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海の青、大地の緑(1)

 崖の縁に足をかけ、悩まし気な薄青の瞳を遠くに向ける。視線の先にあるのは広く青い大海。


 迷い悩み行き詰った時に海を見たくなるのは、やはり血がそうさせるのだろうか。ナターシャはぼんやりと思った。


 ここは中枢宮殿の裏手にある野原。広く平坦な草地だが、この島では最も高い位置にある地面だ。展望は良好、そよぐ風は快適、人が居ないのが不思議なほどの風景。ただそれは単純に執務時間であるがゆえ。時は昼を過ぎたところだ。


 ひとり内省するだに、組犯局での成果が乏しすぎた。コープルの言う通り、彼らが握っていた捜査資料を参考にできれば何か掴めることはあるかもしれないが、あのギベルの下に行ってしまったものをどうできるか。期待は無駄だろう。


 ナターシャはポケットから緑さす「夢」を取り出し、遠景にある海に乗せた。太陽の下で見れば差異は明らか。海からは浮く色合いをしている。


「地上の色、か」


 緑色は地上の色、遠い昔にそう聞いた。混じりっ気のない緑色の「夢」は、それを理由に他の人魚たちに疎んじられた。その「夢」を見たナターシャ自身も。


 なぜこうなるのか。コープルにも問われたことを反芻する。――わからない。自分だけが緑色だった。地上の夢を見たからだろうか? いや違う、少女ナターシャとて海に舞う夢を見たことはある、しかしその時だって生成された「夢」は緑色だった。


 関連がありそうなこととして挙げられるのは、ナターシャは他の人魚が持つ水を操る力も持っていないいう点だ。操水は地上で言うアビラ、魔力によって行使される。他方「人魚の夢」も眠る内に放たれる魔力が結晶化したもの。共通項は魔力だ。


 吹き付ける海風がナターシャの長い髪をざわりと撫で荒らす。顔にかかった分を手で払いのける、その所作は心ここにあらずの様相である。


 ――この夢の主は、あたしと同じような存在かもしれない。


 普通ではない人魚ならば。普通でないから迫害を受ける身分だったならば。望まずとも海底を追いやられ、地上の世界に溶け込んでいてもまったく不思議でない。自分とは思想だけが違っていて、地上憎し人間憎しの心のまま、バダ・クライカ・イオニアンに加担し人間に悪夢を振りまいている、そうであってもなんらおかしくはない。


 ふう、と悲し気に吐いた息は、しかしカモメの能天気な鳴き声にかき消された。


「この『夢』みた奴がどこに居るのか」


 事を解決するには大元を正す、それに尽きる。その人魚が居る場所がバダ・クライカ・イオニアンの重要拠点である可能性も高いだろう。問題はどうやって探すか。すんなりと見つかるものであれば政府も苦労してはいない。しらみつぶしで探すにも、人の足にはこの世界はいささか広すぎる。


 ただ、ひとつだけ絞り込む条件がある。ナターシャが探す人魚は必ず海辺に居る。「夢」は海中でしか精製されない。人魚族は海に抱かれ眠らなければ、一縷の夢すら見ることが不可能なのだ。

 

 だから対象は中央諸島のどこかに居る、そうナターシャは直感していた。世界の中心に位置し、かつ、人が滅多に入らないような島もたくさんある。悪事を企む邪教集団が隠れ家にするのに、これほど都合のいい場所があるだろうか。


 絶海の孤島、そんなイメージを胸に抱きながらナターシャは遠い海を睨みつけた。


 と、その時。静かな足音が背後に聞こえた。徐々に近寄ってくる。


 ナターシャは慌てて「人魚の夢」を上着のポケットへするりと差し込んで隠した。ながらに、さりげない様子で後ろを振り返る。


 あ、と口が半開きになった。そんなナターシャが何か言う前に、歩んで来た彼女の方から口を開いた。


「ナターシャ様」


 相変わらずの感情のない響きは、この四日間ずっと聞いていたから、もう慣れた。セレン=ルーティニー、先のナコラ捜索で組んだ異能特使官の娘だ。


 ナターシャは少しだけ安堵した。ここでギベルや彼の部下どもに見つかってみろ、すぐさま怪しまれるに決まっているし、身体検査でもされたら詰みだ。セレンならば隠し事を咎められても話せばわかってくれる、はずである。


 セレンの足取りは芯がすわっている。一昨日の戦闘で足に軽い怪我をしていたが、それももう綺麗に治りきっていた。一般的にアビリスタは傷の治癒が早く、体自体も丈夫なのである。それを理由に人外だと定義しようとする論もあるが、さておくとして。


「ここで何をしているのですか?」

「別にたいしたことじゃないわよ。ちょっとぼーっとしてただけ」

「そうですか」


 言いながら、セレンはナターシャの背後でぴたと足を止めた。感情の無い瞳がナターシャを見下ろす。


 ――待って。なんでセレンはここに?


 疑念。ここはほとんど人の来ない草地だ、たまたま知り合いに邂逅する、いや、作為を感じずには居られない。しかもこうした差し金を入れてきそうな輩に、残念ながら一人心当たりがあった。


 厄介ごとを押し付ける局長のしたり顔を想像して、ナターシャは顔をこわばらせた。警戒心がそのまま声にも表れる。


「あなたこそ、どうしたのよ、こんなところで。狙ってないと、ここまで来ないでしょ」

「命が無い時は島内を巡回せよと、ディニアス様より仰せつかっております」

「ああ。……それで不審者を見つけたら即刻始末しろって?」

「はい」

「もうぎったんぎたんのぼっこぼこに? 骨の一片も残さないくらいに?」

「それでも構わないと、ディニアス様からは言われております」

「蛮族か」


 思わず突っ込む声も漏れる。セレン自身も大概であるが、根本の問題はあの男の方。それは悲しいかな、自分の上長でもあるのだ。頭が痛い。


「……ん?」


 頭を抱えながら、セレンの顔をまじまじと見る。すましているようで、よく見ると、眉間にしわが走っている。もっとよくよく見れば、生来鋭い目つきが更に尖っているように見えた。


 不審者は即時退けよ。その対象にナターシャは入らないだろうか。何かないと来ないような空き地に一人でこそこそ、しかも本来は執務中であるはずの身であるのに。どう考えても、不審者そのものである。

 

 思い当たった瞬間わあっと素っ頓狂な声をあげ、体の前で手をばたつかせた。


「あ、あたしはなんにも悪だくみなんてしてないわよ!? 別に、後ろ暗いところなんてなにも!」

「把握しております。そのように大きく動くと崖から落ちる危険があります」

「じゃあ、じゃあ! そんな顔、しないでよぉ……」


 悲痛な声はもはや懇願の域だ。セレンが理性を切った時の恐ろしさ、それを十二分に理解しているから。非力な身にとって一番怖いのは、話を通じさせる間もなく叩きつぶされること。


 ひとまず首はつながったことを信じ、脱力して草原にぱたりと倒れた。危ないと言われたのに従って、崖縁にかけていた足はちゃんと平らな地面の上にひっこめた。


 すると、セレンがすっと手を持ち上げ、ナターシャの腰あたりを指さした。


「非常に気持ちの悪い魔力を放っていますので」


 わずかに苛立たし気な色をにじませた言葉、それが何をさしているのかは明らかだ。ナターシャは上体を横たえたまま、上着のポケットをまさぐり「人魚の夢」を手のひらに取った。


 白肌の掌の上で妖しく輝く結晶体。照らし出されるそれを睨み、セレンは黙って頷いた。


 ナターシャはセレンの感覚に感心していた。ナコラでの捜査も、その能力にずいぶん助けられたものである。敏感に魔力を感知して彼女には何かが見えるのだというが――


「あっ」


 ナターシャは稲妻に打たれた様に飛び起きた。


「ね、セレン。魔力って、色なんだっけ。この前、そんな風なこと説明しようとしてくれたじゃない?」


 ナコラ港広場で英雄像透明化の犯人を打ちのめした時だ。セレンは多色の魔法弾を操る、それに驚いてみせたところ、彼女は確かに色ごとによる性質の違いを解説してくれようとしていた。あいにく講義を受けていられるほど悠長な状況では無かったし、そも大して興味が無かったから、ついぞ聞かずじまいであった。


 しかし。ナターシャは手にある二色の石に目を落とした。「人魚の夢」は魔力が結晶したもの、であればこのまだらの色も魔力の色の違いで説明がつくのかもしれない。さらには、捜査の上にある閉ざされた扉を開ける鍵にもなりうる。


「ねえ、あの話、今聞かせてっていったら、教えてくれる?」


 ナターシャが真摯に尋ねると、セレンはダークブロンドを跳ねさせながら大きく頷いた。

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