闇の口(1)
本島には三つの港がある。その内、小さな北の港は治安維持軍が管理する、緊急時用の埠頭だ。常駐する隊員も船も少なく、むしろ倉庫の方が多い、そんな場所だ。
そこから一隻の小船が沖合へ向かう。紺青の制服を着た三人組を乗せ、三角の帆を張り、半ば潮に流される形で北へと進んでいる。前方にある小島を確実に見据え。
出帆までは気持ち悪いくらい順調であった。言われた通りミリア統括の令状を港の駐留部隊に見せたところ、嫌味の一つすらなくこの船を貸してくれた。とんだボロ舟で……などということもない、真っ当に整備された小型の帆付き船である。
ろくな操船技術を持ち合わせてはいなかったが、行く先は本島からでも目視できる距離にある、ゆるやかながら問題なく接近していた。
海が徐々に浅くなりつつある。そろそろ西側に回り込み、接岸する方へ舵をきらなければ。そんな時であった。
東側から一隻の船が接近してくる。ナターシャたちが乗るのとほぼ同型の帆付き船だが、あちらは帆を立てていない。代わりに海馬――馬のつま先がアヒルの足になったような海獣だ――が二頭で牽引している。
「おい。あれ」
「軍の連中かしら。……でも、海馬なんて使う?」
「いや、普通はねえな。だが漁師はもっと使わん。第一、普通はもっと浅瀬で乗るもんだ」
「撃ちますか」
「ちょっ、もうちょっと待ちなさい!」
激しい揺れと共に寄って来る船影を、怪訝な顔で見る。海馬のひれの動きに驚き魚が逃げるから漁師は乗らない、何らかの原因で馬が潰れたら困るため島から離れては乗らない、海馬を動力とする船は、浅瀬の渡しや遊覧などに使われるのが普通である。
不自然の塊はみるみる内に距離を詰めて来た。素人操術の船と海馬が引く船では、圧倒的に向こうが速いのだ。
乗組員もしかと視認できるようになった。治安部隊の制服を纏った四人である。日に焼けたきつい顔が、こちらと同様、並ならぬ警戒心に満ちていた。
「巡察、か?」
「厄介な時に」
止まれ、と激しい口調で投げかけられて、ナターシャたちは大人しく従った。ここで軍といざこざを起こすのは避けたい。敵の城は目の前なのだ。
さざ波を立てつつ相手方の船が横に並び止まった。思い切りが良ければ飛び移れる、そんな近しい距離感である。
肌を刺す視線が交錯し、やがて、頬傷のある一番偉そうにしている男が口火を切ってきた。
「貴様ら何者だ。ここで何をしている」
「総監局だ。あーっと……アビラ・ストーンの調査に来た」
「島への上陸許可は?」
「ん」
ナターシャは例の書状を取り出し、両手で引っ張るように広げて相手方に見せつけた。見えないかもしれないが、それなら向こうから見にこればいい、それくらいの横柄な心持ちだ。
それにしても、だ。何者かなどと見ればわかること。政府中枢で亜人を擁している部署など、総合監視局以外にあり得ない。無駄な確認で時間を取られるのがわずらわしくて仕方が無かった。
第一、そうした身分確認のわずかな手間をも省くために、政務官は所属を表す胸章を身に着けているのである。ナターシャたちの胸には、今日も二つの章が静かにきらめいている。
――ん?
ナターシャは、書状の文字を読み取ろうと前のめりになっている連中をまじまじと見た。襟正しく制服を着こなし、戦闘帽も被った、精悍なる治安維持軍の隊員たち。
しかし感じるわずかな違和。しかと男たちを観察し、そして、一つかまをかけてみた。
「あんたたち、治安の連中じゃないわね。何者よ」
「なっ……失礼な! 中央軍の巡察船だ」
「指揮官は誰? どこの隊の? ギベルんとこ?」
「ああそうだ。ギベル隊長の指示でここに――」
「嘘ね」
「無礼な! 捕えるぞ!?」
「いいえ、無礼者はそっちよ。だって、胸章はどうしたの?」
嘲笑混じりに指摘すれば、敵船の男たちは目に見えてうろたえた。そう、彼らの左胸には、あるべき印が無かったのだ。
「公務中は身分証明のため着用を義務付ける、あんたたち全員規律違反よ。あの岩より頭固い奴が、そんな抜けた格好許すわけないじゃない。あと……治安部隊の隊員だったら、ギベルのことは『司令』って呼ぶわ。『隊長』じゃないもの」
内勤者の制服の着こなしすら厳しく注意していた男だ、直属の部下が、例えうっかりでも規則を破っているとなれば、そのまま外に出すはずがない。そもそも、あのギベルの下に居れば、「うっかり」すら無きよう矯正されそうだと思う。呼称一つにしても同様に。
ざわめく波を除いて、辺りは静けさに包まれた。
相手船に乗る男たちは、一転、殺気ばらんだ眼光を露わにする。後衛の三名が順次、船底に隠し置いてあったクロスボウを掴み上げ、そして、応対していた頬傷の男は、右手に魔の閃きを見せた。
「ナターシャ、伏せろ!」
言うが早いか動くが早いか、次の瞬間には、ナターシャの体は太い左腕によって、船底目がけて押し倒されていた。
空を切った矢の二つが、乾いた音を立てて船の内に突き刺さった。そしてもう一本は、体勢の整わないヴェルムの横っ腹を目がけて猛然と飛来する。とても避けられるものではない。
しかし、血しぶきが上がることはなかった。研ぎ澄まされた矢尻が、衣服を貫き肌に極小の点で触れた瞬間、構えられてもいなかった赤い掌がそれをはたき落としたのである。目にも留まらぬ早業――常人の神経では不可能な超速の反射行動、これおヴェルムの異能だ。
射手は愕然として間抜け面を晒している。と、その横っ面へ紫色の光弾が飛んでいき、命中したとたん、糸が切れたように彼は倒れ伏せた。他にも同じざまの男が二人。クロスボウを抱えたまま、ぐったりと横たわっている。
頬傷の男だけは船を飛び移ってきた。アビラで具現化した銀の細剣を片手に、船尾側に固まっているところへ向かってくる。口端から威嚇するように蛇の声を出しながら、一気に跳んで間合いが縮む。
ヴェルムが射程に入るのを待ち受ける。アビラの武器はどんな効果を持つかわからない、ほぼ確実に回避できる以上、初撃は受けに回って見極め、反攻に出るのが得策だ。後ろに居る女二人をかばうように、堂々と立った。
しかしセレンがそれを待つはず無かった。立ちふさがる大きな背が邪魔だと言わんばかりに横に出て、来たる敵を撃つ。弾の色は紫、頬傷の結末は残りの連中と同様だった。
「……殺したか?」
「いえ。眠っているだけです。『ナターシャさんがうるさいので、目の前で派手に殺すな』とディニアス様より言われております」
「うるさいって……あいつ……あたしどうのの問題じゃないでしょ、馬鹿局長が!」
反射的にナターシャは船の縁を平手で打った。本当は彼奴の馬鹿みたいな彩色の頭をやってやりたいが、そんな私情は置いておくとしよう。
静かな眠りにつく偽治安部隊たちをもう一度よく観察する。胸章は着けていなかったが、纏う制服自体は、上質な生地で仕立てられた本物である。一見した立ち居振る舞いも、なんら遜色のないものであった。小さな違和感を見逃していたら、疑うことなく治安隊の巡察船だと応対していただろう。
用意の周到さ、ただの賊徒とは思えない。一般に出回らない軍服一つばれずに盗むにも、組織だった計画が必要であるはずだ。
そしてなにより、この男たちの武装が軽い。巡察というのもあながち嘘ではなく、単なる斥候の類とみてよさそうだ。
では狡猾なる組織の本体がどこにあるか。ナターシャは片手を腰につけ、目の前にある島をにらんだ。
「どうも予想が大正解なんじゃないかって気がしてきたんだけど」
「だろうな」
風景として見る限り、地上に人の気配は一切ない。しかし地下は。あらゆる目の届かぬ闇の中に、居るのだろう、バダ・クライカ・イオニアン。
――今から行くから、待ってなさい。水色の目の奥で、珊瑚よりも赤き炎が燃え盛る。
風は東から、順風だ。水平線も実に静か、増援が来る気配も無い。もう、立ち止まる理由もどこにもなかった。




