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幕引き(1)

 広い机の片隅、金属皿の上で燃える火は、与えられた餌を食らい尽くして徐々に小さくなっていく。その中にあるのは薄く軽い炭の山、微弱な空気の流れでも崩れてかさりと音を立てた。黒い粉となり消えていくのは、世界を転覆させる悪事を暴くに重要だったものだろうに。不幸中の幸いは、燃やされたのはまだ至極一部だったこと。壁を埋める資料棚や保管箱のほとんどは荒らされた様子もなく鎮座している。


 ギベルにも更に行動を起こそうという素振りは見られない。二本の剣も鞘に納めたままで、今すぐ抜こうという気配も皆無。かと言って諦めたという顔つきでもない。鋭く細めた双眸でナターシャを睨みつけている。


 沈黙。張り詰めた空気が肌を刺す。


 ナターシャは一切気おされず、対面する裏切り者を冷たい目で射続けていた。同時に計算する。入口より会議用の大机を挟んで対面、この距離この状態

からならギベルが懐に飛び込んでくるより魔砲の弾速の方が速いだろう。入口は塞いでいるし、室内に逃げ隠れする場も無い。

 

 己の優位性を踏まえて、ナターシャは警告した。


「観念して、手を挙げなさい。あなたの力はこの砲には通じない、逃げ場は無いわ」

「ならば撃てばよかろう。異能に生存権は無い、政府に反する人外には死あるのみ。それがこの世界の法だ」


 忌々しい、とばかりにギベルは吐き捨てた。同時に握り込んでいた紙切れを火皿の中に放り投げる。ぐしゃぐしゃに丸まった情報は、着地するなり残っていた炎に憑りつかれて死んだ。


 明らかに挑発だ、ナターシャは顔をしかめた。だが先手を誘って返り討ちにしてやるという雰囲気ではない。言葉通り、さっさと殺せという意図だろう。罪人であることは既に自白した、敗者であることも認める、だからこれ以上の辱めをくれるな、と。騎士の装いに精神まで引っ張られているのか、いや、元来そんな性質の男だった。


 ――冗談じゃない、そんなのかっこつけて逃げたがっているだけじゃないか。ナターシャは蔑みをあらわに視線を投げた。まだすべての悪事を告白したわけではない、死をもって真相も闇に葬るなどと許せるはずがない。


 引き金にかけられたナターシャの手は微動だにしない。それを見て取ったギベルは、うっすらと嘲笑を浮かべて言い捨てた。


「結局は怖気づいたか」

「いいえ! あなたが妙な真似をしたら、あたしは迷わずあなたを撃つ」

「現に撃たなかったではないか。そうやって吼えることしかできないのだろう、ならばそこをどけ。私の邪魔をするな。遂げておかねばならないことがあるのだ」

「だったら、あたしを斬っていけばいい! そうでしょう、あたしは人魚だ、亜人だ。いつ殺されても仕方ない。あたし一人殺したところであなたの罪が増えるわけじゃない。だったら切り捨てて進みなさいよ、ギベル司令! ほら、早く!」


 危険は承知で挑発する。だが斬られない自信はあった。この男が真にバダ・クライカ・イオニアンの主導者ならば斬れるはずがない、その途端に自らの掲げた教義に反することとなるから。


 案の定、ギベルは動かなかった。葛藤はあるのだろう、憎々しげに握った拳は震えている。半分ほど伏せた目も苦しい心中を物語り、口にも力を込めて衝動を噛み潰している。


 そして結局、彼もその場で吼えることを選んだのだった。


「なぜだ! なぜ貴様たちは我らの邪魔をする。本来ならば同じ理想へ進むべく存在、それなのにだ! 不当な扱いとは思わないのか? 自らが虐げられる存在であるとなぜ認められる!?」

「いいえ、おかしいとは思うわよ。でも仕方ない、この政府の下で暮らすことを自分で選んだのだから。だったら、法規に反することはできないわ。その中でうまく生きていくしかない。……機会があったら『おかしい』って言うくらいするけどね」


 ナターシャが平然と言ってのければ、ギベルが押し黙った。


 ――ああ、そうか。わかった。


「あなたが狂った宗教を創った理由は、それが受け入れられなかったから、なのね」


 ギベルははっきりと答えなかった。だが沈黙のまま苦し気に目を伏せたのは、肯定ととっても問題ないだろう。


 火は消えている。ナターシャは細心の注意を払いながら、一歩また一歩と前に出た。砲はいつでも放てるよう構えたまま、制圧対象との距離を詰めていく。ひとまず机の真ん前に立った、ここよりどう回り込むか。反対側より出入口へ走られるかもしれない、油断は禁物である。


 そんな中でギベルが静かに口を開いた。


「正義とはなんだ」


 虚を突かれてナターシャは足を止めた。そのまま言葉に詰まっていると、ギベルが更に問いかけて来る。


「人を殺す、それは正義たりえるものか?」

「いいえ、あたしはそうは思わない」

「個人の意見ならそうやって綺麗ごとが言えるだろう。だが、現実は違う。戦場では殺すことが正義だ。刃向かう者を多く殺し、多くを傷つけ、無数の屍の上に立ち笑った者が正義を主張できるのだ」


 ギベル=フージェクロは中枢に来る以前、南方大陸アスクバーナの戦地に居た。混迷の真っただ中に生まれ育ち、将官として前線で戦に身を投じてきた。だから言葉の重みが違った、実感がこもっている。


 言わんとすることはわからないでもない。だが。


「それでも、死なないほうがいいに決まっている。多くを死なせて勝利を導いた奴より、多くを生かして勝利を導いた方が正義であるべきだわ」

「ああ、私もそう思う」

「……は?」


 話が見えない、てっきり自分たちの行為を正当化する言い訳だと思ったのだが。纏う鎧の光が浮かばせるギベルのまなざし、そこには悲嘆が滲んでいた。


 そして言葉を重ねた。


「だから守りたかった。いや、守れたはずなのだ。この力があれば、あらゆる脅威を跳ね除けることができる。刃一つ矢一つ、それさえ無ければ多くが死なずに済んだ。だが……できなかったのだ」


 寂しげに言った男の目は、暗く暗く沈んでいく。過去に見た絶望をもう一度覗きこんだように。


 実力不足だったからという話ではない。許す許されるの問題である。絶対正義を主張する政府の「人間」が、忌まわしき力であるアビラを発揮することなど許されない。例えそれがどんな理由でも、異端の力を見せた瞬間「人間」では居られなくなる。差別され排斥され、そして討たれるべき悪に転ずるのだ。政府の法がそれを推奨するがゆえに。


「望んで力を持ち生まれたわけではない。全ての力が害悪たりうるわけでもない。だが、法は全てを等しく悪とする。特殊な才があった、特別な血に生まれた、たったそれだけの違いだ。それだけで存在すら罪になる。……それが正義だなどと、おかしな話だ」


 静かに、しかし熱く。堅苦しい顔の下にある激情の片鱗を覗かせ、ギベルは言い切った。もはや同意を求めるつもりもないのだろう、ぎらつく金色の瞳はいつにも増した威圧感を湛えている。


「法を、政府を、そして世界を変えなければならない。このような差別主義がまかり通る世界が真であってはならない。全ての人が生まれたままに生きられる世を。私の戦いは聖戦だ、世界にあるべき姿を取り戻すための戦いだ」


 堂々と宣言する。この期に及んでまだ心は折れていないらしい。


 絶望の淵で同じ言葉を聞いたのだとしたら、感ずるものがあったかもしれない。あるいは神のように崇め、信じ、従ったかもしれない。しかしナターシャはとうにその場を越えていた。夢想を捨てた地上の人魚の心は、まったくと言っていいほど動かされなかった。だから


「馬鹿馬鹿しい」


 そう唾棄するのみである。

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