田は怒りで肩を震わせながら自分の鼻から流れる血を手で押さえている。
棟田は恐らく怒りと何故昨日まで苛めていた相手にここまで一方的にやられているのか理解出来ず、混乱しているのだろう。
棟田のそんな様子を見て、痺れを切らしたのか?
赤銅亮磨は棟田に怒鳴りつけた。
「おい! 棟田あっ! 何そんな野郎に苦戦しているんだ!」
「はっ……はい! すいません!」
「パンチにこだわるな! お前のテレフォンパンチなんざ全部読まれてるぞ! 殴られる覚悟で押さえつけちまえばテメーの方がデカイんだから料理出来っぞ! さっさと終わらせろ!」
もしかして亮磨も麗衣と同じく使う奴なのか? 何故俺が棟田相手に通用していたのか、あっさりと見抜かれてしまった。
「はい……その通りですね。分かりました」
棟田は亮磨のアドバイスで多少冷静さを取り戻したのか?
両手を広げ、正面から突進してきた。
ヤバイ!
俺は棟田を止めようと全力のワンツーを棟田に食らわせる。
今まで以上に強いパンチは刹那の間、棟田の動きを止めた。
だが、ツーで放った右ストレートが大きく流れ、体勢が前のめりになってしまった。
そして、棟田の間合いに入ってしまい。俺は棟田に髪を掴まれた。
「ハァっ……ハァ……捕まえたぜ、この野郎。随分手間を掛けさせてくれたじゃねぇか……」
棟田は激しく息を切らせながら、俺の顔を腰の付近まで引っ張り下ろす。
「テメーみてーな雑魚が俺に歯向かうなんて千年早いんだよ!」
棟田は俺の前頭部に膝蹴りを食らわせた。
「おっ! 良いぞ! 特攻隊長のパシリ君!」
「パシリ君そのまんま潰しちまえ!」
「オタク君もっと楽しませてくれよぉ?」
「麗なんぞのケツに敷かれているからそうなるんだぜ!」
棟田が優位になった様に見える事で、百パーセントのアウェーの中、ギャラリーが活気づいた。
だが、膝蹴りの威力が思っていた程ではなかったので俺は心を静め、麗衣の言葉を思い出した。
(「例えば、こうやってガードすれば簡単に防げる。まぁ後頭部や頸椎を拳か肘で殴ってきたら防げないけどな、棟田はそこまで考えてなかったみたいだな」)
俺は麗衣の言う通りに腕で棟田の膝をガードした。
棟田は腕の上からも構わず膝を連打する。
勿論腕は痛いが、大した威力は感じないし、顔面に喰らうよりはずっといいだろう。
麗衣曰く、『小学の高学年レベル』の喧嘩。そう考えれば俺でも何とかなるのではないかと思えてきた。
案の定、棟田は鼻血で息が苦しいのか、無暗に連打をした打ち疲れもあり、徐々に蹴りの勢いが弱り、髪を掴む手の力も弱ってきた。
チャンスだ。
俺はゴム巻きのイメージで身を捩り、巻いたゴムを解放するイメージで体を伸びあげ、傾斜をつけた拳を思いっきり突き上げる!
右拳は良い目印であった棟田の顎に張られた絆創膏の上に命中し、勢いを止めず振りぬいた。
これがフォロースルーという奴なのか?
拳も痛くなるものかと思っていたけれど、打ち抜いた感覚は思ったほどなかった。
棟田は大きく仰け反り、数歩たたらを踏んだ後、地面に尻もちを着いた。
「なっ……」
流石に麗衣の様に失神させるまでには至らなかったし、さっき麗衣が殴ったのと同じ場所を殴ったから効いたのであろう。
でも俺が棟田を殴り倒したというのは変えようのない事実だ。
「ガゼルパンチかよ。まぐれか? それにしても弱えーな」
亮磨が言う弱いのは俺の方なのか? それとも、もしかして……棟田の方なのか?
答えはすぐにギャラリーが教えてくれた。
「おい! パシリ! 何やってんだあっ!」
「そんなんで俺等の仲間になれると思ってんのか!」
「もう変われよクソ雑魚が! 見てらんねーよ!」
「死ぬ気でやれや! パシリ! じゃねーと俺らに殺されっぞ!」
棟田はやられている。少なくてもギャラリーはそう思っているようだ。
「オイ! 棟田あっ! まさかもうギブアップするんじゃねーだろうなぁ?」
「ま……まさか……そんな訳無いですよ」
棟田は足をふらつかせながら立ち上がろうとしている。
今日は昼、一度麗衣に失神をさせられているのだから、これ以上やったら危険ではないか?
「もう、止めた方が良い」
「うっ……ウルセー。テメーなんざに……テメーなんざに……負けてたまっかよぉ!」
仕方がない。ふらふらになりながらも立つのもやっとな棟田に止めを刺すべく、俺は構えを取る。
すると、俺の右拳は背後から何者かによって力強く掴まれていた。
まさか……嫌な予感がして、拳を掴んだ人物の方に振り返ると――
「もう。止めときな。武の勝ちだよ」
俺の拳を掴んでいたのは麗衣だった。