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第15話 照れた方が負け(2)



 リーザはきゅっと唇を固く閉じた。ずっと期待していたはずなのに、いざ本当になればどう反応していいか分からなかった。リーザがあたふたとしている間にも彼は目の前にたどり着く。何か気の利いたことを言いたくて頭をひねるが急には出てこない。


「あ、えっと、その……こんばんは?」

「散々悩んだ末がそれか?」


 アリスティドはスカーフの結び目を直しながら、呆れたような顔を見せた。


 リーザは生返事で、彼をじっと見つめた。彼にしては珍しくかっちりとした服で、紺の下地に銀ボタンがよく映えている。ふわりと首元を覆うスカーフには小さな宝石が縫い付けられている。銀髪は後ろで一つにされ、黒のリボンが彩っていた。大ぶりの耳飾りは動くたびにキラキラと輝く。


 リーザがずっと黙り込んでいると、アリスティドは眉をひそめた。


「なんだ、おかしなところでもあるか?」

「そういうわけじゃない、けど……」

「けど?」

「違和感があるというか、ないというか」

「せめてどちらかはっきりしろ」


 たぶんアリスティドの恰好が物珍しかっただけだ。いつも動きやすそうな服に埃避けのマントをかぶっているだけで盛装からは程遠い彼だから、わざわざ着飾っているというだけで不思議な気分になる。リーザの言わんとしていることを察したらしい彼は、「ああ」と呟く。


「動きづらいから早く脱ぎたい」

「もう少し我慢してよ。楽してお洒落なんてできないんだからね」

「別に洒落こみたくてこんな格好をしているわけじゃない、俺は」


 そうでしょうね、と返したくなるのをぐっと飲みこんだ。するとまた沈黙が続いて、何か話さなければと思っているうちにアリスティドが手を差し出した。リーザがきょとんとしていると彼も不思議そうに首を傾げた。


「踊らないのか?」


 まさか彼から言ってもらえるとは思っていなかったリーザは、両目を丸くした。


「踊ってくれるの?」

「そのためにわざわざ来たんだろうが……」


 リーザは彼の手を取る。これからどうすればいいのか知っている。先ほどまで散々踊っていたのだから同じようにすればいいだけだ。なのに胸の高鳴りがあんまりにもうるさいからリーザは頬を赤くしたまま俯いた。今になって緊張がぶり返し、小声で「もう少し後にでも」とか「アリスティの気が乗らないなら」とか言い出してしまう。


 いつまでも照れ照れとしているリーザに痺れを切らしたのか、アリスティドは握った手を強く引っ張り、引き寄せた。あっと声を上げるより早くホールドされていた。


「アリスティ……?」

「もう次の曲が始まる」


 彼の言葉通り、楽団長が指揮棒を振り下ろしゆったりとしたメロディが響き渡った。優雅でありながらどこか憂いを帯びた旋律はアリスティドによく似合った。


 アリスティドは重心を前に傾け、それに応えるようにリーザは足を後ろに引いた。重みを感じさせない一歩だった。1、2、3のリズムに乗ってステップを刻む。余韻を残すような滑らかな動きは彼のせっかちさからは想像もできない上品さだった。


「……踊るの、とても上手」


 ひとり言を零すと、アリスティドにも聞こえていたらしく少しむくれた。


「意外そうな顔をするな」

「だって毎日部屋に閉じこもっていて、舞踏会に出てもほとんど踊ったりしないんでしょ? もちろん馬になんか乗らないし、身体が鈍っているんじゃないかと思って」

「やめろ、俺は引きこもりじゃない」

「事実しか言ってないよ、私」


 彼の不健康さを思えばこの洗練された動きは不思議でしかなかった。リーザはなおも首を傾げた。


 アリスティドはもう反論しなかったが代わりにターンを要求した。リーザから見て左回り。難易度は高いが、彼の巧みなリードがそうさせない。くるりと回ってみせたリーザはやっぱり驚いたが顔には出さなかった。ただ遠まわしな答えには笑ってしまいそうだ。


 メロディは途切れることを知らない――――今しかないと思った。


「ねえ、アリスティ」

「なんだ」

「聞きたいことがあるんだけど、答えてくれるよね?」


 できるだけ淡々とした声を出す。これはタイミングの問題だった。どうせいつかは聞かなければならなかったことを今聞くだけだ――――そう言い聞かせた。強い語気は一歩も引かないという気持ちの表れだ。アリスティドは面倒くさそうな顔をしたが、リーザのしぶとさを思い起こしたのかあっさりと折れた。


「聞くだけは聞いてやる。一言で済ませろ」

「じゃあ」


 彼の身体に触れる手に力がこもる。


「私の婚約が白紙になったんだけど、アリスティ、何をしたの?」


 簡潔に言い終えてリーザは彼をじっと見上げた。動揺するかと思っていたのに彼は平然とした顔でリードを続けていた。まったく可愛げのない――――とリーザは不満すら覚えたが、言ったところで「男に可愛げを求めるな」と笑い飛ばされるに違いなかった。


 アリスティドは薄っぺらい微笑を浮かべる。


「どうしてそれを俺に聞く?」

「だってそんなことするのアリスティしかいないじゃない。もうわかっているんだから、そういうのはいらないの。いいから教えてよ」

「別に大したことはしていない」

「だったらそれでいいよ」

「知って何になる?」

「何かにはなるでしょ」


 アリスティドは渋っていたが、痛いほどの視線に根負けしたのか逃げ場のなさに観念したのか、嫌々ながら口を開く。


「……簡単な話だ。俺は立場とツテを利用して陛下に提言しただけだよ。王女殿下を一度きりの使い捨てにするのは惜しい、もう少しいい利用方法があるのでは――――と」

「それで?」

「いくつか手痛い反論も受けたが、検討していただけたらしいな。その結果がこれだ」


 思っていたよりも単純な話に驚きを隠せない。同時に自分の行動もよみがえってきてリーザは頬を膨らませた。


「私だって似たような状況で似たようなことを言ったのに……どうしてアリスティの言うことは聞くのよ」

「それは当然だな。娘の諫言を素直に聞き入れる国王陛下がどこにいる?」

「この国にいてほしかったの!」


 つい大声を出してしまい周囲の人々の耳にも届く。はっとするが遅かった。彼の冷たい瞳に息をつめ、慌てて声を小さくした。


「だけど、どうしてそんなことをしてくれたの? 私があんなこと言ったから?」

「ただの気まぐれだ。ちょうど暇だったしな」


 アリスティドは何食わぬ顔で重心を傾け次のステップを伝えてくる。リーザは前に踏み出しながら頭では歩幅を計算している。三歩目で折り返し、ターンに繋げた。相変わらずそつのないリードだった。


 リーザはちょっとした悔しさを覚えながらアリスティドに視線を戻す。涼しい顔だ。やっぱり可愛くない――――と思いかけたが、彼の耳がうっすらと赤みを帯びているのを見つけて、にやりと笑った。 


「アリスティの嘘吐き」

「はあ?」

「知らないの? アリスティは意外と照れ屋さんなのよ。耳が赤くなるからすぐわかる」


 リーザはおかしそうに笑った。自覚がなかったらしいアリスティドは目を見開いた。リーザの視線から逃れようとするが、手は繋いだままで外すことができない。


 恨めしそうな表情に笑いを堪えながら踊り続ける。ターンの連続は彼なりの抗議だが、鮮やかなリードのおかげで美しく回れる。靴は床の上を滑りスカートがふわりと膨らんだ。


「こういうとき、上手なのが仇になるね」

「うるさい……」


 白い頬に赤みが差しているのも灯りの所為ではないだろう。こういうアリスティドはとても可愛い、と言いかけるがやめた。足を踏まれてはたまらない。リーザはからかう代わりに「ありがとう」と微笑みかけた。


「本当にありがとう、アリスティ」

「……礼はいらない」

「どうして?」

「礼を言われる筋合いはないからな。俺はろくでもない婚約からろくでもない未来にすげ替えただけだ。結局のところ本質は何も変わらない」

「それでもいいの。ありがとう」


 アリスティの気持ちが嬉しかったから――――そう呟けば、金の瞳に陰りが浮かぶ。


 リーザが口を開く前に曲が終わった。アリスティドは静かに指をほどき身体を離した。お互いに一礼すれば拍手が送られ、リーザは照れるように口元を緩ませた。


 同時に若い女性の視線を集めているのがアリスティドだということも分かったから苦々しさも覚える。彼が珍しく踊ったものだから、次は自分もと考える女性は多いだろう。すでに逃げ出そうとしているアリスティドがちらりと振り返った。


「言っておくが、お前と踊るのはこれが最後だからな。こんなのはもう懲り懲りだ……」


 片手をひらひらと振り、彼は立ち去った。


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