目ぐるめく、異世界グルメの世界
両親が事故で早世し、俺に残ったのは料理の腕と駅前の小さな食堂、そしてペットの猫だった。
それ以降店を一人と一匹で切り盛りしてきたが、味の良さと立地条件のお陰で客足が途絶えたことはない。
しかし一等地という立地条件が逆にあだとなってしまったらしい。
地上げを断り続けていたある日、ヤクザのトラックが店に突っ込んできたのだ。
轢き潰された俺は、こうして異世界に来た。
見たことも無い世界。見たことも無い人々。
そして見たことも無い食材。料理人の血が燃える。
結局この世界でも、俺がやることは一つだった。
~食堂街エリア中央広場~
「ねえねえ、お兄さん・・・」
箱が呼びかける。
「どうしたハコ」
「まだ来ないの?」
「待ち合わせの時間までもう少しだ」
騎士は大通りから視線を動かさずに応えた。
二人がたたずむ食堂街エリアは、文字通り多くの食堂が立ち並んでいる。
グルメ系ラノベの流行によって料理人設定の主人公が増えたため、商店街エリアから独立新設された区画だ。
主人公、NPCに関わらず多くの人が行き交うほど街は活気に溢れているが、待ち合わせの人物はまだ姿を見せていない。
「ううう。 早く来ないかなあ。 わたしおなかが空いて死にそうだよう」
「朝飯を抜いたからだろう。 自業自得だ」
「そんなこと言ったって主人公の店でご飯食べるのなんて初めてなんだもん」
「ああ、そう言えばお前はこの手の仕事をやったことがなかったな」
「どんな料理が出るんだろう。 楽しみだねえ、お兄さん」
箱は夢見るように空を見上げると、穴があくほど目を通したはずの依頼票にまた目を落す。
内容:食堂の来店客
職場:食堂街エリア
時間:半日
報酬:二万GP
特記:指名派遣
このラノベリオン世界において、主人公が選ぶことのできる設定は多岐に渡る。
その多くは冒険者としてフィールドやダンジョンに向かうのだが、中には鍛冶師や錬金術師、道具屋などを選択するものも一定数存在している。
いわゆるクラフター系主人公。NPCに対しサービスを提供して商売を試みる連中だ。
そうなると必須となるのが、彼らと売買取引をしたり、武器防具の製造を依頼する客の存在。
こうして客役を演じることが、NPCにとって重要な仕事の一つとなった。
「ご飯食べてお金貰えるなんて、ホント夢みたいだね」
「まあ、そうだな」
「でもNPC派遣センターにはこんないい依頼って、貼ってたことないよねえ」
「通常この手の依頼は正規NPCが担当する。 俺たち派遣には回ってこない」
「ええっ!? 何それ、ずるいよ!」
「客役と言うのは列記とした技能職だ。 仕方がない」
クラフター系主人公の物語、特にグルメ系のそれにおいて”客”というのはもう一人の主役と言っても過言ではない。
客の背負う毎度毎度の設定が、代わり映えの難しいクラフター系物語の中核を担うのだ。
そしてその客が好評であれば準レギュラー、いわゆる”常連客”にランクアップして出演続投となる可能性も高い。
そんな重要な職務ともなれば、専門技術と知識を身に付けた正規NPCに優先的に回されるのも当然のことである。
「じゃあなんでお兄さん、この依頼は受けられたの?」
「依頼票を見ろ。 指名派遣と言ってな・・・」
「おお、モブイチはんやないか。 待たせたかいなあ」
箱の疑問に騎士が答えているところに、一人の男が声をかけて来た。
煌びやかな刺繍と装飾が施された豪奢な服装を身にまとう小太りの男だ。
細い目としもぶくれの顔には、人懐こそうな笑顔が張り付いている。
騎士は説明を中断すると、かつての自分の名を呼んだその男に会釈した。
「ヒデマロ殿。 本日の指名依頼、感謝する」
「頭なんか下げんでええがな。 わいとモブイチはんの仲やないか」
「それと無理な願いを聞いて頂き申し訳ない」
「かまへんかまへん。 それでその娘が例のハコちゃんかいな」
小太り男の視線が、しげしげと箱に向けられる。
どうやら笑顔を崩しても細い目としもぶくれは直らないようだ。
「お兄さん、このおじさんは? 主人公じゃないよね」
「正規NPCのヒデマロ殿。 今回の依頼主だ」
ヒデマロと呼ばれたその男。
貴族のような衣装を身に付けているが、これは仕事着のようなもの。
多様な客役の中でも食レポに特化した専門職の正規NPCである。
特にグルメ系主人公の店を訪れてはその美味さに驚愕する貴族役において、彼の右に出る者はいない。
そして今回とある店を訪れるに際して、護衛役として騎士を指名したのもまた彼であった。
「へえ~。 見た目は悪い貴族なのに、おじさん凄いんだね!」
「おいハコ。 失礼だ」
「メシ食うて美味い美味い言うだけでGP貰っとるんや。 悪い貴族で違いあらへん」
ヒデマロはそういってナハハと笑う。
どんな凡庸な料理でも褒めたたえ、笑顔で口にする職人の度量の大きさというものだろう。
ひとしきり笑うと、彼は懐から一枚の紙を取り出した。
「ほな、早速打ち合わせに入ろか。 今から行くのはこの店や」
ベンチに広げられたそれは、今回の依頼に関する筋書と設定資料。
いわゆる台本であった。
それによると本日訪問するのは「くろねこ食堂」という名の店らしい。
鹿狩りの帰りに腹を減らした貴族がたまたま店を訪れ、出された料理の美味さに驚愕するというあらすじだ。
どこかで見たというよりは、どこでも見られるグルメラノベの定番パターンである。
「くろねこ食堂。 聞いたことのない店だ。 ハコは知っているか?」
「ううん、知らないよ。 グルメ系は結構読んでるんだけどねー」
聞き覚えの無い店名に騎士は尋ねるが、箱も同じらしく首を横に振った。
主人公の数だけ存在する物語の中でも、グルメ系を目敏くチェックしては涎をすすりながら愛読している箱も知らないとは。
「ラノベリオンに来てまだ間もない主人公や。 PVも伸びとらん」
「新規か。 それでよくヒデマロ殿クラスのNPCを呼べたな。 課金でもしたのか」
「ちゃうちゃう。 ガチャでイベントチケット当てたらしいわ」
「なるほど。 それを使ってPVを伸ばす腹積もりか」
「貴族来店ネタは異世界グルメの鉄板ネタやからなあ」
ラノベリオン世界において、主人公をもてなす為に存在するNPCという存在。
ヒロイン役からモブキャラ、果ては意志ある魔物まで多種多様だが、その数にはもちろん限りがある。
その中でも王族や貴族と言った物語のキーパーソンに成りうるNPCは常に需要が高い。
当然ながらその価値も高まり、物語に登場させようとするとそれなりの対価が求められることになる。
一般的には莫大なゲーム内通貨GPを消費するか、課金通貨であるRPを使うか。
今回はGPガチャで低確率で手に入るイベント発生アイテムを使用したらしい。
「基本的にしゃべるのはわいだけや。 モブイチはんはいつも通り頼むわ」
「了解した」
騎士にとっては過去に何度か経験し、実績を残した仕事だ。
ヒデマロとの打ち合わせも”いつも通り”で事足りる。
今回の台本も、貴族に対し相槌をうつ、見たことも無い料理に驚く、護衛そっちのけで食べ続ける、というお決まりの仕事をこなすだけのようだ。
そもそも出された料理が美味かろうが不味かろうが文字通りの鉄仮面で黙々と口に運ぶその食べっぷりに、ヒデマロが目を付けたのが二人の付き合いの始まりであった。
「ねえねえ! おじさん。 わたしは? わたしはどんな役?」
「ハコちゃんの役は、貴族のペットのパンサーキャットやな」
パンサーキャット。
ラノベリオン世界において自動制御で動くネコ型モンスターの一種である。
「ええっ!? なんでわたしモンスターの役なの!? 人の役がいいよ!」
「お前はそもそもモンスター娘だろう。 ハコでもネコで大して変わらん」
「あんまりだよ、お兄さん! ひどいよ!」
まさかのモンスター役抜擢に抗議する箱。しかしこれは身から出た錆というもの。
この仕事は当初、ヒデマロと騎士の二人で店を訪問する予定であった。
しかしグルメ系主人公の店を訪れることを知った箱が、どうしても付いていくと駄々をこねて聞かない。
仕方なくヒデマロに相談したところ、人は増やせないがペットのネコ型モンスターなら捻じ込めるということでこの配役となったのだ。
「でもわたしとパンサーキャットじゃあ、見た目が全然違うじゃん。 無理があるよ!」
「同じモンスター属性なら大した問題にならない」
「どうしてさ!?」
「俺たち端役は、挿絵に描かれることなどないからだ」
なおも喰い付く箱をたしなめる。
騎士たちは所詮、ノベライズされた文章の隅に語られる端役である。
一定間隔で挟まれる挿絵にも登場しないので、容姿など求められてはいない。
今回の場合であれば、貴族のペットらしき魔獣が入店し、相伴を預かっては時折にでも鳴けばそれで十分なのだ。
ましてや元々は予定されていなかった役ともなれば。
「それに、頂いた仕事に無理を言ったのは俺たちだ。 嫌なら帰るか?」
「ううう・・。 わかったよう。 でもわたしにもなにか食べさせてね?」
「ハコちゃん、まかしとき。 わいがなんか食べるもん注文したるわ」
「おじさん良い人だね! 大好き!」
箱の顔がぱあっと華やぐ。
どうやら愚図った理由は、モンスターとして入店すると料理にありつけないかもしれないという危機感によるものらしい。
こうした一悶着もあったが、打ち合わせは比較的短時間で終わった。
今回の職場となる食堂は、この広場から通りを三本超えた場所。歩いて十分ほどだ。
騎士たちにとっては、やって来た道を引き返す道程であった。
「うえええ・・・。 また歩くんだね・・・」
「文句が多い。 いいからいくぞ」
「ねえ、これなら店の前で待ち合わせでよかったじゃん」
とっくに腹を空かせきった箱が恨み言をこぼす。
先を行くヒデマロが振り返ると、苦笑いを浮かべながら答えた。
「それがあかんのや。 あいつら普段はずっと店に引き籠っとるくせにな」
「ふんふん」
「思い出したようにいきなり玄関開けて、天気とか季節の話をしよるんや」
そう言って空を見上げるヒデマロ。
やっぱり細い目としもぶくれは張り付いたままだった。
~食堂街エリア「くろねこ食堂」~
グルメ系主人公の店が軒を連ねる食堂街エリア。
その一角にある目的の店は、何の変哲もない店構えだった。
両隣に立つ食堂と違いは暖簾に書かれた「くろねこ」の屋号のみ。
瓦葺と漆喰壁の和風建築、または洒落た煉瓦のレストランに改築するにも各種ポイントが必要となる。
「ほう、なかなか小奇麗な店ではないか。 ここで飯にするとしよう」
ガラガラと硝子戸の玄関を開けて、ヒデマロが店内に入る。
口調を威厳ある標準語に変え、姿勢も貴族らしく胸を張ったものになっていた。
やはり一角の役者はさしたるもの。先ほどまでの人懐こい笑顔など見る影もない。
店内に他の客が客がいないのは事前の調整通りだ。
独りカウンター席を拭き掃除していた女性店員が笑顔で対応を返した。
「いらっしゃいにゃあ。 お好きな席へどうぞだにゃあ」
白黒のメイド服と、ホワイトブリムの向こうから覗かせる猫耳。
主人公が飼っていた猫が転生した少女、という名目で働いている仲間NPCである。
彼女はヒデマロに続き入店した騎士と箱に対しても、屈託のない愛想を振り巻いた。
ヒロイン役ともなれば運営から定期的に支払われるGPも高額であろう。
来客に深々と頭を下げるこの女性店員も、日雇いの騎士に比べずっと安定した生活を送っているに違いない。
「大将、お客さんだにゃあ」
「おう、いらっしゃい」
猫耳メイドに呼ばれ、厨房の奥から黒髪の青年が顔を出した。
腰にエプロンを、頭にバンダナを巻いた料理人設定の主人公だ。
猫耳メイドに比べ、特筆すべき特徴が無いのがいかにも主人公然としている。
「ずいぶん若い店主だな。 まあいい。 腹が減っている。 早く出来る料理を頼む」
「じゃあコロッケ定食でいいか? ちょうど仕込みが終わったところだ」
「聞いたことのない料理だが構わん。 庶民の店になど味は期待しておらんからな」
「騙されたと思って食ってみなよ。 驚くからさ」
後々のカタルシスを演出するため、まずは嫌味を一つ二つ。
定番のやり取りを済ますと、ヒデマロはどかりとカウンター席に腰を下ろした。
いかにも横柄ないけ好かない貴族的物言いだが、その頭の中ではコロッケに関する知識が総動員されている。
使われる食材に調理法、料理の起源からちょっとしたウンチクまで。
果たしてどのようなコロッケが出てきて、どのように驚くか。どのような質問を繰り出すか。
そしてどのように褒めるか。
食レポ特化型NPCとしての矜持が、脳細胞を駆り立てる。
目の前で油に火をかけ始めた主人公は、大事な大事な客なのだから。
「おい、お前たちも座らんか」
「はっ」
「ぐるるう」
主人公を持て成すなら、料理が出来るその間も待ちぼうけている訳にはいかない。
前振りに前振りを重ねて、このエピソードを盛り上げなければ。
ヒデマロの呼び掛けで傍に控えていた騎士が隣のカウンターに座る。
ちなみに箱はネコ型モンスター役なので、「ぐるるう」としか喋らせてもらえない。
「にゃあ」ではヒロインの猫耳メイドと紛らわしいので却下された。
「それにしても変わった店だ。 このワシが知らぬメニューばかりとは」
「まことに」
「ぐるるう」
会話を折り混ぜながらもヒデマロは主人公の動向を伺う。
まずは揚げ物料理における定石。
ジュワっとコロッケが揚がるその音を聞き、油の質と贅沢な使用量に驚嘆する掴みの一手。
そのタイミングを計るべく意識を集中するヒデマロの耳に、箱の鳴き声が聞こえて来た。
「ぐるるう、ぐるるううう」
「ん? おお、忘れておった。 店主よ、ワシのペットにも食い物を出してくれ」
ネコ型モンスター役ということで椅子にも座れない。
床から見上げる箱の、その恨みと涙の交じった眼差しにヒデマロは慌てて注文を追加する。
もちろん猫耳メイドが働くこの店であれば、話の盛り上がりにつながるかも知れないという目論見あってのことなのだが。
「ずいぶんでかいネコだな。 お客さんもネコ好きか。 ネコは可愛いよなあ」
「もう、大将ったら照れるにゃあ」
「ち、違うって! いや、違わないけど」
猫耳メイドがポッと赤らんだ顔をお盆で隠す。
そして客そっちのけで始まる、主人公とヒロインNPCのノロケ展開。
どうやらネコ型モンスター役を追加したヒデマロの目論見は、功を奏したようだ。
ヒロインの可愛さアピールへとつながったこの流れは、運営から高評価されるに違いない。
追加報酬の加算額に思わず緩む頬を、ヒデマロはすぐさま引き締める。
まだまだ仕事は始まったばかり。これからどう転ぶか解らない。
「それでええと。 その猫が食えそうなものあったかなあ・・・」
「大将、あれがあるにゃあ。 わたし用だったやつがにゃあ」
「ああ、あれか。 まだ結構残ってたな」
「わたしが用意しますにゃあ」
思わぬ珍客に何を出すべきか思案する主人公に、猫耳メイドが助言をする。
なにやら思いつくものがあったらしく、尻尾を振りながら店の奥へと入っていった。
それと入れ替わるように、主人公がカウンター席の二人に皿を差し出す。
ノロケながらも料理はちゃんと進めていたらしい。
「へい、コロッケ定食お待ち!」
「ふむ。 どのようなものか見てやろう」
皿の上には変哲の無いコロッケとキャベツの千切りが鎮座している。
それに併せヒデマロにはパン、騎士にはライスの皿が副えられた。
話の幅を広げるために、敢えて別のものを注文した結果だ。
「これは・・・、見たことも無い料理だな・・・」
「はっ」
「まあ見てくれはどうとでもなる。 では、食ってみるとしよう」
「御意」
ヒデマロに促され、騎士はナイフでコロッケを切り分けると口へと運ぶ。
サクッとしたころもの歯ごたえと、ホクホクとした熱さ。
その熱を破って、ジャガイモとニンニクで味付けされたひき肉の味が口内に広がる。
それは見た目通り、普通のコロッケであった。
過去に訪れた主人公の店でも、大体似たような味だったと記憶している。
恐らく”コロッケの作り方”でネット検索すれば、一番上にでも出てくるのだろう。
昨今の異世界グルメブームに乗っただけの料理初心者らしい主人公相手にどう動くか。
騎士は無言で食事を続けながら、隣のヒデマロを伺う。
「これは男爵イモか。 まさかこのような料理になるとは・・・」
「はっ」
「イモを一度潰してから形を整えるなど、誰が考えようか」
「まさしく」
「しかもこの歯触り。 よほど良質の油に泳がせて揚げたと見える」
さすが本職、ヒデマロが大げさな物言いでコロッケという料理を褒めたたえた。
しかしよくよく聞けばその内容は、目の前のコロッケではなくコロッケと言う料理全てに当てはまるものだ。
料理全般に造詣の深い男の知識をもってしても、目の前のものは特に褒めるべきところが見つからなかったらしい。
また恐らくは料理の素人である主人公に対し、無理に細かい点を褒めても伝わらないと判断したのだろう。
これぞ正に職人魂というべきか。客に対する細かな心遣いに唸りながらも、騎士は賛辞を並べるヒデマロに相槌を打ち続けた。
そんな騎士の足元に箱がすがりつくと、小声で囁きかけて来た。
「ねえねえ、お兄さん。 美味しい? 美味しい? わたしにも一口ちょうだい」
独りお預けを喰らって待ちかねたのだろう。
生憎と猫耳メイドはまだ店の奥から帰ってこない。
箱の目に浮かぶ泪滴も幾分大きくなっている。
主人公が店の奥に向かったのを確認すると、騎士も小声で返した。
「普通のコロッケだ。 いつもの地下食堂の方がまだ美味い」
「それでもいいから一口ぃ。 これじゃあ生殺しだよう」
「安心しろ。 お前の分が来たようだ」
その騎士の言葉通り、店の奥から足音が聞こえる。
主人公に連れられて、猫耳メイドがようやく返って来たのだ。
「悪い悪い。 こいつが缶詰を開けられなくてさ」
「ごめんなさいにゃあ。 にゃんこの手じゃあプルトップは難しいにゃあ」
申し訳なさそうに猫耳メイドが頭を下げる。
その手には円錐台の中央が凹んだような、妙な形の容器。
そしてその容器の中には、肉を一度潰してから形を整えたような物体が乗っていた。
強いて言うなら、焼く前のハンバーグだろうか。
「なんだそのみすぼらしい肉塊は。 ワシのペットにそんなものを食わす気か?」
「まあいっぺん食べさせてみなよ」
「そうですにゃあ。 めちゃくちゃ美味しいにゃあ」
相変わらず嫌味な貴族を演じるヒデマロの言葉に主人公と猫耳メイドが答える。
それを余所に、箱は待ちきれずに目の前に置かれた肉塊に飛び付いた。
~NPC派遣センター地下食堂~
「ねえねえお兄さん。 これも食べて良い?」
「昼にあれほど食ったくせに良く食えるな?」
あの後、肉塊のあまりの美味さに箱は即座に完食し、さらに店にあった全ての在庫を平らげた。
そして満腹で動けず、騎士が背負って店を後にしたというのに。
食堂街エリアから帰還してからまだそれほど時間は経っていない。
あれだけの量の肉塊は、箱の中のどこに消えてしまったのだろうかと騎士は呆れる。
「もう! その話はしないでよ! お兄さんのバカ!」
すっかり凹んだお腹の代わりとばかりに、ぷくーっと頬を膨らます。
箱としては思い出したくも無い恥辱の記憶だ。
ペット役の異常な喰いっぷりに、ヒデマロが主人公に尋ねた。
この肉塊は何なのか、と。
返ってきた答えは、「ネコマッシグラ」とか言う聞いたことも無い料理名。
更に詳しく聞いたところによると、人の料理ではなく猫のエサだという。
一応は中世ヨーロッパをモチーフとしているラノベリオン世界の住人にとって、近代になって開発された”ペットフード”という存在は盲点であったのだ。
「ほんと、失礼だよね! 客にネコのエサ出すなんてさ!」
「いや。 お前はネコ魔獣の役だったんだから筋は通っているが」
「そういう問題じゃないよ! あんなベチャベチャの生肉なんか出してあんまりだよ!」
「口元もベチャベチャにして、美味い美味いって食ってたじゃないか」
「だから! その話はしないでよ! お兄さんのバカ!」
それからの展開は早かった。
美食家のプライドが邪魔して、貴族は目の前の素晴らしい料理を認められない。
しかし同じく舌が肥えているはずのペットが一心不乱に料理を食べるのを見て、美食に必要なことは”偽らざる心”であることを思い出す。
ついに素直になった貴族は、最大の敬意を持って若き料理人を褒めたたえるのであった。
というような方向でヒデマロが即興でまとめた展開は、運営NPCに高く評価された。
特にファインプレーだったのが、おまけとして連れて行った箱の喰いっぷりであり、予定以上の追加報酬が出ることとなった。
こうして懐の温まった二人は、口直しも含めて馴染みの食堂を訪れたのだ。
飲み干したジョッキをテーブルに置くと、悪態を付く箱に対して騎士は言った。
「バカになっているのはお前の舌だろう。 妙な味がすれば普通は気付く」
あの貴族のおっさんが来てからというもの、少し客足が増えた。
と言ってもやってくるのは猫耳を生やした獣人族か、ネコ型モンスターを連れた客がほとんどだ。
こうして「ネコマッシグラ」は一躍、くろねこ食堂の人気メニューとなった。
いや、喜んでいる場合じゃない。不本意だ。
もっともっと料理の腕を磨かなければ。
固く決意すると、俺はさっそく明日の準備に取り掛かった。
そう言えば米とぎ用の洗剤が残り少なくなっていたっけ。