内通者(2)
ナターシャがポケットから出したのは、折りたたまれた一枚の紙だった。受付台の上に広げると、立てた人差し指を手前に折るようにして、徐々に後ずさっているエセリを呼びつけた。逃げずに見ろ、と。
それこそが証拠だ。先の調査団には手に入れることができなかった、エセリの罪を暴くための引鉄となるものだ。
しかし当の本人はまだ察しがついておらず、怪訝な面持で書面を眺めている。
「何かはわかるわよね」
「ただの伝書を送る時につける発送記録だ」
「はい、その通り。確認ですけど、あなたが発行したもので間違いないわよね」
エセリは勢いよく頷いた。二枚一組の記録書には差出人が自分の所属と文書の送り先を記し、伝書部の受付が確認後にサインを入れる。文末に記された名前は間違いなく彼の物であったし、伝書部側にも同じ書面が残っていた。
途端にエセリは勝ち誇ったように鼻で笑う。自分は真っ当に仕事をした、だから文書が消えたならその後の何処かだ、自分の罪ではない、ほらみろ自分は悪くない。上からの目は口ほどにそう語っていた。
ナターシャはいっそ哀れみの目を彼に向けた。なぜそうも都合よい解釈ばかりができるのだろうか、悲しいまでの楽天家、いや単なるマヌケなのだろう。
はあと神妙な溜息一つついたのち、気を改めて尋問にかかる。
「えー、ここに書いてある通り、うちの局長が先週五通の文書を持ってきました、受付はあなたがしっかりとやりました。そこまではよし。でもねー、発送されたはずの全部が相手に届いていないの」
「単に遅れているだけさ」
「いいえ、最寄りの中継島にすら不着なんです。それも東西南北全方面で。いくら事故があるって言っても、四方に向かった鳥が全部同時に落ちるなんてことあるかしらね?」
「運が無い鳥だったんだよ。海獣か化け物鳥にでも喰われたんだ、飛びたった瞬間に、五通とも全部まとめて」
かかった、とナターシャは心中で笑んだ。しかし表にある蒼い目と紅の頬は冷静に保ったまま、丁寧に確認するようにエセリに問う。
「五通を飛ばした、と? それは確かですか?」
「ああ、そうだよ! ここにも書いてある! おたくの局長の事なんて記憶違いもするものか、五通きちんと手続きしたとも!」
エセリは受領証の上に指で円をぐるぐると書いた。総監局長直筆のやたら勢いある筆致で、五つの宛名が箇条書きにされている。ここは良い、打ち合わせ通りに五つの封筒を送り出してもらったのだから。
が、それこそが罠なのだ。いくら調べても証拠がつかめない、なら創り出してしまえばいい、そんな思惑で仕掛けた落とし穴だった。あまりにも単純すぎて引っかかるのか不安だったが……大戦果を上げられた。
五つの宛先の内、四つは四大陸それぞれにある港湾都市の治安局だ。四方に散らばっているこれらが全て未着というだけでも不思議な話だが、問題は、最後の一つ。
ナターシャはエセリの手を掴んで横へ退けると、自分の指で五つ目の宛先を示した。とんとんと爪先で叩いたのち、不敵な笑みと共に強く押し付ける
「いいえ、これをよく見て。最後の一通は、異能省のミリア統括宛ての封書……つまり、宮内便で届けてもらえばいいものを、間違えて外向けに差し出してしまったのです」
「迷惑な……」
「ま、うちの局長っていかにも事務処理苦手だし、間違えて恥かくのはあいつだし、とにかく、それはどうでもよくて。問題は、ね、わかるでしょ? エメルーに乗せる必要が無いこの文書すら、行方不明になっているってこと。さて、統括宛ての封書はあなたに受付られた後、一体どこでどこに消えたのかしら?」
局長が間違えた、それはもちろん嘘だ。高位の官僚同士のやり取りなら高確率で抜き取られるだろう、その前提でナターシャとヴェルムの計らいをもちかけたら、二つ返事で乗ってくれた。単に名義を貸してもらえるだけで十分だったが、念には念を、と自ら出向いてくれた。
結果、効果は覿面。エセリは顔を蒼白にして、息の切れた金魚のように口をぱくつかせている。これが機転が利くか、あるいは肝が据わっている輩であれば、即座に「宮内便の集配係が盗んだ」とでも言い訳できただろうが、気弱な青年はどちらでもなかった。沈黙のまま汗を垂らして必死で言い訳を探している。
後方の野次馬からどよめきが上がる。業務を止めてはいけないと作業台に向かっている者もあるが、みな耳はこちらに向いているし手の動きは滞っている。ナターシャは目の前の青年を飛び越して、そんな同僚たちへと尋ねてみた。
「あのう! ちなみに、宮内便でやりとりするべき手紙が混ざってた場合、どう処理なさるんですか?」
突然の投げかけられた質問に、彼ら彼女らは驚き顔を見合わせる。が、奥の官たちよりも驚愕の色を見せたのがエセリだった。ようやく自分が伝書部全体の晒し者になっていたと気づいたらしい。あとは茫然自失だった。
そしてナターシャの問いに答えたのは、部屋の隅で控えめにしながら、しかし始めからすべてをじっと見ていた女性官であった。
「万が一混ざっていた場合は、こちらで宮内便の集配に乗せるきまりです。エメルーで飛ばすなんてあり得ません。でも、普通は受付で宛名を見た段階で気がつくので、受領せずその場でお返しします。だから、総監さんの言う通り、エセリさんの話はおかしい」
「なるほど、ありがとうございます。さてと……あなたのこの受領証、どういうことかしら?」
ナターシャだけではない、居合わせるすべての人間から、疑惑の眼がエセリの小さな一身に注がれていた。なおかつ身内からのそれは、捜査に来た外部の官の脅迫まがいの尋問よりもずっと身に堪えるようだ。あたかも死に物狂いで捕まるはしごが外されかけているように。
それでもエセリは往生際が悪かった。小心ゆえ、過ちを認める勇気すらも持ち合わせていないのだろうか。唾吐く勢いで、叫ぶように無理な言い訳を重ねる。
「ちッ、違うぞ! ぼ、ぼくは仕分けをしないんだよ! ほら、あれだ、まずはあの装置の中に入れるんだからさ、そこから出したヤツが後で仕分けるから!」
あれ、と指さしたのは台上に置かれた魔力吸着装置だ。平たい四角の木箱の上にピラミッド型に組まれた金の網かごを被せた見た目で、ピラミッドの頂点からはうっすらと光るアビラ・ストーン――俗に言う魔法石がぶら下がっている。また木箱の中央には別の石を磨いて作った黒い円盤がはめ込まれている。
使い方自体はいたって単純で、ピラミッドの前面に備えられた扉を開けて円盤の周りに封書を置いておくだけ。すると、紙面に呪いのごとく込められた魔力を吸着してくれるため、規定時間が経過した後で取り出すのみ。ただしその詳しい機構については、ナターシャは事前に異能研究局で図面を見せてもらっていたものの、まるで理解が及ばない代物だとしかわからなかった。
とにかくエセリの言ったことは間違ってはいない。今も封書が無造作に並べられ、ランプのように吊り下がるアビラ・ストーンの光に封蝋の印影がくっきりと浮かびあがっている。頃合いをになったら仕分け組が取り出して、発送する方面ごとに分別するのだ。
だが、それを良しとするならば、別の問題が浮上する。ナターシャは件の受領書を青年の眼前に付きつけつつ、末尾に記された名前を示した。
「じゃあ、あんたのこのサインは何よ? ろくに確認もしないで書いたってこと? そういうことになるでしょ。どっちにしたってちゃんと仕事してないじゃない、駄目よそんなの」
「う……」
ミスを認められない性分だと、こういう時に辛い。無理な言い訳に言い訳を重ねた結果、逃げ道をすべて埋められて自ら首を絞める羽目になる。そしてとうとうエセリの取り繕いの方便が尽きたらしい、冷や汗を垂れ流したまま、俯いて黙りこくっている。
「ちゃんとした理由があるなら、みんなが聞いている前で言った方がいいわよ。別にあたしだって、冤罪作ってでも事件を終わらせたいってわけじゃないんだから」
「それは、その……」
エセリは口ごもり、再び沈黙に戻る。
一聴すれば優しき助け舟に聞こえる言葉、受け取り手が真に無罪なら喜んで飛び乗るだろう。なのに、そうしない。それは言うに言えないやましい理由がある、すなわち罪人だと自ら認めているようなものだ。
やれやれ、とナターシャは大きなため息を吐いた。
「しょうがない、あんたが言わないなら、あたしが言うわ」
ひっ、とエセリは悲鳴を上げてから、ぐびと生唾を飲み込んだ。真っ青な顔で、ぶるぶると首を横に振っているが、ナターシャは構わず言葉を続けた。
「答えは、そうね、手続きが正しいかどうかなんてどうでもよかった、宛先なんて見ていなかった、なぜなら最初から届かない物とわかっていたから。受付で見ていたのは封蝋の印影か、『ここ』だけ」
ここ、と指示したのは文頭に記載される差出人の名前。今回の場合は、仰々しく次のように記されている。
『異能対策省 総合監視局局長 および 対エスドア特命部 実戦部隊総指揮 ディニアス=セプテントリオン』
手書きの文字で特に強調されるのはエスドアの文字列だった。これには理由がある。
「不思議なことにこの一連の事件って、紛失するのが特定の人物に関わるものにやたら偏っているんですよね。うちの局長を筆頭に、対エスドアに当たっている面々に」
これは先発の調査団から渡された被害一覧を二人で眺めている時に、ヴェルムが気づいた点だった。確かに全数の八割近くが特命部に名を連ねている者か、その者の本所属部署付けで送受されるものだったのだ。
「偶然に偶然がいくつも重なってあいつらばかりに大事故が起こっている可能性と、誰かが意図的にターゲットを選んで抜き取っている可能性と、どっちが高いと思う? 答えてくれない?」
天秤にかけたらどちらに傾くかなど、子どもでもわかるだろうこと。そしてここに居るのは、政府中枢の名にふさわしき聡明な大人たち。異論は起こらなかった。