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フーダニット、ホワイダニット (1)

 空前絶後の危機を乗り越えた夜の後、さらに二つの昼夜を越えた今日でも、いまだエバーダン大島の戦火の痕は癒えきっていない。天高く照る陽の下、荒れた島の各所にて葬送の歌が奏でられていた。戦火にて失われたものは多く、人々の悲嘆が渦を巻いている。


 政府内も混乱覚めやらぬ状態だ。多くの政務官が長官クラスに至るまで死傷し、体制が乱れているのも要因の一つ。また、明かされたバダ・クライカの真実も大いにショックを与えていた。


 柱の影ところどころに人が立ち、ギベルとバダ・クライカのことについて噂している。自分が通りかかるとふっと言葉をひそめ、なにかを期待するようにこちらを見てくる。ナターシャは気づきながらも、つんと無視して廊下を早足で通り抜けていた。


 人が居ない総監局前の薄暗い廊下にさしかかってから、ようやくこぼす。


「まったく都合のいいこと、普段はあたしの言うことなんか信じないくせにさ」


 野次馬の人間たちも、今しがた証言を聞かせてきた治安局の人間たちも、だ。あの夜ギベルが何を語ったか他に知る者が居ないために、すべての好奇と調査の的になっている。同じことをもう何人に尋ねられたかわからない。


 ただ、真実を知りたがるのは良いことだろう。なおかつ、それこそが自分の役目だ。そんなことを考えながら総監局の古びた扉を開けた。出てきた時は自分一人だった、おそらく今も。


「……あれ、局長。珍しい」


 島状に並べられた机の一番奥、自席の肘掛け椅子でふんぞり返り、腕を組み物思いにふけっている。ディニアスが椅子に座っている姿自体珍しいのに、さらには真面目くさった顔を見せているではないか。ところが、ナターシャの存在を認めるなり、いつもの嫌味な笑みに戻ってしまった。


「なんですか、珍獣でも見たかのように。失礼な」

「だってあんまりこの部屋にいないじゃない。今みたいな時ならなおさら、あれこれ首つっこんで回ってさ」

「いつ用ができるかわからないから極力ここに居てくれ、と、ミリア統括からお達しがありましたので」


 面倒だとばかりにディニアスは不遜な嘆息を漏らした。それを適当に受け流し、ナターシャは自席の傍らに立つと、コップに汲んだまま放置していた水で喉を潤した。まるで生き返った気分だ、あちらこちらと駆けまわっていると、水分補給することすらままならないから。


 もう一杯、と水差しに手を伸ばす。そうしながら、何となくで局長に声をかけた。 


「だからってじっとしてて平気なの? 特命部の方だって暇じゃないでしょ」

「いいんですよ、ちょうど考えごとが色々と積もってますから」

「考えごと?」

「どうにも思い通りにならなくて。仕掛けていたこと、練っていた段取り、その他些事までこちらの思惑は全部台無し、一から考え直しですよ。そんな状況で特命部なんて構っていられるもんですか。事実上、あちらも今や私一人のようなものですし」


 ディニアスはぱっと手を開いた。それもそうかとナターシャは納得する、それほどに特命部の機能不全な現況は周知されていた。責任者ボレットからして戦中に負傷し伏せっている、そして実働の要だったギベルが裏切りを。その他の人員は他者に帯同するしかしない凡愚か、口先と実力が伴わない無能か、ともかく大事をしきり混乱を収めるには足りない。唯一動く気力も才覚もあるディニアスは、いかんせん人望に乏しい、一人飛び回ったところで七面倒なことになるだけ。


 局長も大変だ、と浅い同情を捧げつつ、ナターシャは注いだ水を一息に飲んだ。体が潤う感覚が心地よい、一連の出来事で蓄積した疲れもすっきりと消え去るようだ。しかし、どうにも喉につっかえた感じが残るのはなぜだろう。


「ギベルさんは黙秘を貫いているそうですよ」


 世間話をするのと変わらない調子、視線を投げれば、頬杖をついたディニアスとぴたり目が合う。


「知ってるわ。だからみんなしてあたしから話を引き出そうってするんでしょ。でも、あいつがあたしに話したことなんて、独りよがりな動機くらいよ。組織の全貌とか、金の流れとか、そういうのは全然」

「あれは厄介なタイプですよ、理想に殉じると決めたらてこでも動かない。拷問にかけても、心をくじくまでに難儀する。やりすぎて発狂させてもなりませんからね。そういう意味ではシュドンを殺されてるのが痛いところですね。あれも色々込み入ったことは知っていたはず、あの小物なら少しつつけば洗いざらい吐いてくれたでしょう」

「そっか、だからああやって口封じしたわけね」

「それも理由の一。だが……私の見解だと、主ではない」


 ディニアスはふっと目を細めた。


「シュドン=リンガーは亜人を金づるとしか見ていない、そんなものを引きこめばどうなるか、事が起こる前に読めたはず。しかし悲劇は止められなかった。ギベルさんの中では罪滅ぼしのつもりだったのでしょう。下賤な欲望の犠牲になった人魚たち、そしてあなたへの」


 もちろん推察に過ぎないが、と付け加え、ディニアスは意味ありげに口角をもたげた。


 おそらく彼の予測は正しい。一昨々さきおととい、人魚の話を持ち出したとたんにギベルは取り乱したし、謝罪の言葉が発せられるのも聞いた。


「だからって何よ」


 ナターシャは強い音と共にコップを机に置いた。


「どれだけ上塗りしたって、罪自体が消えてなくなるわけじゃない。ギベルは責められ裁かれるべきだし、あたし個人としても許すつもりはないわ」

「アハハ、軸がぶれないですねえナターシャさん。素晴らしいです」

「普通でしょ。自分の軸なんて簡単にぶれないわ、自分を否定することだもの」


 ナターシャはディニアスに向かって皮肉めいた笑みを返した。


 局長はにやついているだけで、問答を続けようとはしない。この限り一人思索にふけることを選んだようだ、深く椅子に座り直して腕を組む。


 話が終わりだというのなら。ナターシャもぐっと背伸びをし、首肩をひねってほぐし、少し乱れた長い髪にゆるく手櫛を通し、それから努めて明るい顔をつくって。


「ねえ、ちょっと出てきてもいい? 日が暮れるまで、それでそのまま家に帰る方向で」

「いいですけど、どこへ」

「ライゾットの屋敷」


 ぴくとディニアスが耳を立てた。やや前のめりで食らいついてくる。


「そぉれはそれは……どうしたんです? なにか、おもしろいことでも判明しましたか?」

「そういうわけじゃないけど。バダ・クライカの首謀者が捕まえたこと、家の人に報告しておきたくて。実行犯はまだわからないけど、少なくともエスドアの仕業じゃないってことは確かになったわけでしょ。そういう事実を伝えるのも、役目の内じゃないかしら」


 ナターシャの論を聞いた途端、ディニアスは興味を失くしたように椅子にもたれこんだ。大変つまらなさそうな顔で、返事は鼻で笑っただけ。


「わかった、じゃあ行ってくるから」


 背を向けてから、ひらと手を振った。無言ということは異論なしと置き換えて問題ない。何の障害も無く、ナターシャは総監局を発った。



 大橋を越え荒らされた町を進み、ライゾット=ソラーの邸宅へ至る。激戦区となった主幹の通りからは離れたところに位置するため、外観上の被害は最低限、塀が崩れるのみで済んだようだ。


 呼び鈴を鳴らすと、ややして先日と同じ使用人が姿を見せた。額の端にガーゼを当てている以外、変わりは無い様子である。


「今日はどうなさいましたか」

「バダ・クライカの首謀者を捕えましたので、ご報告に参りました」

「ああ、噂には聞いておりましたが……本当に。軍の司令官だったのでしょう。旦那様を殺めたのも、その男だったのですか」

「あの晩のことについて詳しいことはまだ不明です。ですが無関係ではありませんし、少なくともエスドアの仕業でないことは確かです」

「そうですか……。しかし、良かったです。犯人は報いを受けるのですね」


 使用人はわずかに頬を緩めた。


「これで旦那様も浮かばれます。奥方様にも事件は解決したとご報告できます。……ありがとうございました」


 深々と頭を垂れる姿を前にして、ナターシャはひどい居心地の悪さを感じていた。所在なく立っているのが堪らず、無意識のうちに手が自分の髪をいじっている。


 使用人は顔を上げて「ところで」と別の話を持ち出してきた。


「事件の時に来た治安隊が色々と証拠品として持って行っていると思うのですが、それはこちらへ帰って来るのでしょうか」

「えっと、あたしの管轄と違うので、何とも言えないです。なにか、お困りですか?」

「困るというほどではないのですが……旦那様が愛用しておられたパイプがどこにもないのです。おそらく紛れ込んでしまったのだと思いまして」

「パイプ、ですか」

「ええ。ブロケード様から贈られたものなのだと、肌身離さず大切に使い込んでいらした一本なのです。墓前に供えようと探しているのですが、どうしても見つからなくて」

「わかりました、確かめてみます」


 バダ・クライカ絡みの押収物は特命部に保管されているから、局長に聞けば在り処はすぐにわかるだろう。明日中に終わる仕事、軽い気持ちで引き受けられた。あとはギベルに処分されていないことを祈るのみだ。



 用件が済むとすぐ、ナターシャはライゾットの屋敷を離れた。陽は高度をだいぶ下げてはいるものの、まだ辺りは明るい。大回りして町を眺めながら帰ろうと、町の復旧に走り回る人を邪魔しない程度にゆっくり歩く。


 割り砕かれた石畳、なぎ倒された街灯、倒壊した建物、折れ散った刀剣、そして傷ついた人。それらの光景はまだ過去のものになり切っていない。だが、すべてがそうなるのも遠くない未来のことだろう。生きる人々は決して歩みを止めていないから。


 着実に片づけをしていく人たち。彼らの傍を通りかかったとき、ナターシャはよくこのような言葉を聞いた。


「だけど、終わったんだ。邪教は滅ぶ、政府の勝ちだ」


 終わった、バダ・クライカの野望は尽きた。明るく囁かれるその評は、ナターシャの中では溶けずに降り積もり、喉の奥を詰まらせる。先ほどライゾットの使用人と話した時もそうだった。宮殿に居る時も、また。


 首謀者は捕えた。だが、それで終わりと言い切るのはどうなのか。現にギベルは黙秘に徹していて、組織の全貌はつかめない。


 現状わかりきっている不安の種は。まず、逃げたエスドアの使いたち。特に奇想天外な術を使うあの女を野放しにするのは危険だ。それにシュドンのように、甘い汁を吸うべく悪事に協力していた連中が他にもいるのではないか。元から闇社会の住人かもしれないし、ギベル同様政府の内に隠れているかもしれない。


 それに、相手は宗教なのだ。


「……祈りが聞こえる」


 ナターシャは足を止めた。風音に紛れてかすかに、厳かな節が聞こえてくる。意を解せない東方亜人の言葉だ、しかし「バダ・クライカ・イオニアン」なる音が含まれていたのは確かである。


 神エスドアに導かれている、そう信じる純粋な徒は世界中に居るのだ。彼らはどうするのか、どうなるのか。己が信じていた神が偽りだと知り心挫くか、それとも。


 では、こちらはどうすべきか。ナターシャは音に集中しながらあたりを見渡し、発生源を探った。周りに人は居ない。では、身を潜められるような場所は。


 一つある。路地に入ったところに建つ、荒らされた倉庫。蝶番が壊れかけ開きっぱなしの扉は、軽い風でもふらふらと揺られる。その向こうは、真っ暗の闇。


 近くにちょうど手ごろな大きさの角材が落ちている。それを拾い、棍棒代わりに構えながら、ナターシャは足音を殺して倉庫の中へ踏み入った。


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