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フーダニット、ホワイダニット(3)


 薄暗い総監局、ナターシャは独り席に座りうつむいていた。黄昏ではない、時は夜をまたいで翌早朝に至っている。


 居ても立ってもいられず、眠ることなどなおできず、昨夕この部屋に駆け込んだ。その時には既に誰もおらず、鍵を閉めておいたからか警備すらも訪れず、長い夜の間たっぷりと悩み抜くことができたのだった。


 かき抱くように頭を支え、机の上をぼんやりと見つめる。そこには三枚の紙。昨日道すがら見比べていた二枚に加え、一際小さなものが隣に並べられていた。これはナターシャの机の下に落ちていた、過日もらった局長直筆のメモ。気を抜かして書いたものだからだろう、かしこまった書類より一段と字体の癖が強く出ていた。たまたま捨てていなかったこと、幸運だった。


 手札をそろえたナターシャは、ただひたすら待っていた。がむしゃらに探すより、こちらの方が早いと。


 そして、審判の時はやってきた。朝冷えする室の中、鍵が開けられる音が重苦しく響く。


 軋む扉の向こうに虹色を纏った男が姿を見せる。背より奥には静まり返った廊下が伸びるのみで、他に誰も居ない。


 ディニアスは普段通りに気障な笑みを浮かべながら入室してきた。足を進めながらにナターシャの横顔を見て、にやと口角を上げつつ言った。


「どうしたんです? ずいぶんお早い登場ですね。あなたらしくもない、まだ正門も閉まっているのに」

「あんたに話があるの」


 ディニアスはナターシャの後ろを通り越して自席に向かっていたが、ぴたりと足を止め、大げさに裾を翻し振り返った。


 視線が交錯する。片や余裕綽々の微笑、片や感情を殺した睥睨。どちらかがどちらかに引かれることもない。冷たく細めたまなざしと共に、ナターシャは強い断定の口調で局長を貫いた。


「エスドアのふりをして戦いを煽ったのは、局長、あんただったのね」


 ディニアスの反応は。口元はそのままで、愉快そうに眉目を上げるのみ。


「突然なにを言い出すかと思えば、なかなかおもしろい発想をしますねえ。推測なら何とでも言えるでしょうが――」

「筆跡が同じなの。あんたの書いたものと、エスドアが書いたものと」


 ナターシャは机の上から紙を持ち上げ、ディニアスの正面へぐいと突き出した。小さなメモと仰々しい布告書、並べれば同じ手癖で書かれたものだと素人目にもよくわかる。特に二枚に共通する「エスドア」の語は、一際強い相似性を放っていた。


 証拠を目の前にして初めてディニアスの表情が変わった。今度は面食らったように眉目を上げて、ずっと曲線を描いていた口が逆方向へ曲がる。色の異なる眼は共に温かみを消し、ぎろりとナターシャのことを見下してくる。


「あなた、まだそんなもの持っていたんですか。まったく、不要な物を溜めこむのは感心できませんね。ごみに埋もれることが趣味とは人としてどうかと」

「とぼけるな」

「……言いたいことは色々あります。筆跡なんて真似しようと思えばできるとか、私が書いたとしてどうやってばら撒いたのかとか、他にも反論は山ほど。でもまあ、いいでしょう。その着想に至ったというだけで、あなたは他の有象無象よりずっと賢しい」


 ディニアスはニタリと口角をつり上げた。


「そうですよ、私がやりました。あなたがお考えの通り、その宣告文は私が書き、私が人を使って世界中にばら撒いたものです。……それで?」


 終わりがけは喉で笑いながら、目は高く円弧を描き、涼やかな佇まいで罪を認め立っている。あえて挑発するように顔の角度をも変え。


 ナターシャの中で糸が一本切れた。勢いよく立ち上がり、ディニアスの胸倉をつかむ。なおも動じずに見下ろしてくる男を、怒りと侮蔑と失望を織り交ぜた睨視で突いた。


「あんた……いくら、バダ・クライカの黒幕をあぶり出すためだって言っても、やっていいことと悪いことがあるでしょ!? なに考えてんのよ! 正気!? 一つ間違えば、政府が滅んでた!」

「そうでしょうか。ああ、そうかもしれません。でも、そんなことどうでもいい」

「どうでも!? 確かにギベルの化けの皮は剥げたわ、成果は出せた。だけど、それも運がよかっただけ。あいつが動かなかったら、ただの無駄な殺し合いで終わっていたのよ」

「……ナターシャさん、あなたは何か勘違いしている。前提として、私はバダ・クライカの連中をどうこうしようとは思っていません。それに、このような結果になるのはいささか想定外でした、困ったものです」


 ナターシャは愕然とし、間抜けに空けられた口から「は?」と声を絞り出す。局長が何故かような真似をしたのか、一晩考え続けても、狡猾なバダ・クライカの幹部たちを焦らせ罠にかけるための奇天烈な策だった、としか理由づけをすることができなかった。それが的外れだというのなら、まったく理解が及ばない。


 思考停止と共に緩んだ女の細やかな手を、ディニアスはそっと解いて押し返す。笑顔は柔らかいものに変じたが、しかし逆に胡散臭い。


 ディニアスは微笑みを湛えたままナターシャの目をじっと見つめて、幼子に教えを与えるようにゆっくりと語った。


「私の目的はただ一つ。エスドアをここに召喚し、我が神に代わり断罪すること。それだけでした。……色んな邪魔が入って台無しにされたんですけどね」


 ふふっ、と彼は苦笑した。屈託のない様子、冗談を言っているわけではなさそうだ。


 それを聞いて、ナターシャはなお唖然とした。目口はこの上ないほど開かれ、信じられないと小首を横に振っている。震える舌で引きつった言葉を紡いで答えるのがやっとだ。


「あんた、そんな馬鹿げた妄想のために……」

「いいえ、夢物語ではありません。なりすましが現れなければエスドアは必ず私の前にやって来た。自らの名が悪用された上に大量の人命が人質に取られている、エスドアは一応にも騎士なのだ、みすみす捨て置くわけにはいかないだろう。ああエスドア、あれの向こうには必ず我が神が居る。あの方の居所さえわかれば、私は――ッ!」


 気持ちよさげに捲し立てていたディニアスの独白を打ち止めたのは、足元がゆらぐ程の勢いで叩きつけられた左頬へのビンタであった。


 横を向かされた首を元の位置に戻す。その瞬間に今度は逆の頬が、これまた脳を揺さぶる強烈さではたかれる。そのままディニアスは襟をひっつかまれ、ぐいと前に寄せられた。


 いつになく凄絶な形相のナターシャは、手指に白むほどの力を入れ、怒りに震えるどすの利いた声で、鬱陶しそうに表情を濁らせているディニアスへ堂々噛み付いた。 


「そんなことを聞いてるんじゃない! くだらない信心を満たすためだけに、どれだけのものを生贄にするつもりだったのよ! 亜人も、人間も、あんたが享楽のために殺したようなものだ。そんな非道なことをあんたは……あんたは!」

「さしずめ私がすべての戦犯、律を乱す大いなる罪人(エスドア)だと、そう言いたいのだろう」

「わかってんなら、どうして悪びれもせずヘラヘラして居られるわけ!? 人の命をおもちゃにする真似をして、なんで平気な顔して笑っていられるのよ!」

「さあ? 行動の善悪など考えたことがない。私は必要ならばなんでもする、咎人を生かすし、聖者を殺しもする。変なことではないでしょう? 願望は語るくせに何も動こうとしない、それは愚者のふるまいでしかなく、そして私は、愚者ではない」


 据わった目で、真顔で、ディニアスは冷静に宣言した。


 ナターシャは一転、諦念から口を閉ざした。だめだ、この男は根源からして常軌を逸している。本人がそれを肯定的にとらえているから性質が悪い。


 歪んだ人、身中の毒。悔しいが、ギベルが評した通りだった。


『取り返しのつかないことになる前に消し去っておくべきだ』


 あの男の言葉を反芻する。その中で、ほんの一瞬だっただが、ナターシャの中に殺意が同調した。理性の方が勝っていたから衝動をかき消したが、一瞬、確かに暗い情念が沸き上がり、自らの手が絞殺に向かう映像が脳裏をよぎった。


 表には出していないつもりだった。しかし、ディニアスは心の底を読み取ったように、ふっとニヒルに笑って言った。


「私を殺したいですか。その方が政府のため、正義の計らいだと。そう断じるのであれば……どうぞ、やってみなさい。あなたが賢の側ならば」


 言い終わるか終わらないかのタイミングで、ナターシャの隣に何かが落ちた。不意に立った硬質な音に驚き見ると、そこには一振りのナイフが転がっていた。木製の柄に研ぎ澄まされた刃がついた、ありふれた形状の品である。だが、総監局の備品ではない。ディニアスが袖かどこかに隠し持っていたのだろうか。


 ナターシャは襟首をつかむ手はそのままに、怜悧なナイフをじっと見つめていた。それだけで、手に取るつもりはなかった。断罪は死に直結させるべきか、贖罪は死で履行されるべきか。否、と考えている。なおかつ、最終的な裁可を自分一人で下すべきではないとも。


 挑発じみた刃へ向けられた視線は冷めきっていた。しかし、ディニアスはそれを決意の象徴と受け取り、あたかも自分が死刑に処さるる体で、わざとらしく悲劇的に声を上げる。


「あぁ、我が神よ、肉体の呪縛から放たれ、あなたのもとへ還る時が来たようです。ただ、その前に、ナターシャさん。死出の土産として、一つ聞かせてくださいよ。……私とあなたは、何が違うんですか?」

「あんたみたいな気狂いと一緒にしないで。あたしは笑いながら人を殺したりしない」

「論点はそんなことではありません」


 ディニアスは肩をすくめ、続けて妖しく笑んだ。暗黒の右目がナターシャを捉え、威を張るその姿を鏡のごとく映し出している。


「私がしたことは書状を一つ書いただけ。亜人にしろ軍の連中にしろ、私が死ねと強制したわけでもなければ、直接殺戮を加えたわけでもない。そもそも戦わない選択肢もあった中、戦場で散るを選んだのは彼ら自身だ。それでもあなたは、その死を私の咎だと判断する」

「要因を作ったのは局長、あんたよ。責任が無いとは言わせない」

「それならば……停戦の邪魔をしたあなたには、何の罪もないのですか?」


 ナターシャの息が止まった。床のナイフが独りでに飛んできて胸をえぐったような、そんな衝撃に目を白黒させ舌を巻いている。


 あえて語らずともディニアスの意図は十分伝わっている。しかし、彼はなお咎めを繰り出し続ける。苦しむナターシャの胸中でうねり流れる光景を、しかと具体化して見せつけるために。


「あの時ギベル=フージェクロが望んでいたことは停戦。敵味方問わず無駄な血の流れぬ結末を欲し、実際に成す寸前であった。……私とセレンがしくじったことはさておき、あなたが何もしなければ、そこで戦は終わっていたはず。あの時点より死傷者が増えることも無かった。そう、あなたの手前勝手な正義が、生きられたはずの亜人たちを殺した。……私が自分のためにしたことと、何か違いますか? 誰が救えたはずの者を切り捨てたのです? 自己満足のために多くを踏み台にしたのは、ナターシャさん、あなたも同じでしょう?」


 ナターシャは一切の反論ができなかった。唇を噛み突き刺された現実を受け止める、そうする自分が眼前の男の瞳に映りこんで、とんでもなく滑稽な道化に見えた。耐え難くなって、目を逸らす。一方的に攻めつかみかかっていた手も、おずおずと引っ込め降ろした。


「茶番は終わりということで良いですね」


 ディニアスはせせら笑うと、一歩足を出してしゃがみこみ、綺麗なまま転がっていたナイフを拾った。


 それからナターシャの机へ近寄ると、彼女が証拠としてそろえていた紙たちをまとめて丸め潰し、部屋の隅にあるごみ入れへ投げこんだ。 


 何か言いたげに手を伸ばすナターシャの方へ向き直り、ディニアスは満面の笑みで言い含めた。


「ご安心を。あなたの糾弾から逃げたりはしません。あなたが掴んだ真実、お好きなように扱いなさい。公にするもよし、私を嫌う誰それに密告するでもよし。ああは言いましたが、政府があなたを責めることは無いでしょうから、おおっぴらに騒げばあなたの勝ちは確定です」


 と、そこまで言ってから、ディニアスは笑顔の質を意味ありげなものへと変えた。


「でもあなた、そのつもりないでしょう? だって、本気で私を獄に繋ぐつもりなら――」

「最初から一対一で話したりしなかった。真相もろとも葬られるのはごめんだから」

「賢明だ」


 ディニアスがくっくと肩を揺らせば、やや長めの後ろ髪も楽しげに跳ねる。そうしながらに、手ではナイフを弄んでいた。


 そんな彼を、ただし、とナターシャが戒める。


「あたしはあんたのことを許したわけじゃない。でも、あんたの順番は後。今、バダ・クライカの首謀者としてギベルが捕まり、戦を呼びかけた黒幕としてあんたが捕まったら、大喜びするのは、裏でこそこそやってる本物の黒幕だ。そっちが一番許せない」

「そうですか。それはそれは……僥倖というべきですかね」


 うっすらと笑むディニアスとは対照的な顔つきでナターシャは彼を見据えていた。

 

 互いのしたことを棚に上げるつもりはない。引き金を引いたのは自分だ。多大な犠牲の上に自分の正義を推し通した。間違いない、事実である。


 だからこそ投げ出すことはできず、最後まで貫く必要がある。バダ・クライカにまつわるすべての真実を明らかにして、すべての罪人に報いを受けさせる。それを遂げることが異能犯罪を取り締まる総監局の命題、ナターシャ=メランズの目標、そして死んだ者たちへの贖罪も込めて。


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