Interval 亡失を想う(1)
中枢東方統治府、総裁次長室。革張りの椅子に身を預けた男のため息が、机上の燭台に灯る蝋燭の火を大げさに揺らした。暗夜すでに深まり、煩悶の音を聞く者は当人の他に誰も無い。
「ライゾット……本当に死んだのか、お前は……」
ブロケード=ロクシアは机に両肘をつき、立てた手で額を抱いた。暗く沈む翡翠の瞳は、一面に広げられた大量の書類をぼんやり見ていた。職業病とでもいうべきか、自然と文字を追ってしまう。交易都市ダンザムの治安回復、亜人支配域ヘルデオムへの戦略、東方大陸南部の統治方針――いずれも、ライゾット=ソラーに取りまとめを託していたものだ。突然の訃報につきすべてが中途の状態、ものによっては白紙に戻さなければいけない。
優秀な補佐室長が死んだ、稀代の参謀が居なくなった。片腕を失ったに等しく、政務への支障は計り知れない。
重い息を吐くのは何度目かもわからない。内なる苦衷が安らぐことを知らないから。ごまかすように冷めた紅茶をすすっても、心の穴を満たすことは叶わなかった。
盟友の亡失。何より辛いのはその事実。
三十年昔のこと、治安軍の士官仲間として二人は出会った。ブロケードは中枢長官の家系に連なる子、ライゾットは東方大陸より推挙されてきた無名の徒、生まれも育ちも違ったが、同じ年頃合いであることや思考気質の似通っていることから意気投合し、無二の親友となった。
明確に「反異能・反亜人」で結託するのにも時間はかからなかった。傾いたきっかけは、当時の上官だったワイテ――あの頃は一軍司令になりたてであった――に率いられ、狂ったアビリスタ四人の起こした殺戮事件の制圧に赴いたこと。今でも史上最悪の異能事件とされる現場は、地獄だった。
わずかに三日で五つの島が燃えた。一般島民、治安軍、異能戦闘官ヴィジラ――全て合わせた死傷者は軽く七百を超えた。ブロケードの親族も死に、指揮していた一個小隊にも犠牲者は出た。それどころか、ワイテ直属の部隊が犯人を封じ込めるのが一歩遅ければ、自分の心臓もアビラの茨に貫かれていただろう。
狂宴ののち焦土の中、ブロケードは人外の力への怒りと嫌悪と恐れを胸に立ち尽くしていた。その隣には、元より暗い色の目を、更に暗い情念で染めたライゾットも居た。
「なあブロケード。あいつらは人間じゃないよ。化け物だ。神の創った失敗作、神の創った罪だ。罪は裁かれなければならない。誰かが制し、誰かが滅さなければ。……だから、やろう、俺たちで。誰もやらない、できないのなら、俺たちがやるしかない。お前となら俺は必ず成し遂げられる。ブロケード、お前はどうだ」
差し出された手をブロケードは躊躇いなく取った。そしてそれからは、二人で同じ方を向き駆け続けてきた。
叩き上げ根性というべきか、ライゾットは意気盛んな男だった。だが決して単純馬鹿ではなく、知恵を巡らし、日夜勉学にも励み、論をもって雄弁に語る、そんな人間だった。
その意気やよし、と二人揃えて引き立てたのが、亜人統治に悩まされていた当時の東方総裁だ。新進気鋭の指導者として、大陸統治の前線を任された。自ら大陸を駆けまわり、時にはお偉方にも立てつき無理を利かせ、時には部隊を率いて武力制圧も行い、己らの理想を現実にしようとしてきた。命を狙われたことも何度もある。そのたび共に策を弄して、あるいは武器を取りて果敢に立ち向かい、一度も挫けることなく掲げた主張を貫き通してきた。
今や自分が総裁府次席に就き、実権を掌握できるようになった。それも、一重にライゾットの支えによるものである。行動力も決断力も思考力も彼の方が勝っているとブロケードは思っている。だが、ライゾットは常に半歩引いて自分を立てて来たのだ。何故だと問うたことがあるが、答えは「見てくれがいい奴の方が指導者向きだろう」とのことだった。
主と従として、そして友として、最後に直で言葉を交わしたのは、この白月の季節に入る直前。ヘルデオム入口の集落で、ライゾットが取り付けた通りに有翼人酋長との会談を行ったときのこと。
「ブロケード、俺も残るぞ。レデナ=ノアさえ取れば、やつらの聖地さえ落とせば、信仰さえ奪えれば、やつらの心は崩せる。やらせてくれブロケード、もう少しなんだ」
「今はだめだ。バダ・クライカの動きもある、強行は危険だ。一度方針を練り直すべきだ。だから、ライゾット、中枢へ戻れ。奥方と娘のためにもな。産まれたばかりなんだろう? 傍にいてやれよ」
「そんなものより、こっちの方が重要だ。だいたい家庭放置してるのはお前だって同じだ。もうずっと帰っていない、ミリアさんがかわいそうだ。アーフェン君だって、父親が傍にいた方が元気になるかもしれない」
「そのうち帰るさ。だから……頼む、補佐室長。今は中央での執務に専念してくれ。お前が仕切る仕切らないでは動きが違う。それが最善だと思うが」
「そうも言われたら仕方ない、了解だ、総裁次さま。……ブロケード、気を付けろよ。一人で勝手に死ぬんじゃないぞ」
「もちろんだ。お前もな」
「中枢に居て異能に殺されるなんて、政府が終わる時だ。それすなわち人間の世の終わりだ。そうならないために、俺たちは化け物退治を誓ったんじゃないか」
笑いながら言われたそれを、ブロケードは静かなうなずきで返した。これが最後になるとわかっていたら、もっと深くゆっくり、杯でも傾けながら語り合っていたものを。
ライゾットが死んだ、エスドアに殺された。危急の報せを受けた時、真っ先に口をついたのは「嘘だ」という一言だった。足元が崩れ落ち、ほとんど卒倒したような状態だった。頭は真っ白のまま体だけががむしゃらに動き出し、我に返った時には、中央諸島へ向かう船の上に立っていた。
半生を共に駆け抜けた盟友は永遠に失われた、もう同じ夢を語らうことはない。受け入れがたい現実、考えるだに頭が痛い。ブロケードは両のこめかみを押さえ、目を細めて視線を落とした。
机上に撒いたのは大半が政務関連の文書。補佐室の人員へのうまい割り振りを考えていたものだ。だがその上に、ライゾットの事件に関わる資料が鎮座している。特命部からの報告書もあれば、自分で人を使い調べさせたものもある。だが内容は大して変わらない。
そしてもう一つ。汚れも皺も無い真新しい紙の上部に、わずか三行ほどが綴られたのみの、未完成な書簡だ。命を絶たれる直前にライゾットが書いていたもので、宛名は自分、よって彼の使用人が、ある種の遺品として渡してくれたのである。したためられる文字はまったく活き活きとしており、今にも筆者が戻って来て続きを書き始めるような錯覚すら感じさせる。
「――亜人、異能使い、ヘルデオム、エスドア、バダ・クライカ・イオニアン……。全部、お前が憎んだ者たちだ、お前が屠りたかった者たちだ、そうだろうライゾット」
ぎり、とブロケードは歯噛みした。
特命部の報告書を見た印象は、ろくに捜査もされずに片づけられたという一点に尽きる。もとより調べるつもりなどなく、たまたま降ってわいた別の事件に無理やり紐つけた。ブロケードの目から見ると、どうにも無理がある結論なのだ。
なまじ亜人討滅で動いてきていないのだ、有翼人に何がどの程度出来るかは知っている。そしてライゾットがどういう男かも、ブロケードが一番よく知っている。目の前に殺意に満ちた亜人が出てきたら、これ好都合と逆に命を取りに動く、亜人嫌いのライゾットとはそういう男だと。出来ることは風を吹かすくらいで、それも総監局の二人に追い詰められる程度の実力者では、ああも残虐な現場を作り上げることは出来まいに。
では、捜査を早々打ち切ったのは特命部の怠慢か。いや、違うだろう。
『――残念ながらそうされると都合の悪い輩が大勢居るようでして』
帰還直後に聞かされた言葉。あの時は言い訳同然だと鼻で笑ったが、今では違う。内々にバダ・クライカに通じる者が居ること、もはや否定できない。それも一人二人ではなく、もっと。
それが誰なのか。ブロケードにはまだわかっていない。ただ、ライゾットがこうなった以上、すぐ隣に敵が居るのだとは確信している。
その時、ざわと神経が逆立った。警戒心をむき出しにし、部屋の外へ意識を向ける。




