理想の陰(2)
単騎で敵中に邁進したセレンは、思わぬ苦戦を呈していた。前衛の男に関しては、出力を高めた魔法弾の連撃でノックアウトまで持ち込めた。鎧も剥がれ、泡を吹いて地面に伸びている。
問題は後衛に居た方だ。持ち出してきた鋼鉄の大盾を構えているのだが、どうやら魔力吸収の技が施してあるらしく、魔法弾は全て吸い込まれてしまう。そして吸収した力が光線として反射されてくるから、撃てば撃つほどセレンは追い込まれる形になった。
それでも撃ち続けていた。接近して格闘戦に持ち込もうとしても、それを読んだ相手から射撃や投擲が繰り出され、うまく距離を詰めさせてもらえない。また近寄れたところで、身より大きな盾の後ろにこもられてしまうと、セレンの筋力では突破は不可能である。
搦手を使うなどはもとより不得手だ。馬鹿正直に真っ向から、相手の気力が尽きるまで挑み続けるのみ。
セレンが身に持つ魔力容量は、ヴィジラと特使官全ての中で最上位につける程に大きいが、無限ではない。無数の魔弾を放ち、吸収され、跳ね返された攻撃を避ける。繰り返されるほどに、冷徹な顔に焦りが滲み、汗が伝う。飛びのいた着地ざまにつく片膝は深くすり切れ、赤く血の雫を吹いていた。
生来鋭い目をさらに尖らせて男を睨む。間の距離は大股にして十歩、進行形で相手はじりじり後退する。盾の後ろから様子を伺う顔には決して余裕はない、しかし、片手には飛刀を掴んでいるあたり、降伏する気はまったくなさそうだ。
「どいてろ!」
野太い声が後方より轟く。セレンは軽く眉を上げ、軽く首をひねり、横目で背後をかえりみた。
ヴェルムが一直線に駆けてくる。眉目を最大限につり上げ、並ならぬ気を立ち昇らせている。凡人の胆力では一目見ることすらあたわず、そんな形相はまさに紅蓮の鬼のようであった。
セレンは黙って跳び退き道を譲った。荒れ狂う嵐の通り道に立てばどうなるかなど、年端もいかない少女ですら知っていること。
猛然と突進してくる大男を見て、相手方はわずかに逡巡した。しかし結局、その場で盾を構えて防御姿勢を取ることを選んだ。亜人族の多くは異能の力を持っていると考えていい、その手の内が分からないから見に回る、防御系のアビリスタとして妥当な判断だろう。
強固な守りを前にしても、ヴェルムは一切の躊躇いなく足を進めた。駆け抜けた勢いを殺すことなく強靭な脚にて強く踏み切り、全身全霊をかけた跳び蹴りを鋼鉄の盾の中心へ食らわせた。
これは人外の筋力に任せた、アビラではないただの蹴りだ。盾が吸収するのは魔力だけ、それがないのだから、もろに衝撃を受け止めることになる。この暴なる負荷、人間では到底支え切れるものではない。
男は盾もろともに後ろへと崩された。足元が揺らぎ尻餅をつき、そのまま地面を擦りながら、背後にあった麻袋の山へと追突する。
激しく咳きこみながら、しかし男は再び左手に盾を持ち直し、今度は右手の飛刀もすぐさま投げられる体勢に構える。腰にぶら下がる追加の刃も、荒れる息と共に揺れ、存在を主張する音を奏でていた。
それを目の当たりにしながらも、ヴェルムは一切臆することなく、泰然なる歩みで接近する。一気に踏み込むこともなく、しかし警戒するというわけでもなく、ただ気炎を上げながら静かに。
静の重圧に耐えかねた男は、冷や汗を吹き出しながらも牽制に出た。右手の飛刀を投げつける。焦りと共に放ったのだから、狙いもろくに定められていない。しかし、的が大きいのが利を成した。空気を裂いた刃は、迫りくる大男の腿に突き刺さった。
しかし、ヴェルムは立ち止まりすらしなかった。左脚に深く突き立った飛刀もそのまま、眉目一つ動かさず、じわじわと距離を詰める。
男は焦って次の飛刀を投げた。しかしさらに狙いは乱れ、一投目は明後日の方向へ向かう。続けた二投目の切っ先はヴェルムの首をとらえたが、皮膚を貫くより先に空中で鷲づかみにされ捨てられた。
それを最後まで見守る余裕も無く、男は盾を正面に持って来た。祈るように両手ですがりつく鋼鉄の板にかすかな光が沸き上がる。先ほど吸収したセレンの魔弾の残渣を集め、一筋の光線となし、真正面まで迫っていたヴェルムに向け解き放った。
視界に弾ける異能の光には、さすがのヴェルムも動じた。だが死に至らしめる程には及ばない攻撃だ、密度が薄い、所詮は残りかすの寄せ集め。攻撃の質を瞬時に見抜くと、逞しき両腕を前に構えて身を固くした。
光線が過ぎ去った後。受けた肌には多少の熱傷が刻まれたが、それだけだ。もとより赤き肌の上では、まるで何事も無かったかのように。ヴェルムの表情もまた、涼やかな風を受け流したかのようだった。
男はひいっと悲鳴を上げた。背後の麻袋の山に半ばうずもれるように後ずさる。顔を青くした彼の心を支配するのは、異形の亜人に対する人間の恐怖か。いや、違う。人種分類の垣根などない、圧倒的強者へ対する恐怖だ。
ヴェルムは剛腕をもって男から盾を奪い、遥かへ投げ飛ばす。重い金属の音が岩窟に染み渡り、跳ね返った空気の振動が不協和音をなした。
そして、怯懦し震える男を冷たく見下しながら、重々しく口を開いた。
「バダ・クライカ・イオニアン、おまえらも、そう名乗るか?」
抑揚なく咎める口調、それは尋問で間違いない。ただし答えはわかりきっており、なおかつ否定も誤魔化しも許さない圧をかける。ただ確認を求めるのみ。
男はがくがくと壊れたように首を縦に振った。
その瞬間、ヴェルムは男の前髪を掴み、強引に目線が合う高さまで持ち上げた。額をにじりよせ、凄絶な剣幕と張り裂けるような咆哮で詰問する。
「ならば答えろ! 貴様らにとって、亜人とはなんだ!?」
「ばっ、化け物……アガァッ!」
剛なる拳が男の横っ面を殴りつけた。そこに一切の手心は無い。わしづかみにされていた前髪は負荷に耐えかねごっそりと抜け、あるいは切れ、顔の変形した男は麻袋の山の上に叩きつけられる格好になった。
悲愴な声を上げた男は、這いつくばったまま逃げようとする。しかし見逃されるわけがないし、そもそも行き場などどこにもない。首根っこを掴まれ、甲虫を裏返すよりたやすく仰向けにひっくり返される。腫れた顔にあるのは、底知れぬ絶望の色だ。
ヴェルムはそんな男に馬乗りになった。左手で胸を押さえつけ、右手を高く振り上げる。
落とす先は顔面だ。言葉と共に、一投一投へ激情を込めて。
「それでもいいだろう」
「や、やめ……アアッ!」
「だったらなァ」
「グァ、ヒッ!……あグ……ガ……」
「飼い慣らせるとは、とんだ思い上がりだ!」
渾身の一撃は、歯を折り鼻を潰し頭蓋を砕いた。それでも余りある力は、背の下にある麻袋を破断させ、さらには洞窟全体をも揺るがせた。小さな岩の破片が天井や壁面からぱらぱらと音を立て落ちる。
顔を崩壊させた男は、手指を痙攣させながら、声なくして麻袋の海へと沈没していく。破けた袋たちからは、バダ・クライカの資金源と思しき物品がこぼれだしていた。緑色のアビラ・ストーン、麻薬の草本、そして「人魚の夢」。青と緑が混濁したそれがいくつも転がり出る。一部は衝撃に耐えかね、ひび割れていた。
ヴェルムは余憤残る息を吐いて、静けさの戻った洞窟に、重い言葉を響かせた。
「俺らはてめえらの奴隷なぞじゃねえんだ。覚えておけ」
冷たく言い放たれた文言に、一切の返事は無かった。




