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地下世界にて(5)

 はじめとは打って変わって地下世界は静まり返っている。不気味だ。しかしすべてが闇に包まれている中で、どうすれば地溝の民の動きを推し測れようか。奇襲には注意を払うだけしてひたすら出口を目指す、それ以外に対策はできなかった。


 ヴェルムの話によると、今いる場所はダンザムより遠く離れてしまっているらしい。距離的にはダンザムとヘルデオムの周縁山岳のほぼ中間付近で、かつ最終の目的地であるレデナ=ノアからは、やや南へ遠ざかる方角へ広がる地下集落だとのこと。このまま地溝の民の道を使ってレデナ=ノアの麓まで行くこともできるが、彼らとの仲がこじれていなかったらの話。現状、最寄りの出口から地上に出た方が、安全かつ早く移動できる。


「ダンザムでも俺たちが消えたことが騒ぎになっている頃だ。捜索隊が上を走り回っているだろうから、そいつらに拾ってもらって、ついでに監視所まで送ってもらうのが一番いい」


 行動の指針を示しつつ、十字路を出口へ続く左に曲がった。


 しかし、そこから数歩進んだところでヴェルムが不意に足を止めた。きつく婉曲する行く手の道をそっと覗いて、それから小声で言った。見張りが居る、と。


「全部で三人、一人が階段を塞いでいる。さて……二人は俺が引きつけるから、おまえらは先に階段の方へ抜けてくれ。向かって右側だ。嬢ちゃん、そっちにいるやつは任せるぞ」

「了承しました」


 確認が済んだところで、ヴェルムが一足先に飛び出した。前かがみの姿勢のまま小走りに通路を進む。重い足音がよく響いた。


 見張りもすぐに気付いた。狭い通路にこもっている内に叩き伏せる、そんな意図でだろう、有刺の金棒を振りかぶりながら部屋の入り口に立ちはだかった。


 金棒が振り下ろされ頭を砕く。そうなるより先にヴェルムは足を踏切り、肘を前にして相手の腹に身を当てた。そうやって見張りもろともに広間の中へと転がり込む。棘が肩をかすめたが、服を破かれるのみの被害でとどまった。


 別の見張りがそこへ襲い来る。が、その手首を受け止めるようにして致命傷は避けた。そのまま相手を振り回し、階段と逆方向へ突き放す。


 通路の出口がひらけた隙に、ナターシャとセレンも広まった空間へ飛び込んだ。


 丸い縦穴といった部屋だ。前方にそりたつ壁の遥か上方に、黒々とした横穴があいている。外界へ続く唯一の道だ。そこに到達するには、壁に沿って連なる急峻かつ幅狭い土の階段を、円を描くように昇らなくてはならない。その昇り口は、ヴェルムが言った通り、頑健そうな地溝の民が守っていた。


 ナターシャはためらいなく階段へ走った。警備が武器を構える。その静止した図体に、セレンの光弾が襲いかかった。


 ナターシャの肩を飛び越していった弾は二十ほど。そのすべてが直撃したわけではない。だが、眼前で光が炸裂するというだけで、地溝の民には効果的であった。見張りの男は武器を放り出し目を押さえ、苦痛を逃すように頭を振り乱しながら、その場に膝から崩れ落ちた。


 その体をナターシャは思い切り蹴り倒した。地面に転がったところに、セレンが追加の魔力弾を浴びせかける。黄色、電撃だ。男は球を食らった数だけ全身を魚のように跳ねさせ、それきり伸びてしまった。小さく筋肉が痙攣しているだけで、意識がある様子はない。


 ナターシャたちが階段に足かけた、ちょうどその時にヴェルムの側も片付いたらしい。彼に太い腕で首をはさまれるようにされていた見張りは、つい今までばたつかせていた四肢の動きを止めた。もう一人はとっくに気絶して、仰向けで白目を向き寝ている。


 ヴェルムが腕の力をゆるめ、敵の体を下に落とした。そのどさりという音を最後に、辺りが静まりかえった。


 ……いや。入れ替わるように、さっき来た通路の方から足音が聞こえてきた。全数は計測不能、重なり合うそれは暴風雨のごとき不穏な響きを奏でていた。


 外に出ることが目的ならば、確実にこの部屋を訪れる。そこをあえて手薄にすることで、もう助かったものだと思い込ませる。すると生まれるのは油断、気のゆるみ。その隙だらけの背中から狩りにかかる、そんな作戦だ。


「走れっ! 駆けあがれ!」


 改めて指示されるまでもなく、先頭のナターシャは無我夢中で足を動かしていた。粗削りな階段は見た目以上に歩きづらく、壁に手をはわせながら、ほとんど転がるようにして高みにある出口を目指す。


 ナターシャのすぐ後ろにはセレンがぴったりついてくる。そのさらに後方、十段ほどの差をつけて、ヴェルムもようやく段に足をかけた。


 それと同時に地溝の民が部屋になだれ込んできた。ちらと見やる間にも続々と増え、十を軽く超えたあたりで数えるのをやめた。連中はみな鎧兜を纏った完全防備。布で目隠ししているのは、セレンの魔力弾への対策だろう。得物は各人それぞれ、砲や、それを一回り大型化したもの、金棒、斧、刃が飛散する炸裂弾まで持ち出してきている。


 荒々しい声をあげながら、先鋒が逃げる背を追って階段を上がり始めた。同時に下から砲撃と投擲も開始した。


 幾多もの砲弾が次々と襲い来る。辛うじてかわせているものの、少しでも立ち止まったら体に直撃しそうだ。それ以上に階段の強度がもつかどうか。鉄の球が壁に穴をあけ、弾をえぐり取る。立て続けの衝撃を受けてか、天井からもぱらぱらと土や小石が落ちてくる。


 セレンが魔弾を牽制として放つが、慣れと目隠しのせいでろくな効果はない。むしろどこにも当たらず落ちかけていた炸裂弾を破裂させてしまい、尖った金属片を襲来させる始末。致命傷にはならなかったが、三人それぞれ皮膚を少しずつ切った。続ければ危険だと判断したのだろう、それきりセレンも逃げに徹した。


 ナターシャが頂上にたどり着くまで残り五段。そこで砲弾が次に足を降ろそとした弾を半分ほど吹き飛ばした。空足を踏んだが、とっさに前に倒れて足場にしがみつく。這い上がるようにして立ち、そのまま転げるように最上段まで登りきった。


 すぐに横穴へ入り後続へ道を譲る。セレンも崩落しかけの段を軽々飛び越して、ここまで到達する寸前だった。


 が、あと最後の一歩というところで、爆発音がとどろいた。同時に衝撃波も襲う。


 セレンが勢いよくつんのめる形で前に放り出された。とっさに抱き留めたナターシャもろとも、横穴の入り口に叩きつけられた。


 背中をうったナターシャは激しく咳きこんだ。だが、二人とも落ちていた可能性があることを考えると、この程度で済んでよかったと言えよう。


 セレンはさっと立ち上がり、階段の様子を見に行く。そこにナターシャも続いた。


 爆発の中心地はセレンが居たところよりも後ろ、十段ほど下ったあたりだ。壁が円形えぐりとられている。前後の階段も粉みじんになくなって、深く広い谷となっていた。かなり勇気を振り絞っても飛び越えられるかどうか。


 いいや、そんなことは不安の本質ではない。爆破されたその場所付近には、ヴェルムが位置していたはずだ。しかし、谷の手前にも奥にも、彼の姿は見当たらない。


 危険などかえりみず、慌てて下をのぞきこんだ。暗い縦穴の底だが、意外にもはっきりと物の輪郭が見えた。


 ヴェルムはそこに居た。爆発の煽りで飛ばされたか、それとも衝撃を和らげるために自分で飛んだのか、ほぼ部屋の中心に着地していた。二階建ての屋上から落ちたような高さであったが、受け身を上手くしたらしく、立ち姿自体は健常を保っている。


 しかし、息巻く地溝の民が彼を取り囲んでいた。最前列はにじりよるように輪を狭め、その後ろからも数多の砲口が向いている。


 ヴェルムが首をひねって出口の方を見上げた。ごくわずかな時間だった。だが、ナターシャともしかと目が合った。


 彼は、困ったように笑っていた。


 ヴェルムはすぐに地溝の民へと向き直り、そして。


「俺には構うな、行けよ! 行けェっ!」


 縦穴に反響した咆哮は、上に居るナターシャにはひどく歪んだような音に聞こえた。届いた途端に吐き気がするほどに。


 すぐには動けなかった。動きたくなかった。しかし、特大の砲が二つ、こちらに向かって放たれたから、動かざるをえなかった。先にそれに反応したセレンに押し倒されるように、横穴の中へ転げこむ。


 刹那、再び爆音が轟いた。直後に地盤が破砕される衝撃音も続く。


 落盤が起こった。ナターシャたちの背後に、通路入り口の天井が崩れた土山が現れた。その高さは通路の四分の三ほどに達している。よじ登って体をねじ込めば通り抜けられるだけの隙間はあるが、そうしたところで向こう側に足場がある保証はない。


 事実上、あちらとこちらを繋ぐ道は断たれた。


 ナターシャはよろめくように立ち上がりながら、暗くそびえる壁を見ていた。開いた瞼も口も、震えが止まらない。血の気が引いていく。立ったばかりの足もが震え始め、力が抜けへたり込みそうになった。


 だが、両の拳を強く握って耐えた。奥歯を噛みしめ、目もぐっと瞑り、溢れそうになる感情を抑え込んだ。こんなところで倒れる暇はないのだから。


 かっと見開いた目で土山を睨みつける。深く息を吸って、叫んだ。


「ヴェルム! あんたも来なさいよ! 絶対に、あとから、追いついて!」


 返事はなかった。隙間から漏れ出てくるものは、大勢がうごめき作り上げるざわめきのみ。


 ナターシャは踵を返し走り出した。そこから数歩遅れてセレンもついてくる。時々背後の様子を気にしながら。



 地上へは一本道であった。坂と階段と急斜面と段差と、入れ替わり出てくるそれらを延々登り続けて、最後にようやく扉が現れた。身を低くしないと通れない小さな扉は、一見普通の木材でできたものに見える。しかし縁取りの隙間が妙に広く開いていて、そこから、反対側にはダンザムの地下にあった隠し扉と同じく、薄い石板が貼りあわされているものとわかった。


 体重をかけて押すと、重たげに開いてくれた。途端、新鮮な風が顔を撫でた。


 抜けた先はまたも人工的な石の地下室であった。しかし空間に転がる物品を見るに、こちらは人家の倉庫といった場所のようだ。


 ただしずいぶん荒れ果てている。壁の一面を塞ぐように置かれた棚は砂埃と蜘蛛の巣まみれであり、なにかが納められているわけでもない。あるいは、床に転がっている割れた瓶や引き裂かれた布袋などが並べ置かれていたのかもしれないが。他にも破壊された木箱や樽、ぼろ切れなどといったものが散らばっている。


 そして階段を上った先にある地下室の出口も、直に屋外へ繋がっていて、夜空に浮かぶ紅い月がありありと見えた。付近に落ちている木端が扉だったものだろう。


 ナターシャはためらいなく階段を上って、念願の地上に躍り出た。別れを告げた時と同じく夜ではあるが、同じ夜ではない。二つの月の位置関係があの時から巻き戻っている。


 すぐ隣には家屋が建っていた。が、ぼろぼろの廃屋だ。周囲には他にも建物が数件あるが、どれも似たようなもの。放置された枯れ木や伸び放題の雑草からしても、生活の気配が感じられない。完全に放棄された集落だ。


 ともあれ地上に生還した。それなのに、まったく喜ぶ気になれない。


 浮かない顔で所在なく歩いていると、池があるのが目に入った。ナターシャは誘われるようにほとりへ向かい、そのまま膝から崩れるようにへたり込んだ。


 水面には白い月と紅い月が、たまのそよ風にゆらめきながら浮かんでいる。その紅い方をじっと眺めていた。


 そうしている内にいつの間にやら視界がぼやけていた。瞬きすれば明瞭になるが、代わりに雫がこぼれ落ちる。自覚すると、次から次へと涙があふれて止まらなくなった。


 手のひらで目を覆いすすり泣く。その傍らをセレンが通り過ぎ、水際にしゃがみこむと、両手で池の水をすくって飲んだ。


 それから一度振り返った。しかし、黙したままで何もせず、また水面へ向く。そして、


「生きています。必ず」


 と。


 そうだったらどれだけよいことか。傷だらけの体に襤褸をはおって隣にどっしりと腰をおろし、「さすがに死んだかと思ったぜ」などと軽妙にうそぶく声が聞けるのなら、どれだけ喜ばしいことか。


 現実は甘くない。嫌というほどわかっている。わかっているが……。


「セレン……夜明けまで……ここで、待っても、いい?」

「ナターシャ様がそうしたいのであれば、私は従うだけです」

「……ありがとう」



 静かな水面を前に膝を抱きうずくまって、ナターシャはかつてないほど長い夜を過ごした。人をただ待つ夜とは、かくも苦しいものなのかと思いながら。


 やがて池の水面が輝き始める。それと同時に、夜の帳が下の方からまくれあがってきた。


 結局、誰も現れなかった。焦がれる待ち人も、追手の一人も。


 ナターシャはゆっくりと足を崩した。そのまま前に這い出て、池に手を伸ばす。気づけば口がからからだったのだ、声を出すこともできないほどに。


 水をすくって飲んでからも、しばらく水面を見つめている。そうすると、いかに自分が酷い顔をしているのか露わになった。目の周りは腫れ、頬には切り傷が。純粋な汚れもひどい。


 ナターシャは水をすくって、泥と血と涙とを洗い流した。水滴は破れほつれの目立つ袖でぬぐう。


 みるみるうちに黒から白へと塗り替えられた空を見上げ、一つ深呼吸すると、ナターシャはすっと立ち上がった。


「セレン、行きましょう。先へ、あたしたちだけでも進まないと」


 了承の返事を耳にしながら、ナターシャは進むべき方向を見定めた。


 決意をたたえたまなざしの先にあるのは、雲を貫き天高くそびえ立つ山。亜人たちの聖峰は、上陸したときよりも大きく迫力を増して見えた。

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