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イメージとしての言語。そして寡黙

「ごちそうさまでした~~」


 相変わらず元気なシホの声が店内に弾ける。おつりを返す老婆も、そんな彼女がかわいいのかニコニコしている。マリコはだんまりだった。


「もー、挨拶できない人はダメなんだよ?」


 世界の断絶線を越え、コンクリートジャングルに戻ってきた二人。


 マリコは道向こうの建物を指さした。


「私は帰ってニタムニ語の勉強するよ☆」


 信号のところで二人は別れた。


 まもなく青に変わる。夏だと言うのに黒いスーツを着たご苦労さんな男達に混ざり、マリコは外苑東通りを渡る。



 昼間の外苑東通りは、ギチギチに詰まっているというほどクルマ通りも多いわけでもなく、とはいえ信号を無視して渡れるほどの勇気はでない程度には切れ目なくクルマが走っている。


 ヒルズやミッドタウンができた当初は、もう少しクルマ通りも多かったのだが、数回のバブル消滅を経て六本木の街はビジネスの中心から外れていった。


 もともと地下鉄しかない六本木は、ビジネスをやるための土地としては不向きなのだ。新宿や渋谷、丸の内や最近ターミナル化が進む品川といった、利便性の高い街にオフィスを構えるほうが現実的である。


 にも関わらず、六本木という街の人気が衰えないのは、その華やかな景気高揚のイメージが、特に地方出身者にとって大きいゆえだろう。


 六本木に本社を構える会社は、地方…特に関西が発祥の会社が多い気がする。リイレントもそうである。社長は関東の出身だが、関西の大学を卒業してそのまま某外資系企業の大阪支社に勤めていた。その後東京本社や地方支社に異動することはあったものの、最終的には最初に勤務した大阪支社にてその会社の社歴を終えた。


 リイレントを起業して1年は大阪にいたものの、仕事の関係から六本木に移動し、半年前に今の本社に移動した。マリコが入社したときは…今のオベリスクと、外苑東通りで線対称となった位置にあるビルに会社はあった。


 その会社の側に20分マッサージの店があった。オーナーはおそらく日本人なんだろうが、従業員は中国人か東南アジアの人ばかりである。


「こんぱんぱー。いらっさいませー」


 見た事のない女性店員がマリコを迎えた。ここは1コースしかないので、来店と同時にお金を払い、施術台でマッサージしてもらう、というシンプルな流れでサービスを受けられる。


 服の上にバスタオルをかけられ、さっそくマッサージが始まる。


 サービスのシンプルさと従業員が日本語での会話ができないという点が、マリコのお気に入りだった。なにしろ、入店からマッサージを受けて店を出るまで、言葉を発する必要がないのだ。そのうえ安い。マッサージはいくらか雑だが、座りっぱなしの身体のコリを和らげるのに十分だ。


 なぜ自分は「話すのがめんどくさい」と思っているのだろう。


 シホに言われるまでもなく、「挨拶できない人はダメ」なんてことは分かっている。だが、マリコはいつも挨拶が「できない」。オフィスにはいると会釈だけして、そのまま席についてしまう。同僚の中には、マリコが「一応」挨拶したなんて気づかない人もいるだろう。むしろ、それが大半かもしれない。


 昔から、他人と話すのが苦手で、そのせいで他人ともうまく関係を構築できなかった。成績は良かった。運動もそこそこできた。だが、無愛想なせいで人間関係はいつもドライだった。シホのように人間関係が苦にならず、人なつっこい「おせっかい」がいないと、友達もできなかった。だから、一人の時間をつぶすための読書とゲームがおのずと趣味になっていった。


 両親が忙しく、小さな頃から家事などをやらされていたせいで、雑務が苦にならず、働く事も嫌いではない性格になった。それがマリコの救いとなった。頼まれた事は断らず、相手の期待以上に仕上げることで、会話が苦手でも頼りにされ、無愛想でも嫌われることはなかったのだ。


 会社の中でも「寡黙(これは無愛想を最大限に美化した表現だろう)だけど頼れるお姉さん」という見られ方をしているのは、自分でもよく分かっていた。おかげで必要以上に話しかけられることもなく、自分のペース、好む環境で仕事ができる。


 周囲にかなり甘やかされているという自覚はあるので、たまに自分で美味しいと思ったお菓子をチームのみんなに配ることもある。もちろん、お礼を言われても言葉は返さない。マリコは仕事とモノを介さないと、うまくコミュニケーションができないと分かっているから、みんなもそれで納得してくれている。


 会話が苦手であることは、マリコのコンプレックスとなり、そして「言語」について考察させるきっかけになった。


 大学は文学部で日本語の言語学と言葉によるコミュニケーションを学んだ。


「自分が今思っていることを、正確に言語化できる人って、本当にいるのかな?」


 ある、学友が言った。


「思考の根本は言語だというけど、私はいつもイメージなんだよね。頭の中にモヤッとしたイメージが浮かんでくるんだよ。例えば、夕飯を決めるときってどう?明確にカレーとか、スパゲティとか決めてない時って、モヤッとした食事のイメージだけ浮かんできたりしない?」


「俺はお店探したりスーパーで食材探ししながら決めていくな」


「そういう時はなおさらだよね。サンプルや食材の色やカタチを見て、今自分の頭の中にある食べたいもののイメージの輪郭を作っていくわけだよね」


「でもさ、料理人とか、料理に詳しい人はもっと具体的なイメージ…例えば脳内で言語化されて、しかも材料まで「言語」もしくはビジュアルでインデックスされている可能性はあるよね」


「考えようとしている事に詳しい知識を持っていると、脳内のイメージが形成される速度って早くなるね。これから「情報」がインターネットで素早くアクセスできる時代になっていくと思うけど、知識の有用性は失われないと思うんだ。少なくとも思考が頭の中で具象化するまでの速度は全然違うと思うから」


「でも、脳内で考えている時は、決して言語は必要ないだろうね。詳しい人のインデックスは、おそらく精通すればするほど名詞ではなくイメージになっていく気がする。その域に達しない時ほど、脳内での言語化は必要になるんじゃないかな」


「脳内のイメージを言語化しないと、少なくとも誰かに思考の内容を話しする事はできないからね。それにしても知識の蓄積があれば、より適格な言葉を選択し、より思考を正確に伝えることができるようになると思う」


「じゃあ、マリコはどうなんだろう? カノジョ物知りだよ。本めちゃくちゃ読むし」


 学友一同が、一斉にマリコの方を見た…。



「おかくさん? おかくさん? おわりましたよ」


 マッサージの最中に、うっかり寝てしまったようだ。


 まだボンヤリする頭のまま施術台を降り、レジでいつもの料金を払って店を出た。

 スマホの時計を見る。昼休み終了まで5分ほど。戻りが遅れるが、特にとがめる人もいない。日陰を選んで、のんびり帰ろうと思った。

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