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第37話 再会


「アリスティ」


 名前を呼ぶよりも前に彼は振り返っていた。長く長く伸びた銀髪が風のままに流れた。日に焼けていない白い首が見えて、それから同じように白い肌が、薄い唇が、蜂蜜色の瞳がリーザを見た。


 アリスティ!


 リーザはたまらなくなって走りだした。両腕を広げて、彼に飛び込んだ。アリスティドは狼狽したように目を見開いて、そしてリーザの身体を受け止めた。二人は一緒になって倒れこんだ。


 強かに背中を打ち付けたアリスティドは苦々しく顔を歪めた。痛い、と呟いたからリーザはすぐに上半身を起こした。掴んだ肩は細かった。


「ごめん。でも、でも、アリスティ」


 何から言えばいいのかわからなくて、リーザは唇をぱくぱくとさせる。アリスティドは腕を伸ばしてリーザの頬に触れた。


「生きているな」


 安心したように目を細める彼に、うん、とリーザは頷いた。


「私、生きてるよ。ちゃんと生きてる」


 そっと彼の手を握った。氷のようにひんやりとしている指先は、昔からずっと変わらなくて、リーザはたまらない気持ちになった。もう何年も経っているのにアリスティドはアリスティドのままだ。細い指を絡めて確かめて、ほっとして、それからぽつりと呟いた。


「会いたかった……」


 胸の奥が痛くて苦しい。


「会いたかった、ずっと、ずっと会いたかった。アリスティ、私、あなたに会いたくて、たったそれだけで」

「……ああ」

「本当はね、もう会えないかとも思ってた。今日死ぬかもしれないって、もしかしたら明日かもしれないっていつも思ってた。たくさんを怪我をして、痛くて、でもどうしても諦められなかったの。私、しぶといんだもの。だからアリスティに会うまでは死ねないって、そう思ってここまで来たのよ」


 涙声で訴えれば、アリスティドは目尻を下げて笑った。


「それだけで俺は報われたよ」

「……?」

「この四年間、お前はいつ死んでもおかしくなかった。だからそれが途方もなく恐ろしくて、失いたくなくて、一日一日が過ぎていって――――だがおまえはここへ来た。無事だった。また会えた。嬉しかった……」


 アリスティドはゆっくりと身体を傾け、額をリーザの肩に押し付けた。温かい。リーザの頬に涙が伝った。


「今でも夢みたいだって思うのよ……。おかしいでしょ」


 リーザは涙を堪えながら笑った。ここにアリスティドがいるのだ。いつだって抱きしめられる場所にアリスティドがいる。ただそれだけのことが嬉しくて、たまらない。


 二人はどちらからともなく顔を上げた。


「来てくれて、ありがとう」


 アリスティドはゆるく首を振った。


「大したことはしてやれなかった」

「最後にメイと会わせてくれたでしょ。それだけで私、本当に嬉しかった」

「……そうか、会えたか」

「うん、会えた」


 そう言ってリーザは笑った。雲が晴れて、あたりはうっすらと明るんだ。


「お別れもできたの。それでまたいつか絶対に会おうって、ちゃんと約束した」

「ああ。それなら、よかった」

「ウィルにもね、会えたの」

「……どうだった?」

「笑ってた。少し寂しそうだったけれど」


 リーザはウィリアムの顔を思い出していた。彼は笑うとき顔をくしゃっとするけれど、悲しいときとか寂しいときは、眉を下げる。だからすぐにわかった。わかってしまって、リーザも余計に悲しくて寂しかった。きっとあのときの気持ちは一生忘れない。


 アリスティドはローブをはたいて砂を落とすと、リーザのくしゃくしゃになった髪に触れて前髪を撫でつけた。何度かそうしながら彼はうわ言のように呟いた。


「あの女は、約束を守ったか――――」


 リーザは、あの女? と聞き返した。


「あの女って、ねえ」

「……怒るなよ。俺にも考えがあった」

「まだ怒っていないよ」

「これから怒るだろう」

「そうかもしれないけれど」


 アリスティドが、そらみろ、とでも言いたげに視線をそらしたので、負けじと見つめた。彼はため息を一つついた。


「あの女――――エヴァ・クワイエルを逃がしたのは俺だ。あの地下牢から助けだす代わり、俺に協力させた」


 アリスティドは観念したように言う。


 リーザはあの門番の顔を思い浮かべた。しかしどうにも彼女には似ていなかったように思った。人を狂わせるほどの美貌ではない。リーザの不思議そうな顔を見て、アリスティドは深く考えるな、と言った。


「あれは森の黒魔女だ。見た目なんぞどうにでも誤魔化せる」

「それじゃあ、やっぱりあの人は」

「ああ」

「……アリスティは本当にどんな手でも使うのね」

「都合がよかっただけの話だ」


 何でもないふうに返すアリスティドに、リーザは呆れたように笑った。


「だったら無駄にしないように逃げ切らなきゃね」

「……そうだな」


 ちょっとした皮肉だったのにまじめに頷いたアリスティドがおかしくて、リーザは今度こそ笑ってしまった。ごめん、ごめんなさい、と謝って、彼を見つめ返した。


「これからどこへ行くの?」

「しばらくは進む。いずれはこの国を出る」

「……やっぱり、捨てることになるね」


 この国を――――リーザは瞳を閉じた。


「お前が気に病むことは何もない」

「アリスティならそう言うと思った」


 リーザはでも、と言葉を続ける。


「やっぱり私が捨てるの。守らなくちゃいけなかったもの、全部。そうしてでも欲しいものがあったから」

「……後悔しているか?」

「今はしていない。でも、いつかするかもしれない」


 この国が負けるのを見たときは、たぶんね。そう言うとアリスティドは


「もう遅い」


 と、くつくつ喉を鳴らした。


「ねえ、アリスティ。ちょっと待っていてね」


 リーザはスカートをたくしあげて仕込んでいたナイフを取りだした。アリスティドがさりげなく視線を逸らしたのを見て少し笑い、持ちかえる。片手を後ろに回し、髪をまとめて持ち上げた。アリスティドが何か言おうとしたような気がしたけれど、髪の生え際に刃を当てて、一気に引き抜いた。


「お前――――」


 髪がばらばらと落ちていった。肩よりも短くなったそれを揺らしながら、リーザは軽くなったでしょう、と言った。


「ああ、軽い……」


 言い聞かせるように呟いて、首のあたりを撫でた。むき出しになった細い首に指が触れると、くすぐったかった。切りそろえもしていない無残な毛先をいじりながら、リーザはアリスティドを見た。


「こんなのじゃ、もう王女になんて見えないでしょう?」


 ずっと髪を伸ばしていた。美しい髪飾りが映えるように、良家の令嬢がそうするように。それが当然のことだと思っていた。けれどもう必要がないのだ。

アリスティドが唖然としたまま、「俺も切った方がいいのか」と聞くので、リーザは首を振った。


「いいよ、そのままで。アリスティの長い髪が好きなの、私」


 リーザは彼の肩に触れ、髪に触れ、そして手をつないだ。指を絡めて、静かに微笑む。言いたいことは一つだけだった。


「私は、リーザは、あなたを愛しています」


 アリスティドはほんの少し目を丸くすると、唇に笑みを浮かべた。


「ああ、知っている」


 アリスティドはリーザの手を握りなおし朗々と詠唱する。その声も好きよ、と笑うのと一緒に、二人の姿は掻き消えていた。



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