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戦きわまり、そして(2)

 東部街区。開戦より幾分も経たず、すでに戦線は半壊していた。


 西で火花が散り始めてやや後、有翼人が空より奇襲をかけてきた。その編隊が運んできたかごが、市中の離れた四か所に落とされた。そこから亜人の戦士があふれ出て、人間を蹂躙しはじめたのだった。


 鈍器や斧を手に白兵戦を仕掛けてくる敵は、ずんぐりとした体躯に、黒岩を削りだしてこしらえたような鎧を纏っていた。そのせいで、中央軍側の攻撃はほとんど弾かれてしまう。ただでさえ兜と覆面で目以外を覆い隠す容貌が不気味なこともあり、人間たちは完全に心を挫かれていた。


 物理攻撃がまともに通じない以上、頼みの綱はヴィジラの戦闘力であった。白服の者たちも、各自アビラを振るい、殺戮と破壊にあけくれる亜人たちを屠っていた。


 しかし、彼らもまた生き物であり、無敵ではない。亜人の頑強さに負け、あるいは背後より不意打ちを食らい、一人、また一人と倒れ伏していく。


「まずい、まずいぞ! このままじゃ、全滅だ!」

「退却していいのか!? 司令はまだ途絶えたままなのか!?」

「誰か大将のもとへ伝えにいくべきでは。隊長、隊長はどこですか!?」


 末端の兵員たちが混乱を叫ぶ。それが表す通り、指揮体系はとうに麻痺していた。東の現場指揮長には、ワイテから任されて治安省統括ボレットがあたり、港近くの広場につくった司令基地に屯していた。が、真っ先にそこが落とされたのである。


 今の広場は明かりも一切ない暗闇の廃墟と化していた。あおりを受けて崩れた建物の影に、司令基地の生き残りが、絶望感と共に息を潜めている。


 鉄の大盾を持った軍員が九名、ぐるりと囲いを組むように並ぶ。その後ろにはボレットが居た。がれきに背を預け、脂汗を流しぐったりとして。投げ出された右脚は、太ももの中ほどで変に曲がっている。見たことのない武器で鉄球を撃ちこまれ、骨が砕けた。激痛に身じろぎすることもままならない。


 戦闘はまだあちこちで続いている、みな世界一の軍として意地を見せているのだろう。風に運ばれてくる音を聞きながら、ボレットはぼんやりと思った。しかし、もはやこれまで。司令塔がこれでは、全滅も時間の問題だ。


 ボレットはすっかり意気消沈していた。ため息もこぼれるし、愚痴もこぼれる。


「まず大将の博打が大失敗だ。ギベル司令にここを任せればよかろうものを。このような時に使わぬなら、何のために中枢に据え置いていたのだ。だいたい、私は前線にかりだされるなど――」

「統括、お静かに。あの黒ずくめの亜人が近づいてきます」


 ひっ、との上ずった音と一緒に、ボレットは声を飲み込んだ。分厚い黒鎧を着た亜人。小さいくせに、信じられない腕力を持っている。彼らが持つ鈍器に殴られて、原型をとどめなくなった死体を、もういくつも目の当たりにした。


 砂利を踏む音が近くで聞こえる。あいつらは黒い装束を利して、闇に紛れて襲ってくる。鉄球を豪速で飛ばし、あるいは振るった鉄槌で、住居や石畳を割り砕くような連中なのだ。盾やがれきを吹き飛ばすなんて、もっと簡単だろう。あっと思った時には頭をかち割られているかもしれない。息を殺して身を寄せる人間たちは、死の影に怯え震えていた。


 亜人の足音はがれきを挟んで後ろをうろついている。それが不意に止んだ。気づかれたのか。


 万事休す。ボレットは悲痛な顔で天を仰いだ。その時。あたりの景色が一瞬、真昼と見まごう明るさに照らし出された。


 今度はなんなのだ、これ以上なにを仕掛けてくるというのだ。逼迫した人間たちが揃って悲痛な疑問を浮かべる。


 だが、亜人の悲鳴が聞こえてきて、彼らの疑問の質は変わった。何が起こった、と純朴に。


 黒い亜人の苦悶の声。その向こうで、馬の蹴爪が石畳を叩き、広場の方へ近づいてくる。人の足音も伴って。


 そしてまた閃光が走った。今度の発生源は近い。ボレットたちが隠れるがれきのすぐそばだ。なおかつ硝子が割れるのに似た音が聞こえた。だから光の正体に気づいた。これは、砕かれた光源石こうげんせきより発生するアビラの光だ。


 亜人の男は耳をつんざくような叫び声を上げた。激しくのたうちまわっている気配もする。


 さらに馬が迫って来る。騎す人間の声が轟く。あたりの建物の中にまで届けんとの咆哮だ。


「松明を持て! 火を使え! 地溝ちこうの民は光が苦手だ! 明かりを絶やすな! 灯火を守れ!」


 冷静に、そして勇敢に。外套をなびかせ現れたのは、東方総裁次ブロケードであった。武装は一振りの剣のみ。それを抜き、目をくらませた黒鎧の亜人へ向かって加速する。


 敵の体勢が整うよりも先に、銀の剣が目を的確に貫いた。突撃の勢いが乗り、脳髄まで到達する。亜人は絶叫ののち、息絶えた。


 剣を抜きざまに、渋い顔で司令基地の惨状を見渡した。後ろより追いついてきた二人の私兵に声をかける。


「周りの建物に人が隠れていないか見てきてくれ。玄関をいきなり開けるような真似はするなよ、わかっているな」

「はい。ブロケード様は」

「私は外を探す。がれきに紛れて生存者が居るかもしれん」


 ブロケードは私兵の片割れより、煌々と燃える松明を受け取った。そして馬の腹を蹴ろうとする。が、実行に移す一呼吸手前で、隣のがれきの陰にて、数名の軍人がこちらを伺っていることに気づいたのだった。


 ブロケードはすぐさまがれきの裏に回り込む。灯火に疲弊した治安隊員たちの姿が浮かび上がる。さらにその奥には指揮を担うボレットも居る。急ぎ馬から降り、彼のもとに駆け寄った。


「統括。よかった、ご無事であったか」

「いいや、この通りだ。足をやられた、立てもしない」

「喋れるなら問題ない。防衛隊の混乱が極まっている、このままではみな死ぬぞ。急ぎこの馬に乗り、散った者たちを集めて隊列を組みなおされよ」

「はっ……はあ!? ちょっと、待て」

「時間は無い、ながりかがり火を灯して回るのが良いだろう。光の近くでは、地溝の民はまともに動けん。遠距離から来る砲だけは恐ろしいが、弾数が限られている、直に使えなくなるだろう。無力になる前に、宮殿へ矛先を変えるはず。そこで背中を叩けばよい。さあ、早く!」


 早口でまくし立てながら、ブロケードは松明を他人に預けていた。そして自らはボレットの肩を担ぎ上げに回っていた。


 ボレットは異次元の存在を見たかのごとく言葉を失っていた。本気で理解が及ばないのだ。現に無理矢理立たされた中で、壊れた足が悲鳴を上げている。耐え難い激痛だ。馬の足がこの痛みまで肩代わりしてくれるわけがなかろうに。それなのに、恐ろしいことをさせようとしてくる。信じられない、無神経にもほどがある。


 ボレットはすぐ隣にある横顔をみつめると、威厳も矜持も忘れた情けない声で言った。


「無理だ。……だいたい、そこまで言う貴殿がやったら良かろう? 元は軍官であったそうではないか。私は、違う。怪我をしてなお、武人の真似ごとなどできん」


 言うやいなやブロケードが急に足を止めた。小さく首をひねって、横目でごねる男を見据える。熱い火が反射する目は、しかし凍るほど冷たい。


「私もその方が良かれと思い、司令の役を担うことを申し出た。だが、それを固辞したのは、そちら側であったと思うが? 私の記憶違いであったか?」

「いや……それは、大将が断りたいと仰せったからであり……」

「ワイテ大将は私の上官だった。であれば、私ではなく統括が指揮するにふさわしい理由があるということだろう」

「そんなもの、治安維持省の統括という肩書だけだ!」

「ならば、それを捨てると? 治安省統括、特命部指揮長、責務を果たしてこその肩書だ。権威をふりかざすための飾りではない」


 辛辣な言葉に、ボレットが恥と憤りを混ぜ込めるように顔を歪めた。しかし、反論を放つことはしなかった。いや、できなかった。それより先に空気を裂く矢が飛んできたために。


 高い位置から来たるそれは、松明を持っていた男の右肩に突き刺さった。瞬間、彼は獣の吼え声に近い悲鳴を上げ、地面に倒れた。灯りも放り捨て、狂ったように転げ回っている。震える手で矢を抜くと、血の流れる傷をさらに自らかき削るように。剥かれた目は、もはや正気のものではない。


「毒矢だ! 盾を持て!」


 ブロケードが叫んだ。同時に矢の発射元へ目を向ける。


 三階建ての屋根の上、月明かりに軽装の亜人の影が浮かんでいた。すらりと伸びた腕を動かし次の矢をつがえる、その露出した肌は、艶やかな鱗で覆われている。――鱗人うろこびとだ。ヘルデオムの奥地に暮らす民、普通時に外界で見かけることはほとんどない。


 そのぎらつく目と目があった。限界まで引き絞られた矢も、同じ点に向いている。鱗人の口が開き、尖った歯が見え隠れする。


「ブロケード=ロクシア、死ね!」


 怨嗟を込めて己の名が紡がれた瞬間、ブロケードがまずしたことは、ボレットを後方へ思い切り突き飛ばすことだった。後ろに居た隊員たちの足下に転がり、そして慌ただしく盾で隠される。


 そして、ブロケードは横方向に身を翻した。めくれ上がった外套を、勢いづいた矢が貫いた。間一髪である。


 乾いた金属音が響く中、ブロケードは片膝をつき、周りの地面を急ぎ見渡した。だが目的の物、屋根の上まで届く武器は何も落ちていない。小さく舌打ちをする。


 鱗人は三本目の矢を取っていた。狙う対象もまた同じく、亜人の怨敵ただ一人だった。


 狙いがぶれないならば好都合、囮になり続け、矢を尽きさせるまでである。ブロケードは立ち上がった。剣も抜く。一撃でももらうわけにいかないのだから、身を守る手は多い方がよいだろう。


 三本目が引き絞られる。しかしその途端、鱗人は急に背後へ振り返った。慌てて弓矢もそちらに向ける。


 なんだ。見ていた人間たちが困惑する。だが、彼らにもすぐに理由がわかった。


 奥手の屋根から徒手空拳の人間が飛び移って来て、そのまま鱗人に特攻をかけたのである。鱗人が反応した時には、彼の渾身の蹴り上げが、鱗に覆われた腹にめり込んでいた。


 亜人は特大の弧を描いて宙を舞った。高く昇った艶めかしい肢体は、中央軍残兵が寄るがれきの丘をも越え、広がる石畳の真ん中に叩きつけられた。それから、微動だにする気配もない。


 ブロケードは剣を抜いたまま、屋根の上にいる何某かを睨んだ。大柄で筋肉質な、つんつんした頭の青年だ。身に着ける衣は中央軍の軍服に似た型式だが、同じではない。普通の政務官用制服とも少し違う。初見だが、心当たりは一つあった。最近、ディニアスが新しく設置した異能特使官。先ほど見せた脚力は、明らかに人間の筋力で及ぶ域ではなかった。


 それを示すかのように、青年は三階建ての屋根から地面へと、低い段差を降りたのと同じ軽々しさで飛びおりてきた。すとんと着地した後も、リズミカルに足を出し走り寄って来た。


「よ、無事だったみたいだな」

「ディニアスの部下か」

「そうだ。伝令にきた。真ん中につっこんできた亜人は全部処理するから、中央の橋らへんまで敵を追い込んでくれればありがたいって。たいして期待はしていないから、出来ないなら出来ないで構わない、だってさ」

「あいつは、偉そうに、何様だ!」


 ボレットが腹立たし気に叫び、地面に手で八つ当たりをする。だが、先ほどまで怪我を盾に指揮役を放棄していたのも事実、言い返す弁もなく、つんとそっぽを向いた。


 特使官の青年は面妖なものを見たかのように統括へ一瞥くれて、それからブロケードの方へと体ごと向きを変えた。


「亜麻の髪に緑の目、あんたが東方総裁次とやらだな?」

「そうだが」

「ちょうどいい。あんたあてにも伝言があるんだ。東側の兵隊がめちゃくちゃになってたら、あんたが指揮をして立て直してくれって。『中央のみなさまは、亜人との戦い方を知らなさすぎるので』だとさ。よろしく頼むぜ。じゃあな!」


 青年はブロケードの肩をなれなれしく叩いてから、一転、港方面の闇の中へ去って行った。まるでつむじ風を思わせる俊足で。


 微妙な空気が辺りに漂っていた。各人思うところは色々とあったのだ。今はそれをとやかく言っている状況でもない。特にボレットは免罪符を得たに等しい、だから先ほど感じた苛立ちも水に流し、晴れ晴れとした顔をしていた。


 遺憾である。そう思えども、もはやブロケードは何一つ言う気になれなかった。ただ侮蔑を治安統括に向けるのみにしておき、後は指名に従って動き出す。まずは、この場に居る手勢への号令から。


「敵を町より追い出し、住民の安全を確保することが優先だ。街路沿いにかがり火を灯して回る。武器を置き灯火を持つ用意を。敵を殺すことは考えるな、まずは自らが生きることを考えろ。さすれば道は自ずと開ける。よいな!」


 続々と起こった返答は気のこもったものだった。内の一人が落ちていた松明をすぐさま拾い、ブロケードに手渡す。小さく消えかかっていた炎だったが、空中で二度三度振れば息を吹き返した。


 また別の足音が近寄って来る。見れば、先に偵察に出した私兵が、数名の治安部隊員を伴って戻って来るところだった。彼らの来た方の一部屋内からは、控えめながらも光がこぼれている。また小集団自体も急ごしらえの松明を幾本か携えている。


 良い流れだ、これなら巻き返せる。ブロケードは思った。命を狙われたことは一度二度ではなく、似たような修羅場もくぐり抜けてきた。隣で友が「こんなの、軽いお遊びの域じゃないか」と笑い転げている声が聞こえる気すらする。それくらい、詰みには程遠い。


 ブロケードは馬に寄りつつ、空を見上げた。風は静かだ。近隣に有翼人の影もなく、頭上には平穏な星空が広がるのみ。亜人と戦っていて空を気にしなくていい状況は初めてである。そしてこれこそが、現状を楽に受け取れる最大の要因だった。


 有翼人自体は二十近く飛来していた。しかし彼らは全員で、中央の宮殿目がけて特攻を掛けに行ったのであった。常なら容易に町一つ陥落させられるだけの戦力だ、普通の軍人やヴィジラが守っていただけならば、思惑通りになっていただろう。


 だが、今中枢を守っているのは、規格外の存在だったのだ。

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