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出撃準備

 あくる日の朝、ナターシャは誰より早く総監局にやってきた。扉にかかった鍵を開ければ、こもった空気が顔に吹きつけた。


 机の上は昨日のまま。資料室から借りて来た小島の詳細地図が広げられ、さらにそれを写し取った図に、これまた各種資料から得られた情報が書き込みされている。


 作戦会議と言うほど高尚なものではなかったが、ヴェルムと打ち合わせた後の状態だ。過去の落盤発生個所、アビラ・ストーン発見地点、地下洞窟の入り口などを地図と照らし合わせ、上陸後の探索方針を取り決めた。西岸に降りて草原を北上、くぼ地から地下に潜る、それが目的とする海面へたどり着く最短経路だと。


 ただ、上陸できなければまったく意味が無い。局長が何やら企んでいるようだが、もし当てが外れた場合は、ヴェルムからワイテ大将に直談判するとのことで決まった。というか、ナターシャが押し通したと言うべきか。


 ――明日の朝まで待て。その言葉はどうなったのか、果たして。ナターシャが来たる直後、ディニアスも執務室に登場した。


「おやおや、お早いですねえナターシャさん」

「のんびりなんてしてられないわよ。それで、待てって言った話はどうなったわけ?」

「アハハ、そう焦らないでください。だいたい早すぎなんですよ、あなた。私の予想以上でした」

「どういうことよ」

「誉めてるんですよ? 素直に喜べばいいじゃないですか」


 けらけらと笑い、ディニアスはナターシャを追い越して机に向かった。放置された図を眺め、一人にやついている。


 さっさと話を進めてくれ、そんな苛立ち紛れで後を追うようにナターシャも踏み出す。が、局長に詰めかかるより先に、背後で扉が開く音がして足が止まる。


 予想には違わない、ヴェルムがやって来たのだった。先に二人も居たことに面食らったらしく、入室してすぐの場所で躓いたように立ち止まった。


 間髪入れずに局長が振り向き、両者を見渡した。

 

「赤肌殿も来ましたね。ではさっそく」


 と言って、上着の胸元に手を入れる。すっと取り出したのは小さな封筒だった。ディニアスは手づからそれを開き、三枚ある内から一つを抜き出し広げた。


 昨日ちらつかせられた許可証ともまた違う、しかし形式ばった書類だった。やたら跳ねに勢いのある激しい字はディニアスのもの、見慣れていれば一目でわかる特徴的な筆跡だ。だが末尾に書かれた彼の名の下には、別人の細く几帳面な字体でサインが成されていた。記された名はミリア=ロクシアと。


「アビラ・ストーンの定期調査、というお題目で、ミリア統括から上陸許可をもらってきました。あれでも省長なので、こんな紙切れ一枚でもそこそこ効果ありますよ」


 口角をつり上げ得意気に言った。しかし聞き手、特にヴェルムは腑に落ちない顔をしている。


「おい局長、そんなもん無駄だぞ。軍の直轄だ、さすがに向こうの方が力あるぜ?」

「いえいえ、どうでしょう。大将殿が自ら監視しているとかならともかく、実際は放置。北の港だって、詰めているのは下っ端の弱卒ばかり。直接これ渡してみなさい、あっさり船貸してくれますよ。というか、そうするようにお願いしてきましたし。もし聞いてくれなかったら、無理やり奪っていけばいいんじゃないですかね。任務妨害ということで一つ」


 さも当然のように語ったが、その実かなりの強硬手段。端的に言うならば権力をふりかざして強行突破しろと、そう言っているのだ。その場はしのげても、後々に尾を引きずることになるだろうとは目に見えている。


 ――大丈夫なのか。ナターシャとヴェルムは不安をすり合わせるように顔を見合わせた、いつものことである。


 そして二人の様子を見てもなお局長が余裕風を吹かせているのもいつものことである。


「問題ありません。あちらが強引な手を取るので、こちらも相応にやらせてもらうだけです」


 きっぱりと断言した後、ディニアスは元通り書状を畳み封筒にしまった。それで終わりかと思いきや、さらに懐から別のものを取り出す。


 今度はカーキの布鞄だった。巻きつけられている帯は、本来腰にくくりつけて使うためのものである。それを解きもせずに隙間から封筒を中に押し込むと、ナターシャに投げてよこした。

 

 焦りながらも無事に受け止め、一つ局長に悪態をついてから、布包みを解く。中身をあらためると、鞘付きのナイフに、光源石仕様の小型カンテラ、それから着火すると煙を上げる信号弾や、簡単に種火を起こせる火打ち器など、野外活動に役に立つ物品が詰め込まれていた。


 そして裏地に刺繍されたものも見逃さない。治安維持軍の紋章と、管理番号らしき数列。要するに、軍の備品を持ち出してきたということだ。


 まさか盗んできたのではないか、そんな咎めの目線をディニアスに向けたところ、彼は両手を開いて首を横に振った。


「ほら、組犯にいるあなたの恋人」

「違う!」

「じゃあ元恋人」

「そうでもない! こんな時にふざけないで、いい加減にしなさいよ」

「ま、なんでもいいです。あれに『ナターシャさんが危ない』って事情をお伝えしましたら、一つ失敬してきてくれました。どうぞお使いください、あの者もせっかく共犯になって下さったわけですからねえ」


 コープルめ、とナターシャは内心で呟いた。余計な真似を、とは思わない。ただ、馬鹿な奴だとは思う。これは軍備の横流し、次第が明るみに出たら彼も罰を受けるに違いない。何かわかれば惜しまず協力を、そう別れ際に交わしたが、そんな危険を冒してくれとまでは思わなかった。


「ナターシャ、ここは素直に使っとけ。丸腰は危ねぇ」

「ええ。わかってるわ」


 帯を腰にくくりつけ固く結んだ。試しにその場で足踏みして、ずり落ちてこないことを確認する。重量感もさほど気にならない、一日くらいなら邪魔を感じないだろう。


 と、ディニアスが足をナターシャたちの傍らに進めながら、目を三日月にしてうそぶいた。


「まあ、私が欲しかったのはその信号弾だけなんですけど」


 はて、とナターシャは首を傾げた。よりにもよって信号弾、ナイフやカンテラの方が実用的な気がするのだが。


 さては何ぞ企んでいるに違いない。思い当って目を細めるが早いか遅いか、隣に立ったディニアスは、火を吹き消したように真顔へと変じた。冷たいまでに色のない黒とぎらつくほどに鮮やかな橙、そんな二つの目玉に射ぬかれると、心中に氷が走ったようになった。


 彼はそのまま、静かに重く、含みを持たせて口を開いた。


「闇の口に飛び込む前に打ち上げなさい。そこから始まり軍の手の物が押しかけるまで、それだけがあなた方に与えられた時」

「……ちょっと、そんなのだったら打ちあげなければいいじゃない。わざわざこっちの動きをばらすような真似しなくてもさ」

「甘い甘い。もし外の誰にも気づかれなかったら、誰もあなたの動向を知らなかったら。そのまま闇に引きずり込み葬り去って終わり。暗い洞窟の中で一人土に還りたい、そう思うのであったらどうぞご自由に」


 そっけなく言い放たれた文言にぞっとした。確かにその通り、二人きりで怪物の巣へ飛び込んでいくようなものであり、おまけに深い地下洞窟の奥底、窮地に立たされてから救援を呼ぶのでは遅い。ナコラでの体験を鑑みるに、平穏無事で解決まで持っていくことも難しいだろう。


 ナターシャが一応ながら腑に落ちた様子を見せるやいなや、局長の顔に平素の自信満々な笑みが戻った。


「あいにく私は我が神とは違うので、この目で見えない物は見えないんです。だから、危機に陥る前に打ち上げなさいよ、そしたら見えますから。あなたがたの動きが。見えさえすれば、どうとでもできますとも」


 仰々しい言い方をするが、平たく言ってしまえば助けに行くということではないか。ナターシャは思わず笑った。稀代のひねくれ者なのは知っていたが、それを差し引いても珍しい物言いだったから。


 ならば。そこまでお膳立てするというのなら、こちらは突き進むしかないだろう。ナターシャ、次いでヴェルムは踵を返し、出撃に転じた。


 が。ドアノブに手がかかった瞬間、局長が眼前に躍り出て来た。引かれつつある扉を、指が白くなるほどに押さえている。


「もう少しお待ちを」

「あん?」

「まだなにかあるの?」

「いえいえ。私は何も。ただ、今出て行くとですねえ……鬼に食われますから」


 意味が分からない、そんな怪訝な色で空気が染まり、静寂もが襲い来る。


 するとどうだ。扉の向こう、大理石の廊下から、やたらきびきびとした足音が聞こえて来た。それはこちらへ近づいてくる。


 早い拍子が滲ませる厳粛な気配、ある男の顔が浮かぶ。治安維持軍司令ギベル。いま最も会いたくない人物だ。


 しかし、なぜ今ここに? 沸いた疑問を表出するより先に、ディニアスの手によってドアの前から押し返された。彼自身はひどくにこやかな顔つきで扉の方へと向き直る。


 それから一を数える間でもなく、いつかのナターシャの八つ当たりと似た勢いでドアが開け放たれた。


「総か――」

「こぉれはこれはギベルさん! 朝からこんなところまでご足労ご苦労さまです! それで、今日はどんな御用で? ん? あぁ! あれですね! あれあれ、五年前のエスドアが飛行船研究所襲撃した、あれの話。ギベルさん見たがってましたもんねえ、さあさ、こちらへどうぞ」

「黙れディニアス、貴様――」

「ほらほら遠慮なさらずに。ちょうど私も一度最初から見直そうと思ってたところなんですよ。それにエスドアについては、あなたなんかより私の方がずっとよく知っていますよ? せっかくですので、その辺りもじっくりお話いたしましょう。ほおら、この辺適当に座っちゃってください」


 気持ち悪いほどの上機嫌でギベルの腕をつかみ、一言すら言わせず室内奥へと引きずりこむ。よく回る口は、しかし本懐を語っているとはとても思えなかった。


 一方のギベル。もがき荒ぶりするものの、絡み付くようなディニアスの手から逃れ出ることは叶わず。もとより険しい顔つきが、怒りも織りまぜて歪んでいる。それが机上に放置された地図を見るやいなや、さらに割り増しで凄絶な表情になった。


 なるほど、鬼に食われると局長が表現したことに合点が言った。ナターシャは思わずヴェルムの背後に隠れる。ギベルの鬼の形相が、一転してこちらに飛んできたからだ。ただでさえうるさい男だと知った、それでいて怒り狂った状態を相手にしたいと思いやしない。


 そこへ局長からあっけらかんとした調子が飛んできた。


「あ、お二方はどうぞお好きにしてください。……そうそう、暇そうな特使官とか歩いてたら勝手に連れてっていいですから。『彼女』にも特に命令出してないので、よかったら遊んでやってくださいよ」


 意味深げに口角をつり上げた、その意図するところ、今度はナターシャはすぐに察せた。特使官などと言われて知っているのは一人しかいない、まして「彼女」と強調されれば。セレンのことに決まっている。御しきれるかどうかは別としても、虎口に挑むのなら二人より三人の方が心強い。


 ディニアスは片手でギベルを捕まえたまま、ひらひらと右手を振っている。それが「行け」との合図とみて、ナターシャたちは部屋を出たのだった。



 朝の冷ややかさ残る玄関ホールを急ぎ足で突っ切る中、ヴェルムがふっと呟いた。


「大した野郎だぜ、まったく。ギベルを釣りやがった」

「やっぱり偶然なんかじゃないわよね」

「だろうよ。適当に餌撒いて呼び寄せたのさ、こっちが動くにゃ邪魔だからなあ」


 しみじみとした吐息が大男の口から漏れた。


「しかしまあ……用意周到が過ぎるぜ」


 解放された入口をくぐり、照り付ける日差しの下に出たところで足が止まる。


 真正面へ向いた目線の先には、通路の真ん中で直立不動になっているダークブロンドを輝かせた娘。その凛々しい目がこちらの存在を認めたなり、静かに会釈をする。


 布石は打たれ、役者は揃い、小道具も身につけた。出撃準備は整った、もはや前に進むのみである。待ち受けている物がどれほど深き闇であろうとも。

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