葬られる真実(2)
「本当、になるでしょうねえ」
含蓄のある言い方だ、途端に信憑性が薄れる。本当に「なる」とはつまり、今はまだ本当ではないと言い換えられる。
一体どういうことなのか。問いただすまでもなく、ディニアスは得意気に説き始めた。
「だって、そうすると収まりが良いでしょう? 亜人集団が政府の人間を強請り、機密を奪い犯罪を企て、亜人排斥の先鋒たる高官を殺害した。中枢の内側で起こった前代未聞の大事件、未解決になるのは史上の大恥。だから、まったく姿の見えない真犯人を血眼で探すより、既に死んだ別件の犯人に冤罪を押し付けてでも解決にした方が、政府としては得なわけですよ」
嘘でも「解決」と掲げる利点はいくつもある。まず大衆の不安を拭えること、次に捜査にあたる手間と労力を省けること、そして体裁を取り繕えること。組織の立場を守るには、一番最後が一番重いだろう。政を成すには、人民への威信は欠かせない。
死人に口は無い。それを良いことに、事件の後処理にあたっている者たちは、手前勝手な都合に満ちた偽りの真実を作り上げようとしている。
「待って、じゃあ、ライゾットの殺害犯は……」
「まだわかってなかったんですか、別に居るに決まっているじゃないですか。赤肌殿にその程度の傷しかつけられない輩が、一人であんな大層な仕事をしでかせたと思います? それくらい、ちょっと考えればわかるでしょう?」
ディニアスは完全に人を見下した目をして、自分の頭を人差し指でつついた。
だが、冷静に考えてみればその通り。ライゾット事件の犯人は、彼の私室に忍び込み、抵抗の余地も与えぬまま殺害した上に遺体を弄び、最後は派手に壁を打ち壊して光の塊となって飛び去った。この一連の流れを誰にも気取られずやってのけた。それだけ高い技量を持っておきながら、伝書部ではヴェルム一人に敗北したというのは、少々解せない。
念押しするように、ディニアスが言った。
「ライゾットさんの件については何も解決していません。しかし特命も治安も軍部も真実を追う気は無いから、これで片づけてしまう。それが真実です」
偉そうな口ぶりだ。しかし、内容はまったく褒められたものではない。ナターシャの心にある正義の灯火が煽られ、憤りとなり燃え上がった。が、それはある種の諦めにより、表に出る前に鎮められた。為政者が必ずしも真人間であるなんて、はなから信じていない。
そんなナターシャと違って激情を素直にぶちまけたのがミリア統括だった。私情もかなり含まれているせいだろう、先ほどまでの弱々しさから一転、目を尖らせてディニアスに詰め寄る。
「あなたねえ! それがわかっていて!」
「ああ、ミリア統括、そんな顔しないでください。私、特命部でちゃんと主張しましたよ? ライゾット邸のことはもっと深く読むべきだと。でもねえ、どうもあの集団は、私など青二才の若造だと侮っている様で。ろくに聞いてくれないんですよねえ……ああ、困った困った。おまけにルクノラムの信者様まで混ざっているせいで、エスドアなんて居ないとの方向に持っていきたいようですし、まったく、薄汚い我欲で――っと、これは言ってはいけないことでした」
悪びれの無い笑顔でうそぶいた。本当にうっかり口を滑らせたのか、はたまたわざと喋ったのか、どちらとも言えない。
神妙な面持ちで聞き流す三者を前に、ディニアスはあっけらかんと言った。
「ま、もういいじゃないですか。本来の任務であった機密漏洩事件は解決したんですから、何も問題ありません。ご苦労様でした」
「解決って、情報の行先とか、いつからとか――」
「ナターシャさん、そんなわかりきっていることをどうして聞くんです? バダ・クライカに情報がだだ漏れだったというだけ、これ以上広げる必要ないですよ。そうさせないために尻尾切られたんですし。……しかし、向こうもなかなか優秀な組織のようですねえ。ただまあ、それもまた妙な話で……」
ふむ、と考え込むようにディニアスは口元に手をやる。生まれた意味ありげな行間。押し黙っていたヴェルムが、釣られるように口を開いた。
「妙、だあ? 今度はなんだ」
「いえ、まあ、私の所感なのでお気になさらず。言ったところで同意も得られないでしょうから」
ディニアスは軽く肩を揺らした。その彼にそれ以上深く問おうとする者は居なかった。
「ところで統括、私に御用があったのでは?」
「ええ、そうよ! 今回の件、あなたにはヴィジラの監督責任が――」
「ああ、それですか。そんなのわかってますよ。ご心配なく、やるべきことは心得ております。これから本島駐在の者に関しては個別に顔見て回りますし、他島の者についても順次。四方大陸へはひとまず所在確認の伝書を送るつもりです。必要ならば配置換え、疑わしいのはこちらに呼び寄せましょうか。あと、他に何か?」
「伝書部を巡回していた本物のヴィジラは何処へ行ったの」
「それを探せと言います? 無駄な。どうせ今頃、土の中か海の底ですよ。まさかナターシャさんに潜って探してもらうわけにもいかないし。地上に出た人魚は、水に嫌われてしまいますものねえ」
「失礼ね、泳げるわよ。息が続かないだけで」
「そうですか、どうでも良いです」
「なッ……!」
おまえが先に話を振ったのではないか、そう噛みつきかけた。しかしひらりとかわされるのが関の山だろう、ナターシャは歯噛みをするだけで牙を納めた。
それに下手に絡めばどう返ってくるかわからない、この男の考えなど読めた試しがないのだ。引っ張れば、「泳げるんだったら探してきてください」とでも言いかねない。あるかどうかも不明な死体を探して延々と海中を彷徨うなど、ごめん被りたいところだ。
ナターシャが口をつぐんだのをちらりと見てから、ディニアスは自分の話を続けた。
「まあ、ヴィジラの件については私を叩く格好の的にはなるでしょうが、しかし叩いて引きずり下ろす利益もない。せいぜい会議で悪態つかれるくらい、何も無しで終わる、と予想しているのですが、いかがです? 統括」
「責任を取るつもりは無いと?」
「いいえ、正当なものならいくらでも押し付ければよろしい。降格でも放逐でも、そうしたければなんでも承りましょう」
ディニアスは左胸に手を当てて、軽く頭を下げて見せた。従順なしもべ、そういった類のものを演じているつもりだろうか。
「ですが、私が降りた後任になりたがる、とち狂った人間はいるのでしょうかねえ。できた空席は埋めなければならない、しかし自分はそこに座るのは嫌だ、だったら誰かに押し付けなければ、しかし無能に任せるわけにもいかない位置だ。そんな煮詰まった状態になるのが見えている、それでも私をとことん糾弾する気概のある人間が居るのなら、ぜひ拝んでみたいものですねえ」
くつくつとディニアスは笑ったが、決してかわいげのあるそれではなく、邪なものすら感じる。拝んでみるのは良いが、しかし素直にひれ伏す気は毛頭ない、弧に歪められた目がそう語っていた。
「ま、現実はどうなるか。次の長官会が楽しみですよ。ねえ、統括」
まるで勝ちの見えた決闘にでも行くかのような口ぶりだ。ミリアは頭を抱えている。そう、各部局の長官たちが居並ぶ会議でもこの調子はまったく変わらない。そしてディニアスの上長はミリアだ、彼が何かしでかせば、矢玉は統括にも飛んできかねない。それこそ、任命責任だなどと。
今晩あたり胃にも穴が空くかもしれない。そんなミリアの胸中を知ってか知らずか、ディニアスはひらひらと手を振って笑いかけた。長い袖の緑と青の二重の布が、戦勝の旗のように翻る。
「お話しが済んだのでしたら、私はこれにて。やることも考えることも、たくさんありますから」
それだけ言って軽く会釈をすると、局長は堂々と胸を張って執務室を去った。
ばたん、と扉が閉まった音と同時に、室内に残った三人の溜息が重なった。揃いも揃って苦い顔をしている。
「相変わらず鬱陶しい野郎だなあ、まったくよ」
「結局何よ、嫌味言いに来ただけ!?」
「本当に……本当にディニアスは……頭が、どうかしている……」
三様に口をついた悪態は、しかしぴたりと止んだ。再び軋んだ音が聞こえたからだ。
全員が振り向く。すると案の定、半開にしたドアからディニアスが首を覗かせていた。妙に爽やかな顔を作っているから、逆にうさんくさい。
「ああ、そうそう! ミリア統括のために、一ついいことを教えてあげます」
それは朗らかな声だった。ふふんと鼻を鳴らして、機嫌は上々と言った風。
が、次の瞬間には纏う空気が変わっていた。重く冷たい圧を滲ませる。色の違う二つの目が暗く光っているようにすら、見ている側には感じられた。
「今朝見つかった惨状は、エスドア本人の仕業ではありません。それは断言します。あれを起こしたのは、彼女の幻影に縋るバダ・クライカの狗『たち』です。まだ近くで息を潜めているでしょう。神を盲信するもの『たち』は、神のためなら何でもできます。神にとっての邪魔物を排除するなんて、最優先事項ですしねえ。……では、失礼」
複数であることを強調する。つまり、あの有翼人が白か黒かどちらであれ、ライゾット事件の下手人はまだ他に居る、と。その上で、警告をしているのだ。亜人と異能を至上するバダ・クライカにとって最大の敵は、亜人と異能を弾圧する者、すなわちロクシア夫妻。
ばたんと閉じられた扉の向こうに消えたディニアスの姿を、ミリアが追った。
「まっ、待ってディニアス! あなた、もっと何か知って――居ない。忙しないわね、もう………」
人影のない廊下を見渡してため息をつくと、ミリアは回れ右して振り向いた。顔は憂悶の色に染まっている。このわずかの間に幾ばくか老けこんだようにすら見えた。
「あなたたちって、よくあれの下でずっとやっていられるわね」
「いや、まあ、慣れましたんで。……それより統括、本当に気を付けてください。あの野郎の言ってることは、あながち見当はずれじゃないと俺も思いますよ」
「ええ、そうするわ。じゃあ」
ミリアは自分の肩を抱くようにして、足早に総監局を去っていった。
ナターシャとヴェルムも、自分の椅子に座る。朝からどっと疲れた。なんてひどい日なんだろうか。何もかも釈然としない結末だ。しかし。
「……これで終わりじゃない気がする」
「どうしてだ?」
「なんとなく。むしろ、これが始まりなんじゃないかって」
直感でしかない。しかし不穏な気配が周囲で渦巻いているのは肌で感じる。
ナターシャは深みより出でた鯨のように、長く息を吐きだした。
「もちろん、このまま平和に片付いてくれれば一番なんだけどね」
それは嘘偽りの無い本音だ。そしてそれが叶わないだろうことも、漠然と理解していた。闇の中に葬られた真実は、別に消えてなくなるわけではないのだから。
真相を追い求め墓を暴こうとする者が出るか、それとも屍自らが息を吹き返し這い上がってくるか。いずれにせよ、政府にとって面白くない波乱が起こるに違いない。
自ら渦中へ突っ込んでいく気概は無いが、波の方から寄せてきたら立ち向かわざるを得ない。総合監視局の官として、やるしかないのだ。
ナターシャは気だるく頬杖をつきながら、諦め混ざりの決意を固めたのだった。