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内通者(1)

 紙とインクの匂いがする。奥の空間より糸車を転がすような鳥の鳴き声が響き渡る。伝書部はそんな場所だ。


 伝書部では政府の中枢内外との通信、すなわち手紙や荷物の送受の作業を取りまとめて行っている。各省局の職務の効率化を考えた場合、こうして一括に仕分ける方が手間がかからないからだ。


 響くの声の正体はエメルーという大型の鳥だ。赤と黄色の極彩色の羽を持つ派手な鳥だが、別に娯楽で飼っているわけではない。帰巣本能が非常に強く、なおかつ洋上の長距離飛行に耐える体力を持つことを利用して、伝書鳥として使役しているのだ。背に負わせた防水袋に文書を入れて飛ばせば、各種船舶に頼るより早く目的地に届けてくれる。こんな島嶼に中央を置く政治には、情報伝達の速度こそ至上命題なのだ。


 ちなみにこの鳥は、さすがに中央諸島と大陸間を直接往来する体力は持っていない。そのためルート上の島々に中継所が設置され、人の手を介した、エメルーからエメルーへの伝書のリレーが行われる仕組みとなっている。



 さて、ナターシャは今のところ内勤ばかりで、日常の仕事でも伝書部を訪れる機会は多い。各地に置かれた政治組織や派遣されている同僚と情報の交換をするためだ。が、今日の目的はそれではない。


 伝書部で犯罪が起こっている。罪状を端的に言うならば、機密漏洩。



 ここ二節――イオニアンの暦では、一週が十日で、三週で一節と数える――の間、ただの事故と片づけるには不可解な頻度で、送られたはずの文書が消える現象が起こった。伝書部からの送信記録が残っているのに相手には届いていない、逆に大陸から確かに送りだされたはずの物が中枢伝書部では不達になっている。そんな度重なる紛失事件として、初めは伝書部内や内部監査局を中心にしたチームが調査を行った。


 まず疑われたのはエメルーの事故。よく調教もなされているし、鳥としては大型だから敵に襲われることも少ないが、まれにコースを外れ行方不明になったり悪天候で命を落としたりもする。郵便事故が無いとは言い切れない。もちろん、それに備えて同じものを複数回予備で送るとか、送信履歴を後に船便で渡すとか、対策は取っているのだが。


 しかし消えた文書量が多い割に、エメルーの個体数はほとんど変わっていなかった。袋から文書だけが抜け落ちた可能性はあるものの、方々で同時に頻発となると道理として疑わしい。


 不運な事故が奇跡的な確率で激発した。そう考えるよりも、まだ誰かが手紙を盗んでいる方が頷ける。次に疑われたのは、伝書部の作業担当官による文書の抜き取りだった。


 政府中枢は人間の組織だ、神などではない。地に足着く人間が寄り集まったところで、どうして世界の全てが完全に見渡せようか。目の届かない闇の世界では、不義な組織も蠢いている。


 また北や南の大陸には独立国家が残っているし、統一政府の介入を拒む自治都市も点在する。支配権を確立できず紛争状態になっている地域もあれば、そもそも極地すぎて主権を確立するに至らない場所だってある。


 だから政府の機密を漏らせば喜んで買い取ってくれる者は数限りない。崇高な精神をうそぶいて胸張っていても、目の前に大金が積まれたら心揺らがずにはいられようか。欲望。それは生き物の根底にあるものなのだ。


 さて、事件の調査団はすぐさま伝書部内の監視と全官の詰問、はてには容疑者候補の素行調査や夜通し週通しの尾行までをも実施した。不審な人物は数名に絞り込んだが、一方で確たる証拠も一切出なかった。文書を外部に持ち出している形跡も、政府外の怪しい人物と接触している影も無いのだ。全員白、あるいはそれに準ずるグレー、調査団の出した結論だった。



 あらゆる可能性を考え、調査を進めている間にも、それをあざ笑うかのように文書がどこかへ消えていく。


「外部から侵入者が居るとか?」

「無理だ。入口には警備が常駐して、ヴィジラの巡回だって増やしてもらっているんだ。金目当てで忍び込むなら割に合わん」

「じゃあやっぱり内部の人間? でも伝書部の連中しか触らない段階で消えているんですよ、あれだけ調べたのに」

「消えてる……もしかして、本当に消されてるんじゃないか、アビリスタどものわけのわからない力で」

「いやでも、伝書部には魔力吸着装置があって。だからその線は……薄いかと」

「ゼロじゃないなら十分。それに異研いけんの妙な装置なぞ、本当に効いているのかわかったものじゃない。よし、調べるぞ」

「調べるって、どうやって、どこから? アビリスタなら宮殿どころか、この島に居るとも限らないんですよ」


 調査チームは頭を抱えた。そして憂悶の溜息と共に匙を投げた。


「……総監だ。アビリスタが絡んでいるんなら、総監の管轄だ。やつらに回すぞ」

「えっ。でもまだ確定じゃないですし……」

「いいんだよ。それに連中が異能じゃないって断定したなら、やつらが調べた情報ごとこっちに取り返せばいい」

「手柄だけ横取りっすか、ひどいこと言いますねえ」

「事件が解決すればいいだろ。ほら、総監に渡す資料まとめるぞ」


 と、そんな経緯で、ナターシャたちが文書紛失事件の捜査にあたる次第となったのだ。



 総監局なりに調べをやり直してみれば、実にあっけなく片が付いた。単純な見落としだった、どうして調査団はこんな事に気がつかない、そっちこそが内通者なのではないか、ヴェルムとナターシャ二人揃って非難したものである。


 だが捜査依頼を突き返すまでにはならなかったし、しなかった。異能が関わっているかもしれない、その可能性は残っていた。アビリスタは能力を隠せばただの人間だし、亜人にだってナターシャのように人間と見た目は同じの種族が居るのだ、真相は蓋を開けてみるまでわからないから。



 伝書部の建物に入ると、記書用の文具が備え付けられた台の向こうに受付カウンターがある。さらに奥には仕分けを行う広い作業台も。異能対策の魔力吸着装置もそこに設置されていて、届いた文書も送り出される文書も、まずその装置で危険を取り除く仕組みになっている。


 ちょうどカウンターで大量の封書の送付手続きを終えた女性が居た。西方総裁補佐室の胸章をつけたその人は、振りかえるなり目を白黒させ「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。亜人慣れしていない人間が初めて赤肌ヴェルムに遭遇した時に見せる反応として、最も一般的なそれである。


 ヴェルムは渋い顔をしながら入り口の横にはけた。紳士的に直立し、手で道を譲って示す。


 今にも泣き出しそうな女性は、逃げるように伝書部を飛び出していった。最後までヴェルムの顔を恐怖の目で睨みつけながら。


「たまんねえよな。これでも部族じゃ一、二を争う男前の顔なんだが」

「へえ、赤肌ってずいぶん顔面の偏差値が低いのねえ」


 ヴェルムが眉間にしわを寄せ、ナターシャを睨んだ。ついでに軽く拳を握って、げんこつを落とすポーズを見せる。もちろんお互いに冗談だ。ナターシャもわかっているから、悪戯っぽい笑みを見せるのみ。


 だが、わざわざそんな漫才をやるために来たわけではない。目と目で言葉を交わし、同時にカウンターの方を見る。


 受付の男はびくりと肩を震わせた。彼もまた先ほどの女性に負けず劣らず委縮してしまっており、顔面は蒼白、台に手をついていなければ、今にも床に崩れ落ちてしまいそう。


 顔つきと目線の動きからして生来弱気なのは明らか、しかし真面目で実直そうな雰囲気ではある。おまけにまだ若い、二十歳そこそこといったところだろうか。なるほど人生経験の浅い若者には、怪物じみた人に睨まれるという出来事は、少々刺激が強すぎたのだろう。


「あいつなんだよな」

「ええ」

「ありゃあ……駄目だな。俺は、ここで待ってるわ」

「ぜひそうしてちょうだい」


 あまり怯えられると、出てくるものも出てこなくなるから。そう、あの気弱で真面目な青年こそが伝書部の内通者、今回の機密紛失事件の鍵なのだ。



 毅然とした足取りでナターシャは受付へ歩み寄る。未だ腰が引けている青年は、しかし美女だけが近寄ってくると見るやいなや鼻の下を伸ばし、うってかわって間抜け面を晒した。


 こうも油断してくれるとは。ナターシャは心の底からの笑みを浮かべると、若人と目線を絡ませるように身を屈め、カウンターに両肘をつきながら語りかけた。


「エセリ=コーライさん、ですね?」


 見かけは天使のようだが、口調は悪魔のよう。いや、ナターシャとしては一生懸命猫なで声を作ったのだが、元々のはきはきとした喋り方と合わさって、出来上がったものはひどく不自然でうさんくさいものになってしまった。


 小心な受付の男は頷きながらアホ面を消した。じろじろと訝しむ目に止まったのは、ナターシャの豊かな胸に輝く六芒星の章だ。


「あの……何で総監の方が、ぼくに。ぼく、ただの人間なんですけど……?」

「うん、まあ。でも、仮にあなたがただの人間じゃなかったら、あたしたちに訪問されるはめになる特別な理由があるわけ? ただお手紙を出しに来ただけかもしれないのに」

「あっ、や、べっ、べべ、べつに……何も、何もないです、はい!」


 青年は高速で首を横に振った。平然を装っているが、目は泳いでいるし額には汗がにじんでいる。


 やれやれ、上手くごまかす胆力も無いのに、よく犯罪に手を染める気になったものだ。いや、逆に心が弱いから、悪の道に流されてしまったのだろうか。ナターシャは少し考えたが、どちらが正解かはわからなかった。それに知ったところでどうでも良いこと。


 ずい、と身を乗り出し、青年の眼前に迫る。 


「単刀直入に。近頃の機密漏洩事件の内通者、あなたでしょう?」


 鋭い口調だった。碧色の瞳は研ぎ澄まされた氷の剣のごとき閃きを湛えている。


 ひいっ、と情けない声を上げて、エセリ青年は身じろいだ。ぶるぶると壊れたように首を振る。受付の異常を察した他の職員が総出で野次馬しているのにも彼はまったく気付いていない。弁明の言葉を叫ぶ。


「してない、違う! ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは何も……! そんな、文書を持ち出したりなんかしてない! 濡れ衣だ!」

「ええ、先日もそう仰ったと聞いてるわ。『自分はちゃんと仕事をしているし、他の官も同様だ。文書が消えたなら、それはエメルーの事故』って」

「ああ、そうだ! 生き物なんだから、どっか行っちゃうことだってあるさ。なんだよ、わかってるじゃないか!」

「もちろんよ。ちゃんと調査団から回ってきた資料は目を通して来たもの」

「じゃあなんだよ。たまたまぼくがここに立った日に事故が多かったからって、証拠もないのに言いがかりつけやがって。総監のくせに」 


 急に強気にまくしたてるのは、自らを大きく見せ威嚇しているつもりなのだろうか。攻める側からすれば、空しい抵抗にしか見えないのだが。


 ナターシャはわずかに首をひねって、後方の入り口横で待っているヴェルムへ視線をやった。相方はというと、壁にもたれて暇そうに大あくびをしている。気だるく細められた目からは、もう説得はいいからやってしまえという無言のメッセージが発せられていた。


 次にナターシャは壁掛けの時計に目をやる。ああ、確かにもう畳みかけても良い頃合いだ。


 だから彼女は隠し持っていた武器を取りだした。


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