闇の口(3)
さらにさらに奥へと進む。急に狭まる、あるいは高い段差がつく、そんな険しい地形が続くが、道が途絶えることはない。進める限りはどこまでも深く潜るのみ。
小さく脆い石を踏み砕く音が反響する。そんな中、ふと、ヴェルムの野太い声が響いた。特に鬼気迫ったものではない、執務室で雑談するのと変わらない雰囲気である。
「それでなあ、ナターシャ。おまえ、人魚見つけたらどうするんだ。いつも通り、法に則って締め上げて終わりか?」
「ええ、もちろん。バダ・クライカを放っておくことはできないでしょ。あたしだって一応政府の役人なんだもの」
異能の犯罪を検挙する、それが総監局の仕事だ。いかなる時場合でも、その点でぶれるつもりはない、きっぱりと断言する。
しかし。ナターシャは少しはにかんで、前を向いたまま本音を漏らす。
「でも、その前に、あたしは一人の人魚として、事情を聞いてみたい。海の底で何があったのか、どうして地上に出て来たのか、なにが良くてあんな奴らに手を貸してるのか……あたしと何が同じで何が違うのか、気になるから」
人が何かをする時には、必ず動機があるものだ。例え愉快犯にしても、「楽しむため」という目的がある。ことが大きくなればなるほど、それもまた同様深く重いものでありがちだ。
忌むべき地上に出なければならない事情、ナターシャの場合は人魚の郷に居場所が無かったことだが、果たしてあの「夢」の持ち主の場合はいかがなものなのか。自分と違い、異端な魔力を持っていた風でもない。あるいは単に未知の世界に憧れて出て来ただけか、否、それならば人間に悪意を撒いている理由にならない。
結局、他人の心など推測であてられるはずがないのだ。ナターシャが知りたいのは確固たる真実のみである。だから動機は当人の口から語られるべき、そう考えていた。
「でも、安心してちょうだい。どんな話聞いたって、情状酌量なんてするつもりないから」
「もし人魚のお仲間を守るためにしかたなく、なんて理由だったとしてもか?」
「もちろんよ。それが罪を犯していい理由にはならない。無実の人間を傷つけていい理由にもならない。そうじゃない?」
ヴェルムは口を閉ざし、代わりに頷いた。ある種、悪を裁く立場の基本理念のようなものだ。否定する理由が無い。
人魚が海の民だとしても、ここは地上、統べる政府の定めた法に則り裁かれるべきである。そこに亜人に対する酌量の文言は一切ない。
再び黙した空気が戻ってきた。洞穴に終わりは見えないが、しかし、ナターシャの感覚は海が近づきつつあるのを着実に訴えている。もう少しだ。
わずかに道が広がり、平坦にもなった。そんな折、セレンが突然口を開いた。
「お待ちください」
こちらは雑談などという様相ではなく、強く危機を知らせる声だった。年長二人は素直に従い、足を止める。
セレンが前に出て、岩肌の道をしかと観察するようにしゃがみこむ。光源が近づき明るく照らし出された一帯は、肉眼には何も無いように見える。少なくとも後ろで立つ二人には、特に異常は感じられなかった。
しかし、セレンは険しい顔で宣告した。
「魔力の陣があります。踏み入れれば……おそらく、電撃が」
「見えるのか?」
「はい」
ヴェルムがひゅうと口笛を吹いた。アビリスタなら魔力が見える、そんな単純な話ではないのだ。特に隠すことを前提とした設置型のアビラの場合、気配の欠片すら感じ取れないのが普通である。わからないから、罠として成り立つからして。
「だが、抜け道はあるだろ? 仲間内で正しい道を共有する、隠れるのが好きな連中の常套手段だ」
「あります。ただ、壁や空中にも仕掛けてありますのでご注意を」
その言葉に、壁にもたれかかろうとしていたナターシャが慌てて身を引いた。セレンの位置より後ろだから大丈夫だろうが、念のためだ。
はずみで見た右の岩壁、よく見れば白墨で線が引いてある。ナターシャの身体で言うならば、目、胸、臍、それぞれの高さに合わせて。これが罠のある位置の目印だとするならば、撃たれた時のことを考えるにぞっとする。
セレンが先行し後続を誘導する、そのような形を取った。見えない物を避け、何も無いところをくぐったり跨いだり、ただでさえ歩きづらい洞窟でこれは疲労がはなはだしい。窮屈な体勢を取らせられる肉体的なものと、思うように動けない精神的なものと両方だ。罠地帯を抜けた頃には、ナターシャもヴェルムもげんなりとした表情を晒していた。
「セレン……あなた、よく、平気よね。この前から、思ってたけど……」
「普通です。これくらいで音を上げていては、とても使い物にはならない。死んで然るべき、と」
「ちっ、局長みてえな物言いしてくれら」
「ディニアス様がそうおっしゃっていましたので」
「あァ……」
涼やかな顔で立っているセレンと対照的に、二人は苦々しい顔を見合わせたのだった。
ただ、いつまでもくだを巻いては居られない。時間の流れははっきりしないが、洞窟にこもって長らく経っているのは確実だ。外に置いてきた先兵たちが目覚めるなどして状況が変わる可能性は、時の流れに従って高くなる。
それに、信号弾を見た治安維持軍の動きも気にかかるところだ。あまりもたついていれば、彼らが追いついてきて、肝心なところで邪魔されるかもしれない。ナコラ港の司令・マグナポーラに問答無用で斬られかかったのも、苦い教訓の一つとして残っている。
一息ついたら、肩に力を入れ直し、歩みを再開した。もう終着地は近い、それは確信できていた。そうでもなければ、こんな厳戒の罠を仕掛ける必要はないだろうから。
やがて。洞窟は行き止まりとなった。光源石の白い光が壁面にぼんやり反射するのみで、奥行きのある黒はどこにも無い。
では道は途絶えたのか? いや違う、最奥の壁は岩肌でない。古びた板が、まるで扉のように立ちふさがっているのだ。明らかに人為的なものである、すなわち。
「この向こうに……」
ナターシャは衝立に駆け寄り耳をあてた。聴覚を研ぎ澄ましても音は聞こえない。不自然すぎるほどの静けさだ、この板にもアビラで細工がされているのかもしれない。
しかし、海のにおいはこの向こうから漂ってくる。直感もが訴える、ここが敵の根城だと。無意識の内に手に力が入り、板に爪を立てる。
と、こわばるナターシャの肩に、赤い掌が力強く置かれた。
「ナターシャ。おまえに先陣は任せられん、危ねぇから退いてろ。何が出てくるかわからんぞ」
「いえ。あたしがいかないと。そうじゃないと、自分でここまで来た意味が無いもの。これは、あたしが追って来たこと、自分で決着付けないと」
頑として譲る様子はない。ヴェルムは困ったように栗色の髪をかき乱す。敵地の扉を開いたら間髪入れずに炎が噴き出してきた、つい最近そんな目にあったばかりだ、不安は尽きない。
先を行かせてくれないならばと選んだのは、隣に並び立つことだった。
「……何を見ても、動じるなよ。冷静な判断をしろ、形だけでも平静を崩すな」
「わかってるわよ」
そんなやりとりをしてから、二人は呼吸を併せて、立ちふさがる壁に渾身の体当たりをぶつけた。
バリケードと呼ぶのもおこがましいほど、衝立はあっけなく揺らいで奥へ倒れた。岩の床に叩きつけられ、古い板は音もなく割れて飛散した。
開けた道は左方向に急な曲線を描き、その先が広まっているようだった。別の光源があるかのように、奥がぼんやり明るくなっている。
そして、音も戻ってきた。痛いほどに耳を打つのは、地底で反響する荒波の、全てを飲み込み隠すような声音であった。




