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フーダニット、ホワイダニット(2)

 入口から差し込む外界の光が倉庫内部を薄く照らし出す。積まれた木箱や樽、一部は横倒しにされ中身の食糧を散乱させている。


 ナターシャは静けさに包まれる暗がりに目を凝らした。入口に差し掛かった時には声は聞こえていた、主が同じ空間に居ることは確かなのだ。息も殺す忍び足で、背後の様子にも神経をすり減らし倉庫を調べて回る。


 目に止まったのは殊更闇が濃い最奥の角。箱や袋が乱雑に重ねられた辺りで、何かが動いたような。


 よく見ると、無機物の山に紛れ、丸まった人の背があった。縦横どちらにも幅がある大柄な影、それだけでも妙に威圧感がある。


 角材を握る手に力が増した。しゃがみこんでいる相手が何者かは知らないが、今なら不意打ちも可能。しかし、敵意のあるなしもわからないのに、殴りかかってもいいものか。一応戦も終わっている中でかような真似は、いささか野蛮すぎやしないか。


 迷いの後、ナターシャは一つ深呼吸をした。もちろん音を出さないようにして。


 そして意を決して目を尖らせると、男の背後に向かって一気に踏み込んだ。両手で持った角材を大きく振り上げ、そして。


「動くな! 抵抗せず、ゆっくりこっちを向け!」


 突如響き渡った雷に、男の肩が大きく跳ねた。慌て大きな動作で身を反転させる。素早かった、その上、いつでも飛びかかれるように身を構えている。


 抵抗せずゆっくり、という警告は無視された。しかし、ナターシャは鉄槌を振り下ろすを途中で躊躇った。微弱な明度の中に浮かぶ相手の顔形に、ひどい既視感を覚えたためである。それは向こうも同様らしく、探り合いの気配が間に漂っていた。


「ナターシャだな?」

「……ヴェルム?」

「おう」


 途端に張り詰めていたものが氷解する。単に知己だったという安堵だけでなく、戦の渦中にちらと見て以来の再会だという嬉しさも含んでいた。


 それがこんなかたちとは。ナターシャは頭をかち割る直前だった角材を慌てて後ろ手に引っ込めた。しかし既に遅し、ヴェルムの苦笑混じりの皮肉が飛んでくる。


「たった二日で俺の顔を忘れたか? こんな、一度見たら忘れられんような面をよ」

「まさか! だけど、こんな夜みたいなところじゃ見えないわ、しかも後ろ姿だったし。バダ・クライカ残党の知らない大男だと思ったの」


 気まずさをごまかすために、ぷんとそっぽを向く。隠れていたのがヴェルムだったと知っていたら、殴りつけるなどするわけがない。敵対心のある相手だと思ったからこそ、武器を拾って来たのである。


 はっとナターシャが表情を変えた。うすら寒いものを感じる。自分たちの他に人の息遣いは存在しない、だとしたら聞こえた声の主は。


「あんた、どうしてあんなになめらかにバダ・クライカの祈りを唱えられるの?」


 しんと倉庫が静まり返る。詮索を受け止めるにヴェルムがどんな色しているか、それは暗くて見えない。取り立てて身動きすることもなく、彼の顔は真っ直ぐにナターシャを見上げていた。


 角材を持つ手に力が再びこもってくる。その掌は嫌な汗でじっとり濡れていた。


 その中でヴェルムが口を開いた。平素より一層静かで、重厚な音色をもって。


イオニアンの(バダ クライカ)真なる子(イオニアン)いざ帰る(レ メラ アテク)母なる(モヌディフ)大地へ(ウェイス)いざ帰る(レ メラ アテク)父なる(フィムダウ)天へ(アラタ)御霊の通い路を(ミノズ エドフ シィ)精霊の祝福と共に(エリナ ヴェラ ゾ)

「それよ!」

「これはヘルデオムの民が死者を葬る時に捧げる祈りだ。教団独自のものじゃない、信奉を集めるためにやつらが利用しだけだ」


 なんだ、とナターシャは安堵の息をついた。今度こそ力を抜いて、角材ももう要らないとばかりに横へ投げ捨てる。


 しかし葬送の祈りを捧げていたということは、当該の相手が居るということだ。


 見出そうと意識してみれば、今まで見えなかったものが見えてくる。ヴェルムの背後に、ずんぐりとした人影が力なくして横たわっていた。体の部分は濃い黒に覆われ、顔のみが白く浮いている。地溝の民だ。


「あんた、ずっとこうやって回ってたの?」

「ああ。今さら俺にしてやれることはこれくらいなんだ」


 覇気の欠けた口ぶりで言ってから、ヴェルムは脇にあった布を取り、死に顔を隠すようにゆるく巻きつける。それから分厚い鎧に覆われたままの身体を両腕に抱え上げた。さすがの剛腕にも重量が過ぎたか、たたらを踏む。


 咄嗟にナターシャが支えに入った。ずり落ちかけていた死人の肩を支え、ヴェルムがバランスよく立つのを助ける。ついでに投げ出され揺れていた手を、胸の前で組ませた。生気の抜けた白い手は、しかしまだ温かかった。


「すまん、ナターシャ」

「いいえ。これからどうするの?」

「本当はこのまま大地に還してやりたいが……。亜人の骸は治安隊が集めて燃やしている。まともに埋めるにゃ場所が足らん、各人に墓をやるわけにもいかん、だとさ」


 淡々と語って、ヴェルムは外へ向かって歩き始めた。その背をナターシャは追う。



 街の北東側にある野原、そこで戦の残渣を処理している。ゆっくりと下がっていく陽のもと、二人はそこを目指していた。道中すれ違う人は多いが、各々忙しそうで、変に注目されることが無いのは好都合である。


 明るい中でヴェルムの姿を改めて見ると、彼がかなり身心をすり減らしていると知らされた。やつれた強面は常に影を帯びて、くたびれた上着を羽織った下からは、刻まれて間もない傷をいくつも覗かせている。半歩先を歩く足取りは、いつになく重たげだった。


 口数も少なく、いつものように軽口を交わし合うこともない。そんな中でヴェルムが語ったのは、ナターシャが立ち会えなかった戦の顛末だった。


 人間に騙されていた。それを知ってもなお、亜人たちはエスドアへの信仰を捨てなかった。怒りも反政府への原動力に変え、聖戦の中で神に殉ずることを選んだ。砲弾も毒矢もほぼ尽き果て、有翼人たちも負傷が大きい。一方の政府側には魔剣操るマグナポーラや、ヴィジラに特使官らの異能戦力がまだ健在である上、ブロケードが亜人の弱点を知らしめた後。このような戦況で抗い続けても勝ち目は薄く、停戦する他退路も無い。それらも全て承知の内だった。赤肌ヴェルムがいかに説得しようとも、断固として聞き入れようとしなかった。


 結果、中央に寄せていたバダ・クライカの亜人たちは夜明けまでに掃討された。その後、町の各所に散りゲリラ的な攻撃を仕掛けていた者らも順次制圧。亜人の屍がいくら積み上がっても、彼らの縋る女神が現れることはついぞなかった。


 次第を伝えた後、ヴェルムは一呼吸おいて尋ねた。


「おまえは、どうしてあれがギベルだとわかった」

「剣よ。黒い封魔石の剣のこと、聞いたばかりだったから。それに他人に代弁させていたことも。あたしはあの女の声を知っていたから」

「そうか。奴さんにしてみりゃ痛恨のミスだな」


 まったくだ、とナターシャは苦笑した。ばれないと思ったか、気づいたところで何もできないと高をくくったか、いずれにせよ慢心が彼女らの敗因だ。思い返せば、エスドアの使いが単身襲って来た時も。厳格で慎重なギベルの指揮下で動くには向いていない性分だったのでは。


 ――あれ?


 エスドアの使いに襲われた時のことを良く思い返してみる。あの女は確かに「主が所望だ」と不死の力を狙ってやって来た。その主とは神エスドアではなく、己を使う主人、すなわちギベルのことを指すはずだ。


 だが、特命部に呼ばれて聴取を受けた時、ギベルは――


『なぜ襲われたかわかるか。なにか言っていなかったか』

『なにか理由があるはずだ。でなければ、エスドアの使いがわざわざ姿を現すこともあるまい』


 などと。前夜の出来事については何も知らない風であった。あれも演技だったというのなら大した役者であるが、なかなかそうとは思いがたい。


 引っかかっていたこぶを解いている内に、ナターシャの足は止まっていた。


「……どうした? 足、痛めたのか?」

「ううん、大丈夫。なんでもない」


 軽く笑んで見せてから、ナターシャは数歩先を行くヴェルムに走って追いついた。


 ――黒幕が別に居るのかもしれない。それはまだわずかな可能性の域であり、裏付けはない。懊悩の種にしかならない以上、疲れ切った相方に話すのは躊躇われた。


 また並んで歩くが、ナターシャは思考の海へ意識を漬けたままだった。ただ、ヴェルムから言葉が掛けられると、にわかに浮上する。


「なあ。もしもあれが本物のエスドアだったとしても、おまえは撃てたのか?」

「たぶんね」

「停戦を望んだとしてもか」

「……向こうから起こしたことよ、不利になった途端に止めましょうだなんて、虫が良すぎるわ。聞き入れる必要がない」


 そっけなく言ったところで会話は途絶えた。寂しげな風の音が耳を打つ。


 さて、エスドアに成りすましたギベルたちは停戦を提案していた。戦い自体が誰かに仕組まれた罠で、自分たちが望んだものではないと主張して。あの男のことを信用しきるつもりはないが、その点だけは一貫していたことは無視できない。


 では、誰が悲劇を仕組んだというのだろうか。エスドアの使いがギベルと別に主と呼ぶ存在か? いや、違う。戦の場では完全に協力姿勢であった以上、バダ・クライカ・イオニアンとはまた別の意志がはたらいているとみるべきだろう。であれば、何のために? 政府と邪教が衝突することで利を得ること、思いあたらない。


 ただ確信した。やはり、事件は終わってなどいないと。


 ナターシャは決意を胸に顔を上げた。派手に踊ったギベルを目くらましとし、罪を逃れようとしている誰かがどこかに居る。痕跡は何かしらあるはずだ、見つけ出して、黒幕へたどり着かなければ。


 そんな彼女の鼻を、煙の匂いが強くついた。木に加え、別のものが焼ける臭いも混ざっている。見える風景はいつの間にか町から雑草はびこる原に変わっており、オレンジを帯びる空を背景に天高く昇る灰色の煙が上がっていた。


 その下へ到達するより先に、軍服を着こなした若者が三人こちらに向かって走って来た。


「ヴェルム殿っ、ちょうど良いところに来て頂きました。助けてください」

「どうした」

「先ほど北の林を捜索していた部隊から、亜人の残党を見つけたと報告がありまして。しかし、マグナポーラ司令もおらず、我々だけでは戦力として不安で……」

「まだ戦う力が残っている奴が居たのか」

「いえ、わかりません。ですが、犠牲をこれ以上増やさないためにも、慎重策を取りたいです」

「……わかった、すぐに向かう。代わりにこいつを頼む。簡易的だが弔いは済ませたから、後のことは任せるよ」


 ヴェルムは抱いていた遺体を軍の男たちへ引き渡した。向こうは二人がかりで抱え、よろよろと焼き場へ歩いて行く。


「ナターシャ、おまえも来るか?」

「やめとくわ。丸腰だから邪魔になるし」

「あっ、それでしたら、一つお願いしたいことがあります」


 一人残っていた軍人が、懐より折りたたまれた紙を取り出した。何やらひどく湿っており、下手に扱えば溶け崩れてしまいそうだ。既に縁はぼろぼろになっている。


「先ほど運び込まれた有翼人が持っていた、エスドアからの布告書です。妙な力がかかっているようなので、総監局で調べてもらえませんか」

「いいけれど、どうしてこんなにびしょびしょなの? 妙な力ってこれのこと?」

「いえ、濡れているのは海より引き揚げたためです。開いて見て頂ければ、不審な点はすぐわかるかと。口では説明しづらい現象なので……。それでは、よろしくお願いします」


 と、挙手の敬礼をして軍人はヴェルムと共に北へ去っていった。


 ナターシャは西へ向く。中枢の門が閉まるまでに宮殿へ帰り着ければ最良だが、日の高さからして難しそうだ。幸い緊急の案件ではない様子、明日の朝一番でライゾットの遺品のことと一緒に局長へ相談するのが次善だろう。



 濡れた紙を風に当て乾かしながらナターシャは歩いた。入り江を越える橋にさしかかり、丘の上で一日の終わりを告げる鐘が鳴るころには、重なった縁がめくれ上がって解けるようになっていた。


 破らないようにそっと書面を開く。


「なるほどね。変な感じだわ」


 黒い字で書かれた文面自体は、以前に垣間見たものと変わらない。ただ、文字そのものがおかしい。紙が水を吸ってふやけ、あるいは皺になっているのに、インクの乗った部分だけが一切影響を受けていないのだ。まるで後から切って貼りつけたような不自然さに浮いている。


 試しに爪でこすってみた。そうすれば文字がぽろりと剥がれ落ちてきそうだったが、駄目だった。インクの染み込んだ普通の文書と同じで、何のひかかりもなく紙面を撫でるのみ。


 確かに印象は気持ち悪いが、取り立てて恐れるものではないと思えた。加工の目的も察しが付く、さしずめ雨風から守るためというところだろう。宣告された出来事が終わった今となっては、無用の長物だ。ナターシャはふっと口元を緩めた。


 しかし、その笑みはすぐに吹き消される。目線は紙面に落とされたまま。


 別の違和感がある。いいや、既視感だ。文書そのものに対するものか、違う、文字そのものに。前に特命部にてこの書面を見かけた時に感じたひっかかりも同じもの、確信する。


 あの時もだが、ひどく汚い字だと思った。感情の赴くまま書きなぐった、癖のある筆遣いだと。この独特な勢いに見覚えがある。見覚えどころか、汚くても容易に読めてしまうほどに見慣れている。


「ちょっと待って、ちょっと待ってよ……嘘でしょ……」


 ナターシャは自分のポケットを探る。三日前の夜からいれっぱなしだった一枚の紙を取り出し、震える手で広げ、疑惑が疑惑でないと確かめる。


 動悸がする、胃が逆流する、口が乾く、頭が痛い。ナターシャは愕然として遠くを見た。水平に沈みゆく夕日が橙の半月となり、こちらをあざ笑っているようだ。


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