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第38話 そして巡り合うのが運命だ


 昼時の街はいつだってにぎやかだ。


 客を呼ぶ声や靴の音、広場で奏でられる音楽が混ざりあって誰もが浮かれている。屋台の屋根をつなぐ幕や、そこら中ではためいている小さな旗が目にも鮮やかだ。


 はるか遠くで真昼の鐘が鳴る。


 道の端に作られたオープンテラスは、お腹を空かせた客でいっぱいになっていた。てんてこまいの店内からは、両手にビールを抱えた女性が飛び出してきた。


「お待ちどおさま!」


 隣のテーブルを囲んでいる男たちは、皿いっぱいの肉にナイフを突き立てた。置かれたビールを一気に流し込んで陽気に笑う。日陰の椅子に腰かけているリーザは片肘をついたまま、彼らを羨ましそうに見つめていた。


「いいなあ、私もあれがほしい」


 ちらり、と伺うように視線を送った。木でできたカップに並々注がれた黄金色のビールは、とても美味しそうに見える。


「私も、あれが、ほしいなあ」


 わざとらしく繰り返せば、目の前のアリスティドはため息をついた。


「やめておけ。この前一杯で酔っぱらったあげく吐いたのはどこの誰だ」


 彼は涼しい顔で肉を切り分けた。リーザはうっと言葉をつまらせる。


「あ、あれはまだ慣れていなかっただけよ。そう、今だったら美味しく飲めるはずだわ」

「いや、お前は生来酒には向かない体質だ。慣れの問題じゃない。金を払ってすべて吐きだすなんぞ馬鹿馬鹿しいにもほどがあるな」

「何よ、そんなのまだわからないじゃない!」


 リーザは頬を膨らませたが、アリスティドは取り合う気もないらしく


「いいからさっさと食べろ。冷める」


 とだけ言って、あとはすべて無視した。


「アリスティの意地悪」


 リーザは大口を開けて、肉のかたまりを放り込んだ。脂身が少ないうえに焼きすぎて固くなっているが、この雑な味にももうずいぶんと慣れた。


 落ちてくる短い横髪を何度も耳にかけながら、リーザはもくもくと食べ続けた。






 薄汚れたローブを羽織ったリーザは、店の外に出ると街を見回した。エルベルト国にはなかった服や果物、文字があちらこちらにあって、思わずそわそわとしてしまう。はす向かいの店を覗きにいこうとしたところで、後ろから肩を叩かれた。


「行くぞ」


 昼食代を支払ったアリスティドが、重い布袋を背負いなおしていた。リーザがじっと見つめると、彼は諦めたように荷物の半分を手渡してきた。


「いつも言ってるでしょ。半分ずつだって」


 リーザは少しむっとしたような顔で荷物を肩にかけた。布袋のずっしりとした重みに重心が持っていかれるが、今となってはもう慣れたものだ。


 二人が亡命してから約二年。


 ほとんど身一つで逃げ出した二人に待っていたのは想像以上に過酷な日々で、一日一日を生き延びるために必死だった。気づけばいくつもの決まりごとができていて、荷物を分け合うこともその一つだ。


 リーザも最初のうちは肩に内出血を作っていたし、歩きすぎて足の裏の皮も破けたし、時には食べるものもなくなってたまたま近くにいたトカゲに手を出したことさえあるが、今では日銭を稼ぎながら街を渡り歩くことができている。


 いつの間にか旅人らしくなれている――――と若干感動しながらも、まだ心もとない日々を思えば油断はできなかった。ろくでもない人生のろくでもない運命はどこまでも付きまとってくるのだ。


 リーザははっと思いだしたように彼を見上げた。


「そうだ、この街にはどれくらいいるの? さっき宿の人にたくさんお金渡してたみたいだけれど……」

「ひとまず十日滞在する予定だ」

「今回はずいぶん長いね? 何かあるの?」

「ここは流通の拠点になっている港町だから、人の出入りも多いし、情報も集まりやすい。“探し物“には適した街だろう?」


 アリスティドはそう言ってちらりと海の方を見た。リーザもつられて同じ方へ視線を遣った。耳をすませばかすかに波の音がするし、潮風が薫っている。リーザたちはあの海の向こうからここまでやってきたのだ。


「って、ちょっと。メイとウィルは物じゃないよ」


 ふと気が付いて軽く抗議すると、アリスティドはため息を吐いた。


「言葉の綾だ。いちいち引っかかるな」


 アリスティドは少しだけ笑って足を速めた。


 リーザとアリスティドは旅をしながら、あの日別れてしまった二人を探している。生きている証拠ならあった。風の噂でエルベルト国がある騎士を罪人として探し回っていることを知ったのだ。


 最初に聞いたときからウィリアムで間違いないと確信した。恐らく名前が出ていないだけでメイも生きている。ならばあの二人との約束を果たそうと思った。必ず再会すると誓ったのだ。


 リーザたちは人の波をかきわあけながら歩いた。旅人の恰好をしたリーザを振り返る者は誰もいなかったが、それでも何となく肩をすぼめてしまう。未だに追われているような気がするのだ。


 反対にアリスティドは堂々としていた。彼の見た目は人目を集めるけれど、みすぼらしい服を着ていれば昔ほどでもなくて、彼はいっそ清々したとでも言いたげな顔をしている。せっかく綺麗な顔をしているのにもったいない、と思うのだが、アリスティドは昔から目立つのが嫌いだった。


「……それにしても髪くらい整えればいいと思う」


 ついひとり言を零せば、アリスティドが振り返った。


「おい、いきなりなんの話だ」

「え、聞こえていたの?」

「割と大きい声で言ったぞ、お前」

「それだけ強く思ってるってことよ」


 リーザはアリスティドの髪を指さす。彼は長い髪を下の方で一つに結っているのだが、扱いが荒いせいで切れ毛と枝毛だらけになってしまっているのだ。かつての輝かんばかりの美しい銀髪は姿を消して、今や作り物のようだ。


 アリスティドはそのことをまったく気にしていないのだが、リーザの指摘が気に入らなかったらしく、むっとした表情でリーザを見た。


「大体、お前こそその髪はどうなんだ」

「私?」

「どう見てもボサボサだろ」


 リーザは思わず自分の髪に手を伸ばした。アリスティドと同じく切れ毛が増えたのはもちろんだが、髪を短くしてからというもの、はねてうねって仕方がないのだ。旅を始めたころはそんなことはどうでもよかったが、街で人に見られるとなると話は変わってくる。可愛らしい恰好をした少女とすれ違うたびに、少し気恥ずかしくなるくらいには気にしていた。


「そ、それは仕方ないじゃない。もともとの髪質なんだから――――」


 リーザが抗議しようとしたとき、どこかで聞き慣れた声を耳が拾った。


「……?」


 リーザは思わず立ち止まって、あたりをきょろきょろと見た。何だ、とアリスティドが尋ねてくる。


「今、声が……」

「声?」


 アリスティドは不思議そうな顔であたりを見回した。


「声って何の」

「……ごめん、私の空耳だったかも」


 ――――だってこんなのは都合が良すぎるもの。


 リーザは困ったように笑うと、止まっていた足を踏みだしてアリスティドの先を歩き始めた。だがすぐにまた立ち止まる。幻聴のように、懐かしい声が耳にまとわりついているのだ。


「おい、リーザ。道のど真ん中で――――」

「待って、ちょっと静かに」


 アリスティドを制して往来で耳を澄ませた。妙な期待感で鼓動が早まる。リーザは息もせずにあたりの声から求めるものを探し出そうとした。


「――――で、――――だろ」

「いえ――――も――――」


 何やら軽く言い争っているような会話が耳に入って来た。


「ね、アリスティも探して!」


 リーザは懸命にかかとを上げて背伸びした。アリスティドは逆の方を見回している。先にとらえたのはリーザだった。


「だからあ、今晩くらい肉が食いたいすよ俺は! 今日は割と稼いだじゃん! 大丈夫だって!」

「いいえ、余裕があるなら貯蓄するべきです。いつ何があるかわかりませんから」

「あー! 今日もひもじい食事の予感! 俺死ぬって、絶対早死にする! 栄養が足りない!」

「肉の代わりに魚を食べていれば大丈夫です。ここは魚が安いんですから、今夜は魚にしましょう」

「ちくしょー……」


 店の前でだだをこねるように頭を抱える男と、そんな彼を仕方なさそうに見ている女がいた。身なりはずいぶんとみすぼらしいが、その後ろ姿を、その声を、忘れるはずがなかった。


「――――ああ、やっと」


 リーザは両手を握りしめた。


「やっと、見つけた!」


 リーザは身体を震わせながら笑って、叫んで、アリスティドの腕を掴むと駆けだした。ローブをなびかせながら人混みのなかを一直線に走り抜けて彼らの背中へと突っこんでいく。


「待て、リーザ、勝手に走るな! 俺を引きずるな!」


 アリスティドが後ろで大声をあげている。アリスティドがつまずく気配がした。しかし止まれるはずもない。思い描いていたものが、追い求めていたものが、ようやく見つかったのだ。


「リーザ!」


 リーザは青い瞳を輝かせながら、両手を高く高く振り上げた。





【完】



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