地上の人魚は夢を見ない(1)
異研こと異能研究局は、総監と同じく、異能対策省に属する組織だ。アビラ・ストーンをはじめとした異能的資源の活用法や、異能の危険性を封じるための技術を模索している。本格的な研究施設は別島にが、中枢でも基礎的かつ迅速な異能対応が出来るように、人員設備が整えられているのだ。
総監局と同じ西棟の、異研の事務室前にナターシャは居た。各実験室に続く廊下にはヴィジラが警備を敷いていて、部外者単独では立ち入れないようになっている。まずは研究員に話を通さねばならない。
職務柄、よほどのことが無い限り、総監局員からの相談が通らないことは無い。ところが今日に限っては、人魚の娘と面会に来たと言うやいなや、事務室に居た人々が一斉に口を閉ざし、目を逸らした。
おかしな雰囲気にナターシャは眉をひそめ、たまたま居合わせた研究局長に詰め寄った。すると、彼は白髪の頭をかきながら答えた。
「誰にも会わせられないことになっている。運び込まれたことも、部外者には知られないようにと」
「あたしは当事者ですし。お願いです、会わせてください。少し話がしたいだけなんです」
「いや、そう言われても困るよ。あれに関しては、自分には一切権限が無いんだ。とにかくお引き取り願いたい」
顔を見る限り嘘はついていないようだ。仕方ない、と、ナターシャは渋々引き下がった。
無論、諦めるつもりはないが。おおよそ予想はつく、特命部からのお達しで、十中八九ディニアスの計らいによるものだろう。政府内に居るバダ・クライカの手先が口封じをしにくるかもしれない、ならばいっそ初めから誰一人信用せずに遮断する、実に彼らしい対策だ。
だったら話は早い、局長に頼み込むだけだ。嫌味の一つ二つは言われても、拒否されることまでは無いと思われる。そしてナターシャは一転、特命部の本拠へと足を向けた。
中央棟の二階廊下の突き当り、両開きの扉の向こうが特命部の作戦会議室だ。廊下に警備が立ち、人の接近を見張っている。ナターシャは動じることなく、すまし顔で把手を掴んだ。
部屋に近づいた時からすでに聞こえていたのだが、ドアの向こうからかなり激しい論議の音が伝わってくる。息荒く話すバリトンの声が誰かはわからないが、それに対するわざとらしく抑揚のつけられた甲高い音は、紛れも無くディニアスのものだった。
予想されるのは、いつもと同じ足の引っ張り合い。無駄に強権の者を寄せ集めたせいで、我欲がぶつかりあうのだろう。今の状況下でも変わらないとは、呆れて物も言えない。
こいつら馬鹿じゃないの、と内心で悪態をつきながら、ナターシャはノックもしないで一息に扉を押し開けた。
思いがけずあちらとこちらが繋がれた瞬間、中に居た面々は水を打ったように静かになった。
机を囲む顔ぶれ自体に文句はない。特命部筆頭たる治安維持省統括ボレット=エストバルと、彼にぶら下がる治安部局の者たち計三名。中央軍大将ワイテ=シルキネイトも居る。彼個人は特命部に名を連ねては居ないが、実権を握っている以上、居てもおかしくないだろう。そして最後に目が合うのは、総監局長ディニアス=セプテントリオン。
椅子に座る彼のふてぶてしさはいつも通り。だが上体は鎖で背もたれに固く縛りつけられ、後ろに回された両手首は、例の異能封じの黒石枷で固められている。
ナターシャの背中がざわりと粟立った。鎖と枷、思い起こされるのは地下で見た情景だ。
何か意味があるのかもしれないが、皆目見当がつかない。ただ、冷たく重い拘束を受けている彼が、妙にへらへらとしているのが、無性に腹立たしくて仕方が無かった。故意に心の傷をつつこうとしているように感じられて。
ナターシャはきっと目をいからせ、余裕風吹かす局長に詰め寄った。他人の目など全くはばからず、口からはいつもの調子に勢い溢れた噛みつきが飛び出した。
「なによそれ、ふざけないで! 遊んでる場合じゃないでしょ!?」
「まるで趣味みたいに言わないでもらえません? 遊んでなんかいませんよ。私のことを、あの異教連中の仲間に仕立て上げたい方が何人か居まして。要は、私がなんやかんやして捜査情報をエスドアに流すのでは、と。だから、この仕打ちです」
言葉と裏腹な愉快気な面持で、肩をも小さく揺らす。すると、錠で留められた鎖もが、かちゃかちゃと楽しいリズムを打ち鳴らし、否が応にも存在を意識せざるをえない。
無論、不愉快だ。人魚に対する非道を思うのも一つだが、それ以上に、本来ならば協力していかねばならない状況で、まだ内輪もめを優先する程度の低さが。以前より募っていた苛立ちを爆発させるかたちで、ナターシャは会する一同に吼えた。
「いいかげんにしなさいよ。あんたたちがそうやって足引っ張りあってる間に、バダ・クライカは!」
「足を引っ張っているとは聞き捨てならん。我らも全力を挙げ、あらゆる角度より連中を探っている。知らずして貶めるのは止めてもらおうか」
「ボレット統括、悪いですが、とてもそうは見えないわ。いつもいつも後手で、的外れで、体裁ばかり取り繕って。偉そうにしているだけで、全然結果が出てないじゃない」
「ああ、ああ、ナターシャさん、お仲間がぼろくそにされたからって、私怨で喚くのはみっともないですよ」
「はあっ!?」
味方から背後を撃たれ、ナターシャは髪を振り乱しながらディニアスをかえり見た。彼には蔑み嘲るような顔がついている。だから、擁護の心は瞬く間に消え落ち、代わりにむかむかとした思いが噴き上がってきた。
ここが総監局であれば、そのまま火を吐き喰ってかかっていただろう。が、ここでは「いつものこと」とは流されない。治安のボレット統括が、散る火花をはたき落とす勢いで机に掌を打ち付けた。
「喧嘩をしに来たのなら出て行ってくれ、邪魔だ」
「そんなわけないでしょ、用事があって来たのよ」
「であれば、貴殿にも異能封じを処させていただく」
「必要ないわ。どうせ無能よ、あたしは。この前も見せたでしょ」
「確かに。しかし嘘でないとは証明できまい。申告せず隠しているだけで、力を持っているやもしれん。貴殿の言い分、振る舞い、鵜呑みにはできん。こと、今回の件に関しては、貴殿らは疑われてしかるべきと思え」
威容に任せたボレットの言い草に、ナターシャはあえて言葉を返さなかった。まるで犯人扱い、それでも今はただ奥歯を噛んで耐えるのみ。こういう偏見で凝り固まった手合いには、感情的に物を言っても無駄であるから。
そして客観的に見れば、悲しいかな、ボレットの主張は正しい。異能教団バダ・クライカ・イオニアン、人魚族、内通の兆し。事件に絡むものをあげつらえば、見事に自分たち総監局に当てはまってしまう。普段からないがしろにされる部署たれば、疑ってかかるなという方が難しい。
やるせない気持ちが身を支配する。ナターシャはボレットの目を見据えながら、どうにか反論できないかと糸口を探した。私憤ではなく、推論でもない、確固たる潔白証明。あるのなら最初から出しているが、しかし、もう一度二度と内省する。
と、混乱する場を収めるように、柔らかい手拍子が二度響いた。音の主はワイテだ、白髪白髭の歳相応たる貫禄めいた笑みを湛え、揉める者らを交互に見て、朗らかに語り掛けて来る。
「まあまあ、みな落ち着きなさい。ボレット君、いいじゃないか、彼女は今回の事件を一番よく知っているのだよ。我々の知らないことを知っているかもしれない。そう邪険にするのはどうかと思うがねえ」
「大将。お言葉ですが、治安維持を司る立場として、疑わしきを野放しにすることはできません」
「君は真面目だねえ。うちのギベル君もそうだが……もう少し、余裕をもって構えた方がいいと思うよ。ディニアス君の域まで行くと、ちょいとひどすぎるけれどもねえ」
「お褒めの言葉ありがとうございます、大将殿」
ディニアスの気持ち悪いほどにこやかな笑みに、困ったような愛想笑いを返してから、ワイテはくるりとナターシャに向いた。眉も目も尻に向かって下げられ、心底申し訳なさそうに顔を彩っている。
「本当にすまないねえ、ナターシャ君。今回は少々ことが大きすぎて、みんな気が立っているのだよ。まあ、しかたない。バダ・クライカ・イオニアンの重要な拠点を落としたのだ、しかもそれが、我々中央軍の管理する島であった。ああぁ……驚くし、力むし、焦るとも。経験や地位があってもどうしようもない、我々だって人間なんだ」
「それはわかっています。でも、それを表に出すのはどうなのですか。何のためにこの組織があるんですか。こういう時に適切に動けなくて、何が『特命部』何ですか!?」
「そう叫ぶでない、怒っているばかりでは、出てくるものも出て来んよ。君の気持ちもわかるさ、ナターシャ君。辛いものを見てしまったのだろう」
「そんな言葉で片づけられるものではありません」
「うんうん、そうだろう。ヴェルム君とも少し話したんだが、あれも相当お怒りだったよ。君たちの気持ちはよく分かる、犯人を許せないだろう。でも、ここは少し堪え
て、冷静になって、みんなと協力して着実に捜査を進めるべきだ」
それから肩に置かれた手を、ナターシャは跳ね除けなかった。言わんとすることはわかるし、そもそも進展を求めて来たのだから異論もない。ただ、人の心を決めつける口ぶりだけは、いささか癪にさわるが。
細く息を吐いてから、ナターシャは一歩前に出た。ひとまずはボレットを見据え、到来の目的を告げる。努めて丁寧にしても、どこかきつい色が混ざってしまうのは、生まれ持ってのものだから仕方ない。
「異研に閉じ込めている人魚の子に会わせてもらいたいの」
「理由を述べろ」
「あたしなら言葉が通じるわ。あなた方が望む通りの捜査協力よ。確保はしてみたものの話すら出来ないし、下手に顔を合わせれば襲われるかもしれないから、どうしようもできなくてとりあえず閉じ込めてる、そんなところなんでしょう?」
ボレットは黙したままで少し目を細めた。この沈黙は肯定だろう、ナターシャはそう受け取った。傍らからディニアスのかみ殺した笑い声が聞こえてくるが、口をはさんで来ない内は無視が得策だ。
見る限りボレットは迷っている。亜人に対する不信感と、事態を収拾するべき責任感とのはざまで。されど立場に対する誇りが高いところからして、後者に傾くのは時間の問題だ。もう一押し、ナターシャは続けて主張した。
「私情を挟むつもりはありません。ここに居るあたしは、あくまでも総監局の政務官なので。彼女に行うのはバダ・クライカの被害者としての聴取、それだけです。あたしたちがまだ知らないことを彼女は知っている、その可能性は高いかと」
「一理ある。だが……」
ボレットが悩まし気に髭の生えた顎をさする。彼の右往左往する目を、ナターシャは真摯に見据えていた。目は口程に物を言う、だから、嘘偽りがないことをわかってほしいと。
もう少しで陥落する。しかし、突然響き渡ったノックの音が流れを中断させた。
皆が一斉に注目する中、返事も待たずに扉が開いた。厳とした足取りで、立派な背格好をした男が一人踏み込んできた。その顔を見るなり、ナターシャはこらえきれずに嫌悪の色を堂々晒す。もとより好かない上、登場のタイミングが最悪だ、と。
対する男――中央軍司令ギベル=フージェクロもまたナターシャに気づくなり、癖のように皺の寄った眉間にさらに深い谷を築いた。




