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Interval 亡失を想う(2)

 引き出しからペーパーナイフを取り出したのは、気休め程度の武器として。


 足音が聞こえる。こちらに近づいてくる。ドアの前で立ち止まる。扉に手が伸ばされ――それに先んじて、ブロケードは叫んだ。


「何者だっ!」

「ひぃっ!? だ、誰か居るんですか!? じゅっ、巡回です!」

「私だ、ブロケード=ロクシアだ。怒鳴ってすまなかった」

「い、いえ、執務お疲れさまです。ですが、防犯の都合で、あまり夜間の残務は――」

「わかっている。すまんな、一人で考えたかったんだ。もう帰るよ」

「そうしていただけると助かります。では」


 小刻みな足音が来たときの倍速で去っていく。他に怪しい気配も特にない。警戒を解き、悪いことをしたと思いつつ、ブロケードはペーパーナイフを片づけた。


「……帰るか」


 言ってしまった手前、もしまた見回りが来たら気まずい。それに、あまり遅くまで帰らなければ、屋敷に居る妻にも要らぬ心配をかけるだろう。


 ブロケードは散らかしていた書類をかき集め、何も無かったかのように綺麗に片した。それから私物のカンテラに火を移した後、蝋燭の灯火を吹き消した。



 暗く静かな中では、己の足音が異様に大きく聞こえた。手元の灯りによって大きく引き伸ばされ、回廊にうすぼんやりと映し出される影は、自分のもので無いように感じられる。いささか不気味な光景だ。今にも闇の中から化け物が這い出てきそうな。


 それでもブロケードは従容とした面持のまま歩いていた。間もなく廊下の合流点にさしかかる。


 が、その方から別の足音が響いてきて、思わず足を止めた。向かって右から来ているようだが、巡回中の警備だろうか。いや違う、一人ではない。


 ブロケードは刹那に身を固くした。しかし、耳をそばだてると話し声が聞こえてきたことで、すぐに平静に立ち帰った。


 毅然とした足音の中に混ざるのは男女の声。記憶にあるのは男の方である。


「――だが決して強行はするな、慎重に進めよ。そう皆にも伝えてくれ」

「承知しました」

「もう一つ。ディニアスの動向からは、一時たりとも目を離すなと」

「善処しますが……あ」


 他人の息遣いがあることに向こうも気づいたらしい。吹き消したように静まり返る。


 一瞬、無が訪れた。その後、ブロケードの行く手にある曲がり角から、アビラ・ストーンの冷ややかな白光を携えた二つの人影が、敵に躍りかかるように飛び出してきた。


 薄明かりの中で視線と視線がかち合う。その途端、相手方はしまったとばかりに顔を歪ませた。一方のブロケードは、うっすらと笑んで讃辞を送る。誰が出てくるかがわかっていたから、無駄に構えることも無かった。


「良い動きだ。さすがは中央軍司令」


 勝算にも気まずい表情を崩さぬまま、ギベル=フージェクロはそそくさと襟元を正し、姿勢を改めた。半歩引いて立つ部下の女も、似たように礼節を取り繕う。


「失礼をしました、総裁次殿」

「構わん。真っ当な反応だ」

「それだけではなく、定刻を過ぎ中枢内にとどまる規則違反を犯しているとも、重々承知しております。この者は無理に付き合わせたのみ、処罰は私に」

「いい。こちらも同じだ。そう畏まるな」


 は、と短い返事をして、ギベルは垂れていた頭を上げた。照明のせいもあるだろうが、彼の顔はいやに暗く疲れた風である。


 原因の検討はつく。バダ・クライカ・イオニアンの末端を中枢近くの無人島で捕えた騒動だ。特命部であり軍の司令でもあるギベルには、二重の意味で責務がふりかかってきているに違いない。


 中枢を揺るがす事件だから、直接関係のないブロケードのもとにも、ちらほらと噂は聞こえてくる。が、本音を言えば、もっと直接の情報が欲しいと願っていた。事の次第では、ライゾットに繋がるかもしれないから。


 意味深な目つきのまま立ち去らない、その意図はギベルにも察しがついたようだ。女軍人の肩を押し、先に退出するように促した。


 暗い廊下に残るは影二つ。盗み見る者は無く、盗み聞く者も無い。それを肌身の感覚で確かめてから、ブロケードは声を落として言った。


「色々と大変らしいな。身内のこともあるだろうが……捕えた連中の方に対しても、まったく手がつけられないと聞く」

「ええ、その通りです」

「黒幕の居所は、目星も付いていないのか」

「現状は。……なにせ神がなす業ですから。我々のような人間には、とても追いきれません」

「神、か」


 ふっ、とブロケードは冷めたように笑った。


「あれは神の仕業だ。そういう割に、お前たちが探っているのは人なんだな」

「は?」

「ディニアス=セプテントリオン。動向を監視せよと言っていたではないか」

「聞こえておりましたか」


 ギベルは元々難しい構えの面を、さらに渋くひそめた。


「我々の内で最も怪しきは彼の者かと。その出自も何もかも得体の知れない男であり、言動もまた尋常でない」

「人ならざる力を持つ者は人にあらず、その二分に任せれば、あれは確かに向こう側か。そうか、そうだな」

「その通りです。疑わしきを疑うのはそれほどおかしいですか? なぜそのように苦い顔をするのですか。区分を作ったのは、他ならぬ総裁次殿!」

「そうだ、私とライゾットだ。そう熱くならずとも、知っているよ」

「……失礼しました」


 ギベルは慌てて目線を下げた。


 ブロケードには彼の主張が間違っているとまで言うつもりは無い。己が目から見ても、ディニアスという男は、狂人の類、政府内異能の親玉、謎めいた来歴、食えぬ性格、何一つとっても胡散臭く見える。過日に遊びで突き付けられたナイフの感触も、喉がしかと覚えている。


 全く好きになれない人物だ。普段ならば信ずることなどないだろう。もしもあの日に対話をしていなかったら、今もギベルに同意していたかもしれない。


 しかし、だ。ぼんやりと独りごちるように、ブロケードは口を開いた。


「私は、バダ・クライカの件に関してのみは、あれは白だと思っている」

「は? な、何故」

「亜人どももそうだが、神への信仰とは頑ななものさ。例え謀略のための嘘でも、敵対する神にひざまづくことはあるまい。神ルクノールは全てを見通す、それならば、偽りの信仰をも見抜き神罰を下すだろう」


 ディニアスがルクノールを盲信しているとは、中枢高官の間では有名な話だ。信仰は深ければ深いほど、易々と転じたり偽ったりすることはできないものである。ブロケードは経験上知っていた。もしそれが容易なら、東方大陸に住まわう亜人たちを統治するのに苦労しない。


 それと別にもう一点。あえて言及しなかったが、あの港でのディニアスの行動は潔白証明と示唆に満ちていたこと。殺せたのに殺さなかっただけでなく、そもそもあれが敵に通じているのなら、わざわざあんなパフォーマンスをして見せることはあるまい。あえて危険な手を取らずとも、追及を逸らすだけなら他の方法を取るだろう。知恵者であることは承知している。


 とかくブロケードの中には一定の根拠があった。しかし、ギベルはまったく腑に落ちないようで、信じられないと言いたげに首を振っている。

 

「意外です。総裁次殿は、神のような不確かな存在など認めないと」

「そうでもないさ。神ルクノール、使徒エスドア。何でも良いが、神として君臨するものを否定はしない。第一、確認しようもないからな」


 不可知の存在が居るのかもしれないし、居ないのかもしれない。それはどちらでも良かった。自分の手の届かないものだから。

 

 ただ、とブロケードは目を鋭くした。

「だがな。もしそれらが人の身をして地上にあるというのなら、すなわち異端なる者。人ならざる力を持つ、人ならざる存在。私にとっては相容れぬものだ」


 バダ・クライカの頂くエスドアなる神。それが形なき神話の存在へ縋っているだけなのか、それとも、現世で「人」として破壊行為をする存在が実際に指揮をしているのか。どちらであるかによって対応は変わる。


 だからブロケードは神を否定しない。正体は何であれ、神の座につく何者かが居ること自体は信じる。そうでなければ、邪教の集団を理解し制することなどできはしないだろうから。


 ただ一つだけ、神を肯定する以上に、信じがたいものがある。


「私が信じられないのは、ライゾットが死んだことだけだ」


 暗く沈んだまなざしと、抑揚なく呟かれた一言は、周りを支配する暗闇の中に溶けた。

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