内通者(3)
業を煮やした伝書部の上官らが、及び腰のエセリへ詰め寄る。
「エセリ、どういうことだ!」
「おまえが犯人だったのか!?」
「そ、そんなの、別にぼくだけって限らなくって……他にも、居るかもしれないじゃないか! みんなやってるかもしれないのに!」
「だったらおまえはやったって事だな! 裏切り者め!」
「あ、わ、そういうわけでは……その、こっ、これはぁ――」
受付台を挟んだ向こう側で、怒号入り混じる内輪揉めが始まってしまった。喧々囂々の中に果たして入ったものか、ナターシャは軽くこめかみを押さえていた。こんな私刑の状況は望んでいなかった、罪を認めて告白して欲しかったのに。
「ナターシャ」
低く響いた、自分の名を呼ぶ声。振りかえると、入り口横でなりゆきを見守っていたヴェルムが、親指で外廊を指し示している。
だがその合図をもらうまでもなく、彼が見せたいものは目に入っていた。魔術師のローブのごとき白衣をまとい、鉄仮面で顔を隠して踏み入ってくる人影。ヴィジラだ。ちょうど定時巡回の刻、伝書部の喧騒にも彼の者は動くを澱ませる事なく、ゆらりと部室内へと入ってきた。
畏怖の存在の登場に、騒がしかった人々が一斉に黙りこくる。日常の事で目的が何かわかりきっているにも関わらず。
ヴィジラの白袖からわずかにのぞく手は魔力吸着装置の交換部品――頂点のアビラ・ストーンと台座の黒円盤――を収めた金籠がぶら下がっている。今日は週に二度の、ヴィジラの手による装置の魔法石交換の日なのだ、伝書部の人間はよくよく知っていて普段なら気にも留めない。
ただし。総監側は、この時を狙って行動していた。
ヴィジラは異様な現況になんら関心を示すことなく、奥の作業場への通用口に足を進める。それをナターシャは横目で見送ってから、静かになった空間に口火を切った。
「えっと、確かに他にも内通者は居るのかもしれない。いいえ、居ます、と断言するわ」
「ほら――」
「でもね、だからってあなたの罪が軽くなるわけじゃないから。それとこれとは、話が別よ」
美しくも冷たい青の双眸がエセリを真正面から捉え、貫く。しかしその睨みの中には請願に近い灯も混じっている。
「もうあなたは詰んでいるの、さっさと白状しなさいよ。今なら、まだ、ぎりぎりで、穏便に事が終わるんだから」
ナターシャの最後通牒をエセリはどう受け取ったのか。ヴェルムが出入り口を塞ぐように立ち位置を変えたのをどう見たのか。白服のヴィジラが抑揚のない足音を立てて傍に近寄ってくるのをどう感じたのか。
答えは、恐怖。
次の瞬間には絶叫をとどろかせて、エセリは上長たちの囲みを押しのけ脱した。目を血走らせ、脚をもつれさせ、発狂したような顔で、しかしあれは明確な意志で逃げる気だ。
「あんたら、奥塞ぎなさいよ!」
ナターシャは呆然と立っている野次馬の部局員たちに喝を入れた。伝書部の奥にあるのはエメルーの発着所だ、外界に繋がっている、そこに入られたら非常にまずい。
もちろん自身も見ているばかりではなく動く。受付カウンターに右手をつき、勢いよく地面を蹴り、軽やかにカウンターを飛び越えた。かあん、と踵を鳴らして着地した後は、一直線に犯人を追う。作業台の上に跳び上がって、数多の封書を踏みつけて、文房具を蹴散らしても構わず全速力で。
伝書部の者たちの多くはただ面食らっていた。しかし一部はナターシャに呼応するように、発着所への通路を塞いだ。ほとんど棒立ちになっているだけ、それでも、混乱した頭の逃走者には厄介な障害物となる。
エセリは意味を持たない音を口からこぼしながら足を止めた。このまま前に進めば女の鬼に追いつかれるのは明らかだ。正規の出入り口に反転しようにも、カウンターの向こうではもっと怖ろしい赤色の鬼が手ぐすね引いて待ち構えている。もう逃げ道はない。
「うわあああッ! 来るな来るなァ!」
エセリは手近にあった椅子をナターシャ目がけて投げ飛ばした。大して狙いの定まっていない妨害、ナターシャは横っ飛びになってかわしきって怪我はない。
逃げ道は無い、同僚ももはや味方ではない。崖っぷちに立たされたエセリが最後に縋り付いたのは、魔力吸着装置の前でなお我関せずと作業していた白服だった。
「たっ、助けて! あいつら、あいつらが……ぼくのこと!」
ヴィジラは手を動かしたまま、鉄の眼窩をエセリに向けた。が、すぐに手元に向き直る。広くゆったりとした袖口を引きずらせながら、封書散らかる装置の中の黒円盤を交換して、作業は終わりだ。
ヴィジラは強く長衣を引っ張ってエセリをふりほどく。哀れ青年が床に転げてもまるで無関心、白服は回収したアビラ・ストーンを手に提げたまま足早に通用口へと向かった。
見捨てられたエセリはふらふらと立ち上がると、怒りと絶望に満ちた目で白い背中を見た。子どものように地団太を踏みながらわめき散らす。
「なんでだよ、ぼくはただ、言われた通りにしただけだろ! ぼくは悪くないっ、ぼくは外になんか、持ち出してないんだもん! ぼくは何もしてない、そうなんだって! そうだって言えよ!」
それに優しい手を差し伸べる者はいない。代わりに力込められた細指が、彼の肩を鷲づかみにした。
「捕まえた」
「ひいっ!」
ナターシャの手から逃れようと、エセリは悪あがきとして暴れ喚く。
「止めろっ、はなせっ! ぼくは人間だぞ!」
「そんなのどうでもいいから暴れないで。今出ていくと……危ないわよ」
「……は!?」
ぴたと動きが止まった。エセリは怯えながら叱咤の声の主を振り返る。
ナターシャの眼中にはもう手中に落ちた青年の姿など無かった。青い目は受付を挟んで向こうに居る、赤と白の姿たちを見据えている。今までより強い緊張を滲ませて。
――だから早く自白した方がよかったのに。
伝書部の出入り口、立ち去ろうとした白服の前にヴェルムが立ちはだかっていた。気色ばんだ顔に不敵な笑みを張り付けている。
「よう。局長の指令なんてもんはないが……捜査協力してもらえるよなあ、なんたって『身内』だもんなあ、ええ?」
ヴィジラの総指揮は総監局長が行うが、逐一細かい指示までもを一人で出すのは現実的でないため、任地では異能犯罪を防止、制圧するという基本に則った上での各個判断で活動するよう命令されている。
だから今のような事例に遭遇した場合は、その瞬間に通常任務から非常対応に切り替えるべきなのだ。ナターシャやヴェルムら総監局の人間が携わっているなら異能犯罪であると明らかなのだから、なおさら。職務に忠実なヴィジラならそうするし、その判断力が無い者は適性なしと見なされそもそも着任できない。
そして今のように明確な支援要請があれば、手荷物は置いてすぐに従うのが道理である。
しかし、そうしなかった。仮面の下では如何な表情を描いているのか知れないが、立ちはだかる超級の大男を黙って見上げている。相対する眼の間に流れる空気は刺々しい。
やがて、動いた。ヴィジラは勢いよく床を蹴って、ヴェルムの左側へと踏み込んだ。そのまま二歩、三歩。目的は明確、逃走を図ったのだ。
が、その右手首をヴェルムが機敏な反応で掴み上げた。まるで赤子の手を捻るよう、見ている方にまで骨が軋む音が聞こえてくる気がする。その容赦ない握力をかけたまま綱を取ったかのように引き寄せれば、相手はたまらずくぐもった悲鳴を上げる。
眼前に据えた鉄仮面の暗い目を覗き睨み、ヴェルムはどすを利かせた。
「あんまり舐めた真似してくれるな、踏んだ場数が違うんだ」
伝書部は静まり返った。総監が身内であるはずのヴィジラを捕えている、何故どうして。沈黙に流れる疑問の答えは、当事者たち四人だけが理解している。睨み合う二人と、絶望顔で頭を抱えているエセリと、それを確保するナターシャと。
さあ答え合わせの時間だ。ナターシャはにっと口角を上げた。