魔の島(3)
ではいかにして調べをつけるか。ここまで迫って、灰色のまま放っておくわけにはいくまい。何とかして島に立ち入らなければ、そして動きは早いほどよい。
これほどまでに自分が人魚崩れであることを恨むことがあろうか。もしもえらが残っていて、なおかつ海を自在に泳ぐ力があったとしたら、深く潜って島に接近することなどたやすく出来ただろうに。
調査に行くために必要なものは何か。船、そして上陸許可。どちらもナターシャ一人で用意できるものではないから、なんらかの伝手を使わなければ。例えばコープル、彼ならば協力的に立ち回ってくれるだろう。しかしどこまでできるだろう、大した役職についているわけではないのだから。それに、ギベルの刺していた釘も気になる。
どんな細い糸でもいい、他に使える縁はないか。火のついたように思いを巡らし、ナターシャははっと思い出した。昨夕、この総監局に訪れた、治安部隊中央軍団の総指揮長のことを。あの男はなんのためにやって来たか、それは、親しい相手を酒席に誘うため。
気づいた瞬間、ナターシャはヴェルムの太い腕にすがりついていた。たじろぐ強面を仰ぐ目は、いっそ飢えたようにぎらついている。
「ヴェルム、あんた、ワイテ大将と仲良かったわよね!? お願い、どうにか頼んで島に上がらせて!」
「おいおい、落ち着けよ。わけわからんぞ」
「落ち着けるわけないでしょ! 何でもいいから、とにかく行かなきゃいけないの。だから……あたッ! なによ!」
抗議するナターシャの頭を、大きな手が追加でもう一度はたいた。ヴェルムとしては軽くのつもりだっただろうが、なにせ力が人並みではない、衝撃はなかなかのもの。赤紙が乱れた箇所をさすって、こもるような鈍い痛みを逃がす。
そんなナターシャにヴェルムが苦々しくかつ腹立たし気に言い聞かせた。
「なに、はこっちだ。おまえなあ、ガキじゃねえんだ、頼み事すんのにそんな理由が通じるかよ」
「だけど!」
「らしくねえって言ってんだ。おまえはそんな滅茶苦茶やろうとする奴じゃなかっただろ。無理は俺の役、おまえは道理を通す。違うか、あァ?」
ナターシャはぐっと歯噛みした。ヴェルムが言わんとすることはわかる、熱くなりすぎているのは自覚あることだ。しかし、しかしだ。この期に及んで大人しくなどしていられようか。今なお同族の力によって世界に狂気が振りまかれようとしているのに。
なおも瞳を尖らせるナターシャに対し、ヴェルムも真剣な眼差しを返す。強き視線同士が激突し、総監局はにわかに張り詰めた静寂に包まれた。
先んじて口を開いたのはヴェルムだった。
「ナターシャ。おまえなにを探ってる。まずはそれを言え」
もっともな疑問だ。それにこの男になら隠し立てする必要もあるまい、ナターシャにとって最も頼れる存在なのだから。
ナターシャは真っ直ぐな目のままで、「人魚の夢」を取り出した。まずは黙って見せてみたが、ヴェルムは何かわからないらしい。当然だろう、何とも知らずやましい目で見なければただの綺麗な石、せいぜいアビラ・ストーンの仲間と思うかどうかだ。
だから「夢」の由来から全て白状した。人魚が魔力で生成する物質であり、人間にとっては危険な幻覚剤になること。それをバダ・クライカが売りさばき、教団の活動資金源としていること。流通する量の異常さから、人魚族がバダ・クライカ・イオニアンと繋がっている可能性が高いこと。そして、彼ら彼女らの居場所が翠晶石の産出地、すなわち中枢北の島にありそうなこと。
ナターシャが一連を語る間、ヴェルムは沈黙を貫いていた。しかし、聞けば聞くほど頑強な顔は強く歪み、三角形の目の奥では怒りの炎が勢いを増していった。
そして一通りの話が終わると、彼はやり場のない苛立ちを込めた一声を雄叫んだ。
「あァッ、くそっ! そういうことかよ。……胸糞悪ぃ」
「同じ気持ちよ。だから見過ごせないの。総監局としてである以上に、同族だから。あんたならわかってくれるでしょ、この気持ち」
「ああ、わかる。よくわかるさ」
額を抱えうなだれる男から、情感のこもった声が漏れた。
同じ種の血が流れる仲間だから。その強い同族意識は亜人種ならではのものである。一丸となって行動し、痛みは共有し、支え、間違いは是正する。人間という名の圧倒的多数種に圧されながらも部族の血を繋いでこられたのは、強固な精神的繋がりがあったからに他ならない。
ナターシャは地上に出でこそすれ、そして人魚にあるまじき存在だとしても、人魚族だという事実を捨て去ることはしない。だから同族が悪に染まろうとしているならなんとしても止めたい、そうなるに至った心を汲んで理解してやりたい。そんな気持ちで血が熱く沸いてた。
このどうしようもない感情をわかってくれるというのなら、どうか道を開いて行かせてくれ。ナターシャは縋るようにヴェルムを見た。彼は確かに理解が及んだような顔をしている。
しかし。
「でも、駄目だ。行かせられねえ」
「どうして!」
「おまえが手を出すべきじゃないからだ」
真顔で言い放ったのはまず正論。かの宗教に関わることは特命部へ、それがここ中枢のきまりなのだから。
しかし続きに繋ぐのは感情論。日々を共にする同僚として、長きを総監局で過ごした先輩として、そして赤肌ヴェルム個人として。
「俺はなあ、おまえには死んでほしくないと思ってる。そのまま感情だけでつっこんだら、足元すくわれて終わりだぞ。わかってんのに、行かせられるわけないだろうが」
諭しにナターシャが言い返すより早く、ヴェルムは対面にある自分の席へと向かった。その貫禄ある背が最後通告として語る。
「それ以上バダ・クライカに関わるな。あんなもん特命連中に任せて、いつもみたいにここでくだらねえことでも喋ってろ。その方がおまえのためだ」
それだけ言って椅子に深く身を預けると、腕を組んで俯いた。黙す格好は、もはや聞く耳も話す口も無いというように。
ナターシャも糸が切れたように椅子に落ちた。唇を噛んだまま向けた視線は閉ざされた部屋の床の上、道らしき道など何も見えない。
ただ悔しい。巨悪の尻尾を掴んでおきながら、みすみす逃さざるを得ないのが。ヴェルムの言う通り、特命部に話を回して動いてもらえばいい? いや違う。それでもバダ・クライカ・イオニアンに致命傷を負わせられるが、人魚族としての問題は片付くまい。
一体どんな夢を見て、かの人魚は地上の神に与す気になったのか。いかな夢のために、人魚として異端な行動に走り、邪教と手を組むのか。その心の根が分からない限り、抜本的な解決にはならない。なおかつそれが理解できるのは、人魚であるナターシャくらいなのだ。
行かなければ、何としても。ただくすぶる焦燥感が足に集まり床を打つ。
その静かに熱い拍が刻まれる中に、ドアが開く軋んだ音が和音を奏でた。
勢いよく押し放たれた入口では、目に痛い色彩を纏った男が、得意のにやけ面で胸を張っていた。
再度あらわれたディニアスは、なにやら意気揚々とした風を吹かせてナターシャの方へと向かって来た。後ろ手に組んだままなのがいかにも胡乱で、室内に居た二人がみるみる警戒心を募らせる。それを見ても本人はめげることなどないが。
「どうです? お話はまとまりました? そろそろ欲しいと言い出すかと思って、こんなもの持って来たんですけど。いります?」
にっこりと怪しく笑みながら背中より取り出したのは書類。ナターシャの眼前に突き付けられたそれは、総監局官が犯罪者の連行をする際に必要な武力拘束許可証であった。局長の名の下に直筆で発行されるそれは、裏を返せば「責任は取るからやってしまえ」というお墨付きでもある。盾にすれば多少強引な捜査も押し通せないこともない。
「おい、局長……!」
ナターシャの神経を煽り立てる物、それに気づいたヴェルムが立ち上がりざまに非難の声を上げた。
しかし、ナターシャ本人が食らいつく方が早かった。水を得た魚のように全身のばねを伸ばし、つりさげられた餌にとびかかる。
が、掴むより先に紙がひらりと引っ込められた。ディニアスの手は頭上高く持ち上げられ、ナターシャが手を伸ばし飛び跳ねてもぎりぎり届かない位置に行ってしまう。
恨みがましく局長を睨めば、返ってくるのはいつもの含み笑い。
「んふふふふ、お気持ちはよーくわかりました。でも、あなたちょっと慌て過ぎですねえ。明日の朝まで待ってください、それまでに私の方で根回しはしますから。……あ、そうそう」
ディニアスはもう片方の手も高く持ち上げる。そして両手で許可証を掴み左右に引けば、それは二枚に分裂した。なんてことはない、最初から二枚重なっていたのである。
「今回は赤肌殿にもご一緒してもらいますけど、いいですよね? ちなみに拒否権はないです。私、局長ですし」
ヴェルムはなおも渋い顔をしたままディニアスから体ごと向きを逸らした。腕を組んだまま、耳目を閉ざして。局長は無視して喋りつづけるが。
「ま、そんな感じで。あとはお二人でゆっくり作戦会議でもしておいてください。一体何するつもりか知りませんけど、犬死にだけはしないでくださいね。あなた方にはまだまだ働いてもらわないと困りますから」
それだけ言い残すと、ディニアスはあっさり回れ右して去っていった。執務室が一挙に静まり返る、嵐が過ぎ去ったかのように。
ナターシャは呆けていた。あれをどこまで信用していいのか、そしてあれがどこまで勘づいているのか、推し測ることができない。しかし、道は確かに開けた。局長がやれと言ったなら、つまりやれるということである。閉ざされた道は、今、こじ開けられた。
しかし、だ。相方にはどんな顔を向ければいいやら。ヴェルムにしてみれば人魚の問題に巻き込まれたような物だろう。
そんな気まずい沈黙がややあって。それを破ったのは、意外にもヴェルム自らであった。
「おいナターシャ。資料室行って例の島の地図借りてきてくれ。もっと詳細のがあるはずだ、洞窟の中は駄目かもしれんが、入り口の位置くらいは書いてあるだろうよ」
何事も無かったような口ぶり、ナターシャは目と口を丸くした。
「……来てくれるの。危ないってわかってるのに。行くなって言ったのに」
「局長命令だからな。……っていうのもあるがよ」
吹っ切れたような勢いで言ったあと、彼は年嵩な――実年齢はナターシャの方が上であるのだが――余裕をにじませ、にいっと口角を上げた。
「危ないってわかってんのにひとりで行かせられるか。口先だけ強くてもどうしようもならねえことなんて一杯あるぜ?」
ヴェルムの大きな手が自身の胸を叩く。頼りがいのある男だ。
「ありがとう」
ナターシャは心の底から沸いて出た柔らかい笑みを浮かべた。これから魔の島へ向かうとは思えない、穏やかな笑顔を。




