証明不可(3)
数々の監視者たちの制止を無視し、拘置室へ押し入った末での凶行だったらしい。「とても怒っていたが、まさか殺すとは思わなかった」とは現場の一部始終を見た人物の談。次々投げる問いかけは、早口だが冷静に重ねられていたそうだ。
ギベルは身を封じられた状態なのもあり、始めは無気力にディニアスの詰問を流していた。だが、いずれかが琴線に触れたのだろう、彼は不意に目つきを変えた。
ギベルは笑った。不敵に、勝ち誇ったように。そして、意表をつかれて口を閉ざしたディニアスへ告げた。
『今さら気づいても遅い。貴様の負けだ、ディニアス。遠からぬ未来に新たな神話が刻まれ、貴様の神は否定される。神殺しの英雄が、この世を正しき方向へ導くのだ』
「――で、次の瞬間にはギベル司令の首が床に転がって、局長さんはそれ拾って、黙って出ていった、って感じだったらしいっすよ。何人か居合わせたらしいですが、なに起こったのかわけわからなくて、誰も動けなかったとか」
昼過ぎの総監局で、鬱屈したムードをものともせずまくしたてているのは、治安省組織犯罪捜査局のコープルだ。先ほど勝手に押し入ってきたかと思えば、ギベル殺害の顛末を聞いてもいないのに教えてくれた次第だ。
「で、やっぱりそれは駄目だろうってことで、各省局の長官たちが集まって、局長さんの審問会をやるらしいです。っていうか、時間的に真っ最中じゃないですかね。あ、ちなみにワイテ大将は自分から参加を拒否したらしいです、居合わせればまた自分を犯人に仕立て上げて言い逃れようとするに決まっているだとかなんとか。僕んとこに来た情報は以上ですね」
そう言ってコープルは、ナターシャの机にあった水差しとコップに手を伸ばし口を潤した。利き手を怪我して使えないため、たったそれだけの動作でもやりづらそうだ。余分な動作が多い。
そんな風に彼が身動きすると、衣服から煙草の匂いが立つ。だから情報の出どころは容易に推察できる。喫煙室だ。治安省局の近くにある部屋で、中枢に居る愛煙家の社交場としても機能している。長官クラス、それこそワイテもしばしば出入りする場所であり、かの閉鎖空間では時に重大機密も流れるとか。コープルが持って来た噂も精度は高いだろう。
ただし、それを聞いたところでどうなるわけでもなければ、どうすることもない。ナターシャは険しい顔でうつむいていた。視線の先には一つの記録。重ねれば凶器になるほど分厚いそれは、前総監局長によるバダ・クライカ関与容疑をかけたワイテをあらゆる角度より調べたものだ。ワイテの示していた通り、最終的には彼の潔白の動かぬ証となっている。
「それはそれとして、これから僕はなにを調べてこればいいですかね」
コープルがあっけらかんと言った意味が瞬間には理解できず、ナターシャは胡乱な表情で面を向けた。
「あんた、なに言ってんの」
「大将を追い詰めるためには、バダ・クライカと繋がっていた証拠を見つけないとだめなんでしょ? 協力させてもらいますよ。僕たちの部署は、こういう犯罪のためにあるようなもんですし」
「……信じるの? あたしの言ったことに確証なんてないのよ、乗っかったらあんただって立場が危ない。それなのに、どうして」
「そりゃ、惚れた人が困ってるのに見捨てるなんて、男の美学に反するからですよ」
決まった、とばかりに言い切った途端、辺りには白けた空気が漂った。コープルは慌てて態度を取り繕い、一転、真面目な顔つきになった。
「シュドンが生き延びていたという仮定で例の件を洗い直してたら、色々とひっかかる部分が出てきたんです。状況的に、軍側の誰かが協力しなければ逃げることなんてできなかった。そして護送船の乗員は、ヴィジラを除いてすべてワイテ大将直属の連中でした。そもそもこれがおかしな話で、東方大陸とグレーゴン収容所を結ぶ航路なら、本来クレイド司令の管轄になるところなんですよ。あの時は中央軍内部の事情だと思って深く考えなかったんですけど、実は陰謀の一端だったとしたら。……そんなわけで、史上最悪の組織犯罪を食い止めるために、僕はナターシャさんに協力します」
決意のほどは十分に伝わった。一人でも味方が多い方がありがたい、断る理由はないだろう。
しかし、どこを切り口に調べていけばよいものか。始めの足掛かりが無ければ動きようもないとコープルは言った。
そこへヴェルムが一つ意見を出した。
「調べるなら、ギベルが着ていた光源石の甲冑だろうな。このご時世であんな物を作れる鍛冶はただでさえ少ないんだ、加えて光源石の細工も出来る人間となれば相当限られる。しらみつぶしにしていけば作り手は特定でるし、特徴的なものだから、作った方も覚えているだろうよ」
「なるほど。それを発注したのがワイテ大将だって証言が取れれば……!」
「ちょっと待って、仮に手配したのが大将でも、完全な好意でギベルへ贈ったかもしれないじゃない」
「それはねぇだろ。あんな派手で馬鹿でかいもの、誰にも知られず授受できるか」
「あと、仮にそうやって言い逃れようとしてもですよ、だったらどうしてエスドアが出てきた時に何も言わなかったんだ、知ってて見逃そうとしたんじゃないかって話になる。法治を託される人間が罪人を見て見ぬふりするなんて何事か! って方向にもっていけるから、意義は大きいですよ」
コープルは勝ったも同然なほどに高揚していた。場違いな程に気持ちの良い笑顔で、二人の顔を交互に見る。
「他島にいる局員にも協力仰いで、さっそく中央諸島の鍛冶を当たってみます。もちろん理由は伏せますけどね。じゃ、何かわかったら、また!」
そうして飛ぶ鳥を落とす勢いで駆けだしていった。
独りでに閉まるドアを、ナターシャは不安げに見つめていた。協力は嬉しい、が、無茶をするのではないかと。組犯局自体はボレットの直下に在するとはいえ、ワイテの影響力は小さくない。もしもことが露見すれば、難癖をつけられ左遷や追放処分になるのは確実、最悪命すら危うい。
「あんまり心配すんなよ。あいつは割とやり手だ」
ナターシャへ向けて、ヴェルムが語った。確かにそうかもしれない。裏社会の連中を相手取り、殉職も大いに有り得る部署にありながら、変わらず飄々と居続けているのだから。
それに、現状ナターシャは手詰まりだ。ワイテからの警戒が増すだろう中、彼の本性を白日にさらすためには、総監局外の協力者は必要不可欠。そういう意味でも、危険を覚悟して来たコープルに仕事を託さない手はない。が、申し訳ない気分で一杯だ。もう少し慎重に進めていれば結末は違っていたはずだと、自責の念に駆られる。
似た感情は向かいの席に座る男にもあった。
「ナターシャ、すまん。俺が大将をしめていれば……」
「あんたが責任感じることじゃないわよ。あんな風にいきなり言われて頷けるはずない、急いたあたしが悪かった。むしろ、何も知らせないまま勝手に巻き込んで、ごめんなさい」
「巻き込まれたなんざ思ってないさ。俺は最初から渦の中だ、どうなろうが不思議じゃない」
その言い回しが変につぼにはまり、ナターシャは控えめに吹き出した。久しぶりに笑った気がする。
荒波にもまれることを厭わないと言うなら、一つやってもらいたいことがある。ナターシャは、怪訝な顔のヴェルムにそう告げた。
「あたし、やっぱり大将の案に乗っかって、家を見に行ってみる。その口ぎきをしてきてくれないかしら。あんたの方が大将の心証はいいだろうし」
「おまえ……あんなの、罠に決まってるぞ!?」
「ええ、どう調べようと何も出てこないでしょうね。でも、だからって調べに行かなかったら、その時点であたしは主張を曲げたことになる。そうなったら本当に負けよ。だったら、行って玉砕したほうがまし。今はだめでも、後から全部まとめてひっくり返せばいいんだから」
目を落とすのは過去の資料。どの道これを覆す強力な物的証拠が出てこない限りだめなのだ、ここで壁が一つ二つ厚くなろうと誤差の範囲だ。失態を見せれば立場が危うくなると言うが、総監局に来た時点からそんなもの無いに等しい。
本当にいいのか、ヴェルムの確認に対して、ナターシャは大きく頷いた。
「俺も『裏切り者』だなんて言われたから、向こうが顔合わせてくれるかわからんが、なるべく穏便に運ぶよう努力はしてみる」
「お願い。あたしは、ここで待ってていい?」
「ぜひそうしてくれ」
ヴェルムは足早に局を発った。
独りになったナターシャは、ひたすら考えを巡らせていた。ワイテを徹底的に洗うとして、どこを優先的につつくべきか。前局長が調べた資料では、家宅はもちろん出入りの店や軍施設などもしらみつぶしに見て、それで何もなかったとなっている。同じところをなぞるのは下策か、いや、年数が経過しバダ・クライカの規模も拡大しきった今なら、過去には無かった綻びが出ているかもしれない。
完璧なものなどない、大なり小なり傷はどこかにあるはず。本人も気づかないところで失敗をしている可能性は十分だ。
しかし、だ。そう思うと、あの自信が逆に気持ち悪い。完璧などあり得ないとは、ワイテも思うことだろう。現に知らずの内にディニアスの罠にかけられ、追及される羽目になったのだから。その直後にああも余裕綽々でいられるとは、何か裏があるのでは。
想像するも、わからない。神になり絶対の権力を手に入れるまでは、投獄されるわけにもいかないはず。それとも、目的が違うのか? 今より更なる高みたる神の座に昇り世界に君臨する、そうではないのか?
ナターシャが暗澹たる思考に支配されていると、それを破るように、ドアノックの音が響き渡った。その場で肩を跳ねさせ、扉を睨む。誰が来た、敵か味方か、それによって出方が変わる。こちらが緊張して身構えているのに対し、来訪者は名乗りもしないで、ドアを押し開け姿を見せた。
「ブロケード総裁次!」
彼の登場は予想だにしていなかった。異能嫌いの男が、積極的に総監局に乗り込んでくる由がないだろうと。




