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第12話 あなたのそれは恋ではない


 階段を上り二人は大きな扉の前に立った。ここを開ければ屋上だ。ウィリアムは少し開け、隙間から様子をうかがった。誰もいないことを確認してから静かに押し開け、リーザもその後ろに続いた。


「さむ……っ」


 冷え切った風にリーザは思わず身震いした。高さがあるからか風はやむことがない。寒さを誤魔化すために身体を動かし始めると、ウィリアムは小さな塔の扉に手をかけた。


「待ってろ、木の剣用意するから」

「え、そんなところにあるの?」

「ここでも鍛錬したりするからな」


 リーザは「ふうん」と呟くが、そういえば塔の中に入った記憶はない。好奇心に駆られてウィリアムの背中を追った。


 身体を滑り込ませると興味の向くままあちらこちらに視線を滑らせた。薄暗くてよく見えないが、武器と防具が一面に並んでいた。部屋の中は埃まみれで汚れているが置かれている物はよく手入れされている。一番近くにあったものに手を伸ばすとウィリアムから「触るな」と注意が飛んできた。


「それ本物だから。怪我するぞ」

「そ、そんなの知ってるよ! それに私そこまで間抜けじゃない!」

「はいはい」

「もう、適当に流さないで!」


 ウィリアムは剣を見繕い終わって外に出る。


「早くしねえとこのまま閉めちまうぞ」

「やだ。待ってよ、ウィリアム」


 からかうような口調にリーザはカラカラと笑った。とは言え本当に閉じ込められたら敵わない。リーザは慌てて外に飛び出した。


「なに焦ってんだよ」

「だって怖いじゃない」

「俺がそんなことするわけないだろ」


 ウィリアムは苦笑いを浮かべながら、塔の扉をしっかり閉めた。


 リーザはウィリアムの背中を見つめる。これがもしアリスティドだったらやりかねない、いや必ずするだろう――――と思ったりもしたがウィリアムの手前、口に出すのはやめておいた。きっと不機嫌にさせる。


二人は開けたところまで並んで歩いた。ウィリアムは「このあたりで」と立ち止まると剣の片方をリーザに持たせた。見た目以上にずっしりとしていて、何の心持もなく抱えたリーザはよろけそうになった。バランスを保とうとするが結局一歩下がってしまう。


「リーザ、いけそうか?」

「大丈夫」


 ウィリアムの不安を拭いとろうと剣を構えてみせる。まともに掲げては腕が持たないので剣先を肩に担ぎ、体力を温存する。ウィリアムは意外そうに首を傾げた。


「あれ、結構上手いな? 構え、すごくいい」

「ちょっとだけかじったんだ」

「……王女様が剣術を?」

「あ、内緒にしてよね! また怒られちゃう」


 ウィリアムは「仕方ないな」と笑い、それからゆっくりと構えた。剣を持つ手を高く上げ顔と並行に突きの形を作る。


 二人の距離は十歩ほど。どちらも動かなかったが、ウィリアムが徴発するような視線を投げかけたのでそれを合図にリーザは一歩踏み出した。


「もう、いいの?」

「いつでも。リーザの好きな時に」


 リーザはまた一歩詰めながらにっと笑う。


「油断してたらやられちゃうかもよ」

「俺は油断なんてしてねえよ。いいからリーザ、打ち込んで来いって」


 ウィリアムは一瞬身体の力を抜いて構えを崩す。それが誘いだと分かっているからリーザは無視できない。ふらっと駆けだした。


 ウィリアムは不敵な笑みを浮かべるだけで動かなかった。リーザは難なく間合いに入り込んだ。最初の一撃はもう決まっている。手首を返して横から殴りかかる。リーザは腕力に自信はないが、それでも遠心力と剣の重みで威力が増し強打となった。ウィリアムはとっさに防御姿勢を取る。反撃がこないからリーザは下から振り上げる。これは軽やかに避けられた。リーザは夢中で間合いを詰め、首元を狙う突きを繰り出した。


「いい感じ、良い感じ」


 ウィリアムは息一つ乱さず捌いてみせる。軽く突き返してリーザを後退させるとまた最初の構えに戻った。わざと隙を見せたりしてリーザに攻撃を促している。相変わらずウィリアムからは動こうとはしなかった。これの意味が分からないほどリーザは鈍くはない。


「ねえ……ウィル」


 リーザは息を切らせながら突撃した。


「私、手加減されるの大嫌いって知ってるでしょ! もう少し上手くやってよ!」


 ただでさえ思い通りにならないことが多くてうんざりしているのにウィリアムにまで遊ばれたくはない。せめて自分には知られないようにしてほしかった。


 柄を強く握りなおし、深く息を吐く。もういい――――後のことはすべて忘れた。リーザは剣を振り上げると脳天めがけて思いきり下ろした。


「っ!」


 ウィリアムはぎょっと目を見開きながらも受け止める。カンッと心地よい音が響いて、二人の両手に痺れるほどの衝撃が走る。思わぬ痛みにリーザは息を呑んだがすぐに剣を引いて脇腹を狙った。


「待て、待てって、リーザ! 手首痛めるから!」


 ウィリアムは身体を逸らせてかわした。


 リーザは攻撃するばかりで何の防御もしていなかった。身体はどこもがら空きだ。もしウィリアムが少しでも本気を見せればすぐに勝負がつく。なのに目もくれずリーザの猛攻をあしらう。リーザの身体を気遣って軽く受け流し、振動も与えない。それがリーザの苛立ちに火をつけると知っていながら何度も繰り返した。


「そっちがその気なら……!」


 リーザは大きく足を踏み出す。ドレスの裾が軽やかに踊る。リーザは無茶苦茶に打ち込んだ。剣術からは程遠い、子どものような太刀筋だ。何も考えなかった。目に映る場所すべてに殴りかかって、避けられれば追って、防がれればもう一度打った。


 ウィリアムは一つずつ冷静に対処するがだんだんと余裕を失っていく。リーザは荒く呼吸しながらもさらなる強打を繰り出した。これもどうせ避けられるのだと思った。しかし予想はあっけなく外れる。


「っ、くそ!」


 ウィリアムは正面から受け止めると、全体重を押し込んで弾き飛ばした。リーザの体勢はあっけないほど簡単に崩れた。身体がのけぞってよろよろと後ろに下がる。


 それだけもう十分だった――――しかしウィリアムは夢中になって追撃する。洗練された鋭い突きが飛んできた。リーザは防御の術を持っていなくて、どうすれば分からずとっさに身体を引く。足がもつれる。支えを失って真後ろに倒れる。


 尻餅をつくリーザの額に剣先がぴたりと突き付けられた。リーザは動けなかった。恐ろしさはなかったけれど驚きでいっぱいだった。


「――――あ」


 ウィリアムは我に返って、声を漏らした。


「ご、ごめん! 怪我は⁉」


 ウィリアムはしゃがみこんでリーザと視線を合わせる。リーザから剣を取り上げると両手を開かせた。こすれて少し赤くなっていた。


「手は大丈夫だな……。腰打ってないか? 手首とか腕とかに違和感は? 痛いところがあるなら言って――――」


 あたふたとするウィリアムの声を遮ったのはリーザの笑い声だった。ぱっと口元を抑えるが、堪えきれなかった声が漏れ出してしまう。困ったように俯いて喉をくつくつ鳴らした。それから諦めて顔を上げ、ウィリアムと目が合うともう我慢できなかった。


「リ、リーザ? 頭か? 頭打ったのか……?」


 目を白黒させる彼をよそに、目に涙を浮かべるほど大笑いし始める。


「あ、ははっ……あははははは!」

「な、なんだよ、リーザ!」

「だって、ウィルが……あはは! すごい!」


 お腹の奥が痛いのに収まらなくて身体をよじらせながら笑った。もう何が面白かったのか分からなくなるほど笑った。頬が引きつってズキズキする。


「あは――――」


それでも笑って、散々笑って、リーザはぽつりと呟いた。


「私、もうすぐ結婚するんだ……」


 空に吸い込まれそうなほど淡々とした声だった。ふっと浮かべた微笑に実感はなかった。たぶんこれが言いたかっただけなのだ――――それなのにずいぶん時間をかけてしまった。


 ウィリアムは立ち上がり「冗談!」と笑い飛ばした。その目は笑っていなくて、リーザの「嘘よ」という言葉を待つように上からじっと見つめる。けれどリーザは黙ったままでウィリアムの笑みは徐々に崩れる。


「嘘だ」

「嘘じゃないよ」

「だったらなんで……」

「お父様が決めたことだから」


 一言口にするたび胸の奥が激しく痛んだ。言わせないでよ、とリーザは力なく笑う。それでもウィリアムはやめなかった。黒い瞳を動揺で揺らしながら必死に問いかけた。


「なんでだよ。お前は結婚できないって聞いたのに、今さらそんなのおかしいだろ。何か変だ。大体あいつのことはどうするんだよ、リーザはあいつのことが――――」

「やめて」


 リーザの瞳が深くまでじっとりと淀んだ。


「やめて、ウィル。やれることはやった後なんだよ。もう無理だって分かっちゃったから、そろそろ受け入れようかなって思ってるの。……どうにかしてほしくて話したわけじゃない、先に言っておきたかっただけだから」

「でも」

「いいから」


 リーザの肩を揺する手をそっと撫で、ゆっくりと外した。


「無駄なんかじゃないよ。私は間違ってると思うけど、それでも無駄じゃない」

「そうじゃなくて!」


 彼はリーザの腕を掴んだ。力加減のないそれにリーザは「痛い」と訴えた。しかし緩められることなく、むしろギリギリと締め上げられるようだった。


 ウィリアムの視線が痛くてリーザは身体をよじって逃れようとする。だが強く引き寄せられて離れられない。思わず顔を上げると、そこには彼の泣き出しそうな両目があった。その悲痛さにリーザは息を呑んだ。


「どうしてウィルがそんな顔するの?」


 優しく問えば、彼の唇が震えた。


「……俺はリーザが幸せじゃなきゃ困る」


 冷たい秋風が彼の黒髪を揺らす。ひどく静かな吐露だった。リーザは理由を聞こうとしてやめた――――そんなもの聞かなくてもわかる。リーザは深く息を吸った。


「だったら私の幸せって何よ」

「あいつと一緒にいること。そんなのリーザが一番よく知ってるだろ」

「うん、そうだよね。分かってる。ちゃんと分かってる。……もう一つだけ聞いていい?」

「なんだよ」

「ウィルは私のこと、今でも好き?」


 彼は面食らってぽかんとした。けれどリーザの真剣さに応えるように穏やかな微笑を浮かべた。春の日差しを思い出させるような優しさでウィリアムは言った。


「愛してる」


 たったそれだけですべてが伝わってしまう。リーザは寂しげに笑った。自分たちは同じだと思っていたけれど、本当は違っているのかもしれない。


 ふとアリスティドの言葉を思い出した。六年前、初めて会った日に彼は言った。「恋は奪うもので、愛は差し出すもの」だと。その通りだった。ウィリアムはリーザの幸せを祈ってくれるのにリーザはきっと、まだ――――。


 妙な悔しさと虚しさを覚えた。リーザは自嘲するようにへらりと笑った。


「ありがとう。嬉しい」


 リーザは背中を向けて歩き出したがウィリアムはついてこなかった。見送りの言葉もなく、二人の距離が開くだけだった。


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