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第14話 照れた方が負け(1)


 日が傾き空に紺色がにじむ。星が姿を見せ始めたころ馬車の駆ける音が響き渡った。そろそろ城門が開かれる時間だ。


 リーザは自室で侍女たちに囲まれていた。そのうちの一人であるメイはせっせとリーザの髪を結っていて、いつもよりずっと念入りで真剣だ。鏡の前でじっとしているように言われたリーザは退屈しのぎに話しかけたくてしかたがないが、きっと生返事しか返ってこないのだろうと諦めた。


 リーザがうとうとし始めるほどたっぷりと時間をかけてリーザの身支度は完了した。伸びをしたいのをぐっと堪えて姿見の前に立った。背中を確認するためにくるりと回る。


「どう?」


 不安げに問いかけるとメイは瞳を輝かせた。


「素敵です、とても!」

「ありがとう」


 照れ笑いを浮かべながら、鏡の中の自分をまじまじと見つめる。鮮やかなマリンブルーのドレスには繊細なフリルがあしらわれ、縫い付けられた銀糸はランプの光できらめいている。スカートはふんわりとふくらみ足元まで覆い隠していた。


 胸元には一重のネックレス。透明な宝石を加工したそれはデザインこそシンプルだが、華美なドレスと相まってさりげない美しさを醸し出している。


 リーザは鏡に近づいて髪を見た。隙なく編み上げられた金髪はメイの自信作らしく背後の彼女は満足げである。この日のために作られた髪飾りには異国の宝石が使われていて、深みのある上品な赤が心を掴んだ。


「大丈夫だよね? どこも変じゃない?」

「完璧ですよ、リーザ様。私も腕によりをかけました。舞踏会にふさわしいお姿です」

「そう……それならよかった」


 まだ少し時間がある。鏡台の前の椅子に腰かけるがどうにも落ち着かない。立ち上がってはうろうろと歩き回ったりドレスを確認したりする。そわそわしているリーザを見て、メイは少し笑った。


「緊張なさいますか」

「当然! だって初めての舞踏会だもん。失敗したら恥ずかしいし……」

「舞踏会に成功も失敗もありませんよ、リーザ様。楽しめば良いだけです」

「それはそうだけど――――」


 言いかけたところで鐘が鳴る。大広間が開かれる合図だ。リーザは窓に視線をやるが、いつの間にか真っ暗で何も見えなかった。


「さあ、リーザ様。お時間ですよ」


 リーザは無言で頷き立ち上がる。メイは扉を開け、外に出るよう促した。


「それじゃあメイ、行ってくるね」


 軽く手を振れば、メイは屈託のない笑みを浮かべた。







 軽快なワルツが響き渡る大広間には談笑の声が交差している。天井から吊るされるシャンデリアの明かりが誰もを照らしていた。


 リーザは晴れ晴れとした気持ちでフロアを歩いた。どうしても注目を集めてしまって緊張するが、何にも縛られていない、その心地よさには酔いそうだ。気分の高まりを抑えながらフロアの中央まで移動する。この会の主役として恭しく礼をすれば全員が同じように礼で返した。


 一度止まったワルツが再び始まる。


 ――――秘密裏に進められていたリーザの婚約はあっけなく破綻した。父王はその事実を淡々と述べるだけで理由も経緯も告げなかった。リーザの知らないところで始まった婚約はリーザの知らないところで終わったのだ。釈然としないがどうしてこうなったのか思い当たる節はある。


 リーザは自分の左手をそっとなぞった。今日ここでお披露目されるはずだった婚約指輪の行方は誰も知らない。かくしてただの舞踏会に戻った今、踊らずにいるのは損でしかない。何か言いたげに視線をさまよわせる青年に微笑みかければ、彼は意を決したように唇を開いた。


 リーザは昔からダンスが好きだ。スカートを翻しながら靴音を響かせるのが、心まで一つになるあの瞬間がたまらなく好きだ。


 一曲踊り終わればまた別の相手から誘われその手を取った。リーザが足を踏み出せば視線が集まり、美しく回転すれば称賛の声が聞こえてきた。嬉しくはあるが気恥ずかしい。大勢に見られていると思うと身体が固くなりそうになる。それでも多くの男性から誘いを受けてすべてに応えた。まだ疲れてはいないが徐々に焦りが浮かび始めていた――――あの男が見当たらないのだ。


 ドレスの裾を持ち上げて別れを告げるとすぐさま周囲を見回したが、遠くまではよく見えなかった。フロアは広く、そのぶん人の数も多いのだ。


「もう……っ」


 待つばかりはじれったい。壁の方まで探しに行こうと身体の向きを変えた。主役にあるまじき行動だがこのまま夜が更けてしまっては困るのだ。コツコツとヒールの音を響かせながら人の波をかき分けた。


「あ……」


 少し移動したところでリーザはすぐに立ち止まる。一人の男が現れて、静かに手のひらを差し出した。いつもと変わらない優美さにリーザは笑みを返した。


「踊っていただけますか、王女殿下」

「先生が相手じゃ緊張しちゃう!」


 頬を膨らませればエドガーは悪戯が成功した子どものように笑う。二人は手を重ね合わせると、どちらからともなくぴたりと寄り添った。タイミングよく新しい曲が始まり、彼のリードに合わせてステップを踏んだ。


 エドガーとはもう何年も一緒に踊っているからか他の誰よりもしっくりとくる足さばきだ。二人は自然と言葉を交わし始めた。


「どうです、楽しんでおられますか?」

「ええ、もちろんよ。先生は?」

「とても。王女のお相手ができましたしね。……それにしても今夜は一段とお美しい」

「相変わらず上手なんだから」


 軽薄な嘘ではない。それが分かるからタチが悪いのだ。リーザはすまし顔を崩すしかなかった。本気で照れてしまうのが妙に悔しくてリーザもお返しとばかりに微笑みかける。


「だけど先生だってとても素敵よ。そうね、時間が許すのならこのままずっと踊っていたいくらい」

「光栄です」

「……もう少し照れてくれてもいいじゃない」

「そんな。十分照れていますよ」


 言葉とは裏腹にエドガーは余裕を醸し出している。「モテる男は違うのね……」と呟けば、聞き取れなかったらしいエドガーは小さく首を傾げた。


「ところで王女」


 鮮やかにターンをきめてから、リーザは「なあに」と返事をする。


「先ほどからあたりを見回しているようですが、どなたかお探しですか? そうですね……例えば密かな想い人、とか」

「は――――?」


 噴き出しそうになるのを寸前で堪えた。ついでに大声を上げかけたのも。リーザは目を白黒させながら呼吸を止めた。ふんわりとした雰囲気に反して彼はとても目敏いのだ。


「な、な、なに、何のこと……⁉」

「焦らなくてもよろしいのに。王女に想われるとは羨ましい」

「お、想われ……!」

「王女は相変わらず純情でいらっしゃるのですね。お顔が赤くなっていますよ。……ああ、そうだ、私でよろしければお手伝いしましょう。先ほど挨拶回りを済ませたので顔ぶれは把握しています。私から手を回しますから、お名前を教えていただけます?」


 エドガーは爽やかな笑みを浮かべていた。堂々と相手の名前を吐かせようとしているが、これが完全な善意なのだから本当に、いっそ何よりもタチが悪かった。


 とは言え彼に頼った方が早いのも事実だから、リーザは声を潜めた。


「だ、誰にも言わない?」

「言いませんとも」

「本当に本当?」

「本当ですとも。今までに私が嘘をついたことがありましたか?」

「いいえ、一度も。ただピアノが上達するっていうのは慰めでしかなかったけれどね!」


 リーザは唇を尖らせたが、その一言が決め手だった。ため息とともに白状する。


「……アリスティ。アリスティド・ディラックはここに来てる?」


 消え入りそうな声で言う。冷静でいようと努力したのに熱が集まってきた。盛大な赤面を隠したいのに両手はエドガーに握られているからどうしようもない。しかしエドガーはからかいもせずに「はい」と頷いた。


「彼なら先ほど話しましたよ。たぶん、今も隅でワインをあおっているかと」

「……アリスティもお酒飲んだりするんだ?」

「彼は割と好きですよ、お酒」

「ええ……? あんまり想像できないけれど」

「城ではあまり飲みませんからね。酔って本を傷つけたら大変だと言っていました」

「それなら何となくわかったわ」


 リーザは苦笑いする。彼らしい理由だった。


 曲が終わって二人は互いに礼をした。いつの間にか周囲に人だかりができていて拍手と称賛が送られる。ただ貴婦人の視線を独り占めにしているのはエドガーだ。あの柔らかな微笑に心を射抜かれた女性は数知れない。向けられた好意に気づいているのかいないのかエドガーは愛想よく笑っていた。


 貴婦人方に睨まれてはたまらない――――リーザが静かに離れようとすると、エドガーが引き留めた。


「このままここにいらっしゃる方がいい」

「どうして?」

「次の曲が始まりますから」

「もう一曲踊るの?」

「相手は私ではありませんが――――」


 含みのある言葉にリーザははっとする。人々のどよめきを聞いて振り向けば真っ直ぐこちらに向かう男がいた。


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