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地上の人魚は夢を見ない(5)

 火葬は速やかに執り行われた。ワイテの指揮で集めた治安部隊の手を借り、「殉職者をその教義に基づき葬送する」ともっともらしい理由を唱え、浜辺に薪を組み上げ、白布で包んだ遺骸を燃やした。


 立ち昇る赤き炎と灰色の煙に向かって、しきたりに習いて敬礼を送る治安隊員たち。それを傍目にしながら、ナターシャは何も感情を示さなかった。笑いもしなければ泣きもしない、終始色を失った顔つきで見守っていた。


 死に行き着く先はみな同じ。炎が尽き、低くなった陽に照らし出されたのは灰と骨、人間となんら変わらない様相である。


 ナターシャはかけら一つ残さず骨を拾い、壺に入る限りの灰を集めた。そのまま無言で行ける限りの沖合まで歩み、波に乗せるように人だったものを撒いたのだった。



 濡れそぼり重い身のまま、戻り総監局。


 陽は既に水平線に接しており、中枢内は既に人の影がまばらになっている。だが、赤肌ヴェルムはいまだ同僚の帰局を待ち続けていた。ここまで音沙汰なくして携えてくるのは極端な朗報か凶報か、前者であることを望み続けていたが、ナターシャの姿を見るなり叶わぬことと察したのである。


 彼に経緯を伝えたのは局長だった。嘘偽りも誇張もなく、起こったことをそのまま。その間ナターシャは目もくれず、自分の机に向かっていた。張り付けたような険しい顔つきは何も語らない。


「――というわけですので。赤肌殿、あなたにも知る権利があるのでお話ししましたが、くれぐれもご内密に」

「……話す気にもなれねぇよ」


 沈んだ声が低く部屋に響いた。それから、静寂。


 破ったのはナターシャだった。引き出しから筆記具を取り出し、手近にあった麻紙に向かって黒インクを走らせる。無言で一心不乱につむぐ内容は、かの人魚から聞き取ったこと。


 妙に硬いペンの音を眼前に、ヴェルムはやりきれないと首を横に振った。それでもまだ足りず、後ろ手を組んで横に佇む局長を見上げ問う。


「おい局長、本当にそれ以外の道はなかったのか」

「無い」

「だが、これじゃあまりにも――」

「赤肌殿、あなたもわかっているのでしょう? 覚悟と信念が無い限り、亜人が外界で生きることなど出来ない。あなたにわからないはずないじゃないですか。他でもないあなたが」

「あァ……わかってるさ」


 根負けしたようにぼそりと言い捨て、ヴェルムは目線を下ろした。それと、ナターシャが羽ペンを下ろしたのが同時だった。


 寒色のまなざしはぴくりとも動かさず、腕だけを伸ばして紙を局長に付き出した。皺の寄った紙面に浮かぶ文字は、平素に比べるとひどく汚い。


 受け取る方も受け取る方で、薄ら笑いを浮かべながら紙を乱雑にひったくった。そのまま眼前で広げ、上から下までを一舐めし、すぐさま概要を把握した。


 そして面白くなさそうに鼻を鳴らすと、紙を四つ折りにして懐にしまった。


「目新しい情報は何も無いですね。せいぜい人魚たちがどのように釣られたかわかったくらいで、他はおおよそ予想通り。闇の根源はいつだって浅ましい欲望、我が神が手の届く所に居た太古より決まりきっていること、今さら改めるまでもない」

「……あの子に喋らせたのが無駄だったって?」

「なにも言ってませんよ。そう罵ってほしいのなら、いくらでも言ってあげますけど。あなたの正義があの人魚を殺した――」

「おい局長! それ以上やめろ」


 吼えながらにヴェルムは机を叩き、半ば腰を浮かせていた。口を閉ざしたディニアスは、それに不敵な笑みをちらと向けてから、前のめりになっていた姿勢を戻し、部屋の中を歩き出す。


 わざとらしく踵を鳴らしてしばらく。ふっとナターシャの後方で背中合わせになるように立ち止まる。壁の資料棚へ向いたまま、ぴっと顔の横で人差し指を立て、妙に朗らかな声をあげた。


「あぁ、でも、一つだけ確信できました。やはり連中はエスドアを知らない、そしてエスドアも連中のしていることを知らない。ただ欲深い人間どもに名を利用されているだけ。ああエスドア、あれはあのような所業を許す者では無いのだから」

「……それは、エスドアが亜人の味方だから?」

「ふふっ、及第点としましょう。腑抜けているかと思ったら、脳はちゃんと動いているようで安心しました。この程度で気が萎びて腐るだけの無能など、手元に置いておく義理もないですから」


 ねえ、と嫌味な笑みを浮かべながら、ディニアスは右手側より机に向かったままのナターシャに接近した。後ろ手にしたまま腰を曲げ、首を伸ばして彼女の顔を覗き込む。


 しかし直後、彼の身体は右腕を軸にして振られ、床に向かって引き倒された。とっさに左手を付いて受け身はとったが、しかし、右手はひねられるように固定されたまま。赤く大きな掌の、骨きしむほどに容赦ない力で掴まれているのだ。


 ディニアスも決して小柄ではない。だがヴェルムの人外の域に及ぶ体格とは比べるべくもない、まるで子ども同然にあしらわれる代物だ。怒り心頭の鬼の前、一つ動作を間違えれば、腕の一本くらい簡単に使えなくなるだろう。


 一触即発の最中に置かれて、それでもなおディニアスは余裕しゃくしゃくで目を弧にし、いっそ甘ったるさすら覚える声音でのたまうのみである。


「赤肌殿、痛いですよぉ。あんまり乱暴しないでください、慣れてないので」

「黙れ、人のこと玩具にすんのもいい加減しろよ、下衆野郎が。折るぞ」

「ほぉう? 折るだけで良いと? 今のうちに殺しておく方があなたがたのためでしょう。出来るのなら、ですけど。……アハッ、さあどうぞ、私は無抵抗ですよぉ? 『誉の人(グリド)』ヴェルム=ラド=スカレア、それが正しいと思うなら、やってみろ」

「ッ、てめえ……!」

「ヴェルム。いいの、気にしないで。平気だから、あたし」


 横からかけられた言葉は、中身も音も強気なものであった。だが果たしてそれは本音なのか、傍からは知る術がない。


 ヴェルムは苦虫を噛み潰した顔で舌打ち一つした後、力を抜き、ディニアスの腕を放り捨てた。募る苛立ちが表に染み出すのを隠しもせず、険しい足取りで自分の席へと戻る。そのまま荒々しく降ろした腰が、小さな椅子に軋みを上げさせた。


 対照的に局長はさっと立ち上がり、軽く襟を正すと、何事も無かったかのように妖しく笑み、二人の部下を交互に見わたした。


「まあ、お二人とも色々ご苦労様でした。あとの色々は特命で処理しますので、あなた方の役目はおしまいです。反省会でもしながら、少しゆっくりするといいんじゃないですかね。十、七……いや、五日。少なくともそれくらいは猶予があるでしょうから」

「猶予?」

「連中の次手が固まるまで。今回のあなたがたの働きは、向こうの足下を大きく揺さぶったはずですよ。資金源も絶ったし、化けの皮も剥がれかけですから」


 くくと含み笑いを残し、ディニアスは七色差す衣を翻して去りゆく。大きく開けたドアの向こうには、既に夜の帳が下りた廊下が伸びていた。暗黒を恐れず彼は踏み出し、勢いよく閉めた扉が姿を見えなくする。


 こちら側にはどんよりした静寂のみが切り取られた。


 事件は終わった。残された宣告をナターシャの口が無音で後追いする。しかし直後、彼女はぎりと歯を締めた。膝の上で拳を握った力があまり、爪が掌に深く食い込む。


「……終わりだなんて、冗談じゃない」

「いい、終わったんだ。ナターシャ、休め。おまえは十分やった、もう無理するな。終わりにして、休めばいいんだ」

「きちんと役目を果たした?」

「ああ、そうだ。やれることをやって、それでこの結末なら、どうしようもねえだろ」


 仕方ない、どうしようもない、これが結末だ。諭すように投げかけられる言葉は、すんなりと胸の中に入って来る。なおかつナターシャ自身もまた、同じ意味合いの響きを脳内で唱え続けているのだから、抵抗する余地はない。


 だがしかし、もう一人の自分が、あらゆる鎧を脱いだ純朴なる自分が、悲痛に叫び暴れている。我がままで苦難を厭う幼子のように。見苦しいとわかっているから、必死に隠しているけれども。


 とうとうその本音の片鱗が、口から漏れ出た。


「あたしは、正しいことをしたの? 本当に、ああするしかなかったの?」

「俺は現場を見てねえからわかんねえよ。正しいかどうかなんて、おまえが自身が一番わかってることだろう」

「……わかってる。わかってるけど!」


 叫んだ声はいやに湿っていた。


 理解はできる、している。されどその全てに納得できるかは別の問題だ。意志ではなく本能が受け入れを拒絶する。あらゆる感情を押し殺しこの現実を受け止めようともすれば、心が砕けてしまう。いかな苦悩をも涼やかに流せる人外の境地、そこに至る程にはナターシャは強くなかった。


「ねえ……あたし、泣いてもいい?」

「おう」


 許しを得た瞬間に、ナターシャは滝の涙を解き放った。机上に崩れ、咽び、慟哭の声をこだまさせる。それは感情の奔流、心の雄叫び。

 

 気丈の裏に隠していた全てを吐き出した。世の不条理を叫んだ、無力さを嘆いた、咎人たちに怒った、無能を恨んだ。死んだ同胞に哀悼を捧げた、己を拒絶した同胞に慈悲を乞うた。心の全てをぶちまけた、誰のためにでもなく、ただ己がために。


 ヴェルムは瞑目し、延々と続く泣き言を聞いていた。慰めるわけでもなく、抱きとめるわけでもなく、ただ黙して座すのみ。求められるまで支えるつもりはない、それを拒む強い女だと知っているから。


 

 刻一刻と夜が深まる。閉廷を告げる鐘はとうに鳴った、じきに夜警の巡回が、苦い顔で帰宅を促しにやって来るだろう。


 とはいえナターシャの涙も尽きかけている。あらぶっていた慟哭は、静かにすすり泣く方へ変わり、それすらもがみるみる内に消え去った。


 疲れたように突っ伏したまま。全てを吐き出した心は、いまや空っぽになっていた。これ以上の恨みつらみは念じてもまったく出てこない。


 その代わりに、無意識下にある本能が音を上げた。口ではなく腹において、くぅ、という響きで。


「……おなか空いた」


 一歩遅れてさらに言葉がやってきた。


 ヴェルムの目口はぽかんと開いて塞がらない。ある種の感心めいたうめきが漏れ出でる。


 それでも彼は期待に応えるように引き出しを開け、平たい銀色の缶から紙に包んだバー型のビスケットを取り出し、伏せたままの赤毛に向かって投げつけた。軽い衝突音を立てて、それから机に墜落する。


 ナターシャは頭をさすりながら面を上げた。泣き腫らした目は、直前に落ちている食糧をぼんやり見ていた。そして焦点が定まり何と認識するや、しなやかな手でわしづかみにし、二重の包装紙を破り捨て、貪るようにかぶりついた。


 よくよく思い返してみれば、朝から何も食べていないのだ。ビスケットから与えられる活力ははなはだしい、胃腑に染み入り全身へと巡り、精神を満たしていく。


 口がぱさつくのに苦闘しながらも、ナターシャは無我夢中で欲を満たしていく。ヴェルムは頬杖をついてその様を呆れ顔で見ていた。ついには本音が零れ落ちる。


「おまえはたくましいなぁ。羨ましいぜ、まったく……」

「だって、そーじゃないと、地上でなんか、生きられないわよ。……んと、あれよ、過去は変えられないんだし、未来なんか見えないんだし、これ以上悩むだけ無駄っていうか」


 あれこれ言い訳しながら最後の一かけらを飲み込んで、ナターシャは手を払った。そして、うっすらと微笑んで宣言した。


「もう終わりでいいのよ、『人魚の夢』を追うのは」


 


 たまには一緒に飯でも行かないか、少し酒でも飲みたい気分だ。ナターシャの方から誘いをかけ、警備に追い出されるより先に、ヴェルムと二人中枢を出た。泣き顔はもう片鱗すら残っていない。


「名目はなんだ? 反省会か?」

「何でもいいわ。残念会でも、戦勝会でも……決起会でも」


 ふっと浮かべるは不敵な笑み。


 そう、「人魚の夢」を追うのはもう終わりだ。あとは特命部のお望み通り、始末をつけさせればよいだろう。自分に出来ることはもう何も浮かばない、叫ぶだけでは変わらないだろうし。


 だが、バダ・クライカ・イオニアン、全ての元凶を追うのを終えるつもりはない。まだ何も明かされていない、まだ何も解決していない、もはや無関係だとも言えない。だから異能犯罪を取り締まる官として、そして一人の人として、動き続けるつもりだ。


 ふと触れたポケットには、割れた「夢」の欠片が残っている。あの娘の夢想に付き合うつもりはないが、これは肌身離さず持っていくと決めた。形見の品、自省の印、約束の証、他にも色々な念が籠っているからにして。


 では何から始めるべきなのか。ナターシャの中には既に次の道が見えていた。一人の男の名と共に。思えば、バダ・クライカの影がまとわりつき始めたのは、彼が死んだあの日からである。糸口にするのにもってこいだ。


 ――ライゾット=ソラーの死。真相もうやむやのまま葬られた事件だ、掘り起こす価値はあるだろう。


Chapter3 ended.

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