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(*⁰▿⁰*)

作者: てこ/ひかり

 昔から、映画やドラマを見ても笑ったり泣いたりすることが少なかった。

 子供の頃から、自分が「面白いと思うか、面白くないと思うか」よりも、「面白いと思っていい”場面”か否か」の方が大事だった。毎晩テレビ画面の前に家族で横並びになって、両親が笑っている時に、私も笑った。両親が怒っている時には、私はただただ二人の顔色を伺い、無表情でその時が過ぎ去るのを待っていた。そんなだから、昔から私には感情が乏しかった。


 木枯らしの吹き荒れる十一月の夕暮れ。丸二年付き合った彼に、別れ話を告げられた。足元に降り積もる紅葉の上で、私はやっぱり涙を流せずにいた。遠くの方に見えるアスレチックでは、子供達が盛んに明るい声をあげ追いかけっこをしている。私は黙って彼の背中を見送った後、朽ちてきたベンチに腰掛けしばらく曇天の空を見上げて過ごした。


 どうして泣けないんだろう?

 そんな在り来たりなポップミュージックの歌詞みたいなことを真剣に考えていると、スマホに知らない相手からメッセージが届いているのに気がついた。誰が調べているのか知らないが、たまに私みたいな大した個人でも無い人間の個人情報を調べ上げ、せっせとメッセージを投げ込んでくる企業もいる。すぐ削除しようとすると、ふと悪徳業者の文面が目に飛び込んできた。


【感情課金ガチャ】


「…………?」


 私は思わず眉を顰めた。何とも意味の良く分からない造語である。『感情課金ガチャ』? 馬鹿馬鹿しい、と思いつつも、私の指先はそのメッセージに添えられたリンク先へと自然と伸びて行く。……どうせこのまま味気ない曇り空を眺めていてもしょうがないから、暇つぶしにでも。そんな軽い気持ちだった。


『【ようこそ感情課金ガチャへ!】


 最近、心から笑ってますか?

 思う存分、泣けていますか?

 

 立場や年齢を気にして、上手く笑えなくなった、泣けなくなったと思っているそこの貴方!

 自分の『感情』を金で買えるとしたら、どうしますか? 当社では本日限り無料で……』


 

 ……そこまで読んで、私はメッセージを閉じた。やっぱり意味不明だ。詐欺の匂いがプンプンする。というより、ここまで見え見えの詐欺もあったもんじゃ無い。こんな手口に誰が引っかかるというのだろう。久しぶりに、私は乾いた笑いを漏らした。私はベンチから腰を上げた。遠くの方で、子供達の笑い声が背中を追いかけてきた。


 次の日。驚くべきことが起こった。

 枕が濡れている。一体何事か、と朝から私はパニックに陥った。天井の水漏れか、それとも何か新種の病気だろうか。一頻り騒いだ後、自分が涙を流していることに気がついた。私は再びパニックに陥った。


 ここ数年、いや十年以上、欠伸等の生理的理由以外で私の眼球に水滴が触れたことがない。まさか、寝ている間に自然と泣いていたということだろうか。あり得ない。だとしたら原因は一体何だ? 彼氏と別れたから? いや、それはますますあり得ない。


「!」


 私はふと気がついて、急いでベッドから飛び降り充電中だったスマホのメッセージ画面を開いた。【感情課金ガチャ】……私が涙を流すとしたら、これしか考えられない。


【おめでとうございます! 初回限定ガチャとして、『悲しい』三十日分プレゼントです!】


 ……相変わらず意味不明だが、案の定メッセージにはそんな文面が滲んで浮かんで見えた。

 間違いない、私はこの謎の悪徳業者によって、金の力で泣かされてしまったのだ。




 それからというもの、私は事あるごとに【ガチャ】を回した。

 元々感情表現が苦手だったので、上司の前ですら愛想笑いの作れない私にとって、これは天の恵みだった。


 【楽しい】    ……一分間百円

 【少し悲しい】  ……一分間五十円

 【とても嬉しい】 ……一分間三百円

 【死ぬほど苦しい】……一分間五百円

 

 大体お値段はこんな感じだった。表現があやふやすぎて怪しさ満点だったが、私は【少し】と【とても】を使い分け、おかげで前より【楽しい】毎日を過ごすことができた。お得意様の接待の席で、新しい彼氏の横の席で、一年ぶりに帰った実家の夕食の席で、私は重課金者と化した。今までのぎこちない引きつり笑いが嘘のようだ。私は泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑えるようになった。正直に言うと、課金万歳だ。金の力を借りて、とうとう自分の感情を操ることができるようになったのだ。




「ちょっと、周防さん?」


 違う部署のお局様に呼び出されたのは、そんな折だった。彼女は狭い給湯室の中で電気もつけずに、『この世のどんな悪人よりも貴女のことが気に入らない』とでも言いたげに、私の目と鼻の先で唇を尖らせた。


「どういうこと?」

「はい?」

「さっきのは、笑う場面じゃないでしょう。時と場所を考えなさいよ」

「すいません」

「だから! その笑顔! やめろって言ってんでしょ!」


 私はにこやかな笑みを浮かべたまま頭を下げた。彼女は苦々しげに毒を吐き散らし、自販機の側面を思いっきり手で引っ叩きながら給湯室を出て行った。彼女が私の所属する営業二課の主任を寵愛していることは知っていた。だけど、私にはどうすることも出来ない。もう一週間分の【死ぬほど楽しい】を先取りしているのだから。彼女がイラついていることが何だか楽しいことに思えて、私は危うく自分の机に戻る時スキップしそうになったくらいだ。【死ぬほど】は、やりすぎだった。二十四時間、楽しさが消えない。それどころか、どんどん強くなっていくみたいだ。二、三日前から、笑い声が止まらない。私は反省した。楽しく反省した。



 それから約一週間後。父が倒れた。

 不幸は突然やってくる。その言葉を実感しながらも、私は冷や汗が止まらなかった。



 【今】は、不味い。まだ【死ぬほど楽しい】が、残ったままだ。会社から飛び出し、笑顔でタクシーに飛び乗りながら、私は慌てて【死ぬほど悲しい】や【死ぬほど苦しい】ボタンを楽しく連打した。不味い。父が倒れたことが、楽しいだなんて。今は、そんな場面ではない筈だ。


「早くしてよ! もう!」


 私は笑顔で叫んだ。病院が近づくにつれ、私の笑顔はさらに深まって行った。運転手がバックミラー越しに、怪訝そうに私の顔を覗き込んだ。それもそうだ。車内は、私の甲高い笑い声で包まれている。私の指先はさらに素早く動いた。早く、早く【楽しい】を終わらせなくては。


 私の焦りも虚しく、タクシーは父を運び込んだ病院へと辿り着いた。その時、奇しくも私のスマホが鳴った。母からだった。勿論、一刻を争う……出ないわけには行かなかった。私は恐る恐る、通話ボタンを押した。



 正直に言う。私はその時……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アイデアが実に面白かったです。 ストーリーもアイデアを生かす形でとても良かったです
2017/12/01 07:01 退会済み
管理
[一言] 感情表現の超苦手な彼女のため、結末は”ギリギリで、 とても悲しい が間に合った”にしたいですねw
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