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第13話 口先だけなんて許さない


 屋上を後にしたリーザは速足で図書館を目指した。誰もが忙しなくなるなる夕方だが一人としてすれ違わなかった。そのことに何故かほっとしてしまう。


 図書館の扉の前で一度深呼吸をしてからノックした。しかし扉はなかなか開かない。リーザは不思議に思いながらもう一度叩いてみる。当然のように返事はない。リーザは横髪を耳にかけり、伸びかけの爪に触れたりしながら待った。嫌になるほど焦れったかった。


「……誰だ?」


 ようやく顔を出したアリスティドの声は心なし低かった。


「私よ。近くを通ったからちょっと寄ってみただけ。忙しかった?」

「仕事じゃない。お前が散々言うから安眠に勤しんでいただけだ」


 そう言いながら彼はあくびを漏らした。寝起きだからかうとうととしている。よく見ればいつも肩のあたりでまとめられいる銀髪もほどかれ、あちこちに寝癖が付いている。


「お、起こしちゃった……? ごめんね」

「いや、どうせ起きるつもりだった」


 アリスティドは扉から手を離すと図書館の奥に引っ込んでいった。リーザはその背を見つめるだけで、足を踏み出すのを躊躇していると彼はゆるりと振り返った。


「どうした」

「ううん、何も」


 かぶりを振り、遅れて中に入った。リーザは唇をきゅっと固く閉じる。父王と話してからはここに来ていない。そう長い間ではないのにアリスティドと久しぶりに会ったような気がする。


 アリスティドはいつもの定位置――――窓枠に腰をかけ足を組んだ。髪をゆるく結いながらまたあくびをした。


「あー……そういえば魔術の勉強は進んでいるのか?」

「え?」

「照明魔術はあれでいいとして、次の操作魔術はできるようになったのか?」

「ええっと……まだ、全然」


 突然の問いかけにリーザはもじもじと指をいじった。ここ最近は婚礼の準備で忙しくて魔術どころではなかった。いや、それも都合のいい言い訳だ。試さなかったわけではない、単に上手くいかなかっただけだ。


 要領の得ない説明をしているとアリスティドは飽きてしまったのか小声でぼそぼそと詠唱を始めた。テーブルの方へ手を伸ばして手招きすると、置かれていた栞が浮き上がりアリスティドの手元まで飛んできた。


「すごい!」


 リーザは思わず手を叩く。彼はいとも簡単にやって見せたが、リーザでは少しも動かせなかったのだ。


「詠唱は合っていたのか?」

「合ってる。ちゃんと確認したよ」

「だったら最初は軽いものから試せ。見てやるから、これを動かしてみろ」


 アリスティドは指でつまんだ栞をひらひらさせた。


 彼の授業はいつだって唐突に始まる――――リーザの緊張は一気に高まった。元生徒として情けないところは見せたくなかった。窓枠に置かれた栞をじっと見つめ、彼と同じように詠唱してみせる。最初から最後まで一言一句丁寧に声にする。これで合っているはずだ。なのに栞はピクリともしなかった。


 アリスティドは何も言わずにリーザを眺めていた。「もう一度」の意味だと分かっているから繰り返すが結果は同じだ。


 リーザは恐る恐るアリスティドを見る。

 彼はとてもつまらなさそうだった。


「な、何か言ってよ」

「……これと言って面白いことは起きなかったな」

「ただの暇つぶしだったの⁉」


 リーザは憤慨する。ぐちぐちと文句を続けたがアリスティドは何も聞いていなかった。リーザは逆に感心してしまった――――よくそこまで人の話を流せるものだ。彼は栞をテーブルまで戻すと今度は薄い紙を呼び寄せた。


「冗談だ。まあ大方は想像力不足だな。魔術に頼りすぎだ、あくまで自分の手で持ち上げるような意識でやれ。……物を動かせるようになったら、こういう応用もできる」


 アリスティドは再び詠唱する。途中にいくつか新しい言葉が加えられていた。

すると彼の目の前に浮いていた薄紙は一人でに折られ、形を変えていった。


「蝶だ……」


 リーザはひとり言を漏らす。紙でできた蝶は本物だと主張するようにパタパタと飛び回った。リーザが思わず手を伸ばすと、その手から逃れるように離れ、アリスティドの元へと帰っていった。彼が指を差し出すとそこに止まる。


「やっぱりすごいね、アリスティは」

「この程度、神殿の人間なら誰でもできる」

「素直に褒められていればいいのに」


 蝶はまた羽ばたき図書館の奥へと消えた。リーザも立ち上がるとアリスティドの足元に腰を下ろした。床の埃がドレスについても気にせず、壁にもたれかかり足を抱えた。


 アリスティドはもう何も言い出さなかった。たぶん最初から分かっていたのだろう、とリーザは思う。だからこそ本題に入らなければならない時間だ。リーザは両手を固く握りしめた。


「ねえ、アリスティ。知ってる?」

「何を?」

「私の結婚」


頷くのが気配だけでわかった。


「……知らないはずがない。婚礼の儀はうちが取り持つんだからな。お前こそ、宮廷の所為で向こうが揉めに揉めているのは知っているのか?」


 リーザは「知ってる」と呟く。


「そうか。まったく、こちらはいい迷惑だ」


 今頃、神殿は未曽有の事態でてんやわんやしているに違いない。女官長マレイなど過労で倒れていそうだ――――彼女の苦労を思うと苦々しさが走る。


「……相手はカトリア国の第三皇子なんだけど、私より五つ年上なの。もう肖像画も送られてきたし、私のももうすぐ完成よ」

「そうか。せいぜい美人に仕立ててもらえ」

「なによ、本物だってそう悪くはないでしょ」


 リーザは大げさにため息をつくが彼は何も言わなかった。いつもと同じ沈黙が流れ、ページをめくる音だけが響いていた。


「あのね、とても優しそうな人なの」


 誰にも見られていないのに唇を歪めて笑みを作る。


「ちょっと大人しくて身体を動かすのは苦手だけれど、頭がいいんだって。政治学も、歴史学も得意で、おまけに楽器も上手」

「お前とは正反対だな」

「だよね。でもお互い足りないところを埋めあえていい組み合わせでしょう?」


 リーザは短く息を吸った。


「きっと幸せになれると思うの」


 もう覚悟ならできていた。ウィリアムと話して吹っ切れた。メイには弱音も零してしまったけれど彼女は秘密にしてくれる。決して望まない縁談だがまだやれることは残っているはずだ――――ただの道具で終わるつもりなどない。


 本を読みながら言葉半分に聞いていたアリスティドは鼻で笑った。


「お前は嘘が下手だな」


 その瞬間リーザの呼吸は止まった。


「何を……! そんなわけ!」

「誤魔かすのも下手か。お前の正直さは美徳だが、つまらんな」


 彼は呆れたような声で「覚えておけ」と言う。「お前は嘘を吐くとき、絶対に目を合わせない」


 リーザははっと目を見開いた。そういえば今もアリスティドの方を見ていない。言い返し方も分からず口をつぐむリーザに彼はさらに追い打ちをかけた。


「お前に幸せなどあるわけがないだろう。生まれたときからあの王に利用され、人のため国のためにと死んでいく定めだ。最初から分かっている癖にいちいちとぼけるな、面倒くさい」

「……だから酷いことは言わないでって言ったでしょ。いいじゃない、私だって人間なんだから夢くらい見させてよ」

「甘い妄想の夢か? 悪夢だな、それは」


 アリスティドは冷たく吐き捨てる。

 いつの間にか、視界はじわりとにじんだ。


 時々、自分の行き先が憎くて憎くて呪ってしまいたくなる。それが嫌で誤魔化し続けていたのにアリスティドは容赦なく暴き立てる。リーザの痛みなど知りもしないという顔で。


「そういうところ、嫌いよ……」

「嫌いで結構」


 彼は手にしていた本を置くと指で表紙をなぞった。瞳を閉じて、静かに考えを巡らせる。閉じた窓からは夕日が差し込み、彼の銀髪をオレンジに染め抜いた。横顔のラインが美しく照り輝いた。


 アリスティドは意を決したように瞼を持ち上げ、立ち上がる。リーザは振り返らなかった。顔を伏せたまま無言を貫く。しかしアリスティドが隣に座ったのに気が付くと慌てて反対の方を向いた。今顔を見られては困る。


「なに……アリスティ」


 俯いたまま涙声で問いかけるとアリスティドは鼻を鳴らした。こういう時の彼はろくなことをしない――――それを知っているリーザは肩を揺らすが、何をするにも遅かった。


 アリスティドはリーザの両頬に手を当てると、無理やり自分の方を向かせた。


「む、ぐっ」


 アリスティドと目が合う。ただただ驚いた。何をするのだこの男は、と思った。

頬に熱いものを感じ、とっさにアリスティドの手を掴んで引きはがそうとしたがびくともしない。きつく爪を立てて、それでも離れない。リーザの涙は止まらなかった。


「何よ、何よ、何よ! アリスティの馬鹿!」


 混乱して大声を上げるが、アリスティドはおかしそうに笑うだけだった。


「馬鹿はお前だ。嘘吐きがどんな顔をしているか拝んでおこうかと思ってな」


 リーザは何とか泣き止もうとするがますます止まらなくなってしまう。悲しいやら恥ずかしいやらでもうわけがわからない。真っ赤になった顔でアリスティドを責め立てる。


「そんなの分かってるくせに、最低! これがレディに対しての仕打ち⁉」

「俺は紳士じゃない。知っているだろう」

「だからってこれはないでしょ!?」


 アリスティドはひどく楽しげで、それが癪だった。子どものように怒鳴り散らしても涙は溢れるばかりだ。頭の奥がズキズキした。宝石のような青い目から零れ落ちる大粒の涙でリーザの顔はぐちゃぐちゃだ。決して美しくないそれを真正面から見つめてアリスティドは笑う。


「お前はそんな物分かりのいい女だったか?」

「は……?」

「お前はもっと馬鹿げていて、しぶとくて、図々しかったはずだ。それが面白かったのに今さら王女ぶって何になる?」


 黙っていれば、彼は今も昔も言いたい放題だ。リーザはアリスティドの胸倉をつかんだ。


「意味わかんない! 私、王女だもん!」

「それがどうした」

「好き勝手に生きられないって、私に幸せなんてないって言ったのはアリスティでしょ!」

「だから、それがどうした」

「はあ!?」


 怒りのあまり頭突きでもしようかという勢いにすらアリスティドはひるまない。むしろ黄金の瞳は輝きを増していく。


「お前に人並みの幸せなどない―――――それでも諦めないのがお前だろうが。こんなところで萎れてめそめそ泣いているなどお前らしくもない。いいから最後までみっともなく足掻いてみせろ」


 その言葉を聞いてリーザの全身から力が抜けた。腕がぱたりと落ちて床を鳴らした。


「じゃあ、だったら、アリスティ……」


 すがるように、彼の銀髪を掴む。


「私を助けて。助けてよ。やれることは全部やった。でも自分じゃどうにもできない……。だからアリスティ、あなたが私を助けてよ!」


 どうせ何もしてくれないくせに、口だけ達者なあなたなんて許さないんだから――――。


 泣きながら髪を引っ張り、彼の身体にもたれかかった。胸倉を掴んでいた手を離して背中を軽く殴りつける。力をこめているはずなのに彼は鼻で笑った。そういうところがまた癪だった。


 静かに日が暮れてゆく。それから7日後――――リーザの婚約は破棄された。


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