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第16話 ひとりごとの夜


 アリスティドと別れてからもしばらくは踊ったり談笑を楽しんだりしていたが、さすがに疲れを感じ始めた。リーザは人影に潜り込むと大広間から姿を消した。


 廊下をヒールで鳴らしながら足早に歩いた。少し休みたいが自室には戻れない。明かりの付いていない隣室のドアノブをひねると鍵がかかっていなくて簡単に開いた。


「あれ……?」


 ドアの内側に身体を滑り込ませる。薄暗い室内をぐるりと見回せば、カーテンが風にたなびいていてうっすら影が見えた。


「誰かいるの?」


 呼びかければ影が動いた。カーテンの隙間から見える赤茶色の髪には見覚えがある。リーザは小さな笑みを浮かべると自分からテラスへ向かい、そのカーテンに手をかけた。


「メイも休憩中?」


 仕事から抜け出してきたらしいメイは、困ったように目を細めた。


「内緒にしてくださいね」

「うん、いいよ」


 リーザはテラスに出て、彼女の隣に並んだ。彼女は柔く微笑みながら首を傾げた。


「リーザ様、舞踏会の方はもうよろしいのですか?」

「うん。たっぷり踊ったからもう満足しちゃった。アリスティも来てくれたし今夜はこれでおしまいでいいかな。メイはここで何してたの?」

「あれを見ていました」


 メイは城下町の方を指さした。今日は街でも祭りが行われ広場では人々が楽しそうに踊っていた。もみくちゃにされながらむちゃくちゃなステップで腕を振り回し笑っている。笛と打楽器の音がうっすらと聞こえてきて、リーザは指先でリズムを取った。


「楽しそうだね」

「ええ。機会があれば一度行ってみたいのですが、なかなか……」

「ごめんね、毎日忙しくさせちゃって」

「いえ、そのようなことは」


 メイは慌てて首を振り、精いっぱいの笑みを浮かべた。


「リーザ様のお傍にいられるだけで十分です」

「……嬉しいけど、そんなこと言わないでよ。もっといろいろあるでしょ?」

「いろいろ?」

「例えばほら、遊びに行ったり好きなことをしたり。仕事だけじゃつまらないじゃない」

「そんなことはありませんよ」


 メイはにこりとする。彼女の慎ましさはきっと誰にも好かれるのだろうがリーザは不満げに唇を尖らせた。


「ど、どうかされました?」

「べっつにー?」

「拗ねてらっしゃるではないですか……」

「何でもないもん」


 手すりに手を置き身を乗り出した。軽く背伸びすれば外がもっとよく見えた。広場へ向かって走る人影も、不思議な技を繰り出す大道芸人も、家の屋根より高く上がる炎もすべて。リーザはぐっと伸びをした。


「メイが傍にいてくれることは本当に嬉しいよ。謙遜だってメイのいいところだし。だけどいつも本音を隠されるみたいで寂しいの」


 言葉を選びながら伝えれば、メイは口元に指を当てて考え込んだ。


「したいことは素直にしたいって言ってね。私とメイの仲じゃない」


 明るい声で告げる。メイの手を取ってぶんぶんと上下に振ると彼女は「痛いです」と少しだけ笑った。夜風が二人の髪を揺らし、それがきっかけだったかのようにメイはぽつりと呟いた。


「今から話すことはすべてひとり言です。どうか返事をなさらないでください。……それでよければ一つ、私の隠し事をお話しします」


 メイは髪を耳にかけた。どこか緊張を押し隠しているような表情に、リーザは二度瞬きを繰り返しそれから小さく頷いた。メイは外に身体を向けると両手を手すりに軽く乗せ、話を切り出した。


「本当は、隠し事なんてたくさんあるんです。でも今日は一つだけ。一番言いたいことを」


 薄茶の瞳がそっと閉じられる。


「私ずっとディラック様に憧れていました」


 静かな告白にリーザの心臓は飛び跳ねた。零れそうになる言葉を押しとどめて、視線を足元にやった。これは彼女のひとり言だ。


「もう何年もずっと。覚えていないくらい昔から。たまにすれ違うと嬉しくて、けれど声もかけられないのが悲しくて切なかった。あの人との繋がりなんて何もない。あの人は私のことなんて知らない。分かっているのに目を逸らせなった。好きだった――――」


 全身に痺れが走る。爪先がピクリと動く。短く息を吸った。少しだけ震えていた。


 彼女の気持ちには気が付いていた。いつか彼女の言葉で聞いてみたいとも思った。だが問うこともできないまま六年が過ぎてしまったのだ。待っていたはずなのに、初めて明かされる心の内はこんなにも痛くて苦しい。メイは自嘲するように笑った。


「きっとこんな気持ちは正しくない」


 リーザはとっさに口を開いたがメイが眼差しだけで制した。「ひとり言ですから」と微笑むのが痛々しかった。


「正しいはずがない。だって私、あの人のこと何も知らないんです――――ただ自分の理想を押し付けて、勝手に恋をしているだけ」


 メイは小さなため息を吐くとリーザの方を向いた。視線が交わった。ただ一人の少女がそこにいて、泣き出しそうな目をしていた。リーザも何かに傷つけられたかのように唇を固く閉じる。何度も迷って言葉を探して、ようやく口にしたのは「何も聞こえていないからね」だった。


「それから……私のもひとり言」


リーザは身体を回転させ城下町を見下ろす。メイは小さく首を傾げたがすぐに頷き視線を逸らせた。沈黙が続いてリーザはそっと深呼吸した。何から言おうか考えて、結局素直に口にする。


「私はアリスティが好き。好きよ。きっと恋をしている」


 リーザは両手の指を絡ませた。横目で様子を伺うが、メイはひどく落ち着いていた。その表情に動揺はない。リーザは静かに続ける。


「昔アリスティが言ってたの。恋と愛は違うって。恋なんて呪いだって。……その時はちっともわからなかったけれど今ならわかるよ。私もアリスティにたくさんのことを押し付けてるし、それってやっぱり正しくない」


 指を解いて、両手をぎゅっと握る。


「だけどね、メイ。私は誤魔化したくないの。どうしようもない恋だって受け入れるしかないじゃない。好きなんだから」


 リーザはメイの方を向き手を取った。彼女の指先は水仕事で乾燥し、爪先が欠けてしまっているが、ふっくらと柔らかくて温かい。驚きを隠せないメイをよそにリーザはその手を包み込み、彼女を正面から見据えた。


「メイ、正しくなくったっていいじゃない! こんな世界、正しくないことばかりなんだから、少しくらい許されて当然よ。こんなの今さらなの。だからそんな風に責めたりしないで。自分がもういいって思うまで好きでいていいの。そういうものなの!」


 ぐっと顔を近づけまくしたてる。夢中だった。彼女の面食らったような表情も目に入らなかった。こみ上げてくる想いを片っ端から言葉にして口にして、それでも足りない。ぽかんとしているメイはふと唇を震わせた。ほんの少し瞳をきらめかせるが、瞬きでやり過ごした。唇に笑みを浮かべる。


「もうひとり言ではなくなっていますよ」

「……あ、本当」


 メイがくすくすと笑う。リーザもおかしくなってきて思わず噴き出してしまった。二人は顔を見合わせ、どちらからともなくまた笑う。二人の声が星空に吸い込まれていった。


 夜風に晒されひんやりとし始めた腕をさすりながらリーザは深く息を吐いた。メイを見遣れば彼女の瞳に迷いはなかった。


「ずっと、あなたが幸せであればそれでいいと思っていました。……自分のことなんて本当はどうでもよかった。たぶん、嫌いだった。けれど私も幸せになっていいのでしょうか」


 リーザは強く頷く。メイはやっぱり泣き出しそうな子どもに見えて、頭を撫でてあげたかった。腕が届かないので代わりに抱きしめる。自分より大きな身体は案外細くてとても冷えていた。


 しばらく体温を分け合っていればガチャリと扉が開く音がした。勢いよく振り返るとそこには人影があったが、部屋が暗くてよく見えない。声をかけようとする。ただ向こうの方が少し早かった。


「なんだ、そんなところにいたのか」

「え? アリスティ?」


 ずかずかと近づいてくる遠慮のなさは間違いない。二人が少し寄ってスペースを作ると、アリスティドもテラスに出て横に並んだ。


「避難用に鍵を開けておいたのに、まさか先客がいるとはな」


 アリスティドは疲労感にまみれたため息を吐いた。メイが申し訳なさそうな顔をしているが、彼は大して気にしていないらしく手すりに背中を預けて星空を仰ぎ見た。


「避難用の割には、来るの遅かったね?」

「半分以上はお前のせいだ。……逃げても逃げても追ってこられる恐怖がわかるか?」


 恨みがましい流し目にリーザは苦笑いした。


 一人会話に置いて行かれたメイは、またぼんやりと祭りの焚火を見つめていた。どうやらとても気になるらしい――――色素の薄い瞳にオレンジ色がちらついている。リーザも手すりに両肘をつき耳を澄ませた。笛が奏でる軽やかな旋律の内側で打楽器の音が鮮やかに響いていた。


「アリスティはああいうお祭りも苦手?」

「そうだな。人混みを好む奴の気が知れない」

「私はアリスティの気持ちの方がわからないけれどね。そんなに部屋に引きこもっていたらいつかかびちゃうよ」

「それなら安心しろ、この二十八年間でかびが生えたことは一度もない」

「生えてたら逆に驚くよ!」


 右隣でぐったりしているアリスティドだが口だけは元気だ。リーザがぐちぐちと細かいことを言っていると、またノブの回る音がした。三人が一斉に振り向くと扉の向こうの影がビクリと揺れた。


「だ、誰だ⁉」


 少年にしては少し高い声――――ウィリアムだ。彼はリーザたちの正体に気付いていないのか、警戒心をむき出しにしたままそろそろと近づいてくるのでリーザが声をかけた。彼は驚きつつもカーテンをめくり三人の顔をそれぞれ見た。


「……なんで管理人までいるんだよ」

「成り行きだ。お前こそ警備はサボりか?」

「サボりじゃねーよ! この部屋から物音が聞こえたから見に来たんだ。仕事だよ!」


 勝手に鍵を開けたのがアリスティドだと分かれば、ウィリアムはごくまっとうな正論で責める。しかし彼は半分も聞いておらず城下町の賑わいに想いを馳せていた。


「……よし、逃げるか」


 祭りの明かりを指さし、彼は「ちょっと行ってくる」と真顔で言い切った。


「人の、話を、聞いてたか⁉」

「それもそうだし、いきなりどうしたの⁉」

「だからもう飽きた。向こうのほうがマシだ」

「祭りは嫌いだって話さっきしたよね⁉」


 彼は一度髪をほどき動きやすいようにまとめなおすが、いつもより手際が悪く何束も取りこぼしてしまう。もたつく手。まさか――――リーザは一つの可能性に行き当たった。


「アリスティ、酔ってる?」


 彼は「酔っていない」と即答したが、酔っている人間は必ずそう言うものと知っている。


「じゃあグラス何杯呑んだ?」

「………………忘れた」

「うん、たくさん飲んだんだね。今目を逸らしたもんね」


 どうやら大広間で飲んでいた酒が今になって急激に回り始めたらしい。リーザは「後悔するからやめておいたほうが」と必死に止めるが、アリスティドの気は変わらなかった。


「伝令役、目立たない服を四着見繕ってこい」

「なんで俺が!」

「今一番目立たない恰好だろうが」

「確かに――――じゃなくて! そもそも四着はおかしいだろ! 俺たちも巻き添えか!」

「お前は門番を引き付けるための囮だ」

「せめて最後まで連れていけよ!」


 もはや正論は通じないと分かった途端、ウィリアムはやけを起こした。「いいよ、行ってやるよ、あそこで最高のダンス見せてやる!」と高らかに宣言する。リーザは噴き出した。


「ああ、もう、何でもいいや! 最高! 私も行く」


 にっと笑いメイの腕を取った。終始ぽかんとしている彼女は状況を飲み込めていない。それでもおかしな方向に進んでいることは分かるのかあたふたとし始めた。メイの戸惑いを抑え込むようにリーザは囁いた。


「行こうよ、メイ。きっと楽しいよ」


 その一言が心を揺さぶった。じっと見られて思わず頷けば話がまとまってしまった。ウィリアムとアリスティドが口論を続けながらテラスを出て、残った二人も後に続く。


「おーい、今人いねえから急ぐぞ」

「うん!」


 薄暗い廊下の先を目指し四人は走り出した。誰も後のことなど考えていなかった。優雅なワルツが遠のいていく。リーザは高ぶりを抑えきれずに笑みを零した。



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