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地上の人魚は夢を見ない(2)

 ギベルが冷めた眼差しで口を開きかける。しかし、その前にボレットが割って入った。捕えたバダ・クライカの一味に対する尋問の首尾はいかがかと。


 刹那、返答をためらったようだが、結局苦み走った声で彼は答えた。


「得るものはありません。軍備の入手経路、島への潜伏理由、他、いずれも不明です。裏で取り仕切る者の存在を問うても、ただ、エスドアの望みとしか答えませぬ」

「そうか。連中も頑なだな、罪を犯した異能など、死ぬまで表に出ることは無いというに」

「申し訳ありません。私の手腕が足りぬばかりに」

「いやいや、ギベル君。宗教家なんてそんなものさ、信仰心一つで無敵になれる。相手が悪かっただけで、君の実力は十分だ」

「過分なお言葉です」


 ギベルは軽く頭を下げた。そのまま自分の上長たちに向かって、低く刺々しい声音で問いかけた。


「ところで、何故に部外者を入れておられるのでしょうか」

「ああ。例の娘に会わせろとのことだ」

「……まさか、許可なされたのではないでしょうな」

「まだだ」


 ボレットが言うやいなや、ギベルは動いた。身構えるナターシャの真正面に歩み寄り、冷徹な目で見下す。


「考えるべくもない、許されるはずなかろう。本件において疑わしきは総監、貴様らだ。でなくとも、もとより介入する権限は無い」

「部外者なんかじゃない、あたしは現場を見た」

「知っている。それも数々の規律違反を犯した末のものだ、誇れるものではあるまい」

「それとこれとは別の話よ。通りすがりに泥棒を見かけたら、無視なんてできないでしょう?」

「下手な例え話でごまかすな」

「ごまかすつもりなんてない。あたしはただ、あいつらに引導を渡してやりたいだけ。だから捜査協力に来たのよ。あたしだけがあの子と話せる、あんたたちの知らないことも聞き出せる、悪い話じゃないでしょう?」

「それを信用できないと言っているのだ。お前たちの言葉で密談されれば、誰にも潔白を証明できん。あの人魚が嘘をつき、お前を利用し我々を陥れたらどうする? おまえが証言を捻じ曲げて伝えたら? 可能性が排除できない以上、許せるわけがなかろう。わかったら巣に帰れ、邪魔だ」


 ギベルからは他の価値観を寄せつけぬオーラが放たれている。もはや話す気すらもないらしく、言い捨てたきり背を向けられた。


 流れを完全に握られてしまった。この場に居るのは揃って治安維持省の関係者ばかり、ギベルに同調して当然だ。ちらとディニアスをみやっても、彼はすまし顔でけんに徹しており、助け船はあてにできない。


 ではこのまま引き下がれるのか。答えは否だ。ナターシャは方向性を変えてギベルの背に、さらにはボレットら他の面々に投げかけた。


「話を聞く気がないなら、閉じ込めてたってしょうがないじゃない。あなたたちは一体なにを考えてるのよ、これ以上あの子を苦しめて楽しい?」

「何が言いたい」

「必要ないのなら、あの子を解放しなさいよ。どんなに手厚く保護したって、地上に居るだけで苦痛なの。このまま置いておいたら死んでしまうわ」

「……敵の一味かも知れぬもの、みすみす野に放てるものか」

「まだ言うの!? あの子は利用された側なのよ!?」

「であったとしても、我らに害なしたのも事実。他ならぬ貴様が証人だ。死にかけたのだろう? 人魚どもの手で」


 ずきりと治りかけの傷が痛んだ。しかし、これは自分でつけたものだ。己の浅はかさ、己の無力さが実を結び、己を死の淵に突き落とすかたちで返って来た。少なくともナターシャはそう思っている。


「あたしはあの子たちに罪を押し付けるつもりはない。あれは正当な防衛だわ。だから、もういいでしょう」

「いいわけなかろう。貴様に何の権利がある。司法に背いた悪を逃すなど、正義にもとる」


 法と正義。その言葉は導火線に繋がっていた。ナターシャの中にくすぶっていた、政府役人としてではない、「人」としての思いが爆発する。、無意識に伸ばした手がギベルにつかみかかり、無理やりに正面を向いて立たせた。


「あんたの正義って何よ。人間じゃなかったらどれだけ苦しんでても良いの? 人間じゃなかったら、不当に虐げられても見過ごせるの!? 少しくらい心が痛んだりしないわけ!?」

「黙れ! 政府の定めた法がこの世の正義だ。私は中央軍の司令だぞ、私が法を守らずして人の上に立てるものか」

「その法自体がおかしいと思ったことはないの? あんたも思考停止させているだけじゃない!? 何も考えずに政府が決めたことだから正しいって言うなら、あんただってバダ・クライカの狂信者たちと一緒よ! 表向きは理想的なこと言って、裏では大勢を踏みつけて、それを良しとして、本当に正義だって思う!?」

「ッ……私は……!」


 ギベルが初めて言葉を詰まらせ顔を歪めた。拳を結んだ腕は震え、耐え難い衝動を抑えるように歯を食いしばっている。某人が煽るように笑い声を上げているが、それすら意中にないらしい。


 ナターシャも一旦口を閉ざし、腰に手をやり返答を待つ。双方が憎々しげな視線を送り、火花を散らしていた。


「二人ともいい加減にしないかね! 争う相手が違うだろう」


 またもワイテが仲裁に飛び込んできた。まずはナターシャの手を引きはがし、次いでギベルの拳を押さえて、部下たる彼を優しく諭す。


「ギベル君落ち着きたまえ、らしくないぞ。それにだ、彼女の言う通りだと思わんかね? 役に立てる目算も無く捕まえておくのは、人魚のお嬢さんがかわいそうだし、我々にとっても無駄であると」

「しかし……!」

「君の言わんとすることはわかるよ。でもせっかくだ、ここはナターシャ君に乗ってみたらどうだ。わしが同行する、何かあったらわしのせいで、特命部の過失ではないとしよう」

「……大将がおっしゃるのであれば、私には返す言葉がありません」


 ギベルはふいと背を向け、離れた場所にある椅子に腰をおろした。両のこめかみを押さえてうつむき、何を考えているのか他者が知ることはできない。


 さて、とワイテがナターシャに向いた。貫禄のある風体に満面な笑み、証人として実に頼もしげだ。絶好の機会でもあり、断る理由は無い。


 ただ、一つだけ条件を提示した。


「あいつも同席させてほしいのですが」


 言いながらディニアスを目線で示した。彼はわずかに目を見開き、面食らったように笑みを消していた。――珍しい表情だ。ナターシャが思うわずかな間で、いつもの不敵な笑みが戻ってきてしまったが。


「もしあの子が暴走したら、あたしじゃどうしようもありませんし。悪いですけど、異能への対応に関しては、治安の方々は一切信用できません。いくら大将でも……無理だと思います」

「これ、何のために魔封じの道具を異研が作ったんだ。こういう時に、対等に話を聞くために――」

「対等!? あれのどこが!? まるで囚人じゃない!」


 反射的にナターシャが叫び、それに乗ったディニアスが鎖の不協和音を奏で煽る。完全に押されたワイテは、たたらを踏むようにたじろぎ、両手を上げた。


「わかった、わかった! しかし、ディニアス君は……その、大丈夫なのかね? 怒った人魚は、あのヴェルム君ですら恐れるほど強かったという話だが」

「ご心配は無用です。それに、ここに居る大多数の方が、私が死んでも構わない、むしろその方が平和になるとお思いでしょう? 大将殿、あなたも含めて」


 ワイテはのびやかに呈された嫌味を吹き飛ばすように、天井を見上げ大声で笑った。しかし、顔は苦虫を噛み潰したように引きつっていることを、ナターシャは見逃さなかった。




 再び異研へ。道中にディニアスが説明したことによると、人魚の世話は一人の女性研究員に全て託しているとのことだった。リュウロ、という名にはナターシャも馴染みがある。一言でいえば局長のお気に入りで、総監から異研に業務依頼をする場合、彼女がよく指名されるのだ。


 事務室でリュウロに取り次いだら話は早かった。制服の上に黒く短いマントを纏った――ルクノラム教徒が執務中、祭服代わりに着用する――彼女の先導で、暗い廊下の果てへ案内された。ポニーテールも揺れ乱れる早足、付いていけばあっという間だった。


 四人で立つ閉ざされた扉の前。何の変哲もない個室だ、しかし確かに人魚の娘がいることを、ナターシャの第六感が確信として告げていた。


 その傍ら、リュウロが落ち着き払った声でディニアスに報告をした。


「容体は非常に落ち着いております。ご教授頂いた通りの型で、日に一度治癒の法を施しております。また食事も供しておりますが、そちらは手をつけていません」

「水浴は? 生かしたかったら必須と言いましたよね」

「外に連れ出すのはリスクが高いと判断しました。なのでバスタブに海水を汲み昨夜――」

「無意味なことを。大海の魔力に触れさせなければ無駄、とても魔術をかじったとは思えない判断ですねえ。そんなことなら、まだ蒼晶石そうしょうせきの山に埋めたほうがましです」

「知識およばず申し訳ありません」


 リュウロは静かに頭を垂れた。だが、彼女を責める由は無い。異能の力はアビリスタ本人でもよくわからずに使っているようなもの、また人魚族に対する知見もほとんどない。これで正解を導けという方が無理なのだ。


 だから、事もなげに語って聞かせるディニアスには、ナターシャもワイテも舌を巻いたのだった。 


「いやあ、さすが、詳しいのだねえディニアス君。驚いたよ」

「私を見くびらないで頂きたい。あいにく、言葉は話せませんけど。水読みなよみの民と口頭を介して意思疎通をする、我が神にもできなかったことです、私にできるはずがない。ですから……あなたの働きが重要なのです、ナターシャさん」


 わざわざ言われなくともわかっている。返事の代わりに、小さく頷いて答えた。


 それでは、と言い添えた後、リュウロが扉をノックした。中からの反応は無いが、構わずに押し開け、後続をも招き入れる。


 窓も無い小さな部屋だった。アビラ・ストーンのランプが石の露出した壁床を照らす。粗末なベッドと机と椅子があるだけの殺風景さ、もとは空き部屋だったところに、急ごしらえで個室をこしらえた経緯が見て取れる。


 白いベッドの縁に、金色の髪をした人魚がうつむき気味に座っていた。来訪者の気配に、紺青の瞳がゆっくりと向けられる。警戒で吊られた眼はどこか空虚。しかし、人間に混ざる同族の姿を認めるなり、わずかながら情が宿った。


「……あれ?」

「どうしました」

「あの服、どこで手に入れたの。ちゃんと人魚族の服じゃない。伝手があるわけ?」

「いいえ。ずうっと昔の人身売買事件で押収した物が組犯の倉庫にありまして、お借りしてきただけです。感謝するなら赤肌殿にどうぞ、何かなかったか聞いたら、資料棚をひっくり返して調べてくださいましたよ」

 

 人魚の纏う裾長のワンピースは海藻の繊維から織られた特殊なもの、地上で入手することは出来ない。都合よく政府内にあったのも奇跡に等しいが、膨大な過去の履歴から掘り起こせたのもまた見事なこと、ヴェルムには頭が上がらない。


 入口で固まって相談している姿を見て、人魚は怯えるように座る位置を奥へずらした。一瞬薄れた警戒が戻って来る。部屋の中に水は無いから大事にはならない、それでも暴れられるのはまずいだろう。牽制を込めてナターシャは声をかけた。


「大丈夫、怖がらないでちょうだい。少し話がしたいだけだから。隣に座っても?」


 娘は二、三度目を瞬かせ、おずおずと首を縦に振った。


 ナターシャは表情を緩め、静かな足取りで前に出る。と、後ろから再三の忠告が飛んできた。


「ナターシャ君、くれぐれも私情は挟まないようにな」

「ですが聞き出せるだけ聞き出してください、方法は問いません。あるいは黒幕に近しい者を見ているかもしれない。今この状況で言質が取れれば、大きいですよ」

「言われなくてもわかってるわ。しばらく黙ってて」


 ぴしりと振るった言葉の鞭に、ワイテがうめき声をあげ、ディニアスが肩をすくめるのを背中で見た。


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