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第6話 運命に触れた日(2)


 アリスティドの言葉通りリーザの仕事はすぐに回ってきた。神殿に人が出入りし始めるとうっすら生臭さが漂ってきて、リーザは眉をしかめた。部屋の外に出ていた騎士の一人が戻ってきた。


「王女、お役目を」


 こくりと頷く。扉が開いて兵士が運ばれてきた。アリスティドが前に出てリーザの視界を覆う。それはきっと優しさだったけれど遅かった。その光景は一瞬で目に焼き付いている。兵士の片足はどこかへ消えていた。


「あ、う……」


 パニックを起こした頭が理解すると同時に吐き気がこみあげてきた。息ができなくて目頭が熱い。その光景はあまりに残酷でリーザは受け入れることができない。アリスティドは顔だけ振り返った。


「――――お前は目を閉じていろ」


 言われるがままに瞼を下ろす。真っ暗になっても先ほどの光景が浮かび上がってくる。涙が出そうだ。すると右手が何かに包まれた。ひやりと冷たいがそれは手だ。薄目を開くとアリスティドが腕を伸ばしていた。


「いいから目を閉じろ」

「う、うん……」


 軽く引っ張られて腰を上げる。彼のエスコートのままに歩みを進めた。徐々に血の匂いが濃くなってうっと嗚咽が漏れる。


 しばらくするとアリスティドは立ち止まり、つられてリーザも足を止めた。リーザは言いつけ通り目を閉じたままだ。自分がどこにいるのかも分からないし、手をつないでいるのが本当にアリスティドなのかも確かめられずもどかしい。じっと待っているとアリスティドが動く気配がした。次いでシャラシャラと金属が揺れる音がする。あの大杖だ。


「……少し“持っていく”ぞ」


 リーザの手を握る力がぎゅっと強まった。この前は触れたまま魔術を使うことを許さなかったが今は違う。繋がったそこから魔力が流れて出ていく――――この感覚は久しぶりだった。


 アリスティドが朗々と呪文を唱え上げる。低くも高くもない声に空気が澄みきっていくのが分かる。時々聞き覚えのあるフレーズが出てくるのは、以前アリスティドに怪我を治してもらったときに覚えたからだろう。


 リーザは身体の力を抜い、彼への抵抗をやめた。こうすれば早く終わることを知っていた。血の気が引いて指先から体温が下がっていくが、それももう少しの辛抱だ。


「――――エレス、ドレイ、リリ、ルイズヴィア」


 アリスティドの長い長い詠唱が終わり血の匂いも薄まった。目を開けて様子を見たいが、また叱られてしまいそうだから大人しくしている。


 人が出入りするような物音がしてまたあの匂いが広がった。今度は荒い息遣いとうめき声が聞こえてくる。耳も塞ぎたくなるような惨状だ。再び彼の手に力がこめられた。魔力が吸い上げられていく。これが十二回繰り返されたところで、やっと休息が与えられた。







 手渡された水を一気に飲み干す。テーブルマナーの何たるかを忘れ去った行為にリーザは思わず笑ってしまった。そもそもこのような血生臭い場所にいる時点で王女としての体面は崩れている。


「アリスティも水を飲んで」

「ああ」


 アリスティドも疲れ切っているのか声に張りがない。ちらりと見えるうなじには汗がにじんでいた。この状況で「休んだ方がいい」とは言えないので心配を込めた目でじっと見つめた。


「……お前こそ体調は?」

「平気。だってリーザはリーザだもん」

「言いたいことは伝わったが、言葉を省略しすぎてわけのわからんことになっているぞ」

「あ、じゃあえっと、リーザは――――何だろう。何て言えばいいのかわからない」

「難しいところだな」


 アリスティドは大杖の飾りに指を絡めつつ、リーザに視線を移した。


「今日はあとどのくらい魔力を引き出せる?」

「三回分かなあ。頑張ればもう少し渡せる……と思う」

「いや、三回でいい。明日に響くと困る」

「……そっか、これ明日も続くんだよね。リーザもう疲れた。いつになったら終わるの?」

「さあな。神様にでも尋ねてみろ。お前は大神殿の巫女だろう」

「アリスティこそ大神殿の大賢者じゃない」


 不毛な応酬だがリーザにとっては日常を感じさせるものだ。異様な状況の中で一瞬息苦しさが和らいだ。まだ大丈夫、まだ大丈夫、と自分自身に言い聞かせる。


 リーザが石の椅子に腰かけ足をぶらぶらとさせているとアリスティドは背もたれに身体を預けてきた。アリスティドの銀髪が頭の上から降ってきて頬をくすぐる。


「ねえ、アリスティ」


 いつ言おうか迷っていたことをようやく口にする。


「アリスティは魔術師でもないのに、どうしてこんなところにいるの?」

「俺が大賢者だからだろ」

「じゃあどうして大賢者なの?」


 アリスティドは静かに目を伏せる。これは言葉を選んでいるときに見せる彼の癖だからリーザは静かに待つ。ちらりと見えた彼の耳にはいつもの銀飾りが付いていなかった。


「俺は手に入る限りありとあらゆる本を読んできた。むろん魔術書も例外じゃない。だから――――」

「たくさんの魔術を知っている?」

「ああ。しかし俺自身の魔力量は塵芥だ。知っていても使えなければ意味がない。ここまでなら単なる趣味で終わりだったが今は状況が違う。お前がいるからな」


 やっとリーザの理解が追い付いた。大きく頷いてみせる。


「リーザの魔力を使えばいいのね」


 リーザは魔力の貯蔵庫とも言える存在だ。自身でこそ上手く扱えないが、他人と接触し流すことでその力を最大限に発揮できる。アークライト王家にはまれに、それこそ神の悪戯のごとくリーザのような子どもが生まれ、そして誰もが国を守るために戦った。


 一方のアリスティドも魔力さえあればありとあらゆる魔術の使い手となる。お互いがお互いを必要としている――――その事実にたどり着いたリーザは短く息を吐いた。


「戦争は大変だけど、リーザとアリスティがいれば大丈夫ね……。二人で頑張ろう」


 いつもの溌溂さはなく笑みにも陰りが見える。十歳の少女が兵士の命を左右しうるという異質さに誰もが口を閉ざしていた。







 リーザとアリスティドの奮闘は二十日以上続いた。


 戦争自体は五日前に終わっている。エルベルト国は勝利をおさめラシュム帝国は撤退した。帝国の脅威は消えていないが一時の平和を取り戻し、戦勝の喜びにわいている。


 しかし負傷者の数は一向に減らない。命の危険にある者だけに絞っても終わりが見えなかった。リーザの精神は疲弊しきってもはや笑みすら浮かべられない。薄汚れた司祭服をまといながら、ただただ城に帰れる日を待っている。ひんやりとしたアリスティドの手だけが頼りだ。


 ふとアリスティドの詠唱が途切れる。ここはまだ終わりではない。何百回と聞いたフレーズだからリーザでもわかった。


「……アリスティ?」


 目を閉じたままで尋ねる。アリスティドは「何でもない」と短く告げ、再開した。もう一度最初からだ。魔力を無駄にされてしまったが文句を言うだけの気力もない。何よりアリスティドも疲れている。


 無事に治療が終わってひとまず休憩をとることになった。初日こそ無駄話をしたものだが、最近ではリーザもアリスティドもぼんやりとしていることが多い。


 アリスティドは水を飲み干した後、髪をまとめなおした。絹のような銀髪だが今では艶を失っている。リーザも自分の金髪に手を伸ばしたがやはりパサパサとした手触りだった。砂埃がひどかった。


「アリスティ」

「何だ」

「……ううん、何でもない」


 さっきのことを尋ねようとしたがそうしたところで意味のないことは分かっている。リーザは力なくうなだれ指と指を絡ませて手遊びをした。もうじき仕事に戻らなければならなくて、リーザは現実逃避のようにいつまでもそうしていた。さすがに見兼ねたのかアリスティドがリーザの隣に立ち耳元で囁く。


「そういえば聞いたか。帰る日が決まりそうだ」

「本当⁉」


 思わず立ち上がり、歓声をあげたリーザをたしなめる。


「しっ。ただの予定だ、噂になっても困る」

「それで、それで? いつ?」

「十日後だ。補給と入れ替わりで俺たちや動ける兵が撤退する。負傷者はそのあとで順々に運び出すらしい。……いいか、絶対に言いふらすなよ。あと期待もするな、あくまで今の予定だ。大幅に狂う可能性もある」


 何度も頷く。釘を刺されてもリーザの頬は緩みっぱなしだ。ここ数日で初めての笑顔だった。仕方のないとでも言いたげな顔でアリスティドも目を細めた。


 扉の外が騒がしくなってくる。そろそろ時間だと分かりリーザは石の椅子に腰かけた。アリスティドは彼女の前に跪きその手を取った。軽いキスを落とし青い目を見つめる。


「お力を」


 こんなときですらときめいてしまうのだから自分の恋心が憎い。照れ隠しでそっぽを向く。


「……アリスティ、ずるい」

「いつもは無理やりさせようとするくせにか?」

「ずるいったらずるいの!」


 思い出すほどに恥ずかしさが勝って消えてしまいたくなる。リーザは顔を真っ赤にして抗議した。そんな彼女を前にしてアリスティドは目元を和らげる――――その表情が何よりずるかった。


 リーザがすっかり黙り込んでしまったところで扉が開く。慌てて目を閉じた。嗅覚が麻痺してしまった今でも目を開けたまま正気でいられる自信はない。


 アリスティドに手を引かれ前に進み出る。アリスティドが言葉を発した瞬間リーザの身体から魔力が奪われていく。その感覚はあまり心地よいものではない。できることなら早く終わってほしいとも思う。だがそれを口にできる状況ではない。


 若干匂いが薄まってきて、どうやら止血が終わったらしいと思った。あとは欠損した部分が見つかっているなら繋げて、そうでないなら義肢を用意する。二人ができる最大限の処置だ。


 すでに聞き慣れたフレーズが続く。その大半をリーザは覚えてしまった。こんなところでルーディア語を教えることになるとはさすがのアリスティドも予想していなかったに違いないが、「皮肉だな」と苦々しい顔をするだろうからリーザは言わないことにしていた。


「エド、レインドリー、リリズ、エレス、ドレイ――――」


 もう少しで終わりだというところで、アリスティドは突然詠唱を止めた。先ほどと同じだ。やはり疲労がたまってるのだろうか――――心配を伝えるようにつないだ手をぎゅっと握り返すと、アリスティドに強く引き寄せられた。


「うひゃ!?」


 思わず声をあげ、目も開く。瀕死のはずだった兵がすぐ目の前に迫っていた。血のこびりついた短剣をリーザに向かって振り上げている。距離はほとんどない。当たれば死ぬ。


 この人は自分を殺そうとしている――――? 


 どうして、と思ったけれど言葉にはならなかった。そんなどうしようもなく恐ろしい事実に気が付いても身体が追い付かない。呆然としたまま見上げていた。わけが分からない。声も出ない。


「アルメニーア、イール、エレス!」


 短い詠唱が障壁を作る。間一髪で身を守ったアリスティドはすぐさま攻撃態勢に移る。大杖を突き出し、いくつもの言葉を並べる。男は電撃に打たれたかのように痙攣し、その場に崩れ落ちた。ピクリとも動かない。アリスティドは勢いよく振り向くとリーザの全身を確かめた。怪我は一つもしていなかった。


「ア、アリスティ……ねえ、アリスティ!」


 今になって身体が震え、リーザもそのまま座り込んでしまう。


「その人、死んだ、の……?」

「気絶しただけだ」


 アリスティドは右手で顔を覆った。


「簡単には忍び込めないからと言って、暗殺のためだけに片腕を落とす奴がいるとはな……。とはいえさすがに“お前が死んだらどうなるか”までは知らなかったか……」

「え……?」

「いや、何でもない」


 騎士が駆け寄り男の身体を拘束していく。男が起こされたところで彼の胸元から何かが転がり落ちた。金色に輝くそれをアリスティドが拾う。彼はぽつりと呟いた。


「指輪、だな」


 小さな宝石が埋め込まれただけのシンプルな仕立て。ところどころ傷がついている。形は美しいままだが男物にしてはやけに小さい。


「……ああ」


 リーザもアリスティドもその理由にすぐ行きついた。彼は指で挟んでいた輪っかを男のポケットに押し込んでやる。


「連れていけ」

「はっ」


 意識のない男は二人がかりで引きずられていく。真っ赤に染まった左袖が風に揺れた。そこにあったであろう腕はもうない。指輪をはめるべき薬指も。


「……待って」


 リーザは小さな声で、しかし確かに呼び止めた。不安を押し隠すように両手をぎゅっと握りしめる。その場にいた全員が動きを止めてリーザを見つめた。


「待って。連れていく前にその人の腕を」


 自分でも何故そうしようと思ったのかは分からないが、気づいたときには口にしていたのだから仕方がない。あたりの時が止まったかのように沈黙が続いた。あまりに重苦しく息ができない。アリスティドは目を丸くして数度唇を震わせたあと、呆れたとでも言わんばかりにため息をついた。髪をガシガシかき乱してもう一度ため息をつく。


「正気か?」


 短い言葉だった。金色の視線は鋭くリーザを射抜く。手が汗ばんだ。しかし一歩も引くことなくリーザは同じ言葉を繰り返した。


「は。何を言い出すかと思えば――――頼むからその馬鹿げた命令を取り下げてくれ。本当に、頼むから」

「嫌」

「お前は暗殺されかかったんだぞ。こいつは自分の腕を切り落としてでもお前に近づいた。確実に殺すために。その意味も分からんのか?」

「分かってる! リーザ馬鹿じゃないもん」

「だったら」


 アリスティドの声は今までに聞いたことがないほど動揺していた。嫌われてしまうのかもしれない。それでもリーザは譲ることができなかった。アリスティドに何を言われても、これだけは。


 アリスティドは嘲るように口角を上げた。


「……ああ、そうか。そうかよ」


 何かに斬りつけられたかのように痛くて、息ができなくなるほど胸の奥が苦しい。リーザは静かに右手を伸ばした。有無を言わさぬ仕草にアリスティドは目を伏せた。


「お望みのままに、王女殿下」


 悩んだ末に選ばれた言葉がそれであることに、リーザはやるせなさを覚えた。

 

 戦火はいっそう激しく広がっていく。リーザの心は摩耗するばかりだった。


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