魔の島(1)
総監局。壁に沿わせた資料棚に圧迫される部屋、中央に浮かぶ机の島は雑然と散らかっているものの、治安の保管庫に比べればずっとましだろうと思えた。
ナターシャが帰室した時、ヴェルムは大陸から届いた荷をほどいていた。聞けば西の大陸で「森が一日で桃色に染まる怪現象」を調査している局員から送られてきた重要資料だという。
綿で満たされた箱を探ると、コルク栓のなされた底広の瓶が出て来た。赤肌の大きな手が掴んだ硝子の向こうには、どぎついピンク色の半液状物体が居る。あるのではなく居る、表面を艶めかしくうねらせ、触手らしきものを方々に伸ばしながら、底をぬめぬめと動き回っているのだ。
二人して醜悪な顔を晒した。ヴェルムは視界から遠ざけるように目一杯腕を伸ばして瓶を持つと、一番奥の局長の机に置いて逃げてきた。
「なによ、あれ調べろって?」
「いや、局長に送れって言われたらしい。だからまあ、あれに任せとけばいいだろうよ。あんなもん触りたくねぇ」
「同感」
ナターシャは椅子に座りながら、怖いもの見たさで遠くの硝子瓶を見やった。謎生物はガラスの壁面をよじ登り、しかし細くなった口に届く前にぼとりと落ちてはじけた。それがまたうぞうぞと集合し――ここで寒気をおぼえて観察をやめた。
あそこまで得体の知れないものを調べるよりは、邪教集団を相手にしていた方がまだ気が楽である。知性があり言葉も通じる人が相手であるとわかっているのだから。
ナターシャはさっそくヴェルムに向かって、率直に知りたいことを投げかけた。アビリスタが扱う魔力、その色について。
「魔力の色?」
「そ。何か知ってることがあったら、教えて。どんなことでもいいから」
色、と反芻しながらヴェルムは一瞬だけピンクの軟体に目をやった。が、すぐに思い直したように軽くかぶりを振って目線を戻す。
腕を組み背もたれに身を預け、しばし考えてから呟いた。
「色っつうと、アビラ・ストーンか? あれは色ごとに性質が違うぜ」
「やっぱりそうなの?」
「おう。むしろそれ以外に思いつかん」
「じゃあそれでいいわ。一応教えて」
「構わんが、俺も特別詳しいわけじゃないからな。お前が知ってる程度かもしれんが、文句言うなよ」
そう前置きしてヴェルムは解説を始めた。
特殊な力を持つ鉱石アビラ・ストーン、光を灯す物や火を放つ物など幾種類も存在する。その一部に色が付いた物があるのだ。
アビラ・ストーンは自然にある魔力が結晶した物だと考えられている。世界の各地で採取されるが、ある程度沸きやすいところは決まっていて、なおかつ場所ごとに種類の偏りもある。
「この前、異能研がいくつか精製に成功したって話題になったが、まあ、偶然の産物だろうな。後が続かないらしい。詳しく聞きたいならあっち行ったらどうだ?」
「嫌よ、実験台にされたくないもの。それより、もう少し聞かせて。特に知りたいのは、緑のアビラ・ストーンのこと」
「翠晶石か、また珍しいもんを」
「え? そんなに?」
「まあ、つーか、需要が無いからあんまり探されもしないし、出回りもしないってところだ」
ふうと長い息を吐いてから、ヴェルムは詳細を追加した。
普通アビラ・ストーンは、外から魔力を与えることや衝撃を加えることで効果を放つ。しかし最も顕著なアビラの効果が現れるのは、石が割れた瞬間だ。赤色の紅晶石なら砕けた瞬間に炎が立ち昇るし、蒼晶石なら周囲を凍てつかせる冷気がほとばしる。
しかし緑の翠晶石に関しては、割っても何も起こらない。いや、何かあるのだろうが、明確な力が実感できないのだ。政府の異能研でも実験を重ねているが、いまひとつ効果のほどがわかっていない。内包魔力は他の石と変わらないから魔力タンク程度には使えるだろうが、それならもっと強力な無色のアビラ・ストーンがより安価かつ多く出回っている。
その話を聞いてナターシャは思い切り口を丸くした。
「じゃあ、緑のアビラ・ストーンなんてわざわざ持ち歩く意味ないじゃない」
「だな」
推測の一つがばっさりと切り落とされた。何か意味があるのならともかく、無駄なものを寝る時まで肌身離さず持ち歩いているだろうか。可能性は低く思える。
しかし選択肢が減るのは好都合、おまけにヴェルムの語りから別の線が強く示唆された。気を取り直し、ナターシャは前のめりに問いかける。
「アビラ・ストーンは魔力が結晶したものなのよね。緑のだって他と同じで」
「っていう話だな」
「だったら、その採掘地は強い魔力の発生源になるわよね」
「そりゃそうだろうな」
ナターシャは内心で頷いた。魔力が強い場、セレンが言っていたまさにそれである。緑のアビラストーンが採れる場所、なおかつ人魚が好む海の近く、その条件に合う地点が探しているものがある場所かもしれない。
「その場所って、あんたわかる? もちろん中央諸島の中で」
「そりゃあな。お前はまだ知らんだろうが、総監で定期調査やってるんだぞ」
「定期調査!? それって何年前に」
「この前は四年ぐらい前だったか? 局長が変わる前だったからな」
「じゃあ何も出ないか……」
「あん? なにがだ? つーか、おまえ一体なに調べてんだ?」
「ちょっと気になることがあってね。とりあえず、その時の資料見せて。っていうか、地図! 全部廻るから、場所だけ教えてちょうだい」
「全部ってなあお前……まったく、今度はなんの騒ぎなんだか」
呆れた声を漏らしながらも、ヴェルムは立ち上がり資料棚へ向かったのである。
埃っぽい棚から引っ張り出して来たのは一枚の地図と日焼けした紙を紐で綴じた冊子。在り処は頭に入っていたのだろう、すんなりと取り出してきた。ぎゅう詰めになっていた他の書類が崩れて落ちて来たのは別として。
ナターシャの机に中央諸島全域の地図が広げられた。それを並んで覗きながら、ヴェルムが机上に転がっていたペンで一つの島を囲うように示す。こびりついたインクが掠れた円を描いた。
「中央諸島随一の採掘場はここだ。オルタル島。小さいが、島全体が魔力の塊みたいなもんだぜ」
「そこ緑の石は採れる?」
「いや、ここは色つきのは出なかった。光源と導力ばかりだ」
そう言って一唸りしてから、示す場所を変える。
「色系の石ならヨーハの地下洞窟、ハヴァクの海岸、それとエルキナの山だな。あァ、緑ならエルキナだ。ある程度安定して出るのはここだけだ」
次々と色のない丸を書いた最後、赤い指がとんとんと強調するのはエルキナという名の島だ。中央諸島で最も標高のある死火山がある地、草木の緑に覆われる中に小さな村落があるだけののどかな島である。
ううん、とナターシャはうなった。
「ねえ、それはほんとの山の上?」
「おう。まあ、大規模な掘削はしてないがな」
あっけらかんとした回答を聞いた途端、髪と同じ暗赤色の眉が中心にぐっと寄った。口から飛び出た声も自然とむすっとしたものになる。
「人魚が山の上に居るわけないじゃない」
「何の話か知らんが、地面の上を堂々歩く人魚がそれ言うかよ」
げんなりとしたヴェルムの声が地図に向かった。進展が無いことへのやつあたりだ、ナターシャにも自覚があるから、自己嫌悪の嘆息を風として図上にあるエルキナの山に吹かせた。
二人してこう前方を見たままだったから気づかなかった。二つの顔の間jから、いつの間にか第三の存在が地図を覗いていることに。彼がごく自然に会話に割り込んできたことで、初めてその存在を認識することになった。
「ほんと、赤肌殿の言う通りですよ。何の話か知りませんが」
飄々とした声にヴェルムもナターシャも飛び上がる程に身を躍らせた。
そろって振り向いた先にあるのは予想通り、総監局長ディニアスの実に不吉なにやけ面であった。




