夢現、そして漸く目覚め
月面というのは紛れもなく宇宙空間であり、その場に空気はない、なので振動によって伝わる音というものは存在し得ないのだが、ここは生憎彼彼女らの精神空間、意外となんでもありなのだ。
「ピッピッピ!」
「ぬりゃああああ!」
「はーい後5周だよー?」
「・・・(頑張って!主人!)」
笛の音が鳴り響き、全速力で走るヒミツ、今彼らがやっているのが鍛錬、もっと言えば器の強化である。
しかし、そのやり方は極めて単純で極めて難しい、まず、常人なら精神が肉体から長期間、例えば一ヶ月ほど離れれば当然死んでしまう。
しかし、そこをヒミツはタヌキチとこの世界での協力者、そして何より加護で解決している。
先ず、前提として彼の肉体は誰のものなのかという話がある。
話では彼は、死んだ次の瞬間目を開けたら体の自由が聞かず殆ど赤ん坊のような状態で教会の前に転がっていたらしいが、果たして、その彼が宿ったというか、彼そのものである赤ん坊というのはなんなのだろうか?
神様的な何かが彼の為に作ったチートボディなのかと言われればもちろんノーである。多少才能はあったものの中身が彼であることを除けばいたって普通の子供だ。
では、彼はキチンと輪廻転生してこの肉体の持ち主として生まれたのだろうか、これは・・・かなりグレーだ。一つに彼が両親を見たという記憶がないこと、そして孤児院の前に捨てられている所から目が覚めたように記憶が始まったことなどのかなり実証の難しい理由から恐らくそうでないと彼は思っている。
というかもとより輪廻転生というものが成っているならリソースは元の場所で循環して然るべきだ。よってこのような場所にいるわけがないのだが、これについては大きく見た場合あの世界と今ここにいる世界との共通点やこの世界を作ったという創造神の存在からして何かきな臭い、もっというならまるで実験場の中にいるような奇妙な不安のようなものを感じる。
というひどく直感的なものなのだが、まあそれはいい。
結果から言えば彼の肉体には彼のものではない上に、誰かが、恐らくこの体の持ち主であり残滓となっていた幽霊のようなものがかろうじて体にへばりついているのだ。
少々気味が悪いような気がするかもしれないが、根が寂しがりやな俺にとっては非常にいい話し相手で協力者だ。
殆ど残滓だった彼は俺に混じり、しかし混じっても元は他人ゆえに精神が二つあるという奇妙な状態になっている。彼は主に俺が寝ている間殆ど無意識下に置いて俺の体の、あるいは彼の体の防衛、もっと言えば魔法の固定、制御補助の補助のようなことをしている。
タヌキチがいない時から彼の世話になりっぱなしな俺としてはタヌキチという新たな俺の中の住人によって少しは負担が軽減されるといいと思うが、きっとそれも彼には伝わらないのだろう。
ただ俺の中に、俺の背後のあたりとかにひっそりと存在しているだけなのだから、
さて、そんな面倒くさいシリアスっぽい説明はいいとして、今俺は月面と10週マラソンを決行している。理由は簡単、ひまだからだ。
精神体の超回復にはいつもそこそこの時間がかかるものの、今回は初めてこの天体の呼吸でできる魔力の一端を、その片鱗を世に現出させることに成功し、そして初回ゆえに制御が甘かったからか、それとも今回のような無理は体が受け付けないのか賢者からは20日、女神様からは今回の代金として10日の滞在、つまり合わせて約一ヶ月近い時間をこの何にもない月面で過ごすことになったのだ。
超回復自体は20日経った時点で肉体面も精神面もほぼ完璧に済んでおり、怪我も自動回復術式とマーリンやモードレッド達の措置でふさがり、回復している。
問題は残り10日なのだが、俺はここでアホなことを思いついてしまった。
『時間があるなら鍛えないと』と、我ながら勤勉だがそれを神様の前で思ってしまたのがダメだった。もう初日にそう思った俺の前に賢者が大量の本と、重り、女神がなんだかすごい色の弁当を用意している時点で俺は気づいたね。
「あ、やばくね、と。」
案の定、全ての本を一週間で読み終わり、精神体に重しをつけて月面をタヌキチと駆けずり回っているといつの間にか月面を一周していた。そしてこれを1日でやっていたと言うのを知られ、今、3セット目の月面マラソン5週目で残り日数は4日、普通に走れば5週は無理だが・・・
「フッ!ここは精神世界!信じれば!」
「魔法も、身体能力も強くなり、そのイメージ力はそのまま魂の力になっていく。いいねぇ、若者が一生懸命走って、鍛えてる姿は・・・」
「あははは!賢者はジジくさいなぁ〜!あ、ヒミツ!これお弁当ね!今日は絶対普通のやつなんだから!」
俺はその日のうちに残り4週を済ませ精神体に凄まじい負荷を感じつつも毒物じみた女神様の料理を食う、何というか折角の精神世界だと言うのに月の賢者や女神のシンボルや、彼女らの中にあるイメージの一つも見つからなかった。
なんと言うか、つまらない。
さて、今回の弁当は・・・青ざめてるな、だし巻き卵もプチトマトもそれどころかご飯すらも寒色系になっている。
ダークマターとか原型がないのも怖いが原型があってなお色々とおかしいのも怖い……だが食って見なければわからないものもある。いざ、南無三!
「・・・ウッ!?」どさり
「ヒミツ・・・良い奴だったよ。」
「あわわわわわ!?」
「・・・・!?!(ご主じーん!?!)」
光が、光が見えるよ・・・それがどんどん近づいてきて・・・・
「あ、そろそろ帰る時間だね!帰還陣発動!」
「えー!折角時間認識を崩してもう30日目なのを忘れさせてたのに〜!」
「女神・・・様・・・ぶちのめす。」
俺は色々と明かされた事実とともに女神への報復を誓いながら体に戻って行くのだった。
「・・・・っふぅ、久々のシャバか・・・」
目が覚めた。時刻は午前0時、装備は全て外されているがどうやらベット下に纏めて置いてあるようだ。
ひとまず起き上がり伸びをして体の調子を確かめる。バキバキとなるのは長い間寝ていたからだろう。筋肉量は増えていないが魔力の操作感覚がかなり鋭くなっている。また、魔力の及んでいる範囲を自然に知覚することが可能となっている。
「ふぁーああぁ。」
あくびが出るが、左腕の確認をしなければ、そう思い左腕にいるタヌキチに念話すると、前よりも体との融合が進んだのか左腕からと言うよりも頭に直接響いてくるような、女神や賢者のしんたくとはまたちがうがなかなかに面白い感じになっている。
魔力炉や増幅装置、全身の魔力の流れ、左腕の拘束術式、ワイヤーの射出機構、目の出現、収納、あらゆる機能について不具合は見受けられなかった。
また、やっぱり魔力の量や身体自体の頑強さが増している。無意識下の解析や再生魔法も発動されていて全くもって好調、いや、強化されてるのだから超快調とか?
そんな要点のカケラもない思考が入る余裕を持ちつつ立ち上がって装備を出して行く。今はいつの間にかパーカーに大量の包帯とズボンといった感じだ。包帯の巻き方が丁寧かつ適切なので魔法が使えない治療知識のある人物、恐らく侍従長とかそこらへんだと思うが素晴らしい、まあ、傷はもうないので外してしまうか・・・
装備を陰に沈めて回収しベッドに座って上半身の服を脱いで包帯をっている所で期せずして扉が開き、中にモードレッドが入ってきた。
「お」
ヒミツの剥き出しになった逞しい上半身に動きを止めるモードレッド
「やあ、おはよ…」
それを自分が起きたことに関する文句を言う溜めだと思ったヒミツはごく自然に挨拶をかえそうとし
「!?」ばたり
「え゛?」
驚いたような表情で倒れたモードレッドをこちらも驚いたような顔で見るのであった。




