泥中より咲く蓮の如く
前々から書きたかったネタを、Twitter #魔女集会で会いましょう タグの流行りに乗じて形にしました。
よろしくお願いします。
ゴツ、ゴツ、ゴツ。
重たい音は、黒い厚底ブーツの足から。
視線を上げる。色だけは不健康そうな脚。そして黒い膝丈ズボン。鈍い艶のある黒の上衣。大きく開かれた胸元から覗く、タトゥーに覆われた肌。ゆらゆら揺れる無骨な鉄の鎖は、首にはめた鉄の輪に続く。顔はフードで全く見えない。
異様な風体の、長身の男。
男、だと思う。見上げるような身長に、広い肩幅、筋肉質な胸。こんな女はそうめったにいない、はずだ。
「よぉ、元気にやってるか、新入りのクソ野郎」
低い声に、これは男だと確信した。
同時に、馴れ馴れしさと口の悪さに反応が遅れた。
「……はい?」
「オメーだよ、アホ面。さっさと店主を呼んできなァ」
「いや、でも」
「ロニトスが来たって言えば、すっ飛んでくるぜェ? ……いや、逃げるか?」
シッシッと振られる右手。生白い指の全てに赤黒い指輪がはめられているのが、何となく気になった。
ここは奴隷売場。
街の奥、暗がりにある、恐怖と絶望に満ちた夜の国。
だいたいの住民は存在を知ってはいるが、あえて見向きもせず、近寄りもせず、話題の端にも出さない、黙認された場所。
どれだけ素晴らしい法が遵守されていようと、どれだけ優れた統治者が治めようと、裏町は治外法権。奴隷商や客がルールとなるのだ。
……と、何も知らない人は考えている。
「ろっ、ロニトス、だと!?」
「お知り合いですか、店長?」
「し、ししし知り合いなんて、も、もんじゃ、な、ない! あ、あ、あいつは、あいつは……!」
身を翻し……という言葉は肥えたその身に合わないが、ともかく脱兎のごとく走り出した店長。贅肉がたゆんたゆんと揺れているのはユーモラスで、必死の形相と噛み合わない。
「アハハ、脱兎ってか豚走だなァ! 遁走する豚!」
「ひ、ひぃっ!」
ロニトスが、いつの間にか、店主の行く手に立っていた。
転移魔法でも使ったとしか思えない、突然の出現。
ちらりとフードの影から見えた、乱杭歯を見せて嗤う口。醸し出す不気味さは、悪魔か鬼か、あるいは伝承の魔神か。
「よぉ、元気そうだな、店主殿ォ? ……っとーに、クソ元気だなァ」
「ろっ、ろ、ろ」
「ロニトス様の顔も三度までって言ったよなァ? その耳はお飾りかァ? その頭の中身はどうなってんだァ?」
「ご、ご容赦を! どうか、慈悲を!」
「バッカじゃねーの? 三度までは見逃してやったんだぜ? これ以上見逃すわけが、ねーよッ!」
振るわれた右手。刃物は持っていない。いや、武器らしい武器は見当たらない。だというのに。
ごとり、と店主の首が落ちた。
ピンと指先まで伸びた手は、真っ赤に染まっている。
「手刀……?」
「せいかーい! すごいねー、お前、見込みあるかもねー、なんて?」
左手が首の鎖を手繰り寄せる。鎖の先には鉄の鍵。ただひたすらに実用性のみで、装飾のひとつも施されていない。あんなもの、付いていただろうか。
それを空中に挿して回せば、ガチャリ、と四方八方から音。
「はーい、こんな豚小屋以下の汚部屋はかいさーん!」
「え? え……えっ?」
白い右手が、どこからか巻物を取り出して渡してくる。不健康な白い肌と指輪の赤のコントラストが、気持ち悪い。
「それでも読めや、無知な新入りサン?」
店主は行き過ぎた暴力──性的なものも含む──を奴隷に振るっていた。
死人も出るほどの暴力は長年に及んでおり、今までに三回、“奴隷の神”ロニトスから忠告もされていた。
それでも改めなかった為、処刑に至った。
巻物に書かれていたことと今さっき起こったこと全てを理解した頃には、奴隷の半分は消えていた。
* * *
「帰ったぞ、クソババァ」
どこかの山の、秘された古城。
ゴツゴツと靴音を鳴らしながら、ロニトスが歩いていく。
深く被っていたフードをバサリとおろせば、艶やかな黒髪と黒檀の瞳が魔法の灯りを受ける。
「あらあらー! お帰りなさぁい、かわいい息子ちゃん?」
「気持ち悪いぞ、年増」
「まぁひどい!」
ふわり、ストロベリーブロンドの髪をなびかせて、長身の青年へ飛ぶように駆けていく女性。白磁の繊手、赤く塗られた爪がロニトスの頬に伸び、払われた。
紫水晶の瞳が不機嫌そうに細められる。
「んもう! 育てのお母さんに何て態度なの! 私、こんなに若いのに!」
「旧時代の残り滓がうるせぇな……」
「ひどい! ひどいわぁ!」
「気持ち悪いっつってんだろーがクソババァ」
暴言を吐かれても本気では怒っていない黒衣の女性は、時折出かけてはイタズラを各地で仕掛けまくる魔女。ただしこのイタズラという呼称はあくまでも本人の感性であり、実際は世間一般のイタズラの範疇を超えている。
ちなみに知名度は上から数えた方が圧倒的に早い。被害も同じく。
なお、彼女を本気で怒らせると……とある吟遊詩人いわく「怒りが理由でない無差別破壊でしたら、速攻封印処理されていたでしょう」ということになる。
「今日は奴隷売りの豚さんを屠って来たのよね? こう、手でスッパァンッ! って」
無邪気な声で自分の首を手で斬る動作をしてみせる女性。言い方は若い娘のようだが、内容が悪名高き魔女だ。
「クソほど太った豚だったな」
「あらあら、それは嫌ね! 口直しでも食べる?」
「クソ野郎なんざ食ってねーよ、魔神ババァと一緒にすんな」
「魔神って呼ぶな! 魔女って呼びなさーい!」
「魔女ってより魔神だろ、名実ともにさァ」
「あ、リンゴのタルト食べる?」
「昔の俺はともかく、今の俺に食事は不要だっつーの」
「えぇー! 美味しいのにぃ……」
「……食わないとは言ってねーよ」
ロニトスはかつて、名も無き奴隷の子どもだった。
黒い髪、黒い瞳の奴隷は珍しい。そんなことを言われた記憶が、微かにある。
奴隷商の馬車に詰め込まれ、暗くて臭くて不潔で、お腹を空かせて、彼はそれでも絶望していなかった。
絶対に逃げ出してやる。復讐してやる。
そんな彼は、気がつけば吹き飛ばされていた。
「奴隷商も悪い子だけどぉ、奴隷になる子もその程度なのよぉ?」
平然とのたまう黒衣の女性が何かをしたと理解するまでに、しばらく時間がかかった。
彼女が、奴隷も奴隷商もまとめて、馬車ごと爆破したのだ。
「あらっ? あらあら! 生き残りがいるわ! うーん、怨念たっぷりのステキな目ね! 有望じゃなーい?」
奇跡的に五体満足で助かった彼は、復讐相手を殺戮した魔神に拾われ、ロニトスと名付けられた。
魔神。そう、魔神だ。力を持ちすぎて、神の領域に足を踏み込んだ存在。強大な力を、自らの享楽の為だけに振るう存在。
あまりにも行き過ぎた魔神は荒神として封印されるらしい。つまり、彼女はこれでもマシな方だったのだろう、とロニトスは思う。自分が育つまでは、基本的に奴隷関連にしか力を行使しなかったのだし。
結局彼は、魔神の眷族になり、彼女に言われるまま……というわけでもないが、奴隷を、奴隷商を殺し、ときには助け、気がつけば奴隷の神として成立する程度には信仰を集めていた。
裏町に、法律は通用しない。
奴隷達に人権などない。
しかし彼らには神がいる。
それが、“奴隷の神”ロニトス。
彼は奴隷を救わない。生ける法でしかない。
行き過ぎた暴力は警告し、止まらなければ制裁。
聞き分けのない者には事実を突きつける。
危険の多い奴隷界隈の抑止力。
ロニトス。魔女に育てられた神。
泥の中から掬い上げられた者。
その事実を知るのは、現世から離れた者のみである。
ちなみに魔女が奴隷の女神とならなかった理由だが。
「えー? だって嫌じゃなーい? 奴隷の女神ってさー、慈愛に満ちたやっさしーカミサマみたいじゃなーい?」
「クソババァめ」
ロニトスが動くのは、魔女が動くと大変なことが起きるということと、世間の裏側なので魔神という強者とはいえ何だかんだ危険だから、という理由があったりします。
素敵なタグの発案者さん、ありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。