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Interval 深更(2)

 五年か、六年か。細かい年数は覚えていない。ともかくライゾットをこちら側へ引きこんだのは、世にエスドアが現れるより少しだけ前のこと。


 当時の東方情勢は今よりずっと不安定だった。亜人たちの暴動、洪水による損害、現地治安長官の暗殺、大陸南部域の部族紛争など、記録的な事件が立て続けに起こり、政治が疲弊していた。


 そんな中、ライゾットは単身で中央に戻ってきていた。中枢からの支援体制を整備するためにだ。人事組織、後進指導、法令起案などに勤しみながら、同時に大陸にいるブロケードの参謀としての役割も果たすため、日々献策の書状を飛ばす。そんな忙しない生活をしていた。


 ある日、ワイテはライゾットを喫煙室で見かけた。偶然である。


 片隅に置かれた古い肘掛け椅子に背をもたせ、紫煙のくゆるパイプをくわえて、深刻な考えごとをしているようだった。なおかつ亜人にやられた傷跡走る強面が、いつになく弱っている。もともと痩せ型の男だったのが、さらに細く縮んだようにすら錯覚した。


 ワイテにしてみれば、この上ない好機であった。精神的に参っている、いかんともしがたい困難に直面している、人の心に付け入るには、そのような隙を狙うのが一番だ。


 近くに誰もいないことを確認して、ワイテはさも体調を心配しているという風に近づいた。


「大丈夫かね、少し仕事を忘れ休んだほうがよいのでは。君はわしのところに居た頃から無茶しいだったが、未だに悪癖は治っておらんかったか」

「構わないでください。俺がいま止まれば、大陸政治も死にかねない状況なのです」

「色々と厄介が起こっているようだね」

「ええ。片づけるのに何もかも足りない。人も、物も、資金も時間も。なんとか一つ火を消したと思えば、すぐに背後で新しい火がついて差し引きゼロ、そんなことばかりですよ」

「物事が思い通りに進まないと疲れてくるよね。わしにもよくあるから、気持ちはわかるよ」

「あなた方が化け物どもを擁護すること、それも厄介のひとつに含まれていますがね」

「そうかい。つまり、君が特にどうにかしたいのは亜人たちということか。それなのに、手が尽きているから困り果てていると」


 ライゾットは唾棄すべき指摘を受けたように、青灰色の目を歪めた。しかし口答えしてこないあたり、図星だと示してしまっている。


 僥倖だ。ワイテはほくそえんだ。


 そして、ライゾットにささやいた。


「亜人たちを支配し、こけにしながら、膨大な金と権威を手に入れる方法を考えたのだが、協力者が必要でね。成功した暁には、君の言う化け物たちを全員ひざまづかせることが可能だろう。一緒にやらないかい? わしと君との、秘密の作戦を」


 拒否されるとは考えなかった。溺れる人間は、救いの手とみるやしがみつくものである。それが明らかに悪魔のものであったとしても構わずに。


 ライゾットも馬鹿ではない。秘密を求められた時点で、それがどういう質のものか、察しがついただろう。


 わかった上で彼は笑い、ワイテが差し伸べた手を掴んだのだった。闇に堕ちた特有の暗いかがやきを携えて。


 そして今日のバダ・クライカ・イオニアンに至る大犯罪計画が走り始めた。大枠を作ったのはワイテだが、仔細をつめたのはライゾットだった。まさに亜人討滅が叶うならばなんでもすると、本人もそう公言しながら、政務官として役を果たす裏で、悪事の地盤を固める仕事を進めていった。もちろん、終着点が自分の死であるなどと露にも思っていないだろう。


 時にはワイテも舌を巻くようなああくどい手段も辞さなかった。たとえば闇ギルドを散々に利用しておき、用済みになった途端に治安局へ告発し、自分の関与は伏せて壊滅させるなど。


 どうやら自身でも何件か殺しをしているようだが、ワイテは深く追及することをしなかった。どうせ彼には最後にはすべての罪を背負って死んでもらうのだから、わざわざこちらが汚れをかぶりに行く必要もない。


 こちらはこちらで、色々と手を回していた。ゆくゆくは亜人たちと戦争になる、それを見越した戦力の強化と、必要な物資や財貨の獲得。中央軍大将としての権威を活用すれば、さほど難儀はしなかった。


 ちなみにファイスは、こちらが秘密裏に異能戦力を集めている中で、彼女の方から接触してきた人物である。


『ねえ大将様、世界を支配したいと思いませんか? わたくしはあなた様を神にして差し上げることができますわ』


 そう売り込んできたファイスを訝しみ、何が本当の目的だと問うたのは言うまでもない。


 その答えは、ただ自分の快楽のためと。己が密かに投げた一石が、神の見えざる手のごとく数多の人の運命を操る。影の支配者たる事実に酔いしれ、心を満たすのだと。


 要するに、似た者同士だった。だからワイテはファイスに計画のすべてを打ち明け、己の懐刀にしたのだった。彼女の存在は、ライゾットにも教えていない。


 もう一つワイテが重きを置いていたもの。それは、教団の名前だった。


 今から五年前、自分たちが暗躍を始めてすぐに、政府所有の研究施設がエスドアに襲撃されるという大事件が起こった。


 それに呼応する形を取れば、自分たちが思い描く宗教を容易に拡散できる好機だった。現に、ライゾットは即座に東方大陸の亜人たちのもとへ火種を送り込み、爆発させようと画策していた。


 だが、ワイテが待ったをかけた。教団の名が固まっていなかったためである。


 名は大切だ。亜人たちの宗教なのだから、いかにも亜人たちが考えついたものとしなければ不自然だ。加えて、亜人の心をつき動かす言葉が理想的である。かつ、主神に据えるエスドアにもつなげなくてはならない。


 ワイテはナコラ港の商業区と裏通りの境にある酒場へ足を運んだ。ここの店主は話がわかる、目の前で悪だくみをしても、少し金を握らせれば何も見なかったことにしてくれる。だから、人と密談する必要がある時に利用していた。


 その店に懇意の亜人を一人呼び出して、真意は明かさずに聞き出すことにした。亜人たちを総称するに、最も尊い文言は何か、と。


 すると、しばしの後、こう答えが返ってきた。


「バダ・クライカ・イオニアン。ヘルデオムの言葉で、イオニアンの真なる子という意味だ。天より与えられた使命をまっとうした善き者として、葬送の際にそう賛辞する」


 いい呼び名だ。ワイテは素直に称賛した。


 真の民たる自分たちが、人間たちより世界を取り戻す。近い未来、真の女神たるエスドアが、イオニアンの偽神ルクノールを討ち滅ぼす。天に仕えられるなら、命捨てるも惜しまない。教団の意図と完全に一致する、この上ない呼称ではないか。


 始めは裏社会に噂を流した。亜人たちがエスドアに追随し、バダ・クライカ・イオニアンの名の下に結集しつつあると。すると、異端者たち独自の情報網を伝って拡散し、信仰を共にする者たちが手前勝手に結集しはじめた。


 特に東方大陸での効果はすさまじかった。ヘルデオムの全種族が同調したのではないかと言うほど。大陸各地で反逆の火が上がり、エスドアの威を借りた狼藉を堂々起こすようになった。もっとも、亜人たちの強行策は、片っ端からライゾットとブロケードが叩きつぶしていったため、すぐに秘密結社のごとく変化したのだが。


 そうなれば後は簡単だった。政府側、バダ・クライカ側の両方の動きをうまく操り、足取りを掴まれないようにしながら教団の力を蓄えていくだけ。ワイテ自身がやることは、ファイスやギベルといった腹心に指示を出すこと。そこから間接的に組織を操ることで、末端たちに自分の存在がかぎつけられないように、なおかつ証拠も残らないように万全を期していた。


 バダ・クライカの権勢が世界に十分轟き、政府が「特命部」なる一応の対策室――これもワイテがボレットをそそのかして作らせた――をこしらえたところで、仕込みは万端だと判断した。


 そしてライゾットは一度死んだ。エスドアの慈悲のもと、改心した神として再誕するために。


 今、彼がどこに居るのかはワイテも知らない。足がつかないよう連絡は一切取っていないし、例の夜も万が一にも疑いが向かないよう、ファイスに采配を託して自分は屋敷にこもっていた。


 後は座して待っているだけでよい手筈だった。ライゾットの支度が整った段階で、彼が再び世間に姿を現す。エスドアに遣わされた神を標榜し、バダ・クライカを率いて政府に戦いを仕掛ける。計画時より状況が悪化しているが、ライゾットから音沙汰がないということは、予定通り実行するということ。


 大戦となればワイテが頼られるのは必至だ。そこで初めて動く。あえて戦線が膠着するような展開にし、ライゾットが望むように亜人たちを根底から疲弊させ、なおかつ政府軍の権力を高める……と、ライゾットとは共謀してあった。


 実際は向こうに隠して軍中にちりばめている異能戦力を使い、ライゾットの想定を越える力で彼もろとも殲滅する予定だ。


 晴れて神殺しの英雄となった後は、絶対の発言力を持つ支配者として君臨できる。もし逆らう者が現れたら、圧倒的な力でねじ伏せればよいだけだ。もっとも、神をも恐れ怯ませる軍団に刃を向ける愚か者などいない、という想定である。


 だから、現在の邪魔者であるだけでなく、将来の危険因子となりかねないディニアスを放っておくわけにはいかないのだ。


 険しい顔をしていると、ファイスのいやに甘ったるくつくった声が耳を撫でた。


「あの人魚を放置しておいてよいのですか? 精力的に動き回っていますのに」

「あれは所詮ディニアス君の駒だ。彼からの入れ知恵が無くなれば、吼えるくらいしかできなくなるさ」

「どうでしょう。しつけの悪い犬ですから、何をしでかすかわかりませんわ」

「ずいぶん彼女のことを買っているのだね。だが、考えてもみなさい。人魚も陸に上がれば、ただ見た目がいいだけの女だ。暴力には敵うまい。いつでも、どうとでも始末できる。なんなら、ここまでかきまわしてくれた責任を、身体で払ってもらえばいい」 


 ファイスが微妙な表情を見せたのは、気にしないことにした。


 ナターシャはどうにでもなる。赤肌ヴェルムもまた、同様に。こちらは彼の弱みを握っている、亜人の命をちらつかせれば、逆らうことはできないだろう。


 ディニアスだけはなんとしても処分しなければ。政府から追放するだけでは不足だ、局長という体裁、ある種の枷が外れれば、それこそ何をしでかすかわからない。


 方法が悩ましい。ディニアスの異能力の実態は謎に包まれたままなのだ。


 彼はなんらかの力で、ギベルの首を一刀両断にした。人間の首は、そうそう簡単に切り離されるものではない。だが、あの現場を見ていた者たちは口々に証言した。ディニアスは立っていただけ、目で見える場の変化も無かった、ギベルの首は自然に落ちた、と。


 その話を聞いた時は、さすがに総毛だった。知る限り最も直接対するのが危険な使い手。顔も合わせたくない、目が合った瞬間に殺される可能性すらある。


 では、どうすると良いか。暗殺者を雇うか、事故に見せかけるか。いや、どちらも確実性に欠ける。時間はかかるが、病死に見せかけた毒殺を狙うか。もしくは……ひらめいた。


「人魚の夢を使おうか」


 それは、人を狂わせる魔性の薬。常軌を逸する幻想的快楽と引き換えに、人間性を失わせる。今回の対象はもともと狂人じみた者、気が触れても違和感は少ないし、違法な薬の服用が発覚すれば、過去にさかのぼって全てが妄言扱いされるだろう。


 そして、ディニアスが「人魚の夢」によって殺されたとなった場合、誰しもナターシャに疑いの目を向けるのが必然だ。動機もあれこれ考えられる。嫌味な上司に我慢の限界を迎えた、とか、偶発的な事故で薬を飲ませてしまった、など。あるいは、痴情のもつれ。日ごろの罵りあいとは裏腹に、誰もいない廊下では密かに接吻を交わすような間柄であった、とファイスが目撃している。これを流布すれば、非常に愉快なことになるだろう。


 ――決まりだ。あとは、向こうがどこまで悪あがきするかであるが。


「ファイス。ディニアスはどうしているかね?」

「なにも。明かりも消えて、出ていくものもなければ、近寄って来るものもありません。ウフフ、万策尽きて不貞寝でもしているのかしら。期待外れですわ」


 勝った。ワイテは声を殺して笑った。


 あの男さえ封じれば、政府の中に恐れる相手は無い。常識に染まった人心など、権威を傘にしていかようにも踊らせられる。小うるさい亜人たち異能たちも、バダ・クライカ・イオニアンの名にとらわれて、知らず知らずのうちに操られるのだ。


 全てが思うがままだ。神になどならずとも世界を好きにできる、悲願は成就した。


 覇者の夜が更けていく。ワイテは葡萄酒をなみなみ注ぎ、一足早く勝利の美酒に酔いしれた。


「ああ、そうだ。わしとしたことが、大事なことを忘れていた」

「どうしました?」

「ことが落ち着いたら、あんな文章を流布して戦をけしかけた愚か者を探すぞ。まさか……まさか本物のエスドアではあるまいがね」


 恐れなければならない唯一のもの、それは神罰。自分の手が届かない神の域から鉄槌が振り下ろされれば、もはや観念するしかあるまい。ワイテは無敵を謳う裏で、冷や汗を流したのだった。

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